ボニボニ

 

愛しのプロフェッサー 5

 




プリンストン周辺で事件が起きると 『トレントン・タイムズ』に記事が載る。



この新聞の記事内容ときたら 呆れるほどの「地元ド密着」で
ひょっとしたら 誰かの猫の出産まで
報道されるのではないかと 疑いたくなるレベルだ。


そんな ローカルペーパーにすれば 
車が家に突っ込んだなんてことなんて もう 文句なしの大事件。

ラリった男がヒャッホーと叫んで 運転席から飛び出したエピソードや
家が留守で犠牲者ゼロという 心温まる(?)被害のせいで
 
・・・派手に1面トップを飾る 特ダネニュースにされていた。




「わあぁ、これはご災難でしたね。プリンストンでこんな事が起こるなんて」

「・・・・・」

マクドネルさんとプロフェッサーは 
わざわざ スタンドまで買いに行ったという
『トレントン・タイムズ』を読んでいる。

大体 ここのスノッブな大学教授達は 『ニューズ・ウィーク』あたりを定期購読して
地元のローカル・ペーパーなどには 見向きもしないのだそうだ。


・・・それなら 私の情けない悲劇も あまり知られずに済むわよね?

私は うんざりキーを叩きながら 
ひょっとして『トレントン・タイムズ』に
私の「現在の居所」について 書かれていないかと不安だった。

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昨夜。  

警察の事情聴取を終えると 私にはもう 行き場がなかった。


確かに私は今までの暮らしを 全部 捨ててきた女だけど。
それでも 着替えや寝る家までをも 失くしたかった訳じゃない。

“It never rains but it pours.”
降れば土砂降り 泣きっ面に蜂。

あまりの事態に呆然として 私は 思考を停止していた。



“行きましょうか”

「?!」
包みこむような深い声に 私はぴくり・・と正気づいた。
プロフェッサーが 私の手から 静かにイグニッション・キーを取り上げた。

教授が傍にいてくれたことに その時やっと気がついた。
それほど私は 目の前で起きたことに面食らっていたのだろう。

「帰りましょう」
「帰る・・・。 でも 私には家がありません」
「僕の家は4ベッドルームです。 ひとまずは そこへ行きましょう」

プロフェッサーは 私に 遠慮する暇を与えなかった。

僕は 困っている女性を襲ったりする人間ではありませんよ。

「困っていなくても 襲いませんけどね。はは・・」
「そんな! もちろん存じ上げております」
「ではいいですね? 行きましょう。 僕が 運転します」

そしてその夜は 教授宅へお邪魔し
・・今は 教授のワードローブから シャツを借りて着ているのだった。



「で? 燃えてしまった家財道具は保険でカバーされるのでしょう?」
「はい。でも 代わりの家がまだなくて」
「そのことなんですけどね。Ms.ユナ」


“当分・・ 僕の家に住みませんか?”

お気に入りの椅子に腰をかけて 教授は とんでもない事を言った。
息子が留学してしまってから ちょっと 家が広すぎましてね。

「ハウスシェアにでもしようかと 思っていたところなんです」
「?!」
「あー、それはよろしいですね。 プロフェッサー」
「マ、マクドネルさんっ?!」

「さよう、Ms.ユナがハウスメイトなら ご婦人方もうかつに寄り付けない」
「でしょう?事務長。 ふふふ・・」

ふふふ・・じゃないでしょ?! 男と女よ!



「で、ですが・・男女でハウス・メイトというのはどうでしょう」
「ん? 学生は結構やっていますよ? 4,5人で住んでいる奴らもいる」
ええ、ええ。 そうですとも。
「プロフェッサーは ご自分から女性に手を出したりする方ではありません」


私は めまいをこらえていた。

どうやらマクドネル事務長は 私が 教授とハウスシェアすることを
本気で良い提案だと考えているらしく
喜色満面で 相槌を打っている。

「僕は蔵書が重いから 1階の部屋しか使いません」
「ほうほう、それならMs.ユナは 2階を占領することができますね」
「バス・トイレは 階上にも別にあるし・・」

それなら充分ですねだなんて マクドネルさんは納得している。
じゃあすぐにでも引越しをって・・まったく。 何を言っているの?!


あはははは!

「事務長。 引越しも何も Ms.ユナは “何も”持っていないです」
「・・・・」



愕然。
教授がさらりと言った言葉は 私の頭上に石を乗せた。 

・・そうよね。 
引越しするも何も 持っている物は ショルダーバッグが1つ。
昨夜は教授のパジャマを借りて 今朝は ストックから歯ブラシをもらった。

幸いIDや財布はあるから ある程度のリカバリは出来るだろうけど。
今の私は 携帯を充電するコンセントのひとつすら 
持っていない「ホームレス」人間なのだ。


「Ms.ユナ?」

「はい」

学生課の掲示板を見れば ルームシェア募集も見つかるはずです。
「それまで 僕とハウスシェアしましょう。 いいですね?」
「・・・・・」



“いいですね?”

教授らしくない強引な物言いを聞いて 私は やっと気がついた。

プロフェッサー・ジウォンは 身体1つで路頭に迷った私を
どうやら 心配してくれている。

そして 私が遠慮しないよう 意地を張ったりしないように 
事務長に説明する風を装いながら
転がり込んでも迷惑ではないと ・・多分 伝えてくれていた。

「・・・・・」



ダメージ ―damaged―。

信じた人に背かれた私は 
誰かを信じたり あてにする気持ちを 二度と持つまいと決めていた。

プロフェッサーは だけど私の 冷めて硬化した心の中へ
ためらいもなく踏み込んで 真直ぐ こちらへ歩いてくる。

何の巧緻も計算もなく 呆れるほどの誠実さで 温かな手を伸ばす人。


・・反則 だわ。 
大の大人がそんなにまで てらいもなく真摯でいられるなんて。
「いいですね? Ms.ユナ」

「・・・・・」



貴女は馬鹿よ。 また 信用するの?

私の中のシニカルな私は 呆れて肩をすくめていた。
だけど 目の前にすらりと立って 
柔らかな好意を差し出す人を 私は 拒絶したくなかった。


「・・あ・・りがとうございます」 

ご迷惑をお掛けしますが とても助かります。

「ああ 良かった!」
はぁ・・と大きく息を吐いて プロフェッサーが安堵した。
胸に置かれたきれいな手と 灯がともるような温かな笑み。

小首を傾げて マクドネルさんへ
平和そうにうなずく教授は 天然記念物くらいに珍しい存在だ。

そして・・・ 天然記念物に会えた私は 多分 幸運なんだろう。

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「・・・・・・」

前言撤回。

一体 誰が 幸運だって? 
プロフェッサー宅のリビングで 私は 拳を握りしめた。


自分の不幸に呆然として 昨夜は周りを見ていなかったけれど
ジウォン教授の 「素敵なリビング」は 
プロフェッサーオフィス以上に 壊滅的だった。

インテリア自体は素敵なの。 シックで落ち着ける 男らしい部屋。
だけど・・おそらく プロフェッサーは
生活能力と言うものを ママのお腹に置き忘れてきたのだ。

昨夜教授に勧められて ソファに座った記憶はある。
私はいったいどうやって この膨大な本をよけて 座ったのだろう?


「プロフェッサー?」
「・・・・はい」
「居候の身分で 差出がましいですが」
「・・・・・ハウスメイトですよ」


“室内整理のご許可を いただけますか?!”

まったく・・。  私は 何しているのよ!

どこかのオフィスで数日前に 言ったセリフをまた繰り返す。
そして “穢れなき”プロフェッサー・ジウォンは
溶けるような笑顔で お願いしますと言った。




教授の家の乱雑さは プロフェッサーオフィスと同傾向だった。

きちんと「整理」は出来ている。
だけど教授には「整頓」よりも 大事なことがありすぎるのだろう。

パスタパンの蓋の中には ハンダごてが入っていたし
暖炉の薪束の上には 類語辞典が置かれていた。
「なかなか斬新な レイアウトですね。 プロフェッサー」

「う~ん・・、何を考えていたんでしょうね? 僕」

教授の測り知れない思索は置いて ともかく整頓を進めよう。
私は まるで絨毯爆撃の如く 部屋を隅まで一掃した。

教授は 片付いた部屋を見て 

「ワオ! Ms.ユナはやはりコウサカです」と 褒め言葉(多分)を繰り返した。

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息子の部屋を使ってください。 「最低限の家具は 残してあります」

教授に言われた2階の部屋は 見事なまでに整えられていた。
ぴっちりメイクされたベッドに 機能的なレイアウト。
モデルルーム並みに整った部屋は 他の部屋とは 別世界だった。


「・・オモ。 これは・・お綺麗ですね・・」

「え? あぁ うん。 ジュニ・・息子は 几帳面でね。片付けが好きなんだ」
家内が逝った7つの頃から 家事を手がけていたからね。
「僕も息子の爪の垢でも 煎じて飲めば いいんだろうけど。 はは・・」
「・・・・・」



ともあれ 教授の2階の部屋は 文句なしに快適だった。

教授は本当に上階を ほぼ手付かずで置いていたらしく

リネン類のストッカーや バスルームの小物棚など 
愛しいジュニ君とやらが整理したまま ものの見事に揃っていた。
「ジュニ君・・・私 君に会ったら キスしちゃいそうよ」



思いがけなくスパイシーな日が やっと終わろうとしていた。
私はベッドにもぐりこみ ともかく この先を考えた。


明日は幸い週末だから 街でいろいろ買物をしよう。

まずは着替えと 化粧品。
“どうして 抱いてくれないの?!”
そうだ。 どうして 抱いてくれない・・・・・の?
「え?」

眠りかけた意識が いきなり戻る。

誰かが階下でわめいている。 安手のソープドラマみたいなセリフ。
教授が TVでもつけっ放しにしたのかしら?

私は 半分ぼんやりとベッドを抜け出て 困惑のままに階下へおりた。



「?!」


えーと ・・・・なに?
 
とても そうとても肉感的に 露出度を高めたドレスの女が
教授のシャツを握りしめて 今にも押し倒そうとしていた。


「Ms.アマンダ・・」 

解ってください。階上には ご婦人も寝ているのですから。

「どうして女がいるんですか?! 教授は一生ステディな相手は 
作るつもりがないって言ったわ!」
「Ms.ユナは そういう相手ではありません・・・ハウスメイトです」
「そんな話 信じられない! ねえ・・プロフェッサー!」

「・・・お相手は出来ません。許してください」

いやいやと 女は 派手に泣き出した。
教授が悲しげに 眉根を寄せる。 


一体 何なのこれは神様?  私は 今 何を見ているの?

パジャマにジャケット(それしかないのだ)を羽織った私は
階段を1段残したまま 

ジウォン教授と女の修羅場を 観客のように見つめていた。

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