ボニボニ

 

スジニへ 1

 



キハ・・・、キハや。



憶えているか? 国内城の茶畑にそよいだ あの風を。
お前の髪を揺らしていた 明るい 朝の陽の光を。
あの日 私はそなたへ問うた。「お前だけは 信じてよいか?」と。

人は 弱いな。

信じておれば良かったのだ。 愚鈍なほどに疑わねば
そなたは 変らずにいたものを。
私はいつも惑いが多く そなたは いつも言葉が足りぬ。


キハや。
だが それもこれも 終わりにしよう。
私は天へ力を返す。

永遠の命も 無限の力も 人には要らぬ長物だ。

人は 限りある日を惑いつつ それでも 懸命に生きれば良い。
倒れたら次が立ち上がり 立ち上がりして 営々と生き

ただひたすらに 未来へと 歩いて行けば良いのだ。

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神壇樹は 巨石の下からまばゆい光を放っていた。

天のきざはしへ歩みより タムドクは 双の手を大きく拡げた。


空中で 炎は絹のように揺らめいていた。 キハは 薄く眼を開ける。
千年の想いが届いた今 深い安堵が彼女にはあった。

“悪かった・・。そなたを信じてやれなかった”
愛しい人の その言葉で 猛り狂う時は終わりを告げた。
炎の中に滅びながら キハの口元には 満たされた笑みがあった。


“私の子”

消える意識の寸前で キハの瞳が揺らめいた。
いいえ 違う“私たちの子”だ。
カジンがあれほど求めた愛は この地上に 残される。

炎を通して 視線を投げる。
妹にしっかり守られて 眼を閉じている我が子が見えた。


スジニ・・・ 
お前は その子を守ってくれるのか。
愛する男と私の間に生まれた子を 我が子の如く育むのか。
私は お前のみどり児を 千尋の谷へ投げ捨てた。

つぅ・・と 涙が頬を伝う。
ファヌンがセオを愛したのは 確かに あの慈愛ゆえだった。


カッ!とキハの眼が開いた。
自分には もう一つやることがある。

まだいたいけな私たちの子には 大きく強く 守る手が必要だ。
私があの方の使徒になり 天へ 答を届けよう。

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まばゆい光の上空に 黒朱雀の炎が燃え上がった。

紅蓮の炎は火勢を増して赤から照柿の色になり さらに金へ色を変える。
「オンニ・・・・?」

アジクをしっかり抱きしめて スジニは宙を見上げていた。
彼女の姉は業火を焼き切り 昇華して 天へ向かおうとしていた。

金から白金にまでなった火の玉が ぶるぶると 宙に震えている。
最後の力であがく姉は ひたすらに 天空を目指している。
・・・オン・・ニ・・・・・
呆然と地に伏すスジニに 姉の焦燥が 願いが 伝わってきた。



ふいに 柔らかな声が聞こえた。

“忘れてはいけない。 手を その胸に当てるのだ”

スジニの記憶がよみがえる。
“朱雀の気を自分に感じ その気を 先へ送るのだ”
遠い昔に教えてくれた。 あれは・・・誰だったのだろう?

スジニは アジクを抱き寄せた。
コトコトと刻まれる柔らかな鼓動が スジニの身体に伝わった。
ぽう・・と温かい気が満ちる。 せめてこの気を オンニのもとへ。

慈愛の白い手が宙へ伸びて 逝く母に 子どもの気を送る。
キハに天孫の鼓動が届き 2人の朱雀の 気が重なった。


一瞬 火玉は宙に縮み 
真っ白な光の矢となって 解かれたように天へ放射した。

すざまじい上昇に曳かれたように
北から、東から、西からも、3つの光が駆け上がる。

光の放射は天空を覆い 戦場にいた男達は 眼を射られて動きを止めた。

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やがて 光が逝った時 巨石は崩れ去っていた。

湧き立つ煙が退いた時 スジニは その姿を見つけて息を呑んだ。
「王様・・・・」


瓦礫の中でタムドクは ゆっくりと後ろを振り返った。
スジニの胸で正気づいたアジクが 指の痛みに 火がついたように泣きだす。
慌てて首に巻いた布を取り スジニは傷の手当てを始めた。

タムドクは息子へ歩み寄り その眼の前に膝を折った。

「・・・いたいよ、いたいよぉ!」 
「泣くなアジク、男の子だろう? 陣へ戻り薬をつけて進ぜよう」
「おうさま・・」
「父上と呼べ。 私が お前の父である」


タムドクはアジクを抱きあげた。

高句麗も我が息子も 今はただ あまりに幼くもろかった。
まだすることがある故に 天は 私を残したか。 
そして キハも・・


愛しいぬくもりを片腕に抱き タムドクはスジニへ手を伸べた。

「・・・怪我は無いか?」

つかの間 緩んだ眼をしたスジニは まばたき一つで表情を消した。
自分1人で立ち上がると ポンポンと服のホコリを払う。
「私は 大丈夫です。 ・・・王・・様は?」
「・・・・・・・・・」



「無事のようだ。だが身の内の天力は どうやら私を去ったらしい」
今やもう ただの人だ。 タムドクの顔に笑みが浮かんだ。

「ただの人。 ・・それでも王様でしょう?」

「ああ。だが今度カオリ剣をするはめになれば 慌てて逃げねばなるまいな」



彼方で 男たちの歓声が上がった。

チュムチがこちらへ向かってくるのが見えた。
ようやくアブランサにたどり着いた大隊は 満身創痍の様相だった。

ひたすらに来る兵たちを 王は 大地に立って迎えた。

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白虎だか何だか知らねえけど いきなり身体から出て行くなってんだ。

タルビに包帯を巻かせながら 
チュムチは ぶつぶつと文句を垂れた。

「戦のさなかに突然力が抜けちまってよぉ 危うく殺られる所だった」
「ご無事のお帰りで良かったですよ」
「えへへ・・、タルビィ♪」

お前と赤子を残しちゃ 俺は どうしても死ぬわけにいかない。
「そうだろう? な?ちょっと ほら・・腹を撫でてやろうな」
「だめだめ! で?スジニさんは どうなさっているの?」
「あ? ・・ああ あいつはなぁ」

チュムチの顔から 笑いが失せた。
ポリポリと顎を掻きながら 豪放な男は 窓外へ視線をやった。

「元気なんだよ。ちょっとその 元気すぎるくらいだな」

「・・・そう。王様は?」
「そっちもなあ。 兵をまとめて後燕と講和を結んで そりゃ見事なご采配だ。
 だけど なんと言うかな その。
 2人とも遠慮しているっつーか・・距離があるっつーか」


が~~っ!! 面倒くせえ!

いきなりチュムチが立ち上がり 拳で壁を一つ叩いた。
鉄拳を見舞われた土壁は ボコリと大きな穴になった。
「あ・な・た」
「うっ。し、しまった! 『叩くのは外の石』だったね、タルビや。すまない・・」

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先の戦いで ホゲを失った軍勢は瞬く間に総崩れとなり 
高句麗軍は火天会を滅して 見事 後燕を退けた。

戦乱の続く世にあって 強い王を持つ国は幸運だ。

高句麗の民は安らかに種を撒き 商いをして栄えようとしていた。


飴売りウヒョンはむくれた顔で 商売物を詰めていた。
パソンは憤りを抑えながら 一心に焼けた鉄を叩いていた。

カン、カン、カン、カン・・

「だからよぅ・・後の問題は 王様のお后選びじゃねえか」
カン、カン、カン、カンッ!
「あの女は死んじまったんだからよぅ スジニが后でいいだろう?」

カン、カン、カン、カンッ!

「王太子にとっちゃ育ての母だろ? 結婚は 家のつながりだぜ。
 嫁御が子を残して死んだとあっちゃ、その里から後添えをもらうことは 
 在郷にいけば ままあることだろ」

カン、カン、カン、カンッ!

「皆も言ってるんだぜ。 高句麗王の后はスジニ様しかいねぇってよぉ・・」
「あぁもう!うるさい! あたしゃ刀を鍛えているんだ!気を散らすな!」
「何だよぉパソン。お前さんだって スジニの気持ちは知ってるだろ?」
「知っているから怒っているんだ!」

荒れた息を静めながら パソンは 痛ましさに顔をゆがめた。
・・・まったく。

あの女が生き別れの姉さんで 王様の子を産んだと言う事実を知って
スジニは きっと自分の想いを 深く沈めてしまったのだろう。
「あんなに一途に王様を想っている娘に なんて運命だよ」

王様だって同じ想いさ。そんなの皆が解っている。
あの方とスジニは想い合うからこそ すくみ上がっているんだよ。
「あ~っ!! もうっ!」

カン、カン、カン、カン、カンッ!!

熱した鉄はめった打ちに叩かれて 見る間に長く延びてゆく。 
怒りと火花が盛大に散って 周りの職人さえ怖気づく勢いに
ウヒョンは肩をすくめて 憮然と自分の仕事へ戻っていった。


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皮の胴衣をまとった姿で スジニは宮中を歩いていた。

国内城に戻ってからの彼女は 以前の如く 男と見まごう姿になった。
隊長も女装でいれば美人なのにと 手下の兵は残念がったが
スジニは笑って首を振り 裾をひらつかせて王太子は守れないと言った。


高句麗の女将軍にして 王太子の養育係

それがスジニの選択だった。
王様の傍にいられる、それでいい。それ以上は考えたくないと思った。
あの方が王として行く道に 添って生きるだけで充分だ。



橋梁の端にチョロが座っているのを見つけて スジニは柔らかく微笑んだ。

「何だろうねえ。 高句麗の青将軍が そんな所へ座りこんでさ」
「・・・・」
端正な頬を髪がすべり チョロはスジニをふり仰いだ。
「カンミ城主殿は 戦傷でしばらく伏せっていたんだって? 大丈夫?」
「・・・・・。 身体が自分のものだというのは 妙な気分だ」
「?」

物心ついてからというもの チョロの体内には竜がいた。
タムドクに神物を除かれた後も 彼の中には 雲師が潜んでいた。
その竜は 王が天へ力を返したあの日 忽然と身の内から消え去った。

まさにその時点で生まれたように チョロは 今 やっと人間だった。

切られては痛み 息が弾む。 それは 新鮮な驚きだった。
生きるというのは こういうものか。 
かつて竜の化身と言われた男は 生命の闊達さを味わっていた。



「で? 怪我はもう平気なのって 聞いているでしょ?」
「・・・王の 后にならないのか?」

スジニの問いには答えずに いきなりチョロが切り返した。
彼女の陽気な表情が凍りつくのを 静かな瞳が見つめていた。
「わ、私はっ! ・・・武将だもの」

知ってる? 常勝・高句麗王の南陣は『朱雀美人』が守るんだって!

「一度に百本の矢をつがえ 千の敵を射抜くと言う・・」
まるで売り物口上のように スジニは矢を射る仕草をして見せた。
「このスジニ様が 戦の時にいなかったら 王様だって困るでしょ?」
「・・・・・・」

“王妃にならぬつもりなら 私の妻にならないか?”
言うはずのない独白を チョロは 胸の中で囁く。
宮殿の高みからはタムドクが 2人の姿を見つめていた。


スジニよ。

私の傍にあれと願うは お前の幸せを損なうか? だが
そなたを空に放ってやることが この私には 出来るだろうか?

臣下が何か呼びかけた。 迷える王は息をついて 王の仕事へと戻っていった。

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