ボニボニ

 

愛しのプロフェッサー 10

 




フロイトのことなんか知らないけれど 
その夢は 確かに今の私の 強迫観念が見せたものに違いなかった。



クク・・・ と コルクが揺らいでいた。 

背中に冷たい汗が流れて 鼓動が 喉まで駆け上がる。

“あなたが 好きです”
カッチリとしたブラウスに タイトなスカートの秘書は 私。
ヒールを鳴らして床を歩き コルクを キュッと踏みつける。

床板の節穴を塞ぐために 私の想いを塞ぐために あの日 埋め込んだはずのコルクを。



“南方の植物だから 育つ勢いが強いんでしょうか”

マクドネルさんがのん気に言った。 彼は判っていないのだ。
これは 猛毒。 
教授の前へ差し出せば  ひと舐めで 彼を失ってしまう。


コルクが ぶるぶると振動しはじめた。

パンプスで抑える私の足に 突き上げるような力が伝わる。 絶対・・だめ!
メキメキと床板が盛り上がり 想いが 出口を求めてうねる。
私は あらん限りの声で叫んだ。


ダンッ!!
「Ms.ユナッ!」
「!?」


は・・・・

私は そして プロフェッサーの腕の中で眼を覚ました。


「・・・・プロ・・フェッサー・・・?」
・・・ぁ・・・
「大丈夫ですか Ms.ユナ! どこが苦しいのですかっ?!」

・・あなたの抱擁が 苦しいです。
 
私ときたら 目覚めた途端に すんでの所で気を失ないかけた。
私が 頬を押しつけていたのは 教授の厚い胸板だった。 



「・・・痛・・教授・・」
「え? あ? あっ!! ごめんなさい!」

突然 教授はバネ細工の様に 私の身体から飛びのいた。
見る間に慌てふためいて わたわたとアッパーシーツで私を包む。
気づけばその時 私が着ていたのは 盛大に胸の開いたナイトウェアだった。


「・・す・・みません・・・」 

廊下の灯りが 部屋の中へ 四角い光となって射し込んでいた。
私の寝室の入口ドアが きれいに蹴破られて取れていた。

「Ms.ユナの悲鳴が聞こえたから 僕・・慌ててしまって」
「いいえ。 私こそ 夢にうなされたみたいです」
「夢なら・・・良かった。 本当に ・・すみませんでした」


教授は のろのろとベッドを降りると 照明の影となって入口へ立った。
蹴破った扉をつかみ上げて ドア枠へ そっと重ねて置く。
「これは・・明日 直します。 ・・・ごめんなさい」
「は・・ぃ・・」

どうしたのだろう?

教授の顔が 引きつっていた。 
視線が半分定まらずに 小刻みに 身体が震えている。
「あ・のぅ・・プロフェッサー、大丈夫ですか? ・・お加減が悪いのではありませんか?」
「・・・・」


いいえ・・。 

消え入るような淋しい声が 濃い影になった背中から 聞こえた。

-----



そんな小さな事件はあったものの プロフェッサーと暮らす日々は 
奇妙に 平和に過ぎて行った。


“新しい家を探すまで” 

期間限定のはずだった 教授との同居生活は
教授のド外れた生活能力の無さと 私の 密かな恋心のせいで
一日伸ばしに 続いていた。


「最愛なるコウサカ」の面影を 私に 重ねている教授は 
まぶしいほどの友愛に満ちて めくるめく笑顔でなついてくる。

私はと言えば 自分の気持ちが 制御できなくなるのを恐れるあまり
あたかも ホグワーツのマクゴナガル先生の如く 
堅固で厳格。 ことさらに しかつめらしい態度となる。

そんな私の堅苦しさが 「大きな子供」のジウォン教授にとっては
面白くて仕方ないらしく いよいよ 彼はすり寄ってくる。


あぁ もう・・

マクゴナガル先生は ポッターに恋してはいないけれど

プロフェッサー。 
あなたの好きなお堅い秘書は あるまじき事ながら 恋をしています。

-----



月が変わり プロフェッサーの研究室が にわかに慌しくなってきた。

それと言うのも 某ファウンデーション主催の会議に
ジウォン教授とスティーブンス教授が 参加することになったからだ。
 

学問など門外漢の私には もちろん知るすべもなかったけれど
ジウォン教授は物理学の世界で かなり高名なドクターらしい。

超マイペースに研究を行ない 気が向いたときにしか発表をしない。

それで発表は常に話題を呼ぶ いわば 天才肌の学者。
今回 彼が会議に出向き 発表とパネリストをするという事は
とても珍しい出来事で 衆目を集めている様だった。



当然 秘書の私の元には 世界中から問い合わせが来た。

会場アテンダントとのやり取りや 研究発表内容の事前確認。
果ては取材だなんだと 対応事項が山積して 業務が次々増えてゆく。

プリンストンに来て以来 こと仕事に関しては 
のどかで単調過ぎた日々が ようやく少し 手ごたえのあるものになった。



発表の手伝いをするために 学生も多く出入りした。
そして私は 彼らを見ていて 不思議な事に気がついた。

プロフェッサーと学生のやりとりに いつも わずかな違和感を感じる。
・・何だろう?  
いらだちの様な 不満の視線。

ぼんやりしていると言っていいほど 天然マイペースなプロフェッサーを
普段なら愛して止まない学生達が 一体 どうしたって言うの?



感じた違和感を確認するために 私は 彼らをランチに誘った。

これでも「集団インタビュー」は リサーチする者の得意技よ。
私は 世間話をしながら 学生達の不満を探る。
どうやら彼らのいらだちは スティーブンス教授が原因のようだった。


「まったく・・何であの発表が“共同研究”になるんだよ」

「大体さ。 会議の参加そのものが スティーブンス教授のゴリ押しだぜ」
「・・そうなの?」
「スティーブンスの奴は ここのテニュア(終身雇用権)を狙ってるんだろ?
 自分の論文じゃ注目されないからって ジウォン教授に張り付いてんだ」
「・・・じゃあ。 プロフェッサーは 利用されているってこと?」

あーあー! ウチの先生“アレ”だから 

「そんな事なんか 気にもしちゃいないよ」
「あんな奴がテニュアを取って プリンストンででかい顔するなんてなぁ・・」
「・・・・・」

-----


・・・なるほどね。

事の次第は理解できたけど 私には どうしようも無いことだった。


「プロフェッサー。 ご自分の研究は ご自分の功績にしなくては」

仮に 立場もわきまえず 私にそんな事が言えたとしても
うつけ者に近いあの天才にとって 功績など 
トムズサンドウィッチの半分も 食指が動かないものに違いない。

釈然としない気分ながらも 発表へ慌しく時を過ごしていた時

まさに 晴天の霹靂のように 一本の電話がかかってきた。




プロフェッサーはいつものように 書架脇の椅子に座っていた。

「ねぇねぇ Ms.ユナ♪ 忙しそうですね」
「はい。おかげさまで」

「事務長が驚いていました。 発表前はいつも事務局からヘルプスタッフを出すのに
 Ms.ユナは たった一人で全部に対応しているそうです」
「・・仕事にご満足いただけていると言うお話なら 光栄です」
「ふふふ♪ そういうオハナシですよ。 Ms.ユナが居てくれて嬉しいです」
「・・・・・」

ジーン・・ ジーン・・ ジーン・・・

殺風景なコールが鳴った時。 頬が 少し緩んでいた。
「Ms.ユナが居てくれて 嬉しいです」
私は今夜 寝る前に この声を もう一度脳内再生しよう。

「・・Hello,」


少したどたどしい英語だったが 温かな 深い声だった。 
プロフェッサーはそちらにおられますか? 「私は 高坂という者です」
「!!」

コウサカ・・
忘れようもないその名前に 一瞬 動きが止まってしまった。

慌てて教授にその名を告げると 私は そのまま魅入られる。
え・・?と ひと言聞いた教授が 見る間に 輝く笑顔になった。

驚いたように開いた瞳が きらめく光を放ち始める。
わずかに血の気の増した頬。 胸に置かれた きれいな手。
「コウサカから?!」


そうそう携帯は電池が切れて・・よく電話して来てくれましたね。

幸せそうに微笑んで 教授は 電話へ頬ずりしそうだ。
プロフェッサーったら そんな顔 女性に見せるのは反則です。

「ジュニはどうかな? コウサカにご迷惑を・・・え?」
「?」
「・・・・うん・・・」



突然 潮が引くように 教授の声のトーンが落ちた。

何? と彼に眼をやると 教授は 見たことのない顔をしていた。
「告訴・・。 あ、コウサカ。 ちょっと待って」

「Ms.ユナ 電話を保留にしてください。教授室で取り直します」

まったく表情の無い顔で ジウォン教授は 私に言った。
いつもの温かな優しい笑顔が 彼のどこにも見られなかった。



永遠ほども永く感じた 電話がやっとオフラインになると
教授は少し青ざめた顔で プロフェッサー・オフィスの扉を開けた。
「Ms.ユナ・・至急 日本への航空券を手配してください。2枚」
「?!」

これから ちょっと人に会います。
「今日以後のスケジュールを オール・キャンセルしてください」

「あの・・お戻りはいつ?」
「未定です。 会議の方はグレッグに頼んで 彼に発表してもらいます」
「そんな!!」


そんな・・スティーブンス教授に代わるなんて。

私は 怒りに駆られていた。 
きっとあいつは我が者顔で 教授の研究を発表するだろう。

「各国から 教授に会いにこられる人がいるんですよ?!」
思った以上の激昂が 私に 大きな声を出させた。
教授はそれにも少しも動じず じっと 私を見つめていた。


「・・Ms.ユナ」
「・・・・」

「僕はもう2度と 愛する者の大変な時に 間に合わない事はしたくないんです」
「?」



“すみません・・・”


教授は 静かに視線を下げて 横顔だけで謝罪を言う。

まるで影にでもなったように 教授室のドアを開けて 消えていった。

 ←読んだらクリックしてください。
このページのトップへ