Lusieta

 

ジムノペディーⅠ 第1章

 

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補講を終えて、ノッコと学食で遅い昼食を食べていた。

彼女のおごりだったはずのささみフライランチ、

自腹で食べてる。



なぜって・・・

昨日あのあとに起こったいろいろで、

最終的にはノッコに

「これでおごりはなしだからね!チャラだよ、チャラ!」


と言わせる事態になってしまったから。



食べてる間もなんとなく話がとぎれとぎれ。

こんなこと、今日まで二人の間に一度もなかった。

私が核心の話を避けようとしてるのはバレバレだ。



カルボナーラの小さなベーコンをつっつきながら、

彼女が焦れてるのがわかる。



だって、しょうがないんだ。

私の頭の中も混沌としたままなんだから。

この混沌をまるごと説明しようとしたら、私が生まれてから今日までの

けっこう特殊な人生をくわしく話さなきゃいけない。

でも、今の状況ではちょっときついと思う。





「だからぁ~、あれからどこに行ったのよ。」

「ごはん食べた。」

「どこで?」

「うちの近くの洋食屋さん。」

「ふーん。そこって、前から行ってたところ?」

「うん。」

「あの人もそこを知ってたの?」

「うん。」

「それから?」

「・・・・・」

「どっか行ったの?」

「うーん・・・・」



ノッコ、焦れてる。



「もう、いいよ。

無理に訊かない。きっと複雑なことなんだよね。

アズミと付き合ってもう1年たつけどさ、

よく考えたらあんたのことあんまり知らないんだなって昨日思ったよ。

家にも行ったことないし、家族のことも知らない。

一人で暮らしてることくらいしか。

なんかさあ、“訊かないで”ってオーラ出してるもんね。」


「え? 私・・・そう?」


「うん。」


「そっか。ごめんね。」


「いいよ、別にそんなの聞かなくても。

あ・・・でも、どうしても話したくなったら、

聞いてやってもいいからぁ~。」


「あ・・・ありがと。」



ノッコのこういうところが、

ほんと、ありがたい。

    



「だけどさ。」


「ん?」


「かっこいいよね、あの人。」


「え?あぁ・・・そうだね。

私も・・・・きれいだなって思った。」


「なんか、ひとごとみたいだね。」


「そうだよ。私のことじゃないもん。」


「あんなに長く抱き合ってても?」


「なっ!!・・・・」





いま思い出しても胸が苦しい。

あの出来事・・・・

どのくらいその人の胸に埋まって泣いてたんだろう。

今となっては、霞の向こうの出来事のようだけど、

思い出すと苦しくて、少し悲しくて、

そして、そこから続いた現実のいろいろが

ささみフライのノド通過を拒んでいる。








  ーーーーーーー








「アズ、友だちと一緒だったんだよな。」


涙が本降りから小雨に変わる頃に、その人が言った。


「わっ!・・・」


一瞬にして小雨はあがった。



広い胸を押し返すようにして離れると、

私を抱きしめていた両手が、所在なく宙に浮いて、

その人は、両腕を広げたまま困ったように微笑んだ。

そして、ちょっと顎を上げ「アソコ」と口のかたちだけで、ドアのガラス窓を示した。



慌てて練習室のドアを開けると、

5メートルほど先にノッコが立っていた。

私のバッグとジャケットを抱えて。



「別に・・・そんなに・・・見てないから・・・」

「え?・・・あ・・・うん・・・」

「んじゃあね。あした・・・」

「うん・・・ごめんね・・・」



二人とも、顔を上げられずにうつむいたまま荷物を受け取った。




「このあと用がなければ、一緒に夕食を食べませんか?」



その人のやわらかな声が、私の頭の上を通り越してノッコに届く。



「あ・・いえ・・・いいです。

あ・・・じゃあね、アズミ」



後ずさりしながらようやくそれだけ言って、

慌ててバタバタ走っていった。



彼女をポカンと見送る後ろから、



「悪かったな。彼女。

後で説明がむずかしいよな。」


「はい。」


「でも、とにかく、お祝いしよう。

研究室寄ってすぐ着替えてくるから、

西門で待っててくれるか。

『ポトフ』予約したんだ。」


そう言って走っていった。




「・・・あ・・・」




洋食屋『ポトフ』は、私が物心ついた時から存在していた。

その名の通り、ポトフが自慢の小さな店。

以前は超常連だったけど、

まどかさんが行ってしまってから、一度も訪れていなかった。



なのに、半年以上ぶりにいきなりよくわかんない男の人と一緒に行くのか。

しかも、あそこへ行こうと言ったのは彼だ。



あぁ~なにがなんだか・・・・

気が重かった。

とにかく、私の今日までの人生を知っていて

しかも、生活圏を把握してる。



     この人は誰? 


        この人は誰? 


            この人は誰?



必死で思い出そうとしても何もでてこない。

ただ、怖いくらいに懐かしい感じがするだけだ。

“ちゅうにいちゃん”という響きに。


この響きを思うだけで、

ふにゃふにゃと体の力が抜けていきそうだ。



でも、もし“ちゅうにいちゃん”が、そんなに親しい間柄の人なら、

今日まで会わなかったとしても、

まどかさんの口から話題になったはずなのに・・・・

どうしてまったくその名前が出てこなかったんだろう。



そんな謎だらけの人の車が西門に到着し、

ためらいながら助手席に乗り込んだ。



彼は、私の家近くまでの地理に、なんの迷いもなかった。

助手席でかたまりながら、

逃げ出したいような不安と、もっと一緒にいたい気持ちでは、

圧倒的に後者が勝っていた。



     



    ・・・・・・・







「おぉ~~、ジュオン! 待ってたぞ。

席は一番奥にとってある。座って。

ポトフ、すぐ出せるぞ。」




     ジュオン?




「お・・・アズミちゃんもいっしょなのかぁ。

こりゃスゴイなぁ~!

久しぶりだな。元気だったか?

一人でも食べに来てくれよ。

カウンターでゆっくりと、な。

話がしたいよ。

まどかさんも元気そうだな。

こないだ20周年のお祝い送ってくれてな。

そしたらすぐにアズミちゃんが来てくれたよ。

うれしいビックリ二連発だ。」





なんなんだ。

ジュオン?

“ちゅうちゃん”は“ジュオン”で、

私がその人とこの店に来るのはフツウなことなの?

これは・・・・

これはナニ?

このドッキリカメラみたいな展開は、いつまで続く?

 

   
 
みんなが知っていて私だけが知らないってことなのか。

今私の頭の上には「?」のマークが100個ぐらい漂ってるはずだ。

やっぱりちょっと気味が悪い。

食欲がなくなってくる。



「アズはポトフよりビーフシチューが好きだったと思うけど、

合ってるか?」


「あ・・・はい。」


「そうか。」



その人は、私の好みまで知っていた。



指を組んだ手をテーブルの上に置いて、

やっぱり嬉しいのか悲しいのかわからない、

ややこしい笑顔のその人。

メガネの奥で三日月みたいな目が揺れてる。

まぶしそうなまなざしを、正視できない。




「僕のこと、思い出せないんだよな。」


「・・・はい・・・」


「そりゃそうだよな。」


「すみません。」


「謝ることじゃない。」


「・・・・」


「君がハタチになったら、ちゃんと君と向き合おうって決めていたんだ。」


「・・・それが、ママのジムノペディー?」


「ああ、そうだ。アズがこれに気づいてくれることから始めたかった。

これから少しずつ、ちゃんと話していきたいんだ。

いいかな。」


「・・・・はい。私も知りたいです。

あなたが誰で、私がこんなふうにもやもやして苦しくなって

思い出したくて思い出せないことが何なのか。」


「苦しくなったか。」


「・・・・はい。」


「そうか。」


「・・・・・・」


「アズ。」


「はい。」


「これからもっと苦しくなるかもしれない。」


「はい。わかっています。」


「・・・・・」


「・・・・・」


「誕生日おめでとう。」


「・・・・ありがとう・・・」




シャンパンのグラスをカチンと合わせて、

その音を合図に、私の旅が始まった。



私の旅。

忘れてしまった、私とママとその人のこと


パズルのピースのように、

あちこちに散らばったまま置いてきぼりの記憶の断片


それをひとつひとつ拾っては填め込んでいく旅を、

その人と一緒に始めてしまった。

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