ボニボニ

 

愛しのプロフェッサー 2

 




そりゃあ大学教授だから 当然書物は多いでしょうけど。それにしても・・

何なの? この 地震が来たら間違いなく死にそうな本の山。



「誰かの食べたネクタリンとか アボカドの種かも知れませんね。プロフェッサー」
「うーん・・ヤシの実みたいなものも考えられるかもしれない」
「そんなに大きい物は・・」
「いや でも以前リスの奴 無理矢理リンゴを運んでいましたよ」

まったく・・。 こいつらの のどかさはどういう事だろう?

いい年をした事務長と 超一流大学の教授が 
床から生えた芽を真ん中に 延々と お名前あてクイズをしている。



「・・・あの プロフェッサー・イ・ジウォン」



「はい? ジウォンでいいですよ。 皆そう呼びます。ね?事務長。」
「えぇプロフェッサー。 韓国の方は 大概お名前の方が言いやすいですね。
 Ms.ユナもお名前で呼ばせていただく方が はるかに呼びやすい」

「・・・・・・・・」


自分を苗字で呼んでほしいと 今 言うつもりだったのに。
マクドネルさんってば このタイミングに「名前の方が呼びやすい」って。
「Ms.ユナ? で、何でしたっけ?」

「は? あぁ えぇとその。・・・この書籍の山 危険ではないですか?」


まずい・・・

全然そんな事を言うつもりじゃなかった。
だけど・・・いくらなんでも これはないもの。



プロフェッサーは眉を上げて 左右の本の山を見上げた。
顎のラインがきれいに伸びて その美しさに・・めまいがした。

そうなんですよ 困ったことに。

これらの本は もう一種の凶器になって来ています。
「この前は 教務課のコーウェン君の頭に あの厚い書籍の一群が落ちました」
「おやおや教授。 それは 本当に危ないですよ」

Ms.ユナに 整理をお願いしたらいかがですか?
「いえ・・。本は 人にいじられると探しにくくなりますから」
「ああ。そういうものでしょうかねえ」


“ふん・・・・”

人にいじられると探しにくい ですって?
それは システマティックな整理を出来ない人間が 常套手段として使う言い訳ね。
私の中の いけない虫が むくむくと頭を持ち上げる。

「ではプロフェッサー。 探しやすく整理出来れば 本を動かしてもいいですか?」

「え?」
例えば、この一山の奥にある書架。
「ここ半年間で、あの場所から資料を取られた事は?」
「あ・・りませんね」


それなら、奥の書架の本を セクレタリールームへ移動しましょう。
こちらの壁面が余っていますので 500冊は移動できると思います。

「書架があればもう少し収納出来ますが」
「書架なら 什器倉庫に使わないものがありますよ Ms.ユナ」
「ではそれをお借りします。 次室の資料は 私が責任を持って分類・整理いたします」

・・・作業のご許可をいただけますか?
「あ・・はい」

-----


プロフェッサーが講義に行くと 私はすぐに仕事にかかった。

マクドネル事務長は あたふたと私の前後をついて歩き
それでも 私の作業に役立つ情報を 親切かつ的確に教えてくれた。


「Ms.ユナは 今までの秘書の方とは 随分違いますねぇ」
「そうですか?」
プロフェッサーとお会いして 自己紹介より先に本の整理を申し出た方は初めてです。
「!!!」


ま・・・まずい。
「じ、自己紹介は名前だけで十分です! スキルは仕事を通して紹介します」
あうぅ・・。 こ、こんなことを言う気じゃないのに。


ダメージ ―damaged―。

私という人間は たぶん現在 かなり「やさぐれた状態」なのだろう。
物事に対して素直な対応が出来ず ささいな事でもケンカ腰になる。 

マクドネル事務長という人は 本当に温厚な人だと思う。
つんけんとした私の言葉にも 至極 嬉しそうにうなずいてくれた。


「結構ですよ Ms.ユナ。それこそ正に 我々の望んでいた秘書です」
この前来られた方などは 自己紹介というかアピールに1時間もかけて
まったく 教授にスリーサイズまで申し上げたのですよ。ブツブツ・・

「貴女は 当大学的に大変コレクトな(正しい)セクレタリーです」

-----


結局 私は その午後いっぱいを使って800冊の本を動かした。


什器倉庫にしまわれていた書架は 古いが素晴らしく重厚なデザインで 
私は ひと目で気に入った。
事務局の若者に手伝ってもらって セクレタリールームへ据えつける。

ついでに1つ。 什器倉庫の隅から
肘のところに小さなテーブルのついたクラシックな椅子を見つけ出し 
書架の隅に置いたら そこは 素敵に雰囲気のあるコーナーになった

プロフェッサーオフィスの書架が空いたので 
きれいに2度拭きをしてから 床から積み上がった本を横へ並べる。
縦に積まれていたものを ただ 横にしただけだ。

「これなら “動かされたから解らなくなった”とは言えないでしょ?」



セクレタリールームへ移した本は とりあえず順に書架へ入れた。
書名を頼りに軽く分類して 並べてゆく。
「この辺は 明日からおいおい分類・整理するとして・・」

一応 「壊滅的な」状態は回避されたので 最後にざっと床を掃いた。

よく見えるようになった床の真ん中に ポコリと小さな穴が開き
とぼけたような顔をした木の芽が 10センチばかり飛び出ていた。

「・・・・・・」


“こいつ”の処遇は プロフェッサーの権限内ね。

すらりと伸びた背筋と 長い脚を折り曲げての あの○ンコ座り。
どう考えても邪魔者でしかない床の木の芽を 楽しげに指先でいじっていた。
あんなに端整な顔をして 子どもみたいに無垢な顔で笑う。

・・・・・はっ!!

私ってば。 な、な、何をぼんやりしているの?
もう 人生に男なんかいらない。そう決心してここへ来たんじゃない。
「空気を 入れ替えようかな」


書籍を動かした後の部屋中は なんだか 埃臭かった。
机上の紙類にペーパーウエイトを置いてから 窓を開ける。

サラ・・・
柔らかな風。 空気の中に緑の匂いが混じって 私の周囲を通り抜けた。
「あたりまえか。 大学構内は木ばっかりだもん」
ふいに セントラルパークを思い出す。 思い出したくもないマンハッタン。



ワァ・・オ・・・!

「すごいな これは」 
いきなり晴れやかな声がした。 ・・・今の時間で 貴女がやったの?
振り向けば 本を小脇に抱えた教授が ものすごい笑顔で立っていた。

眉を上げて 今にもわぁ・・と言い出しそうな笑顔。
私 こんなにピカピカの喜色満面を見たのは 何年ぶりだろう。


「これを全部 貴女ひとりで?」
大変でしたね。 言ってくれたら僕も手伝ったのに。
「と、とんでもない! これは私の仕事ですから。
 その! ゆ、床に置かれた本は わからなくならないように・・」

す・・と きれいな手が説明を制した。 黙って Ms.ユナ。
「解ります・・。この書架の本は 完璧に 山の順番どおり左から右に置かれています」
「!」


この人ってば・・記憶しているんだ。

物を整理出来ずに 「いじられるとわからなくなる」などと言う人には
結局資料をアタフタと探す ただの整理下手が多い。

・・・だけど プロフェッサーは違うみたい。
だってこの本(多分だけど) 山ごとに 傾向が分類出来ていたもの。

「ありがとう Ms.ユナ。 貴女は『整理』がお上手だ」
後は 私がまめに『整頓』すればいいのですね?
「だけどこれが 難易度が高くて。 あはは」


プロフェッサーは両手を拡げて きゅっと肩をすくめてみせた。
それは 一点の曇りもない 純度100%の温かな微笑。

は・・・
肩肘張っていた私の心が ポキンと音を立てて折れ ついに私は微笑んでしまう。
・・ふ・・

「ああ。 Ms.ユナは ちゃんと笑える方でしたね」
「!!」
「笑うとペナルティを取られるゲームをしているのかと 少し心配していました」
とても愛らしい笑顔です。 その顔の方が お似合いですよ。


こ・・こ・・こいつってば。

「失礼しました。プロフェッサー」
私 できれば業務に対しては ビジネスライクに当たりたいと思っております。
「少々愛想に欠けるきらいはあるかと存じますが どうぞご容認ください」

「ふぅん?」

ふぅんって・・・ 何よ? 
な、なんで そんなに「ワクワク」の顔をするのよ!
「Ms.ユナは 今までの方とタイプが違うみたいです。嬉しいな」


ありがとう ここへ来てくれて。
プロフェッサーは私の肩を二度叩き ゆっくり まばたきをして微笑んだ。
相手によっては 悪寒がするようなその行為。

だけど 陽気なジウォン教授に 私は ・・嫌悪を感じなかった。

-----


「おや Ms.ユナ。 車をお持ちじゃないんですか?」

タクシー乗り場のポールの前に立っていると マクドネル事務長が車を止めた。

ここは車がないと不便ですよ。免許をお持ちじゃないのですか?
「買ったんですけど。納車が遅れていまして」
「そうですか。でもこの時間キャブが来ますかな。 電話で呼びましたか?」


あぁ 如何ですか? どうせ僕は方向が同じだから
「良かったらお送りいたしましょう」
「・・? 私の家をご存知なんですか?」
「ほっほ お宅は知りませんよ」

この大学のファカルティ・・若い教職員は 大体同じ場所に固まって住んでいます。
「当大学では それがコレクトな居住エリアということです」
「はぁ・・・」

コレクトか。 なるほど これが噂に聞いたこの大学の体質か。
何事も地味に上品に アカデミック・スノッブってわけね。

ともあれ マクドネルさんの申し出は 素直にありがたい事だった。

助手席へ乗せてもらって 新居の番地を告げる。
「17番地ですか? それは確か・・」 
「え?」
いや 違いましたかな? まあお送りしますと言って事務長は車を走らせた。



「やっぱり ・・ここですか」

私の家の前に停まると マクドネルさんはうなずいた。
「この家 お1人では広いでしょう。 あ、いや!こ、これは個人的な事を・・」
「かまいませんよ。ええ 広いです」

そのうちハウスシェアする相手を 募集するつもりです。
「でも 何だかこの家をご存知のような言い方ですね?」
「あぁいえ。 この家を という訳ではなく “このお隣の家を”知っています」

事務長は気取った風に片手を上げて 左隣に建つ家を示した。

南部風のポーチがついた立派な家。 ・・・ここが何?
「こちらが プロフェッサー・ジウォンのお宅です」
「え・・・?」


お願い 神様。 こんなドラマはいらないの。 

あのプロフェッサーとお隣同志?! 私は 思わず眼を閉じた。 
「あのぅ事務長。 出来ればこの事は」
無駄なあがきかも知れないけれど 教授に 内緒にしてもらえたら・・


パウ! パウ!

後ろで陽気にクラクションが鳴った。
「あれ やっぱり事務長? Ms.ユナも? どうしたんですか僕ン家の前で」
「これはプロフェッサー。いえね Ms.ユナのお宅はこちらなのだそうです」



・・・・・・いきなり バレたし。

 ←読んだらクリックしてください。
このページのトップへ