ボニボニ

 

愛しのプロフェッサー 6

 




思いきりメロドラマ風に泣いていた女は  私を見るなり顔色を変えた。

震える顎をそびやかして もの凄い眼で睨みつける。



床を踏み破らんばかりに近寄る女の 勢いにあ然と立ち尽くしていたら
濃いマニュキュアの指が飛んで 私の頬が 大きく鳴った。
「?!」
「なっ!!」


bitch! ・・・と 多分言われたのだと思う。

魔女並みの派手なスカルプチュアをつけた 女のビンタは強烈だった。
とっさに顔を引けなかったせいで 私の頬には 爪跡まで付いた。

「Ms.アマンダッ!」
「どうやって教授を騙したのよっ!!」
「?!」
じゃなきゃ教授がアンタなんか 相手にするはずないじゃないっ!!



マスカラの眼を極限までむいて 女は 私を罵倒した。

まだ 叩かれた頬の痛みが 感覚中枢まで届いて来ない。
わめきまくっている相手を見つめて 私は 妙に感心していた。


“すごいわ ・・・・まるでドラマみたい”



この女ときたら 修羅場でも 罵りのセリフが言えるんだ。
私は 何も言えなかったっけ。

きっと ・・・だから ダメだったんだ。


固まっていた と言うのが真実だけど 
怒り狂った相手からすれば 私は 落ちついて見えたのだと思う。
女はさらに怒りをたぎらせ もう一度 手を振り上げた。



「止めなさい!」

そして とっさにプロフェッサーが 彼女の手首をつかんでいた。
「痛っ!」



勘違いもはなはだしい。 Ms.ユナは 私のセクレタリーです。
「帰って下さい。 貴女は今 常軌を逸しておられる」
「プロフェッ・・」



「お帰り下さい。 ・・・聞こえませんか?」

教授はとても静かな声で ひた と彼女を見つめて言う。
胸を衝く失望の眼差しに 女が思わずたじろいだ。



うつむいたまま出口へ向かい 教授は 静かにドアを引いた。

扉を開けたプロフェッサーは 端整な横顔を凍らせている。 
柔和な教授の断固とした拒絶に 私まで 背筋が冷たくなった。

「・・・ぁ・・・・・・」
「・・・・・」



女の目元が 大きく歪んだ。
むしるようにバッグをつかむと よろけながら走り去る。

プロフェッサーはドアを閉めて 悲しげに 深いため息をついた。

------



ぼんやりしていた私の頬を 教授の指がそっと撫でた。

「!」
「こんなに・・・ひどいことを」

この上もなく辛そうな眼で 教授は 私の頬を調べ
エマージェンシーキットを持ってくると 傷を消毒し始めた。
「あ、あの! 大丈夫です! 自分でしますから!」

ハッと我に返った私は 慌てて彼の手を避けようとした。
プロフェッサーは 一度だけ強く首を振って 私の抵抗を制した。
「じっとしなさい」
「・・・ぁ・・・・・・・・・・はぃ」



温かな手が顎を支えて 消毒液の沁みたガーゼが 頬の傷をぬぐう。
心配そうな眼差しが 私の眼前30センチのところにあった。



・・これって まるで今にも キスされそうな体勢じゃないの。


もちろん 我らがジウォン教授は 
私にキスなんか しようとしている訳じゃなく
ただ引っ掻かれた頬の傷を 治療してくれているのだけど。

私の心臓ときた日には 早鐘を打って跳ねている。




だって神様 あんまりじゃない。



このシチュエーションで眼をつぶったら まるでキスをねだるみたいだし
だからと言って 眼を開けていると 
気が遠くなる程きれいな顔が これ以上ない至近距離。



教授は傷を消毒すると 少し考えてから保護パッドを貼った。
その手つきには迷いがなくて 処置は手早く正確だった。

生活能力は皆無だけれど 決して不器用な人ではないのね。

私は ドキドキしていることが バレないことを心から願った。


「・・・・・っ・・」
「あぁこの傷は、おそらく腫れて来ます。 本当にすみません」

「あのぉ プロフェッサー? ・・・さっきの方 追わなくていいんですか?」

多分 彼女は私のことを 教授の新しい女と誤解したんですよね。
そして私を叩くからには あの女性は ステディなお相手なのでしょう?



責めるつもりで言ったわけじゃないけど 教授は がっくりと肩を落とした。



「・・・いいえ。 すみません Ms.ユナ」
Ms.アマンダは 恋人ではありません。 僕にそういう相手はいません。
「でも・・あの?」

僕が 毅然と出来ればいいのです。
昔からコウサカに叱られましたが うまく女性を断れなくて。


「だけど・・今日は 断ることが出来ました」
Ms.ユナが居てくれたおかげです。 心から 感謝しています。
そのせいで貴女が こんなにひどい怪我をして。 「本当に ごめんなさい」



「いえ・・・」

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アマンダ嬢に引っ掻かれた傷は 翌日 見事なミミズ腫れになった。


顔に「ミミズ腫れ」と「絆創膏」。

どちらがみっともないかを考えて 私は 後者を選択した。
絆創膏は目立つけれど 少なくとも 怪我の理由は伏せておける。



教務課の職員達は 眼を丸くしていたけれど
誰も 理由を尋ねなかった。
プリンストンの世俗を排する体質も たまには何かの役に立つってことだ。



プロフェッサーは 私の傷にいたく責任を感じているらしかった。
その気遣いが気詰まりな私は ランチを理由にカフェへ逃げた。

は・・ぁ・・

退屈な街の 退屈な職場で 無彩色な日々を送る、

私は それを当面の目標に 華やかなるマンハッタンを出てきたのに。
少なくともこの1週間。 
私の暮らしは 無彩色どころか極彩色だ。


「何でこんなことになっちゃったんだか」

頬杖をついてぼんやりしていると テーブル上のコーヒーに人影が射した。
見れば 先日私の皿にタバスコを振りかけた女だった。



「・・・・」
「プロフェッサーの予定なら 午前中入れないようにしてるわよ」

秘書として 至らない点を教えてくれてありがとう。

言い方はともかく 貴女は 私が知るべき事を教えてくれた。
私は頬杖をついたまま 眼だけを上げて 彼女を見る。

見ればやっぱりかなりの美人で 感じも 決して悪くなかった




「で? 今日は どんなご忠告をいただけるの?」

「ジウォン教授と同棲しているって 本当?」
私は思わず眉をあげた。 人の口に 戸は建てられない。
「同棲と言うのはニュアンスが違うわね。 ハウスシェアしているの」

・・・事情があるのよ。 

教授のご好意に甘えているけど 一時的避難みたいなもの。
「しばらく2階をお借りしているだけ。 それ以上の仲なんかじゃないわ」


つまらない噂を避けるため 言わなくて良いことまで説明した。
家をぶっとばされたと聞いた女は 眼を丸くしていたけれど
私の事情を納得した相手は 安堵したように薄く笑んだ。



どうぞと椅子を勧めると 女は素直に腰を下ろした。

お互いなんとなく視線を避けて 周囲を見ながらの会話になった。
「この前は 少し言いすぎたわ。 つい感情的になってしまって」

「そんなにプロフェッサーが好きなら 秘書を続けてたらいいのに」
「!!」

「ケイト・オコナー:一昨年までプロフェッサーの秘書 でしょ?」

“自己都合”により退職。 
現在は プリンストン・インスティチュート(高等研)のセクレタリー。

「彼の傍にはいられない。でも 遠くには行きたくない」
行き届かない仕事をする後任の秘書が許せないほど
「・・・プロフェッサー・ジウォンを 想っている」

「大した分析ね」
「前はアナリストだったの 株の方だけど。 ・・で? 告白して断られたの?」
「告白なんかしないわ」

“ただ 寝たのよ”


ブッ・・・!

カップの中でコーヒーが跳ねて 唇を少しやけどした。 寝た・・ぁ?!
「プロフェッサーは 自分に愛を告白する女には 決して手を出さないわ」
相手の想いに応えられないから。 亡くなった奥様を愛しているの。

「だけど 愛だ恋だと言わない相手が 誘ってくれば応じるってわけ?」
「1度きりと 約束すればね」


ヒリつく唇を撫でながら 私は 半信半疑だった。

私の知っているプロフェッサー・ジウォンは そんな人ではないはずだ。
でも・・事務長が言ったっけ ジウォン教授は「札付き」だと。

「ねぇ。 でもそれって 最低な男じゃない?」
彼を信用した分 腹立たしくなって 私はケイトに噛み付いた。
ハンサムなのをいい事に セックスだけなら付き合うって言うの?


「貴女の言う事が嘘じゃなければ ジウォン教授は 女の敵よ」
「そんなんじゃないっ!」
「!!」

少し離れた席の学生が 振り返るほどの声だった。
ケイトは怒りに涙まで浮かべて 私を真っすぐ見返していた。

「酷いこと言わないで。 そんなんじゃないわ 何も知らないくせに」
「・・・・」
「女の方が・・・悪いのよ・・可哀相なのは教授の方・・」
「?」


まあ いいわ。

「貴女が 教授に興味がないと言うなら それは間違いなく彼の幸運ね」
ケイト・オコナーは 私の手を両手でしっかと握りしめた。
ねえお願い! プロフェッサーに変な女を近づけちゃだめよ。

「夜は 絶対外出しないで ずっと教授をガードしてあげて!」

「な・・なんで 私が・・そんなこと」
「何よ! あんた文無しで 教授の家の居候なんでしょ!」
げ・・・




それぐらい 役に立ちなさいよ!

ケイト・オコナーは人差し指で 私を ビシリと指差した。

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