Lusieta

 

ジムノペディーⅠ 第3章

 

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玄関のドアを閉めて鍵をかけると、

家じゅうの照明をつけて歩く。

暗いところがどこにもないように。

こうして一晩じゅう明るくしておくのが、

まどかさんが行っちゃってからの習慣。




パチパチとスイッチを押しながら、

ふと、思った。

もしかして彼がまだ門の外に立っているかもしれないと。




こんなふうに家じゅうの灯りが、

一度に灯されていくのを見たらどう思うだろう。

暗闇が恐いことがバレバレかもしれない。



シャンパンの酔いもとっくに醒めたはずなのに。

ぐるぐる・・・ぐるぐる・・・

今日という日のドラマが、

何度も何度もリピートされる。

また眠れそうにない。









   ーーーーーーーーーーーー








正体がわからないまま、

いきなり自分のおむつを替えていたと告白するその人を

シャンパンと恥ずかしさで熱くほてった顔を上げてにらみつけた。。



その人がまたふっと笑って、

口もとに白い歯がこぼれた。

さらにうらめしくなる。



「あなたは、私の、なんですか?」



     質問を替えよう。



「あなたと私は、血が繋がっていますか?」


「いや。」


「あなたは、遠い親戚?」


「いや、違う。」


「じゃあ何?! 

少しずつ小出しに話して、私の反応を見て楽しんでるの?!」


「そんなんじゃないさ。」


「じゃあ、何なんですか?!」



さっきよりさらに大きな声が出てしまい、

周りの客が驚いて見ている。



「順番に話すよ。

だから落ち着いて。」


「・・・・・・」


「僕は、君が今住んでいる家の大家だ。」


「は?・・・・・」


「もともとは父の名義だったけど、

父が何を思ったか、おととし僕の名義にした。」


「??・・・・」


「君のおじいさんと僕の父は、高校のころからの友人だった。

まどかさんもだ。

君のおじいさんが亡くなった時、

社宅住まいだったまどかさんと君の母さんは、

すぐに住む場所に困った。

ちょうど韓国で始めた事業が軌道にのって忙しくなった父は

一家でしばらく韓国に移るから、そのあいだここに住めばいいと

まどかさん親子に家を貸した。

そのままあっちに居ついてしまったが。」


「だからあの・・・

鍵のかかった部屋・・・」


「二階の奥の?」


「はい。」


「まどかさんはなんて?」


「大家さんちの荷物が置いてあるって。」


「そうか。まあそのとおりだ。

あの家が建った時から僕はあの部屋で寝起きしていた。」


「え?・・・・」


「そのときのままなんだ。あの部屋。」


「一度も開けずに?」


「いや・・・・

君が外出してまどかさん一人の時に、

何度も来て開けてるよ。」




まどかさんは、ずっと私に秘密にしてたんだ。

なんで秘密にする必要があるのだろう。


これからいったいどれだけ、

私の知らない事実が出てくるのだろう。


急にゾワゾワと鳥肌が立って、軽い吐き気を感じた。





「今日はもう帰っていいですか。

さっき言ったこと、撤回します。

やっぱりいっぺんには無理みたい。」



「あぁ、そうしよう。

いきなりいろいろな話を聞いて、

混乱するよな。

帰ろう。送って行く。」



「いいです。すぐそこですから。」


「いや、送って行くよ。」


「一人で帰れますから。」


「勝手に帰っても後ろからついて行くよ。

道はわかってるんだから。」


「・・・・・」








いつもより早く来た春が、桜をすでに七分咲きにしていた。

それでも夜になるとやっぱり冷え込む。

花びらの淡いピンクも寒そうだ。



「寒くないか。」



上の方から静かな声が降りてくる。



「はい。」



並んで歩くと、その人の背の高さを実感する。

男性の家族もいないし、

以前ちょっと付き合った男の子は私と同じくらいだった。

男の人って、こんなに大きかったりするんだな。


顔のすぐ横に肩がある。

その肩から二の腕のあたりが、

ジャケットの上からも盛り上がってる感じがわかる。



ドキドキするけど・・・・

でもムカムカもしてるし、フラフラだし・・・



こういう時に自分を保つ方法がわからない。

さっきから自分の態度が

どんどんよそよそしくなっていることを感じている。



今となっては、

昼間出会って、すぐにその胸にしがみついて

あんなにわんわん泣いたなんて

現実におこったこととは思えない。



できれば消してしまいたい。

その人とノッコと私の、頭の中から。



「寂しいか」と訊かれて、

こくこく頷いて

「うん」と何度も言ったことも。






「アズ・・・」


「はい。」


「一人で暮らして、平気か。」


「はい、平気です。」


「そうか。」




     平気じゃないって知ってて、なんで訊くんだ。





「アズ・・・」


「はい。」


「びっくりすると思うが・・・・

あの家で、君と一緒に暮らすことになった。」




「・・・・!!!???・・・・」




     これが今日最後のビックリなのか・・・・




「まどかさんと相談した。

それが一番いいと思うんだ。

まどかさんは、実は君の一人暮らしをとても心配している。

あんな大きな家に若い女の子が一人なのはよくないと。

僕もそう思う。

それに・・・・

僕も自分のうちに帰りたい。」



「・・・自分のうち・・・」




     あの家は、私とまどかさんの家じゃなくて、

     この人の家・・・・




「いや、アズの家でもあるよ。」



「・・・・・・」



「あそこは、僕らの家だ。」



     僕らって・・・

     誰と誰?




「君が生まれる前から、

僕はまどかさんと、君の母さんといっしょに3人で暮らしていた。」



「え?・・・・・・」




     もう、クラクラだ・・・





「韓国に移住することになったとき、

僕は絶対に行かないって抵抗したんだ。

サッカーを始めたばかりで、楽しくてしょうがなくて、

いちばん年少のクラスだったが、

レギュラーがとれそうだったんだ。

どうしても行きたくなかった。

祖父母や両親にとって身近な国でも、

ぼくにとっては外国だ。

言葉もよくできなかったしな。

ハンガーストライキをしたりしたよ。

父も母も根負けして、今度はまどかさんに頼んだんだ。

僕の面倒を見てやってくれないかって。」



「まどかさんは・・・・

なんて?」



「“いいわよ”のひとことだったって。

彼女らしいだろ。」



「はい。」



「僕はそのとき4人兄弟の3番目だった。

全員男で、韓国に渡ってから生まれた5人目も男だ。

今思い出すと、そんな賑やかな中でくらしていたのに

いきなり9才で家族から離れたなんて驚きだ。

でもまどかさんがいてくれたから、ほんとに寂しくなかったんだ。

僕の母は静かな人だったけど、

まどかさんはその正反対だった。

いつも元気で、明るくて、声が大きくて、

おまけにイベントごとが好きで、いたずらが大好きで、

寂しく思うヒマがなかった。

ほんとにかわいがってくれた。
 
きっとすごく気を遣ってくれていたんだ。

今になって、あらためて感謝してる。」



「何年間?」


「ちょうど10年。」



「10年・・・・私とは・・・」



「9年。」



「9年も・・・・

私は・・・・

あなたと毎日一緒に暮らした・・・」



「そうだ。」



「生まれてから、9才になるまで?」



「そうだ。」


「毎日・・・・」


「あぁ。」


「ほんとに?」


「ほんとに。」



なんども確かめずにはいられなかった。

まったく記憶がないことだ。

立ち止まってその人の前に回り込み、

その人の目を探りながら確かめる。



ウソじゃない?



きっぱりとウソじゃないと、その目が言う。





私は、ママの死の周辺のことだけではなく、

ホ・ジュオンという、とても身近だった一人の人間の存在を

まったく記憶から失っているんだ。




こんなことって、あるのか。

なんで彼だけ?



記憶を失うほどの・・・

いったい何があったのだろう





だけど・・・





ひとつだけ、感じることがある。

わかっていることが。



小さな私は、その人のことをとても好きだった。

好きで好きで・・・

そして、いつもその人にくっついて眠った。

たぶん・・・

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