ボニボニ

 

スジニへ 番外編 夜話(前編)

 



後燕攻めの遠征で タムドクは 遼東地方を手中に収めた。

古代 チュシン王国であった土地は ふたたび高句麗の地となり 
今 高句麗は空前の大国だった。



国内城への帰還途中。

王軍は 卒本付近の川沿いに陣を張った。
行程は残り2日程とあって 一行はようやく緊張を解いていた。



「あ~っ やっと都に戻れるな! あの娘と酒が待っている」

勝利をおさめての帰路とあって 陣中は 誰もが陽気になっていた。

 
もう既に 凱旋の先触れが国内城へ届いている頃だろう。
歓呼の声が待つ都を目前にして 男達は 浮かれていた。

「へっ!お前の女なんてぇのは どうせ飲み屋の姉ちゃんだろ?」
「う・る・せえな。“飲み屋で働いている”彼女なんだよ!」


ごろりと横になっていたチュムチは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。 
天幕の向こうで若い兵達が 埒もない与太を飛ばしていた。

そうは言っても 自分とても 家に帰るのを心待ちにしている。
久しぶりに会うタルビや子どもの 顔を思うと頬がゆるんだ。



軽口を叩き合っていた兵達が いきなり声を低くした。

「なあ・・宮へ戻れば王様も 少しはお妃様とよろしくできるかな?」
「そりゃあそうだろ? 仲いいんだから」
「だけどよ。 だいたい 王様ってのは特別に偉いんだからよ。
 何も周りに遠慮しなくて いいのにな・・」


普通なら戦さに片がついたら 可愛いのと イイコトをしてぇだろ?

「愛しのお妃様を連れての遠征なのになあ」
「そこら辺が 並の王と違って 我らが王様のお偉い所ってわけだ」


“でも俺。 偉くなくていいから カミサンを抱ける方がいいな”


そりゃそうだ。  誰かが正直な声を出して ドッと周囲が同調する。

天幕の中では 男らの話を反芻して チュムチが顎を撫でていた。



                  *        *       *

 

今回の遠征に タムドクは スジニを将としてともなった。

高句麗王と朱雀美人の 黒光りする甲冑は 
緋色の軍旗がはためく中で 常に ひときわ鮮やかだった。


王の後ろにスジニが続き 両翼にチョロとチュムチの騎馬が並ぶ。
タムドクは 3人の勇将を戦況に応じて自在に繰った。


行けと言われた朱雀美人は 矢の如く敵陣へ斬りこんで行った。

彼女の行く手に白刃が並び 敵の矢がその肩先を掠める時も 
馬上で見つめるタムドクは 平然と戦いを凝視していた。


進軍中 王はスジニを武者として遇し 休む天幕も別に取らせた。

「女と思うな。あれは武将だ」

冷厳と言い放つタムドクだったが 兵達は皆 知っていた。


スジニの部隊が戦果を挙げて 騎馬が王の傍へ戻ると
王はわずかに視線を下げて 眼に浮かぶ安堵を隠すのだった。
 


“・・お妃を連れて遠征したら 俺なら 抱いて寝たいけどな”

雑兵の言った率直な言葉を チュムチは もう一度考えた。
「・・・そりゃ そうだろう」 

膨らました頬からぷぅと息を吹き 勇将は ニンマリ破顔した。


         
                *      *      *



カンミ城主! おい!



野太い声に呼び止められて チョロが静かに歩みを止めた。
振り向くと肩に皮袋を背負ったチュムチが 機嫌のいい笑みを浮かべていた。

「スジニ 知らねえか?」
「・・・・・」
「営舎中探したんだが いねぇんだ。
 あいつ どこかへ 使いにでも出ているのか?」


「・・・・それは?」

相手の問いには答えずに チョロは チュムチへ問い返した。
この夜更けに大きな袋を抱えた相手は 盗みでも働こうとする様で 
いささか 怪しい姿に見えた。

「これか? 雌鹿をとっつかまえて王様にやるのだ」
「鹿・・?」


すばしっこくて手ごわいから 捕まえるのは難儀だろうがなあ。
「いい弓も 持ってるいやがるし」
「!」

国内城に戻ったら 祝いだ留守中の政治だなんだって用事だらけだ。 
加減ってものを知らないあの王様は どうせまた寝ずに仕事を片付けやがるんだぜ。


「王様だって この辺で ひと息ついたっていいと思わねえか?」
「・・・・・・」

それにしても 肝心のあいつがいねえなぁ・・

むくつけき背中を少し丸めて チュムチは 周囲を窺っている。
その後ろ姿を見ていたチョロは ふ・・と小さく笑みをこぼした。

「僕が捕まえよう。 多分 あそこだ」
 
         * * *


そこは野営地から少し離れた うっそりと暗い森だった。
月光の照る木立ちの中を行くと 葉陰に密やかな水音が聞こえた。 


子どもの頃から 男の中で育ったスジニは
皆からそっと抜け出して 沐浴する術を知っている。 

野営地を移動する時に 適当な水場は目星をつけてあった。


・・・・はぁ・・・・・

数日ぶりにさっぱりとして スジニは髪を拭いていた。
明後日には おそらく都へ戻るだろう。 そうしたら・・
「!」

眼にも止まらぬ速い動きで スジニは 弓を掴み取った。 
葉陰に ピタリと照準を当て 矢をつがえて引き絞る。

「・・・・?」

殺気を感じさせない人影に ゆっくりと 矢が外された。 
小枝が ひそかな音を立てて 近寄る人の動きを伝えた。

青く 発光するような月の光が チョロの姿を浮かび上がらせた。



スジニは 黙って傍へ座った男を物珍しげに見て問いかけた。
「あなたも 沐浴?」



・・を・・に・・・んだ・・


ぽそりと 傍へ投げられた言葉を スジニは上手く聞き取れなかった。

「え? ・・・何て言ったの?」


彼の方へ肩を寄せ 耳を突き出して聞きなおした。
いきなり 身体が羽交い絞めにされ 
示し合わせた黒い影が 草むらから飛び出て襲いかかった。


「獲物」が袋に詰め込まれて ムグムグと動く塊になると 
耽美な顔に楽しげな笑みを浮かべて チョロが 先程の言葉を言った。

「・・君を 捕まえに 来たんだ・・」

 
                  *       *       *


国内城へ戻る王にとって 考えるべきことは無尽蔵にあった。

後燕は このまま退きはすまい。
領土を奪回にくる時を叩き 重ねて勝利することが必要だ。
その為には 近隣の状勢を探り 結べる講和は結んで・・


ドサッ・・

「?」

タムドクは 羊皮紙から眼を上げた。
重い荷物が置かれたような 音が 確かに傍で聞こえた。
剣を取って 立ち上がった王は 天幕の中へ視線を巡らす。

気がつけば寝台の足元あたりに 大きな包みが 置かれていた。


「・・・・」
すらりと剣の鞘をはらい 包みへ向けた王は しかし パチリと刃を収めた。
白い皮袋は ごそごそと 人型をして動いていた。袋の口を結わえた紐を解く。 

中には 女が詰められていた。
猿ぐつわを噛まされて 後ろ手に縛られた スジニだった。



小刀で切り出したように端整な タムドクの眼が二度 まばたいた。 
袋の中にいる女を 王は まじまじと見つめていた。 

「・・珍しいことに なっておるな」


朱雀を捕縛できる者など めったにいまいと思っていたが。
「誰が お前をとらまえた?」

・・・・むぐ・・・・


「ああ そうか」

口の端で小さく笑うと 王は 妃の猿ぐつわを解いた。
これで口が聞けよう? 一体誰に捕まった?

「・・・青将軍です」
「カンミ城主?」

まったく酷いったら。油断していたら いきなり縄を回されて・・。
塞がれていた口が自由になって まくしたてるスジニがふいに黙った。
タムドクが 無言で手を伸べて 女の頬をそっと撫でた。

王の指が 頬をさする。 その瞳に心配の色が浮かんでいるのを見て 
スジニの心臓が とくり‥と揺らいだ。




敵陣へ「行け」と 臣下に命ずる時、 
王の瞳は炯炯と燃えて 一片の惑いも浮かべない。

不安と心配を眼に浮かべた今 目の前にいるのは 高句麗の太王ではなかった。 


「・・・お・・うさ・・ま・・」
「頬に跡がついておる。カンミ城主の仕業にしては 随分と手荒いな」
「猿ぐつわを噛ませたのはチュムチです。・・馬鹿力なんだから もぅ」


「チュムチ?」


あははは・・・

愉快そうに王が笑った。
それでは お前が捕縛されるのも無理はない。

「竜虎が 組んでかかって来たか」



スジニを皮袋から取り出して タムドクは 眼を丸くした。
「足も縛り上げられたのか。これはまた 災難だったな」


笑っていないで 助けてください。

不満げに口をとがらせる妃に 王は 悪戯な表情になった。



「だがどうやらお前は 二人の将軍から私への貢ぎ物らしいぞ」
「な・・・」
足首を縛った縄を解きながら 王の口調は笑み交じりだった。


「煮てか 焼いてか。 食べろと言う訳だ」

タムドクの言葉が意味するところを悟って スジニの頬が赤くなる。
うぶな反応を面白がりながら 王は 手首の縄を解きにかかった。

「随分と 固く縛ってある」 

後ろ手に縛られて 火照る頬を隠せずに スジニは眼を伏せていた。
陣中にいる時には忘れようとしていた 女の気持ちに戸惑った。   
「これは・・解けぬな。縛ったのは カンミ城主だろう?」


縄を切るか。刃を当てるゆえ少し動かずにおれ。
「よいな?」

静かに言い聞かせる 王の深い声音が艶やかだった。 
スジニはぞくりと身を震わせた。
今 いましめを解かれたら 抱きついてしまいそうだった。


ブツリ・・

刃が麻を切る鈍い音がして やっと 手首が自由になる。
「!」
縄を外したタムドクの手が そのままスジニを抱きしめた。

「・・・王・・・様・・」


「どうして こんな薄物を着ておる?」
背なの王に詰問されて スジニの鼓動は跳ねていた。
チョロに油断したと申したな。この夜半に お前は何をしていた?

「何って・・。 私はただ・・その・沐浴を・・・」


言いつくろう声が小さくなった。 
後ろから スジニの肩へ顎を乗せて タムドクが頬を並べていた。

「・・・・王様」
「困った妃よ。少し 私がかまってやらぬと 他の男を誘いおる」
「そ、そんなことしません!」


頬を 真紅に染めたスジニは 必死で狼狽を取り繕った。 
タムドクに抱かれた腕の中は 気が遠くなるほど心地よかった。
 

「・・・・誘うなんて・・しません・・」
「当たり前だ、馬鹿者」

お前は 私の妃ではないか。 呆れたように王が言う。


よそ見などすれば首を刎ねてやらねばならぬ。

王は機嫌よく妃を脅すと 髭で 女の頬を撫で上げる。
ちくちくとした頬ずりは スジニが夢にまでみた痛みだった。


長く続いた遠征の間に 王の髭は伸びていた。
スジニは 雄々しい横顔に見とれて あの髭に擦られたら痛いかと 
時折 そんな夢想をしては 慌てて自分を諌めた。

湯気の出そうな女の顔に タムドクの眼が優しくなった。
淋しかったか?  からかうような王の声が 耳元で甘く囁いた。


「・・・」
「言わぬか」

「・・・・・少し」

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