ボニボニ

 

スジニへ 3

 



辺境の争いは 戦さというより荒くれ男たちのケンカだった。



ろくな武器もない田舎者が 鼻を突き合わせ
うんざりするような戦いを続けていた。

その抗争のさなかに現れた20騎程の高句麗兵は
異次元からからやってきたような俊英揃いで
荒野の中。  パソンの鍛えた甲冑は 陽光に映えてきらめいて見えた。


見事な装備の騎馬兵を見て 男たちはさすがにひるむ。
それでも 頭に血の上った彼らは 戦うことを止められなかった。

「・・正気づけてやらなきゃ 収まらないみたい」
「行きましょうか」
「いい? 殺すなって 王様のご命令だからね」

トントンと 拳で胸を叩き タルグは親指を立てて見せる。

スジニは白い歯を見せて笑い 勢いよく馬の脇腹を蹴った。




20騎が 戦いの真ん中へ斬り込んだ。

争っていた者は次々なぎ倒され 馬を落ちたものは 血反吐を吐く。
それでも男たちは手負いの獣だった。 
しゃにむに騎馬へ つっかかって来た。



スジニは疾風の如く馬を駆ると 騎上ですばやく弓をつがえた。
両軍のボスと思しき男2人が切り合う所へ 引き絞った矢を放つ。

ヒョウッ!!

2本の矢が空を切り 2人の男の腿をそれぞれに射る。
もんどりうって落馬した2人を見て 戦っていた男たちは ど肝を抜かれた。



張った糸が切れたように 争いは いきなり静まった。

両勢の動きが止まったのを見ると タルゲは手を挙げて部下を制した。

高句麗の騎馬兵は 鶴翼の形に陣を組んで 荒くれ者どもを睨みつける。
鼻先を返したスジニの馬が戻り 隊列の真ん中へ収まった。
「朱雀美人」だ・・ 誰かが こそと声を出した。


タルグが 騎上に旗印を揚げる。 
高句麗王軍の紋章が 誇らしげに 雲ひとつない青空へはためいた。

「高句麗王の命である!  ただちに停戦せよ!」

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― 1人で宮を抜けて 様子を見に行こうか。



およそ馬鹿げた考えを タムドクは もう1度検討していた。

辺境の争いが終結したと伝令が届いたのに 
事を片付けたスジニたちが 一向に戻ってこない。
誰も気に留めてもいない隊の遅延に タムドク1人が苛立っていた。


「先生! 辺境へ行った奴らは 何故戻らない?!」

タムドクはヒョンゴをつかまえると 剣呑な声で問い詰めた。

「は・・? スジニたちですか?」
そういえば遅れておりますなあ・・ 師は悠長な声を出す。
「あ! 今回は タルグが同道しておりました」



戦場からの帰路近くには ジョルノの城がございます。

大方ちょっと寄り道でもして 一杯やっておるのでしょう。
「スジニが 高句麗一の酒蔵を素通りするわけがない。はっは・・」
「何を馬鹿な!」
 

タムドクの顔に怒りが見えた。ヒョンゴは きょとんと眼をみはった。
踵を返したタムドクが 控えの者へ叩きつけるように命じる。

「王命で出た隊が何をしている!さっさと戻れと伝令しろ!」

温和な王が 珍しく声を荒らげたので お付きの者は震え上がった。
虫の居所でも悪いのかと ヒョンゴは王の背中へ首を傾げた。



憤然と歩を進めていた王は 立ちどまって 息をついた。
タムドクには解っていた。 
行き場のないこの怒りは 自分の女々しさへ 向けたものだった。

怖いのだ。 もう一度スジニを失うことが。
私は これほどまでに怖いのだ。
彼女の姉と契った自分に それを思うことなど出来ないはずなのに。


王として 父として 私にはやるべきことが無尽蔵にあるのだ。
死んでいった者たちのため 私事に惑う余裕などない。
「未練ぞ・・」
 
鎮めようのない恋しさを タムドクは ただ持て余していた。

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辺境の争いに高句麗の騎馬兵が現れたことは 
またたく間に 契丹の知る所となった。

慌てた契丹は 自国に侵攻の企てがないことを弁明するために
多くの貢物とともに 国内城へ使節を送ってきた。
契丹の差し出した貢物を見たとき 宮廷に並ぶ者たちは息を飲んだ。 

毛皮や彼地の産物の他に 美女が1人 贈られてきたのである。



「・・・契丹に 侵攻の意がないことは判っている」

それは我々も同様なれば わずかな使いで事を収めたのだ。
「かような心遣いは無用だ。帰りてそう伝えよ」

ましてや・・。 タムドクは 差し出された女を見た。


絹のような髪をした美女だった。 透き通るほどに 肌が白い。
異国の血が入っているのだろう。
鈴を張ったように大きな瞳は 瑠璃と見まごう青色をしていた。

「この女を受けるわけにはいかぬ。 連れ帰るがよい」
気持ちだけいただこう。 タムドクの言葉に 使節は青ざめて返答した。
「太王様に伏してお願い申し上げます。 何卒 なにとぞお納めください」


「無用の気遣いだ」

「・・お気に召しませんでしたか?」
「そのような話ではない。かような貢物は受けられないと言っている」
物のわからぬ使節だな。 王はこめかみを指で押さえた。

使節はなおも言いつのった。

我らの国では 王に献上されるは誉れでございます。
「返されたとあれば恥辱にて 娘の親はこれを殺して恥をそそぎましょう」
「な・・に・・・」

呆然としたタムドクは 使節から女へ眼を移した。
女は覚悟を決めたように 蒼白になって眼を伏せていた。



静まり返った宮廷に 王のため息が小さく流れた。

「・・あい判った。 戻って王に あつく礼を伝えよ」
返礼に 充分な物品を持たせてやるように タムドクは脇持へ指示を出した。
仕方がない。この美女は宮へ置き 客人として養おう。

嬉々としてひれ伏す使節へ 王は厳とした声で言った。
「この度の厚意は受けよう。ただし、以降は無用である」


私は じきに妃を迎える。 この先 側室を持つ気はない。
「今後女を送ることは 高句麗王の機嫌を損じることになる。そう伝えよ」
「は・・・」

やれやれこれでは チュムチの嘘をからかう訳にはいかないな。

来た時以上の荷物を持って 帰路につく使節一行を見送り
タムドクは もういちどため息をついた。

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チュムチは 王の執務室へやって来ると 周りの者を遠ざけた。

「・・あの別嬪を 後宮へ置くのですか?」
「返せば娘を殺すと言ったのだぞ。他に どうすれば良かった?」


あれを側室にするつもりはない。
しばらくは後宮に留まらせ そのうち良い縁でも見つけて嫁がせよう。
タムドクの言葉にうなずいたチュムチは からかうような声を出した。

「ところで俺 王様の結婚話が進んでいるとは 聞いていなかったよな」

チュムチ・・。 
王は 横を向いたまま 観念したように眼を閉じた。 
「言うな。 ああでも言わないと また次が来る」

「だから言ったでしょう? とっととジョルノの姫を貰えばいい」
「無茶を言うな。どこにジョルノの姫がいる?」
「スジニが 養女になった」



「なん・・と 言った?」

常の冷静さが崩れ落ちて タムドクはまじまじと眼を見開いた。
チュムチは タルビの言いつけを守り
ちらとも笑みを見せず 将軍の顔をして 王の前に立った。

「タルグがスジニを養女にしました。“ジョルノの姫”です」
「・・・スジニの方が年上だぞ。」
「法に触れることではありませんよ、陛下」


人の口に戸は建てられません。

新羅が妃候補を打診したことも 契丹の女を受けたことも
あっと言う間に 他国へ漏れていくでしょう。
いずれまた 声を上げてくる国が出てくるのは確実だ。

「城内に次々と間諜を迎えるような危険は 王として防ぐべきです」

「だが あの・・あれは。 スジニはその・・何と言っているのだ?」
「妃にはならないと申しております」


そうだろう。 
ほっとした声を出しながら タムドクは自分に驚いていた。
身体の中で膨らんだ気持ちが 確かにしぼんでいくのが感じられた。

「妃にはなりませんが 玉座の警護なら考えるそうです」
「・・・なんと?」
「対外的に 王妃を演じるって事です」

「対外・・。 形だけの結婚をすると言うのか?」


ああ! 俺はもう こんな話し方は限界だ。チュムチは肩を怒らせた。
「スジニの奴。 王様はきっと一生 誰も娶らないだろうと言っていました。
 自分も 姉の夫だった王様と添うことは出来ないそうです」

チクリ。

タムドクの胸に スジニの言葉が刺さった。

「だけど王様は立場上 王妃を置かねばならない」
そこに座る女が 形だけでも必要ならば 役目として受けるそうです。
「継母がきて アジクが疎んじられることが心配なんですよ。スジニは」



「あれは・・だが それでいいのか? 誰かに嫁いで幸せになれるものを」

カッとして チュムチは王をにらみつけた。
「スジニが誰に嫁げるってンです?」

“あんなに一途にアンタの事を想う女が 他の誰に嫁ぐんだ!? ”
もうちょっとで チュムチは王を怒鳴りつけるところだった。
壁でも叩き壊したい気持ちを 勇猛な男は 必死でこらえた。


チュムチにとってのスジニは 妹の如き存在だった。 
彼女が目先の利いた子どもだった頃から 愛してやまない仲間だった。
―『叩くのは外の石』だよな?タルビ わかっているんだ。

「俺は! ・・ただ報告に来ただけです。タルグがスジニを養女にしました」



後は知らん!  

部下のためなら火の中にでも行く勇者のクセに 
まったく うちの王様と来た日にゃ
どうして 自分のこととなると ああも情けないんだ?

子を産んでくれた女とは言え 相手は死んでしまっただろう。 
死んだ人間は幸せにしてやれない。 
生きてる奴を 幸せにしてやればいいじゃないか。

「タルビの死んだ旦那だって タルビの幸せを きっと喜んでるさ」

ドカドカと床を踏み鳴らしながら チュムチは宮を後にした。




「・・なぁ、王様はこれで決心するかな?」

丸々とした腹に耳を付けて チュムチは我が子の鼓動を聞いていた。
「そうですねえ。お気持ちを決めてくださるといいですけど」
「それにしても・・“形だけの結婚”なんてなぁ。 それでいいのか?」




あの方たちはね・・・

タルビはお腹の子とチュムチの頭を 交互に優しく撫でていた。
「キハさんの事があるから あのままの関係でいようとするわ」
・・心の底では 想い合いながらよ・・・


「お国のことを思えば 王様にはお妃様が必要でしょう?」
かといって 誰を王妃に迎えられるというの? 
王様が想う人は そこにいるのに。

それなら周りが理屈を付けて スジニさんを据えてもいいじゃない。

「他の女が王妃になるなんて お気の毒で見ていられないもの」
「そ、そうだな。うんそうだ! タルビの言うとおりだ」


とりあえず何でもいいから あの2人を一緒にしちまえば
周りは落ち着いていられるってもんだ。
後は・・時間がどうにかしてくれる かも しれない。



「生まれる赤子も お前みたいに賢いといいな」

タルビにごろごろと甘えながら チュムチは赤ん坊を待っていた。

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執政の長としてのタムドクは 比類なく聡明な王だった。


幼少時は平民として育ち 宮に来ても離宮を抜けては市井に紛れた。
虚弱を装うためもあり 書庫に埋もれて時を送った。

その経験がこの王に 世を知り 文献を知る 卓抜な力を与えていた。



タムドクの執る国政は 民の生活を見据えていた。

貴族たちより 市井の商人が タムドクの意図を理解した。
王の拓いた交易ルートの価値をすばやく見抜き それを利用した。
 

市井が強い国は 栄える。

人が集まり 物資が富む。 情報も 多くもたらされる。
高句麗は民から栄え始め 見る間に国力を上げて行った。



時にタムドクは 少数の供を連れただけで 城下を回ることがあった。

偉大な王であるにもかかわらず タムドクはいつも民に対して気さくだった。
人々は 明るい顔で自分たちの王を迎え 熱愛の意を表す。



そんな時 王は手を上げて 柔らかく笑って歓呼に応えた。 

心の底で 孤独だった。

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