ボニボニ

 

スジニへ 4

 



契丹から贈られた女は トヤと言った。


北の部族の出という話で 言葉がおぼつかないようだったが
青い眼をしてたたずむその姿は 夢幻の国から来たように美しかった。

その日 初めてタムドクは 彼女に対面した。

怯えさせては気の毒だからと わずかな供だけを同席させた。
女がいるほうが安らぐかもしれないと スジニを そばに控えさせた。



17か せいぜい18歳なのだろう。

まだ少女の香が残る美しい異国の娘を タムドクは痛ましく見やった。

「心配せずとも良い。 お前を側妾にするつもりはない」
「・・・・・・」
「国へ 帰りたいのだろうな?」
「・・・・・・」

殺すことは許さぬと手紙を添えて 何とか 帰してやれないものか。

タムドクは 外交上の駆け引きを考えていた。



あれこれと考えていたせいで 気づくのが遅れたのだろう。

最初に動いたのは スジニだった。
娘の手に光る物を見たと同時に 王の前へ 飛び込んだ。

「スジニッ!!」




タムドクの前に立った華奢な背中が 一瞬だけ 動きを止めた。
娘は床に突き倒され スジニは ハァハァと肩で息をしていた。



スジニの袖から手の甲へ 赤い筋が伸びて タムドクは凍りつく。
「刺されたのかっ!?」
「・・大したことはありません」

スジニは娘にかがみこむと 強い力で肩を掴んだ。

「高句麗王を殺して来いと 契丹の奴らに言われたの?」
「・・・・・」
「答えなさい!」
「・・・・私を 殺せ」



殺せ! 父と母を殺したように 私を殺せばいい!

娘の瞳に憎悪が燃え スジニの手を払いのける。
近衛兵が剣を抜き 女の上に振りかざした。

「斬るなっ!!」

タムドクが鋭く兵を制し トヤは ワッと泣き崩れた。

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通辞を呼んで話を聞くと 娘は ぽつりぽつりと口を開いた

使節の言った話とは違い 両親はトヤを差し出さなかったのだと言う。
「それで・・ お前の親は 殺されたのか?」

“市井の民など 宮の者にとっては虫のようなものだろう”
娘の言葉を通辞が伝えると タムドクは目元をゆがめた。
ここにもまた 自分の為に 奪われてしまった命があった。


「この者の処罰は どのようにいたしましょう?」

近衛隊長が 問いかけた。

「・・・殺すな」
「は?」
「この娘のしたことは一切他言するな。部屋へ連れ帰って 休ませてやれ」



娘が連れて行かれると タムドクは 回りの人を払った。
スジニはすでに自分で止血した腕を押さえ 眼を伏せて傍らに立っていた。

「・・・見せてみろ」

タムドクの声は 怒りと心配で どす黒いほどに震えている。
「かすり傷です」
「どうしてお前は そう無謀なことをするのだ?!」
「何が無謀ですか? 臣下が王様を守るのは 当然のことです?!」
「自分を賭してまで私を守るな!  誰も 私の為に死んではならん!」


もう 死ぬな。  もうこれ以上 私の為に逝かないでくれ。

タムドクの眼が赤くゆるむ。
屍の上に立つ王になど 私は 少しもなりたくはなかったのだ。




石の床に 娘の振りかざした刃物が転がっていた。

凶器と呼ぶにはあまりに貧しい 果実を剥くような小刀だった。


それでも 分相応の働きをしたらしく 刃先に血糊が付いていた。
タムドクはかがみこんで小刀を拾うと 黙って しばらくそれを見つめた。

「スジニ。 妃の座に座れ」
「・・・・・」

「形だけでいい。 トヤのような娘を これ以上出すわけには行かない」 

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スジニが王妃に決まったことは 国内城中を喜ばせた。

待ちに待った高句麗王の慶事に 都中が沸き立った。

タムドクは大袈裟なことをするなと命じたが 王家の婚礼に民衆は浮かれた。
祝い気分に城下が賑わう様を見て 王も 仕方なしに口を閉ざした。




― 民が喜ぶなら それで良い。

王の婚儀など 王個人の問題ではない。 タムドクは自分に言い聞かせた。
祝い気分で商いが活発になり 人々が潤うなら望むところだ。



またいつ戦があるかもしれず 準備は迅速に進められた。 

婚礼支度は着々と進み 日々 婚儀に関する報告を受けるタムドクは
ふと 少しだけ高揚している自分に気づいて 
1人になった時に 己を責めた。

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スジニは 相変わらず兵を鍛えていた。

式服だ何だと追ってくる女官を尻目に 軍事訓練を 続けていた。
これには チュムチがあきれ返った。


「お妃様になろうって姫が 一体 何をしているんだぁ?」
お前・・・王妃になっても 戦に出るつもりか? 

「何よ。 形だけの婚儀だってことは よく知ってるでしょ?
 ピラピラした着物で後宮に入るなんて お断り」

私はね。 近衛隊兵より近くに立って王様を守る その役目を受けたの。

「妃の座が空いていると問題が起きる。だから・・そこを埋めただけ」




あの日アブランサで。 王様は 最後に振り向いた。

そして・・ 行ってしまったのだ。 

確かに一度。 王様は 私を愛してくれたと思う。
お前のいる所が宮だと言ってくれた あれは きっと嘘じゃない。

だけど 王様は行ったのだ。 それがあの方の出した答えだった。


「・・アジクを生んだのはオンニだよ。 私はまぁ その代わり」

「おいっ!」
「へへ、私はオンニみたいに色気はないけど。こればっかりは仕方ないよね」
「なぁスジニ。 お前は その何だ。 ・・きれいだぞ」


チュムチの言葉に スジニが止まった。

かつてタムドクに言われたことが ありありと胸によみがえる。
“お前は元から綺麗だ。何を着ていても 綺麗だよ。 ・・これで良いか?”

そうよね・・・

スジニは力なく微笑んだ。 本当ならばあの時に 自分は 死ぬ定めだった。




「・・ところで トヤはどうなったの?」

ここ数日 可哀想な娘の姿が見えないことを スジニは心配していた。
王に刃を向けたトヤを 彼女は憎むことが出来ずにいた。
「あの別嬪さんなら 今頃カンミ城にいるんじゃないか」
「カンミ城?! どうして?」

契丹の娘が王に狼藉をはたらいたという噂が 他の部族長に漏れたという。
部族長たちが トヤの責めを言い立てかねないと案じたタムドクは
国内城から遠く離れたカンミ城へ こっそり娘を送っていた。


「トヤが帰ることを望めば 変装させてでも国へ帰したのだが・・。
 両親を殺した国には 帰りたくないと言ったそうだ」
「そう・・・」

スジニはカンミ城の奥深くにあった チョロの森を思い出した。

あの不思議な森は まだそこにあるのだろうか?
夢幻のような森にトヤの悲しい青い瞳は なんだか 似合うような気がした。

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「カンミ城の 森? ・・おそらく まだ残っているはずだが」


2人は渡殿の陰に座り ぼそぼそとした会話をしていた。
チョロは自分にもたれて座るスジニの温もりを じっと肩で感じていた。
「あの森は青竜の作った異空間だ。それに 僕の心象でもあったはず」

・・・だけど 今ではただの森だ。 僕がただの人間であるように。


「今の森に あの娘を癒す力があるとも思えないな」
「そう・・。 なんとか癒えて 幸せになって欲しいけど」

“君もだ”

見守るだけの愛しい人へ チョロは 心の中で語りかけた。
君こそ幸せに。 幸福そうに 笑って欲しい。



王は 側近へ指示を出しながら 宮の渡殿を進んでいた。

ふと見る先にスジニとチョロが 親しげな様子で座っていた。

「・・・・・」




「あちらに青将軍とスジニ殿がおられますな、王様」
「うむ」
はは カンミ城主様を背もたれにしておりますぞ。
「スジニ殿は物怖じせず明るくておられる。誰にでも気安くてよろしいですな」
「そうだな」

スジニの表情が 柔らいでいた。
あの表情も 自分を見れば おそらく薄雲がかかるように陰るのだろう。
「・・・行こう」
静かに眼を伏せて 王は そこを行き過ぎた。




“よぉ! 私はスジニ。 ぶらぶらしているお坊ちゃまだね? ”

“行こ! ね?ね? 連れて行ってあげるよ! すぐ近くなんだ・・”

“このお金を4倍5倍・・10倍にだってしてやるから!ね?!”


ふっ・・・・
タムドクは 出会った頃のスジニを思い出していた。

市井の底辺のような場所にいながら 見事なまでに明るかった娘。

スキを見せれば懐をさぐる 抜け目のなさに油断がならなかった。 
だけど彼女との丁々発止のやりとりは 生き生きとして楽しかった。

宮殿の 本当に油断のならない陰湿さに囲まれていた頃

暗愚を装うことに ほとほと倦んでいた自分にとって
開け放ったスジニの陽気さと 底にあるまっすぐさは 救いだった。



私は・・ 奪ってしまったのかも知れぬ。 

スジニから あのまばゆいばかりの快活さを。

臣下の答申に次々と指示を与えながら タムドクは まだ迷っていた。
そして今度は王妃の座へ 彼女を縛ろうとしていた。

「・・・・・・」




「それにしても。 王様のご婚礼を一目見ようと 城下は大変な人ですね」
側近が明るい声を出した。婚礼はもう間近だった。
「そうか」
「地方からもぞろぞろ人がやってきて それはもう 撃毬の試合以上です」


「・・撃毬でも やって見せねばならないか?」

戸惑うような王の言葉に その場の者がドッと笑った。


王様は照れておられるのだと 側近たちは朗らかだった。
敬愛する王の華燭の典を 浮き浮きと心待ちにしている様だった。




スジニは今 どんな気持ちでいるのだろうか。



書き物へ眼を落としながら タムドクは 頭の隅で思っていた。

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