ボニボニ

 

スジニへ 7

 


一旦は退いていた倭の軍勢が 帯方界へ 入り込んだと言う。



国境警護の陣営から 早馬が報せを持ってきた。

大方予測していたとはいえ 敵の侵攻という事実に直面して
国内城には 一気に緊張が走った。



「倭の水軍は海を越えてくる。 兵站に乏しい故 深部までの侵攻は難しいだろう」

軍略会議の中心で タムドクは地図をにらんでいた。

大海を渡ってくる倭の軍勢は 軽備な陣容であるはずだ。
内陸深く入り込ませて退路を断てば 容易に壊滅できるだろう。


― だが それをすれば・・ 

倭軍の進路にある村落が 兵糧のために略奪されよう。
国や民を 守るための戦いが 
民の安寧や 日々の暮らしを奪ってゆく。



「止めるぞ」

私の民に 手出しはさせない。


王の全身から焔のように闘志が湧き立ち 居並ぶ将は 息を呑んだ。
平時には柔和とも言えるこの王は 戦いに臨めば 鬼神となる。


俺たちは この背中についてゆけばいい。

今にも剣を抜かんばかりの王の威厳に 男たちは 胸を奮わせた。

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「どうして私が 軍略会議に呼ばれなかったのですか!」

「お前は 連れて行けない」
火の出るようなスジニの怒りに タムドクは 困惑の眼をあげた。



「今や お前は王妃ではないか。 国内城に残って宮を守れ」
「冗談じゃない!!」
「・・・スジニ・・」

私は高句麗の将です。 王軍が出陣するのなら 何があろうと一緒に行きます。 

「お前には 王太子を守る役目がある」
「宮の守りには近衛隊がいます! 国内城は堅固な要塞です!」



王様と共に 戦うこと。 

スジニにとってはそれだけが 自分の 存在理由だった。
自分には 王様と睦みあって 生きてゆくことは出来ない。


― ・・だけど 王様と同じ方向を見て 一緒の目標を追う事は出来る。

王様が向かって行く先へ 先陣を切って走って行ける。
敵が 射かけて来るのならば 自分が 王様の盾になれる。

愛する人と向きあえない運命なら せめて ・・その横に添いたかった。



「妃だから戦に連れていけないと言うのなら 私は たった今王妃を辞めます」
「おい!」

口惜し涙を浮かべた瞳で スジニは タムドクをにらみつけた。

思いもよらない強い拒絶に 王は 言葉を継げなかった。
憤然と 床の石を蹴りつけて スジニは 部屋を去って行く。
「・・・・」

1人残された執務室で タムドクは 机上を見つめていた。
傍らに置かれた香水瓶を スジニの代わりに 手に包んだ。



・・・判らぬか? お前のことが気掛かりなのだ。

愛しさにゆるんだタムドクの眼が 次第に 強い憤りを見せる。
静かに小瓶を戻した手が 鉄拳のように握られた。


このことだけは何としても あれに言い聞かせねばならない。

王が席を立った時 その眼は 焔の色をたたえていた。

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宮を守れ? 冗談じゃないよ。

これでもアタシは 高句麗の朱雀美人と言われた勇将だ。
太子様だった王様と 国内城を攻めたこともある。
「スクヒョン城の時だって アタシが 切り込んだんじゃないか・・・」

スジニは怒りに溺れていた。 卓上には 酒瓶が 林の如く並んでいた。


「・・・・」

チョロは スジニの傍らへ座り
くだをまいている酔いの手から 握られた酒瓶を奪い取った。


「・・ねぇ・・そういえば  あの娘はどうした? 助かったの?」

ぐだぐだと卓に頬杖をついて スジニは トヤの容態を聞いた。
「もう・・ 心配な所は抜けたようだ」
「ふぅん。 ねぇ ちゃんと面倒を見てやってよ」

アタシの時だって  カンミ城主殿は 親身に癒してくれたじゃない。
酔いに疲れた顔をして スジニはぼんやりと酒を飲んだ。
「・・・・」


“君 だったからだ”

スジニから また酒瓶を取り上げながら チョロは目元をゆがめていた。
片恋が 辛い訳ではない。 
自分では守ってやれない愛しい人が 幸せでないことが辛かった。

「アタシはさ! もぅお妃なんか辞めたんだぁ へっ!」



「・・・・・」

銀まじりの髪がさらと流れて チョロが端正な顔を上げた。
眉に怒りをにじませて タムドクが そこに立っていた。
「スジニ」

スジニは揺らぐ視線をタムドクに向け ぷいと そのまま横を向く。
酒瓶の方へ手を伸ばして 拒もうとするチョロと 揉み合った。


2人が互いをつかみ合う様に 王は かっと怒りを見せた。


ずかずかとスジニへ歩み寄り 腕を締め上げて席を立たせる。
「話がある」
「私にはありません」
「聞け!」

ついぞ見たことがない程に 王の激した姿だった。
罪人を曳く警吏のように スジニを 半ば引きずった。

思わずチョロが椅子を立つと タムドクの視線が彼を刺した。
「下がれ」

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チョロが扉を閉めて去ると タムドクはスジニを長椅子へ投げた。

叩きつけられた座布の上から スジニは 強く王を見返す。


お前には 何も判っておらぬのだ。
「自分が! ・・自分が どんな立場に立たされたかを知らぬ」
「判っていますよ! 妃なんでしょう? 形だけの!!」
「!」


“形だけの” 

その言葉は王と王妃の間で もう一度 双方を傷つけた。


タムドクは拳を握りしめ スジニは 唇を噛んでこらえた。
「形だけのな。 だがそれを知る者は限られる。 傍からは どう見られている?」
「・・・・」

「お前は この高句麗王から 側妾も置かない程に寵愛されている妃なのだ」



スジニよ。 そして それは「真実」でもあるのだ・・。

肩の息を静めながら タムドクは スジニへ囁きたかった。
お前が去った8年間。 
私がどんな想いで過ごしたか 知っているのか?


「敵の側から見れば お前は 格好の人質だ。
 お前を捕虜にすれば あらゆる交渉を 有利に運ぶことができる」


戦場へ行かば 敵陣から お前を捕縛する小隊が差し向けられるだろう。
いかなお前でも 隊一つを相手にして 戦い切れるものではない。

口に出さない心配に 王は じっと耐えていた。

自分が そんな危うい立場へ スジニを追いこんだ事に暗澹としていた。



「・・お前は 盗られてはならないのだ」

「私なら大丈夫です。万が一にも捕虜になったら どうぞ 見捨ててください」
「!!」
どの道 そういう時の為に 妃を装うことを受けたのだ。
涼しいまでの決意を見せて スジニは高く顎を上げた。

王様の為に死ぬことを 一度でも ためらったことはない。
・・王様。  私は 貴方の危うい時を 守れないことの方が怖いのです。



怒りと 想う相手への不安が 迷路のようにすれ違った。
しかし粘り強さと知略にかけて 王は スジニの勝てる相手ではなかった。

「では正直に言おう。 今回の出陣には 宮を突かれる危険がある」
・・え・・・?
「後燕が 留守の国内城を襲い 王太子を奪う気配があるのだ」
「アジクを?!」


「お前なら 我が息子を 何としても守れるな?」

どうやら 言い勝つことが出来たらしい。 
王の 声音は穏やかだった。
コクリとうなずく可愛らしさに 思わず 笑みが忍び出た。

「決して奪われてはならぬ。 お前も 太子も」

「・・・はい」



「国内城の留守を襲うとどうなるか 敵に 目にものを見せてやれ」

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抜けるように 空が青い。 

国内城に 王軍の出陣を告げる角笛が 威風堂々と鳴り渡る。
城下の民は人垣を作って 王の出征へ歓呼を送る。
陣中 ひときわ美しい高句麗王が 手綱を引いて立ち止まった。


王は 馬首を半分返すと 後ろの城楼を振り仰いだ。

楼上には 後宮警護の近衛隊兵士が 一列横隊で礼を送る。
中央にジョルノの黒い甲冑を着けたスジニが じっとこちらを見下ろしていた。

見上げるタルグが 晴れやかに笑った。 
朱雀美人の襟元を包んだ カラスの如き革の肩衣は 
黒軍の総領だったセドゥルの形見を 作り直したものだった。

「スジニが留守居か。 こんなに堅固な守りはいねえや、ね? 王様」
「・・うむ」


お前は そこにおれ。

タムドクの瞳が明るかった。 その眼で兵たちを見回した。
スジニとアジクを置く宮へ 我らは 必ず帰って来よう。
「行くぞ!」


ハッ! と鋭い声が飛んだ。

王の気合に奮い立ち 騎馬がいっせいに飛び出した。
国内城の真ん中を 怒流の如き土煙を立てて 王の軍隊が動き出す。



スジニは まばたき一つもせずに 愛する王を見送った。


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