ボニボニ

 

愛しのプロフェッサー 3

 




5日目の朝。  道に プロフェッサーが“落ちて”いた。


正確に言うと道ではなくて 教授宅前の ドライブウェイ。

きれいに刈られた芝生の上に やる気のない信号機の「進め」マークみたいな格好で
ジウォン教授は 横たわっていた。


「・・・・・・」

ジョギング中の心臓発作。 →普通ジャケットを着てジョギングはしない。
昨夜泥酔して自宅前で就寝。 →身なりは整っているし清潔そう。

ともあれ「隣人」であり 「彼の秘書」である私としては
これが見過ごせない事態であることに 疑いの余地はないようだった。
「すみません。 あのぅ プロフェッサー? 大丈夫ですか?」


そっと 肩を揺すってみる。

寝ていてもそれとわかる端整な美貌に 思わず 胸がとくん・・と揺れる。
私は二枚目が好きじゃない。 ハンサムなんかに 興味はない。
だけど 無防備にまぶたを閉じる彼は 眼のそらしようもないほどきれいだった。



「・・ぅん・・・・・」

渋いアンバーメタルのフレームの中で 長いまつげがゆっくりと開いた。



開いたまぶたが もう一度閉じて 今度は本格的に眼を覚ます。
スローモーションで花が咲くような恍惚の目覚めに 私は思わず息を飲んだ。

「・・・Ms.ユナ・・? これは おはよう」



プロフェッサー。

そんなに柔らかな笑みを浮かべて おはようだなんて 言わないで欲しい。
見事に深い彼の声に 私は 思わず赤面してしまう。
「お・・はようございます。 あの お加減でも悪いのでしょうか?」



うぅ・・ん。 

子どものような伸びをして ジウォン教授が起き上がった。
「あぁ寝てしまいました。 芝生が気持ち良さそうだから 座っていたらつい」
「は・・?」
「大学へ行くつもりだったんです。 今日は僕 10時にアポがあったでしょう?」



何だか とても眠くてね。
自分で運転すると事故を起こしそうだから 誰かの車に乗せてもらおうと思って。
「職員か学生が通らないかと 待っているうちに寝てしまいました」



「・・・・・」
プリンストン大学の教授ともあろうものが 朝っぱらから ヒッチハイク。

私は ぽかんと口を開けた。
そして私は彼の秘書で 一昨日やっと納車された車で出勤する途中。
このシチュエーションから導き出される解答は ・・・・残念ながら1つだった。

「お乗りに・・なりませんか。 プロフェッサー?」




助かりました。 Ms.ユナはお隣だから 帰りも乗せてもらいやすい。

プロフェッサーは助手席に納まると 上機嫌で言ったものだ。
「・・・帰り・・・」
「あ! だめならキャブを拾います。 忙しいのですね?」
「え? いいえ! 私の車などでよろしければお送りします」

ウィ~ン・・

パワーウィンドウをいそいそと開けて ジウォン教授は窓からの風に髪を梳かせる。
「あぁ 朝の空気は新鮮でいいな。 ね? Ms.ユナ」
「・・え? あ、はい」

ふんふんと陽気なプロフェッサーは 車窓の景色に眼を細めている。
少年のようにまぶしげな表情を 私は ちらりと盗み見た。
・・コホン・・

「えぇと 教授? 本日のご予定ですが」

私はどぎまぎと秘書になる。 ハッピーフルな車内の空気が怖かった。
「10時にクレオール社のアポイント。 11時には学術誌の電話取材があります。
 その後 午後3時半の講義までご予定はありません。  ・・・・教授?」


すぅ・・  すぅ・・  すぅ・・・

平和そうな息づかいに 私は もう一度視線をやった。
口の端を少し上げて 微笑むように安らかな表情。 
プロフェッサーは 窓にもたれて 幸せな眠りへ戻っていた。
「・・・・・」

-----


大学近くで目覚めた教授は 一軒の看板を指さした。

「Ms.ユナ。 すみませんが そこの『Tom’s Sandwich』で停めてください!」
あそこのBLTは美味しいんです。 今日はお昼に あれを食べたいな。

「Ms.ユナもいかがですか?」
「け、結構です! 私 カフェかどこかでランチをいただきますから」
うぅ・・もぉ このケンカ腰。 BLTサンドは大好物なのに。

だけどプロフェッサーと同じランチを食べるのが 私はなんだか気恥ずかしかった。
「ふぅん?」


ふぅん?って。 ・・・だから何なの。 その 面白いものを見るような顔は?!
悪戯っぽく小首を傾げて 物言いいたげなジウォン教授は 腹立たしいほど魅力的だ。
「Ms.ユナって いつも怒っているみたいですね? ふふ」

早くパーキングへ入れちゃわないと!! 私は 乱暴にステアリングを回した。



Mornin’ジウォン教授♪ 

『Tom’s Sandwich』のトムと言うのは やたらと陽気な男だった。
プロフェッサーが午前中からおでましなんて 雨が降るな! 朝帰りかい?
「今朝の彼女は いつもと違って清楚な感じだねえ」

「あ、いえ。彼女は私の秘書さんです。今朝は乗せて来ていただきました」

「あーねえ!こりゃ失礼。 そうだよなあ いつもはもっと色っぽ・・・」


ジェントルマン!そこまでにしましょう。 
「Ms.ユナは 若いご婦人です」
唇の前に指を立てて 柔らかくトムをたしなめる。
何をやっても絵になるなんて ねぇ プロフェッサー・・・あんまりだと思う。



その日の午前は 事もなく過ぎた。

プロフェッサーに教えられた 大学のカフェテリアでランチを取る。
結局私はBLTサンドをオーダーして 苦笑混じりで食べ始めた。


“・・・いい プロフェッサーよね・・”

温和で 陽気で 礼儀正しい。 少し浮世離れしたところもあるけど
大体プリンストンの教授なんて人は 世事にうとい方が普通ってものだ。
「でも・・・」

バンッ!
「!!」

いきなり 前のテーブルに 若い白人女性がトレーを置いた。
こちらのトレーにぶつけんばかりの ケンカごし(?)な態度。

あら失礼! 全く謝意がなさそうな声には 底に怒りがにじんでいる。
「?」 誰だったかしら。 
私は不快を表すのも忘れて 何だか呆然と彼女を見つめた。



かなりの美女と 言って良かった。 

服のセンスも嫌味がなくて 知的美人と言えるタイプ。

パスタのプレートを取った彼女は ヤケのようにタバスコを振り回す。
おかげでこっちのお皿にまで オレンジ色の飛沫が飛んでくる始末だった。
「ねぇ・・私のサンドイッチに タバスコがかかっちゃったわ」

「まぁ? そんなことが気になるの」
「そんなことって・・・」
「“自分の事にだけ”は 神経が細やかなのね」


「・・・どういう事よ」
私は怒りっぽい方じゃないけど 言われっぱなしで黙っているタイプじゃない。
きっと相手を睨みつけていたら 彼女は 意外な事を言った。

「プロフェッサーにあんな酷いことをして。 貴女なんかセクレタリー失格よ」
「え?」


どういう・・事よ?

私は もう一度同じことを聞いた。 今度は本当に疑問だった。
「何よ。 あのスケジューリング! 10時にアポですって? 酷すぎるわ」
「・・え・・・?」

プロフェッサー・ジウォンはね。 低血圧で 午前中は使いものにならないの。
「!!」
大学だって気を使って 早い時間には講義を入れないのに。
あの天才が無理な出勤で体調を崩したら 貴女 一体どう責任を取るのよ!!

「・・・ぁ・・・・・」

-----


コン、コン、コン!!

「・・Mommme in」
「?」


ドアを開けると プロフェッサーは サンドイッチを頬張っていた。

良く噛んで食べる人なのだろう。 眼は 会話しようと努力しているけれど
口はモグモグと咀嚼を続けている。 
私は ため息をついて眼をつぶった。 教授は・・とてもイイヒトなのだ。


「お食事中に失礼致しました。 出直して参ります」

一礼をして去ろうと思ったら 教授が コーヒーのカップホルダーを振った。
お代わりですか?  慌ててディスペンサーからサーブして手渡す。
ごくん・・。 コーヒーをひとすすりして プロフェッサーは満足げに笑った。

「どうもすみませんでした。 あの・・」
「Ms.ユナ。 カフェテリアでBLTサンドを食べたでしょう?!」
「え? ・・何故ご存知なんですか?」

あはは! 絶っ対そうだと思いました。 意地を張らずに買えば良かったのに。
「トムのBLTを見ると・・・食べたくなるでしょう?」



ね? と切れ長の澄んだ眼が からかうように覗きこむ。

「・・・・・」

私は 長い 長い沈黙の後で 奇跡の笑顔に降伏した。
「・・はい。今後はご忠告に従おうと思います」
「あはは」
「・・・・・ふふ」


私は 笑った。 
身体中を縛った棘が 緩んだような気持ちだった。

・・・「札付き」だ。 確かにこのプロフェッサーは。
誰も彼もが この人に会うと その魅力から眼をそらせなくなる。




プロフェッサーが低血圧で 朝が弱いことを存じ上げませんでした。

「リサーチ不足です。申し訳ありません」
不都合な点は お申し付けいただければ対処します。

「ご要望がありましたら お知らせいただけると助かるのですが」
「ふうん? だけど僕。 Ms.ユナの仕事ぶりに不満はありませんよ」
「でも今朝・・・」


あんな所に“落ちて”いた プロフェッサーを思い出す。
彼は 私の設定したスケジュールをこなそうと たぶん必死で起きて来たのだ。
「・・・すみませんでした」


「違います」
うーん・・。 僕もいい歳ですし 人並みの社会人でありたいです。
だからこの機会に Ms.ユナのスケジュールをこなせる人間になろうかなって。

「今朝は成功しなかったけど でも まだ頑張れます」
「プロフェッサー・・・」

ボスに“頑張らせ”たりする秘書は 能が無いと言われます。
プロフェッサーが お仕事しやすいように環境を整えることが

「私の 仕事なのですから」

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その夜 講義を終えてきた教授は 私の机に腰をかけた。

「では 行きましょうか」
「あ、はい。 お帰りですね」
「違います。 えーと 飲茶はお好きですか?」
「は?」


リサーチが必要なのですよね? 貴女の「秘書業務完遂」の為に。
「僕の嗜好や生活習慣の詳細を 憶えなくてはいけないのでしょう?」
「・・はい。 ですが」

「長くなりそうだから食事をしながら話しましょう。僕 お腹ぺこぺこなんです」 





エディソン地区は 所謂チャイナタウンで 中国人の居住が多い。

『皇都海鮮酒家』は 飲茶ではこの辺で一番という評判の店で 
確かに 週末でもないのに テーブルはほぼ満席に近かった。


「しまった。 コーウェン君でも誘えば良かったですね」
せっかくだからあれこれ食べたいのに 2人じゃ品数を多く頼めないかな。
「Ms.ユナも頑張ってください。 ふふ 僕は車じゃないので飲んでもいいですか?」

「・・・・」

ジウォン教授はわくわくと 点心のメニューを読んでいる。

どうして 神様?  地の果てで 男と関わりなく暮らしたいはずの私が 
とびきり美形の男性と 2人でテーブルを囲んでいるの?


「Ms.ユナは ピータン大丈夫ですか? あー 酔っ払い海老は可哀想かな?」
「好き嫌いはありません。 ご自由にチョイスなさってください」

思いっきりな紋切り口調。 秘書にあるまじき無愛想だ。

だけど 私のぶっきらぼうな物言いを聞くと 教授の瞳がきらめいた。
「ふうん? 好き嫌いがないんですか。 やっぱり似ているなあ」
「は?」



貴女はとても似ているのです と プロフェッサーは嬉しげに言った。
「彼も僕の部屋に来るなり 最初に 本を片付けました」

僕の大好きな 大好きな親友です。 だらしない僕に怒ってばかりで。
だけど 本当に優しいのです。 ・・Ms.ユナもきっと 同じタイプです。

「うふふ・・コウサカみたいな秘書が出来て 僕は すごく嬉しいです」



プロフェッサーは頬杖をついて うっとりと私を見つめている。

その完璧な微笑みに 私は 危うく気を失いかけた。

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