ボニボニ

 

愛しのプロフェッサー 14

 




“想いってね 勝手に育つの”


ケイトがあの時語った言葉は 「予言」 だったのかもしれない。
或いは  私の心の床下へ 置き去りにされた小さな種子。


それは逃れられない呪文のように 私を 足元から締め上げて

いつか 私は 自分の想いを ・・・胸にかかえきれなくなる。

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私は その時 知らなかったけれど

ジウォン教授も 心の床下に 小さな種子を抱えていた。


“これはウマいよって食べさせるとしたら 誰に食わせたい?”

・・僕はどうしてMs.ユナを 見ている事が多いのだろう。
彼女がどこか コウサカに似ているから?
だけど 容貌的にはまったく 似ている箇所はないのになあ・・。



カチャカチャ・・

「・・・・・・・」

ざっと流したお皿やカップを ディッシュウォッシャーへ放り込む。
キッチンテーブルの上を拭き クロスを洗ってバーへ掛ける。

「・・・・・・・」

背中の視線へ振り向くと ぼんやり こちらをながめていた教授が
私を見ていることに 初めて気づいたような顔をした。


小首を傾げて問いかけるような笑みが 呆れるくらいに 魅力的だ。   
人懐っこく見つめる瞳は 奇跡のように澄み切って。
・・プロフェッサー・・・

私。 あなたと眼を合わすことも そらすことも出来ないんですけど。



「・・プロフェッサー」

「あ?  終わりましたか」
ええ あらかたは。 
「あのぅ 教授はどうぞ ご自分のことをなさってください」
「あ・・ええと。 じゃあ僕。 Ms.ユナにコーヒーでも淹れようかな」


ジウォン教授はにこやかに そんな恐ろしい事を言う。

と、とんでもない。 
彼ときたら コーヒーミルに刃が回らないほど豆を入れるのだ。

慌てて 私がやりますと答えると 教授は照れくさそうに「ありがとう」と言った。

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ハウスシェアをする場合 互いを干渉しないようにするのが一般的だと思う。

だけど ジウォン教授は寂しがり屋なのか 私を近くに置きたがる。


書斎で仕事をする時でさえ 私が2階へ行こうとすると 
教授はあれこれと用を作っては 私を 階下に引き留める。


とはいえ 話相手が欲しいとか そういう事ではないらしく
私がTVや雑誌を見るそばで 専門書を読んでいたり
ノートPCを膝に置いて 書き物をしていることもある。

最初は 考え事をするそばで TVは邪魔だろうと気にしたけれど
教授は一旦集中すると 隣で電話が鳴っても ピクリともしない。


まあ・・天才って こんなものかしら。

近くに人の「気配」が欲しい方なのだろうと 私は自分を納得させて
寝る時とバスタイム以外の時間は 1階で過ごすようになっていた。




R・・RRRRRRRR・・・

教授の書斎のPCから スカイプのコール音が聞こえてきた。
あそこへコールしてくるのは 教授の親しい人に限られる。

書斎のドアが 開いたままなので コールに出た教授の声が小さく聞こえる。
2階へ引き上げようかと 私が腰を浮かせかけた時
ドドウッ・・と教授の書斎で 何かが崩れる音がした。

「プロフェッサー?!」



慌てて書斎の入口から覗くと 尻餅をついた教授の上へ
盛大に本が崩れ落ちていた。
・・・・な 何ごと?

教授は雪崩から這い出すように 本をかきわけてPCモニターへ向かう。


「・・・コ・・ウサカ。 本当に 結・・・婚式をするって言ったのですか?」

(・・え? 結婚式?)

「ああ。 こっちはもうそんな勢いなんだ。 まずいかな?」
「とんでもない!! あの・・でも 茜ちゃんはいいの?」

(・・え? 茜ちゃん?)


いけない事と思いつつ 遠くから PC画面を覗き見た。
モニターの中では 以前写真で見た愛らしい女性が
驚く程プロフェッサーに似た青年に 肩を抱かれて笑っていた。

(・・・あれ・・は・・・息子さん?)


留学しているって あんなに大きな息子さんなの?!
でも どうして茜ちゃんが・・・?
私は 自分が覗き見していることも忘れて 疑問符いっぱいに立ちつくす。


モニターの中で「ジュニ君」らしい青年が 教授へ小さくVサインした。

「ワ・・オ・・・JUNI」

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【通信終了】メッセージの後 教授は床に座りこみ かなりの時間固まっていた。

その間に立ち去ればいいものを 私も 入口で固まっていた。


ドサドサッ・・・

均整を失くした書籍の山が また 何冊か滑り落ちる。
私は 思わず書斎へ歩み入り 散らばった本を拾い上げた。
「・・・Ms.ユナ・・・」
「大丈夫ですか? プロフェッサー」


やっぱり 少しはこちらの本も 片付けた方がいいですよ。
「ご許可をいただければ 私がやらせていただきますけれ・・・」


「!!!!」

書斎の床に膝まずく私を 大きな腕が抱き寄せる。
私はバランスを失なって 前のめりに 教授へ倒れこんだ。

「プ・・・プロフェッサー?」
「Ms.ユナ! ジュニが 結婚します!」
「は・・・」
・・・ジュニが・・幸せに・・なるんです・・・ 


どうもありがとう!!
プロフェッサーはよほど感極まったのか ぎゅうぅと 私を抱きしめる。
うっとりと眼を閉じたまま あぁ・・と幸福そうにうめいた。

私の視界は ほぼ全面 教授の見事な上腕二頭筋でふさがれ
頬は大胸筋にめり込んでいる。

プロフェッサー・・ 大変見事なお身体ですが 私 気を失ないそうです。




やっと胸から顔を引き剥がすと 教授の顔が鼻先にあった。

「・・ぇ・・あの・・お・・めでとうございます・・」
って。 こんな距離で言う事じゃないけれど。

「はい! ・・・あ。 うわぁ! すみません!」

ようやく正気になった教授は 自分たちの体勢に仰天したようだ。

急いで離れようとしたけれど 
顔から前のめりに倒れこんだ私は どうにも身体の起こしようがなくて
2人は しばらくジタバタと 散らばる本の中でもがいていた。



ねえ Ms.ユナ? 
もしも差し支えなかったら 祝杯につきあってくれませんか?

崩れた本をあらかた積むと プロフェッサーは私に言った。
その笑顔には いつもと違う しみじみとした色が浮かんでいた。
「・・・・」

はい プロフェッサー。 私でよければ 喜んで。

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「息子には 辛い思い出があるんです」

幸せそうな乾杯を いくつも いくつも重ねた後
ほんの少し頬を染めて プロフェッサーが ぽつり・・と言った。


「責任は僕にあるのです。 僕が 守ってやれなくて」
「・・・・?」
あの子を 失ってしまうのではないかと 途方にくれた時もあります。

「本当に 何にもしてやれなかった。 ひどい父親です」

「・・そんな・・」

プロフェッサーは 寂しげに それは寂しげに微笑んだ。
“あんなに哀しく優しい抱擁・・”
ケイト・オコナーの言った言葉を 私は ぼんやりと思い出した。

プロフェッサーの言うことが 私にはよくわからなかったけれど
彼の中に癒しきれない 大きな傷があるのが 見えた。 



「・・だけど 神様っているんですね!」 
いや あいつが偉いのかな。 本当に 茜ちゃんを手に入れました。

「あの・・・ぅ 息子さんは茜さんという方と結婚するんですか?」
「ええ! 12、いや13年越しの大恋愛です。ふふふ・・」

こんなにダメな父親でも 子どもは 自分の足で歩き出してくれる。

本当に・・嬉しいです。
「これで僕の人生は もう 思い残すことがありません」



ゆっくりグラスを回しながら プロフェッサーは微笑んだ。
まあ何を言っておられるんですか。 教授はまだ そんなにお若いのに。

「これからは ご自分のことを考えて 新しい恋・・・・」

ド・・キン・・


いきなり 私は心臓を 飲み込んだような気持ちになった。

か、神様。 今 私・・・一体 何を言いかけたのでしょうか?
お願い神様。 プロフェッサーが 今の言葉を聞き逃しますように!


私は ぎっちり眼をつぶる。 できれば 耳も塞ぎたかった。

ふ・・・と 静かなため息が 私の祈りを砕いていった。




「僕はもう 恋は しません」

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