ボニボニ

 

スジニへ 5

 




国内城での婚礼は その後 何年も人に語り継がれる祝典となった。


堂々の軍隊が正装で立ち並び 神官たちが 花を撒いた。
宮の前門は開かれて 民にも酒食が振るまわれる。

大祭の如き婚礼は 華やかに 3日3晩も続いた。

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「陛下はこちらの王道を 王妃様は こちら側をお進みいただきます」

婚礼は早朝に始まった。 祖先の廟へ 2人で参じる。
魂道を真ん中にして左右に分かれた石の道を タムドクは静かに見下ろした。



「王道か・・・」

自分のために自らの胸を刺した 父王の事を思っていた。
私がチュシンの王になること。それだけが あの父の願いだった。



―アボジ・・私は貴方の願いを ほんの少しでも果たせていますか?

今のところは機運に恵まれ 戦いは常勝を誇っている。

かろうじて覇道は歩けている様だが 私は・・・王道を歩いているか?
誰も答えをくれない問いを胸に タムドクは 道を進んでいた。


スジニは婚礼の衣装をまとい 介錯に添われて 王に従った。
幾重にも重ねた色鮮やかな絹が輝き 視界の隅でちらちらと揺れる。

タムドクは 自分を戒めていた。

幾度そらしても ときめく視線が 隣の花嫁へと流れてゆく。
― ・・形だけのことだ、動じるな。 
くどいほどに念じながらも 己の鼓動が早かった。


神殿での婚儀を済ませ 中門城壁の楼へ上った。

すでに城下の民衆が押し寄せ ひと目 王と王妃を見ようとしていた。
タムドクたちが現れると 歓喜の声が一斉に沸き
数万の人が発する声は 地鳴りの様に 宮城を揺らした。



「!」「?」

その時。 緊張のあまりだろう。 
スジニに付き添う女官が 崩れるように膝を折った。

スジニはとっさに女を支えて座らせると 近くの者へ合図を送る。
それから 脇持のないままに 重い絹の衣装で立ち上がった。
「ご無礼を・・致しました」
「・・・・」


タムドクの手がスジニへ伸びた。 もろい笑顔を こらえ切れなかった。
差し出された掌をじっと見て スジニは困惑の色を見せた。

「手を取れ。 甲冑で飛ぶお前でも その装いでは動きにくかろう。」
「平気です・・」
「皆が見ている。王の手を払うつもりか?」


「・・・・・」
重ねた袖の間から おずおずと白い指が出た。
意外なほどに華奢なそれを タムドクは万感の想いで取った。

わあああぁぁ・・・

王と王妃の睦ましげな姿は 婚礼祝いの民衆を狂喜させた。

驚くスジニが楼の下を見る。 
歓喜に染まる人々の表情を見回して こわばっていた気持ちが温まった。



祝って くれているんだ。

王様のそばに私がいることを 皆 喜んでくれている。
淡い笑みが 口元に浮かんだ。 形だけのこととは言え 
慕ってやまない王様の傍に立てることが 内心 少しだけ嬉しかった。

「スジニ」
「・・・はい」
「すまない」
「!!」

高揚しかけたスジニの心に いきなり冷水が浴びせられた。
王妃の手を取ったまま タムドクは まっすぐ民衆を見据えていた。


この瞬間。 もしもタムドクが花嫁の方を振り返れば

自分の言葉が彼女を失望させたことに 気づいたはずだった。

だがタムドクは 手の中の 震える指に胸を痛めていた。
スジニを王妃に娶ったことで 重き荷を 背負わせてしまったと悔いていた。
彼女の担う責任の大きさに 申し訳なさを感じていた。


振り向いた時 タムドクは 青ざめてうつむく妃を見た。

王には添いたくない。
そう言ったという彼女の 美しい花嫁姿が哀れだった。

「・・・許せ」

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祝宴は長く 陽気だった。

王宮の酒庫に加え ジョルノから膨大な祝い酒が運び込まれている。
酔った男たちが余興代わりに 
あちらこちらで 取っ組み合いまで始める始末だった。

夜更けになっても終わらない宴から 王は妃を下がらせた。

疲れただろう。ねぎらう言葉をかけながら 
内心では 沈んだ顔を取り繕っているスジニに
早く この場を去らせてやりたかった。 



「おお?陛下!  花嫁殿は? お妃様は もうお休みですか?」

タムドクが酒に染まった武将たちに近寄ると 一座が浮かれ 沸き立った。

「早朝から儀式続きだからな。 ・・・あれも 疲れただろう」
「馬を駆れば何昼夜でも駆け続ける 屈強の朱雀美人なんですがね」


今日の隊長 綺麗だったよな。

おいおい もう王妃様だぜ。 不敬罪に問われちまう。

どっと笑う男たちにタムドクの頬もほころんだ。 スジニは 愛される妃だな。
「あれ? 王様は 行かなくていいんですか?!」
「え?」
「そうだよ! 花嫁を独り寝させちゃ俺たちが恨まれる。なあっ」
いや おい・・

いい気分の男たちは そろそろタガが外れていた。
潮時か・・。
ヤンヤの声を背中にして タムドクは宴の場を後にした。




式典の熱気に たかぶったのだろう。
寝つけないアジクは女官を振り切り スジニの寝間へ 泣いて来ていた。

“イモ、イモォ・・”

王太子さま、いけません。ご寝室へお戻りにならないと・・
「いいわ。 おいでアジガー イモと寝ましょう。」
「ですが・・・王様がおなりに」
「王様はここへは お見えにならないから」

王様は・・ 皆とお楽しみだし。

とっさに言い逃れをしてしまい スジニは 居場所のない気持ちになった。
形だけの妃だと うかつに公言することは出来なかった。



アジクは叔母に寝かしつけられ ぬくぬくとダダをこねていた。

甘えた子だった。
母を持たない不憫さから スジニが溺愛した甥だった。
彼にとって この優しい叔母は イモと呼ぶ事実上の母だった。

スジニの腕を撫でさすりながら 子どもが寝息を立て始めた頃 
コトリ と小さな物音がした。


「・・・王妃の寝間に 男がいるとは思わなかったな。」

からかうような その声に スジニが慌てて飛び起きた。
タムドクが静かに振り返って 扉を閉めている所だった。


「何か・・・ご用ですか? 王様」

スジニは 自分の声が冷静に聞こえることを願った。

タムドクは 妃を見ないように 傍の椅子へ腰を降ろした。
何をしに来たと問われたことに気落ちしたが 
励んで 明るい声を出した。



「何をしにと聞くか? 夜を過ごしにだ。 ほら・・」

タムドクは 衣の中へ隠し持った 小さな酒瓶を取り出した。

「これはな。 あぁ・・、山奥深くから汲み出した水で作られた酒。
 人参と丸葉藤袴を入れ 三回漉して三年寝かせた逸品だそうだ。」
「・・・・・」

歌うような口上は かつてスジニが言ったことだった。
ちゃっかり者で可愛らしかった娘を  タムドクは 懐かしく心に浮かべた。



妃を寵愛し側室も置かないという王が ここへ来ないのは不自然だろう?

「心配するな 形だけの事だ。」
「・・・・・」
「お前は夜に酒を飲むし 私は いつも眠れない。
 以前のように こうして時を過ごせば良かろう。 ・・そうではないか?」

お前は形だけの后。 そう言われたのが 辛かった。

判りきっていたことなのに 心の奥で 涙がこぼれた。
それでもスジニは踏みとどまり 何とか 明るさを装うことが出来た。



「あーあっ、やっと酒にありつけます! 宴席でよだれが出そうでした。」

のんきな声を出したスジニに タムドクは ほっとした笑顔を見せた。
「よくお前が あの酒宴を我慢したものだな。」
「我ながら偉いと思いました。ふふ・・」



さあ 飲め。

コクリとひと口酒をあおり タムドクは酒瓶を差し出した。

少し 笑みがゆるんだ顔で スジニは出された瓶を見つめていた。
「・・どうした 飲まないのか?」
「またいじわるして 瓶を渡してくれないのかもと 用心しているンです」


酒瓶へ伸びたスジニの手が白かった。
こんなに細い指だったのかと タムドクは胸が締めつけられた。
酒をあおる華奢な首筋を 抱き寄せまいと苦労した。


「え・・へへ。 形だけでも妃と言えば 堂々と宮の酒蔵にも入れますね」

「ああ。いつでも自由に行き 好きなだけ飲めばよい」
「いいんですか?」
「当たり前だ。 お前は 私の妃なのだから」

私の妃。 勢いで言ってしまった言葉が 思いがけなく甘美に響いた。
タムドクはゆっくり顔をそむけ スジニは 戸惑いに眼を伏せた。



・・・うぇ・・う・・ぇ・・・

寝入ったはずのアジクが 半分寝ぼけて ベソをかいた。
スジニは慌てて横へ添い 背中を柔く叩いてやった。
・・・イィモォ・・
「ここよアジガー 宴で気が立ったかな。 よしよし・・」

ぽんぽんと優しく背を打つ音と 子どもをあやす女の穏やかな声。

母を知らないタムドクにとって それは初めて間近に聞く音だった。



王を横目で気遣いながら スジニは 子どもに低く歌う。
その声をぼんやり聞きながら タムドクは眼をつぶっていた。

・・なるほど 子守唄とはこういうものか。


これから寝ようとする耳へ音を立てては 気に障るのではないかと
以前から不思議だったが 今 わかった。

子守唄は “母の合図”なのだな。

意識の底へ落ちる子に お前の母はここにいると 
傍にいるから安心して眠れと 合図している声なのだ。
「・・・・・・・」




子どもの呼吸が寝息に代わり スジニは そっと身体を起こした。
寝台をすべり出て王の傍へ戻ると 王は まだ眼をつぶっていた。
「寝たみたいです。 ・・・王・・様・・?・・」

じっと眼を凝らして スジニは信じられないものを見た。

戦場の激しい疲労にも 眠ることを知らない王が 
軽くついた頬杖を支えに 静かな寝息を立てていた。


しばらく様子を伺った後 スジニは絹衣を王へかけた。

目覚めると思ったタムドクは 掛けられた衣を気持ち良さげに引き上げて
そのまま 深く眠りに沈んでいった。

「・・・・・」



王を椅子に座らせたまま 自分だけ寝台で眠るわけにもいかず
スジニは傍の床へ座ると 椅子の座へ肘を乗せてタムドクを見上げた。

王は まどかに眠っていた。

まだ耳の内に子守唄を聞いて 薄く笑んで眠っていた。

「王様・・・・」



そっと スジニが声をかけると タムドクの寝顔がほのかに揺れた。

スジニは満ちた思いになって やがて 自分も眠りに落ちた。

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