ボニボニ

 

スジニへ 2

 


後燕を退けた高句麗は つかの間の安穏に身を置いていた。

ただ その静けさは 次の戦までの準備期間で
いずれ王の軍勢が旗幟をひるがえして行く日が来るのは
誰もが知っていることだった。


高句麗軍は 先の戦いで失った将軍達を見送り 続けて次の剣を研いだ。
スジニやチョロは兵を鍛え 進軍を告げる角笛を待っていた。

新羅からの使節が来たのは そんなある日のことだった。

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「お妃候補だあ?!」


激昂したチュムチの手が ヒョンゴの胸倉を絞り上げた。

「だ~れが!そんな世迷言を 言って来たって?!」
「痛たたたた・・! 離せっ! あ!離さんか!」

まったくどれだけ力があるのだ。チュムチは 私を殺す気か。

「なんで新羅なんぞから 結婚の申し入れが来るんだよっ!」
「・・・閨閥目当てだ。当然だろう。」



高句麗王のタムドク様と言えば いまや飛ぶ鳥を落とす隆盛だ。
武運に優れ まれに見る賢君。
「近隣諸国の立場にしてみれば 攻められないように女を送り 
 縁戚を結ぼうと考えるのは道理だよ」



うちの王様は あの通り若くて 都合のいいことに独身だ。
「お妃候補は降る星の如くだし 貴族はこぞって側室を薦めて来るだろう。
 かつて晋の武帝などは 後宮に1万人の女を置いたと言うぞ」
「そんな・・他からお妃なんぞが来ちまったら 一体スジニはどうすんだよ!」


はぁ・・
ヒョンゴがため息をついた。

「他国の姫でも妻に迎えれば その者が王妃 高句麗の母だ」
そして王妃に王子が生まれたら・・・宮中はまた 争いの種を抱える。

戦乱の世は 戦の他にも駆け引きがある。ヒョンゴはしばし思いに沈んだ。

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「チュシンの王と誉れ高い高句麗王に 謹んでご挨拶申し上げます。」


新羅の使者は 大仰なほどに慇懃な礼をして見せた。
使者を迎えるタムドクは 表情を消して座っている。
居並ぶ将軍は薄い困惑をたたえて 場の成り行きを見守っていた。


「高句麗の盟弟 新羅の王は 陛下と息女のご婚姻を希みおり・・」

低頭しながら語る使者は 脇持へ小さく合図を送る。
箱を捧げた従者が2人 そろそろと前へ進み出た。

中から出された巻物は どうやら姫の肖像画らしかった。

タムドクは 困惑に眉をひそめる。
将たちが視線を交わす中で 1人 スジニだけが静まり返っていた。
「我が姫は その玲瓏さで 四方へも聞こえる容姿にて」

是非ご一覧賜りたく 使者が得々と口上を述べる。
従者が 巻物を解き始めた。

「・・・いや 待て。」
制しかけたタムドクよりも チュムチの怒声が従者を止めた。

「待たれよ! それは 開けずに願おう!!」
「こなたは白将軍様。 さて 何ゆえのお申し越しでございます?」



突然何を言い出したのかと 満座の者が眼を見張った。

周囲の視線を一身に集めて つかのまチュムチがたじろぐ。
“何だ?”  王の眼に 面白がるような色が浮かび
その視線を跳ね返すように チュムチは 肩をそびやかした。

「えーと、あぁその何だ。我が王には さる姫とご婚儀の話が進行中である!」
「何と・・」
「太王もその、あー!いたくご執心で、程なくご婚約と相成るところだ」

その期に貴国の姫を目するは いかな太王とても不誠実。



「どうか!その件をお含み頂き 帰りて主君にお伝えあれ」
「はあ。 ・・してどちらの姫君と?」
「え?あ? う~ん・・・」

そこまでは まだ考えちゃいねえんだ。
威勢の良い口上とは裏腹に チュムチの顔は色を失った。

「ジョルノの姫です!」
横からタルグが口を添えた。
「代々 高句麗王の正妃は ジョルノ族より出るのが慣わしなれば・・」


使節が口をつぐんだので チュムチはほっとタルグを見た。

タムドクの眉が片方上がり チョロは薄く笑んで眼を伏せた。
「だから えーとその。この期に他の話が起こらば 姫もご気分を害そう」
「左様ですな・・・」

使節はしばらくうつむいて 思案をまとめていた。

妃が決まる間際に自国の姫を推せば 正妃となる姫の心証は悪くなるだろう。
それは いかにも危険だった。
今は一旦引き下がり 機を見て側室でも献上するか。


「さような次第にござりますれば 陛下 今回のお話は」
「良い。聞かぬ事と致そう」

まるで示し合わせたように タムドクが快活な声を出した。

「有難き幸せにございます」

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「さて チュムチ。私の縁談が進んでいることなど 聞いておらなかったな?」

くっくっと タムドクは可笑しげにからかっている。

タルゲに横腹を肘突きされて チュムチは憮然と首を掻いた。
「俺は その・・化粧くさい女は嫌いなんだよ!」
「おいおい 見てもいないのにか?」

「第一 お頭の嫁でもないだろうに」
部下たちまでがニヤニヤと笑い 互いに眼差しを交し合う。

「うるせえなぁ・・ わかってるよ」
ぶくぶくと泡を吹くような勇将の言い訳に 周囲の皆がドッと笑った。
場にいる誰もが 内心では チュムチの嘘を喜んでいた。
その時 笑いあう男達の輪から静かにスジニが離れて行った。



「・・・・・」

横顔で彼女を行かせながら ゆっくりと王は眼を伏せる。
チョロは 葉陰のような眼で王の表情を読んでいた。




「まあ! 使節の方に そんなことを言って断ったのですか?!」

愛らしい瞳を丸くして タルビは夫を振り返った。
チュムチは 野獣の如き体躯を 滑稽なほどに縮めていた。
「まずかったか?」

俺は やっぱり頭が足らん。
卑しくも一国の使者に 嘘を言って追い返してしまった。
ああやっぱり タルビ。 お前に相談してからにすれば良かったなあ。


ん~・・・・・

タルビは可愛い口を尖らせて なにやら考えているらしい。
い・・今なら あの口を吸えるだろうか。
チュムチは妻の隙を狙って そろそろと動き始めた。



「ねぇ! これは 良い機会かもしれません!」

「あ?」
妻を引き寄せようとするチュムチの手を タルビの方から握ってきた。
「あのね! あなたがこういう風に事を運ぶのです」

タルビはこそこそと チュムチの耳に計画を告げる。
ぼんやり聞き入る眼が次第に開き チュムチの顔が驚きに光った。

「タルビ! お前はやっぱり頭がいいな。・・・でも うんと言うかな?」
「ヒョンゴ様や タルグさんに手伝っていただけば?」 
「おおっそうよ! タ~ル~ビ~~~!!」

やっぱり俺のタルビは最高だ! チュムチは妻を抱きしめた。

もっと細かく話を聞こう。ついでに 口も吸わせてもらうか。

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その部屋にスジニの姿を見つけた時 タルグの心臓は早鐘を打った。

うまく事が運べるだろうかと 重責に身震いをしそうだった。

だけど・・ やってやる。
フッケの形見の首飾りを タルグは拳の中に握る。
今は亡きオヤジさんだって それを望んでいたのだから。



「知っているよ。 ジョルノの酒蔵は 高句麗一なんでしょ?」

弓の具合を確かめながら スジニは上機嫌だった。

「ええ。 積み上げる酒箱は 白頭山より高くなります」
「ふふふ・・ それはいいわね。一度 お邪魔させてもらおうかな」
「貴女の物です。 いつでもいらしてください」
「・・・・・・」

ぼんやりと 笑顔を引いたスジニを見て タルグは負けまいと拳を握った。
「貴女を ジョルノの姫として迎えさせてください」
そして貴女が 正妃になるんだ。 

ガタン! 

去ろうと立ったスジニの腕を タルグは 命がけで捕まえた。
「王太子を守れなくていいんですかっ?!」
「一体何を言っているのよ! それと どう関係があるのよ!」
「高句麗王は 妃を迎えねばなりません!!」


スジニが 凍りついた。

「・・・高句麗王には 何としても 妃が要るのです」

このまま王様が独り身でおられたら 各国が競って姫を送ります。
後燕や他の強大な国々さえ 閨閥を狙って来るでしょう。
正妃ならずとも側室をと 敵国までもが押し付ける。

「・・・・奴らは 女と言う蛇を この宮へ放ちに来るんだ」


タルグは スジニが切れるほどに唇を噛むのを見据えていた。
死んでもここは論破するつもりだった。
「縁談を断るには 相手が納得するに足る建前が必要です。たとえば!」

“高句麗王は正妃を寵愛し側室も置かない” 

「王様の真っすぐなご気性を考えたら その理由が一番いい」



スジニは顔をそむけていた。 怒りが身体中を焼いていた。

だけど・・・
将としての理性が認める。 確かにその理由は あの王様にふさわしい。
王様は1人の女しか選ばない。 そして それは私ではなかった。

「私は ・・・妃になどなれないのよ」


「貴女しかいないでしょう?!」
王が王太子だった時代からつき従い 常に傍にあった人だ。
「貴女ならいい。でも 他の誰を王妃にしても 各部族長は不満を言います!」

「知らないよ! だ、誰か ジョルノの美人を選べばいいじゃないの!」
「結構だ! ではその娘が 万が一でも王子を産んだらどうする?!」
「!!」
「この宮で もう一度 2人の王子の世継ぎ争いを見たいのですか?」



火の散るような一時が スジニとタルグの間に流れた。

タルグは心に決めていた。 武将として 国の戦略として この話をしよう。
スジニには その道理の方が呑みやすい。

「・・・ごめんなさい。 でも 私には出来ない」
「“形だけの婚儀”でいいのです。 “実”が伴う必要はありません」
「え?」
「決して高句麗を裏切らない妃は ・・・貴女しかいないんだ」

ここが肝だ。タルゲは最後の一言で スジニの息を止めに行った。


「“形だけ”です。 貴女以上に 王太子を守る妃がいるとお思いですか?!」

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数日後。 契丹との境界地域で小さな戦が起こったという報せが届いた。

聞けば 地域の小競り合いのような話で 
契丹に侵攻の意志があるというような事情でもなさそうだった。
「まあしかし 火種は消しておくのが良かろう」


「私が 行きます」

スジニが真っすぐ背を伸ばした。タムドクがちらりとそれへ視線を流す。
「お前はここにいろ。 チュムチか誰かに 少ない手勢で・・」
「チュムチもカンミ城主もまだ傷が癒えません。私が 行きます」

「・・・・・」


タムドクは 射るような眼でスジニを見た。
お前は ここにいろ。 こんな戦に王軍は動かせないのだ。
王の目元がわずかに歪んだ。

カムドンもコ将軍も 逝ってしまった。

確かにスジニなら わずかな手勢で事を収めるだろう。
タルグが思わず前へ出た。
「私が! 付いてゆきます」


少しの間。 タムドクは眼を伏せていた。

人の心と言うものはまったく こうも惑うのか。
国の護りという大事の前で 私は スジニを心配している。
「行け。 細心の注意を払い 必ず無事で戻って来い」



夜遅く スジニと手勢は国内城を抜け出して行った。

タムドクは1人 執務室へ篭り まんじりともせず夜を過ごした。

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