ボニボニ

 

愛しのプロフェッサー 13

 




学生と言う若い人種は 調子に乗ると とんでもないわね。



劇的だった会議から半月が経って 私は ため息をついていた。

あれ以来 学生達は頻繁に
プロフェッサーオフィスへやってくる様になり
教授に用が無い時も セクレタリールームにたむろすることがあった。



やれやれ・・・

学生に気に入られるのは 秘書として悪いことではないけれど
おかげでプロフェッサー以外にも 
私に なつく人間が増えてしまったじゃない。


「ねぇねぇ Ms.ユナって恋人いるの?」
「ノーコメントです」

「バカだなお前。 彼氏がいたらプロフェッサーの虫除け係なんかしてないだろ?」
「あ・・のねぇ 君達」
「ねえ Ms.ユナ? 良かったら 今度2人で映画でも見ない?」
「年上をからかうもんじゃないわね」
「いや 俺は・・」



バンッ!

「!」「?」


見ればオフィスのドアが開き ジウォン教授が立っていた。
「あ・・・騒がしかったですか? 申し訳ありません」
「Ms.ユナ」
「はい」

これからインスティチュート(高等研究所)へ行きます。

「あ、はい!いってらっしゃいませ。 お戻りは?」
「運転をお願いします」
「は? ・・あの 私がですか?」



僕が行きましょうか? 

学生の1人が申し出るのに ジウォン教授は首を振った。
Ms.ユナに 口述筆記をお願いしようと思っていますから。

「あの でも デスクが空になりますが?」
「交換台に外出を伝えておけばいいです。 それから ボビー?」
「Yes, sir!」

「その椅子に座らないように。それは Ms.ユナが僕専用に置いてくれたものだ」

え・・?



にこりともしないジウォン教授に 学生達が顔を見合わせた。
「出かけましょう」
「え? あ、はい! ただいま」


私は慌ててノートパソコンを抱え、もう歩き出した教授を追う。

プロフェッサー? 何だか今日は ・・・虫の居所がお悪いですか?

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プリンストン・インスティチュート(高等研究所)を 
大学の一部と思っている人もいるが 
ここは大学とまったく別の 研究専門の施設だ。

アインシュタインを始めとして 数多くの学者達がここで研究に専念した。

とはいえ大学の教授達も インスティチュートの研究者とは交流が深く
言わばプリンストン大学の別館のような 親しい位置づけで考えられている。



「ああ プロフェッサー! ご多忙中をご足労いただきまして」

プロフェッサーが訪れた研究室は 複雑な機械が並ぶ部屋だった。
ジウォン教授を迎えたヤン博士は どうやら物理の研究者で
用件は 新しい実験装置に関する教授の意見を聞きたい・・という事らしかった。



「おや? ・・こちらの方は」
「秘書です。車に乗せてきてもらいました」

これはまた美しい秘書さんだ。 大学では ルックス審査もあるのかな?
ヤン博士は如才なく 私へリップサービスをしてくれる。
教授はにこやかに振り返り Ms.ユナはそこへ座ってくださいと言った。


「あ・・のぅ・・・プロフェッサー?」

私はいささかうろたえて すがりつくように教授に聞く。
こういう事ではお話が専門的過ぎて 私には 口述筆記が無理かもしれません。
「テクニカルターム(専門用語)が解りませんし・・」

言い訳がましく怖じる私に プロフェッサーはさらりと答えた。
「あ 記録はいらないです」




数分後。 私は インスティチュートの休憩室で 独り首を傾げていた。

口述筆記を・・するのじゃなかった? 
だけどプロフェッサーときたら 終わったら声をかけますから 
「その辺で休んでいていいです」だって。



私がここへ付いてくる意味 あったのかしら? 

もしかして・・
学生達と騒いでいたから 教授は 不快に思われたのかもしれない。
自分の留守に オフィスで浮かれないように 遠まわしに叱られたのかも。

「・・・・・・」

教授の不興を買ったと思うと 私の気持ちは沈みこんだ。
この失態は きちんと仕事で取り戻さなくちゃ
私はノートパソコンを開き やりかけの書類作成にとりかかった。




「どうして大学の秘書さんが そんな所で仕事をしているのかしら?」


突然かけてきた声の主は 眼を上げるまでもなくケイト・オコナーだった。
そうか ここは彼女の職場ね。
私はいささかうんざりした気分で 腕組みをする彼女を見上げた。

「教授の運転手で付いて来たのよ」
「・・・貴女・・・・プロフェッサーと付き合うことになったの?」
「は?」


奇妙な日。 誰もが 変な事を言う。

私はケイト・オコナーの 微妙な表情をぼんやりと見つめた。

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「教授に呼ばれるかもしれないから もう 戻らないと・・」


建物を何度も振り向く私を ケイトは鼻で笑ってみせた。
私達は休憩室を出て インスティチュートの中庭にいた。

「プロフェッサーとヤン博士でしょ? 話し出したら1,2時間じゃ終わらないわ」
「そう・・なの?」
こっちは毎回チェックしているンだもの。 でも・・
「今日は 特別かもしれないわね」

ミネラルウォーターのペーパーカップを ケイトは 放心したように噛んだ。
「・・・本当に付き合っているんじゃないの?」
「そんな筈ないでしょ。 ただのボスと秘書の関係」
第一 教授が今も奥様を思い続けていると言ったのは 彼女じゃない。




・・・かなぁ・・・・

「何?」
逃した言葉を聞き返すと ケイトはムッとしたようだった。
「何でもない」


ただ あんなプロフェッサーを 今まで見たことがなかったから・・

教授は いつもさりげなく女性と距離を置こうとするのに
後から付いてくる貴女を ずっと気にしていたじゃない?
「え?」
「第一 外出に秘書を連れて来ること自体 有り得ないことよ」

手が要るときは いくらでも助手や学生がいるんだもの。

「それは・・・」
私は何とかケイト・オコナーに 言い訳(?)をしようとしたけれど
ケイトは 私の返事などには 何の興味もないようだった。



“私ね プロフェッサーが貴女を好きになったというなら それでもいいの”

ぐごきゅ・・と喉の中で 飲み込んだ水が膨れ上がった。

ごほごほと盛大にむせて ハンカチーフを取り出す私へ
ケイトは 笑うとも泣くともつかない 壊れそうな笑顔を見せた。
「プロフェッサーが幸せになるなら それでいいわ」

「・・ケイト?」



やっぱりここにもリスがいるのね。 私はぼんやり庭を眺めた。
リスは 芝生を跳ねるように走り プラタナスの樹へ駆け上った。

「ねえ・・・」
「・・答えないわよ」
「そんなに教授を愛しているのに どうして大学を辞めたの?」
「先に釘を刺したのに 聞かない女ね。 答えないわよ」

「・・・・」




私は もう一度カップに唇をつけた。
飲みこみきれない水の硬さは まるで 自分の想いだった。

「・・・最初は 見ているだけで良かったの」
「?!」

あんなに素敵で 美しい人。 眺めていられれば充分だった。
無理矢理泣いたり脅したりして 
教授に関係を迫る女たちを 心底 軽蔑してもいた。 ・・・でもね、

「想いってね。 勝手に育つの」
「・・・・」

応えてもらえなくてもいいから 愛していると言いたくなったの。
ううん それは嘘ね。 やっぱり 応えてもらいたくなった。
毎日毎日 我慢したのに 抑える苦しさが膨らんで行って。

「プツリ・・と切れちゃったのよね。 理性」


今でも死ぬほど悔やんでいるの。 あの時 ただ 好きと言っていればって。
言えば教授は困っただろうけど 「ごめん ありがとう」で 終れたのに。
「欲しかったのよ 思い出が。 一度でいいから」


教授は自分に告白した女性を 決して 不誠実に抱いたりしない。

だから私はあの夜 他の男に失恋した女を装った。
誰でもいいから優しくされたい 慰めてくれる人が欲しいって泣いた。

「今でも教授の哀しげな顔を思い出すわ。 自棄になってはだめですケイトって」


ケイトはガムでも噛むように 淡々と昔話をした。
賢い女の 愚かな過ち。
だけど 私は彼女の気持ちが 多分 世界一理解できた。




「どうしても私を説得できない教授は ・・私を 抱いてくれたわけ」

あんなに哀しく優しい抱擁を 私は 教授からむしりとったの。


「有名な小説に なかったっけ?」 

淋しい男に求められる度に 無垢な慰めを与えてしまう 
天使のように清純で 哀しい若い娼婦の話。 「それが・・教授よ」

だから私は 今でも自分が彼にしたことを許せない。

そう言ったケイト・オコナーは 
空になったペーパーカップを握りつぶした。

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「Ms.ユナ!」

突然 晴れやかな声が聞こえて ケイトと私は飛び上がった。



見ればプロフェッサーが ポケットに片手を挿して歩いて来る。
ケイトは慌てて立ち上がると 顔をそむけて小走りに去った。
教授はケイトの後姿を ほんの一瞬だけ眼で追った。




「?・・・ここにいたんですか。探しました」

「も、申し訳ありません! 職務中に」
「あはは・・Ms.ユナは別に 職務中じゃないでしょう」


今日は Ms.ユナが 学生達に うるさくなつかれていましたから 
「困っているだろうと思って 連れ出したんです」
気が効くでしょうと言わんばかりに ジウォン教授は 得意げに言う。

年中 私になついているのは プロフェッサーだという気もするけれど・・




それでも 私はプロフェッサーが見せた 子どものような独占欲が 

思いがけなく嬉しくて そんな自分を後から責めた。

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