Lusieta

 

ジムノペディーⅠ 第4章

 

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ノッコとは学食で別れてそのまま家に帰った。

大急ぎで帰った。

うまく言えないけど、

心がはやる。


今日大学で見かけなかったその人が、

家に来ていたらどうしよう。



今朝起きて見回すと、

一人暮らしの、なんとなくゆるんだ空気が

家のあちこちに漂っているような気がした。


まどかさんがいるときには、

整っていてこぎれいで暖かかった場所。

今その人の目に、どんなふうに映るだろうか。



「僕の家に帰りたい」

そう言った。

鍵を開けて、勝手に入っているかもしれない。



今朝もっと早起きして掃除すればよかったな。





急いで帰ってみたけど、その人はいなくて、

当然のように、いつものしんと静かで大きな家に、

私ひとりぼっちだった。



そりゃそうだよね。

留守のあいだに黙って入ったりしないか。



会えることを期待してた?

違うよ・・・・



勝手に不機嫌になっていく。



束ねていた髪を乱暴に解いて熱いシャワーを浴びる。



シャワーから上がっても、

リンゴをむいても、

いつもといっしょだった。



もしかして、昨日の出来事が

ぜんぶ夢だったのではないかと思うほど、

なにもかも、いつもといっしょだった。




ゆうべ遅くにかかったまどかさんからの電話は

脳天気な「アズミちゃ~ん、お誕生日おめでと~~!」

から始まった。


「うれしかったり悲しかったり腹が立ったり・・・・

そうね、なにか思い出したり・・・・

そんな時はね、、

そのつど全部ジュオンに言えばいいのよ。

胸に閉じこめないで、バンバンぶつければいいのよ。

泣きたかったら思い切りわんわん泣きなさい。

あなたはずっとそうしてきたんだから。

あの子は全部受け止めてくれるわ、

だからなにも心配しないで。

大丈夫よ。取り戻せる。」




     何が大丈夫で、何を取りもどすんだ。

     思い出すに決まってるってふうな言い方はやめて!




「ふ~ん、そうなんだ。

初めから、まどかさんとその人だけが知ってる、

いろんなことがあるんだね。」



「え?・・・・」



「まどかさんの頭の中にはもう脚本でもできてるの?

私が、あぁなってこうなってそうなって・・・・・

うれしくなって悲しくなって怒って思い出してわんわん泣いて

んで、その人がぜ~~んぶ受け止めてくれて。

大丈夫で取り戻して、めでたしめでたし・・・・・・

そうなの?

へぇ~~~、よかったね!!

もしかして、私はあなたのほんとの孫じゃないのかもね。

こんなに他人事みたいに言われちゃって。

私はもうこの世に血の繋がった人はいないとか・・・・

そういう結末だったりする?

今すぐ全部教えてよ!!」



「アズミちゃん・・・・・」



「あ・・・・やっぱりいいわ。

気持ち悪くなって吐いちゃうかもしれないから。


それに、電話なんかで簡単に言ってほしくないしね。

私のこんなに大事なこと。

私の人生の空白。

勝手に黙ってて

こんなに長い間秘密にして、

それで今度は勝手にバラすんだね。

ぜんぶあなた達の決めたペースで。


ねぇ、まどかさん、おもしろい?

著名なエッセイストさんとしては、

こういう展開、めちゃめちゃおもしろいですか?!

ねえ、どうなの?!!!」





“どうなの?”と訊いておきながら

まどかさんの答えを聞かずに一方的に電話を切った。

このまま行くと、止めどなく酷いことを言いそうで怖かった。

言い出したら止まらないってこういう感じなんだって初めて知った。

自分でもびっくりするような言葉が次から次に飛び出して・・・・


まどかさんにものすごく酷い言葉を言ったんだな、私。




でも、反省なんかしたくない。



でも・・・・

勝手に自己嫌悪に陥るのは、

避けられないわけで・・・





これまでいろいろ反抗していたけど、

ここまで激しく感情をぶつけたのは初めてだった。

まどかさん、こういうときに絶対に怒らない。

それがまた歯がゆかった。



ちょっと悲しそうに、寂しそうに私を見て、

ぼ~~っとして、

「ココア飲む?」って聞く。


それから

「ごめんね、アズミちゃん。私って脳天気だから、

ちゃんとわかってあげられなかったかな。」

って言うんだ。


まどかさん・・・・




携帯がぶるぶる震えた。

彼女からだ。

「PCメールを見て下さい。」





     アズミちゃん、

     電話はやめてメールにするね。

     電話だと、お互いに感情的になってしまうかもしれないから。

     

     ごめんね、アズミちゃん。


     そりゃそうよね。

     ひどいよね、こんな話。

     ほんとにひどいよね。

     あなたの気持ちが今どんなかと思うと、

     申し訳ない気持ちでいっぱいです。

     
     私がいつも脳天気ばあちゃんだから

     繊細なあなたの心への気遣いが、

     肝心なところで欠けているのよね。

     
     アズミちゃん、

     あなたが忘れていて私とジュオンが知っていること、

     今日まで隠していてごめんなさい。

     
     絶対黙っていてってジュオンに頼んだのは私です。

     ジュオンはその時、

     ちゃんとほんとのことを言わせてくれと言いました。

     あなたはジュオンのことが大好きで、

     ジュオンはあなたのことをとてもとても大事にしていたの。

     「僕がちゃんと話すから」と言いました。

     絶対にやめてと言ったのは私です。


     その時、記憶を失ったあなたにとって

     ジュオンは“知らない男の人”でしかなかったの。

     そんな人から何を言われても怯えるばかりで、

     なんの意味もないと思ったの。

     しかもその内容は、9才のあなたには

     重すぎて耐えられないと思ったの。

     隠していたこと、後悔していません。

     間違っていなかったと思っています。



     でも、ジュオンはとても苦しみました。

     母と同時にジュオンを失うことが、
  
     あなたにとってどんなに大きな喪失なのか、

     わかっていたから。

     そしてそれは、ジュオン自身にとっても

     慕っていた姉と、かわいい妹を

     一度に失うことでもあったのだから。、

     

     だから日本にいるのが辛くて、韓国へ渡ったの。



     アズミちゃん。

     ジュオンがあなたをどんなに大事にしていたか。

     私がどれだけ言葉を並べても足りないくらいよ。

     彼はあなたの兄で父で、母だったわ。

     ママも私もかなわないくらい。

     あなたはいつも、ママより私より

     ジュオンを選んでいたの。

     
     そしてジュオンは今も変わらず

     あなたをとても大事に思っているの。

     だから今、ハタチになったあなたは、

     私ではなくジュオンの口からほんとの事を聞いてください。

   
     そして、ジュオンと二人で過去をたどる旅を始めてください。

     彼といっしょならきっと大丈夫。


     彼を信じてください。

     私は安心して彼に任せたいと思います。


     でもね、私に聞きたいと思ったことは、

     何でも聞いてちょうだい。

     ジュオンに聞きにくいことも。

     そのために私は待機しているわ。

     どんな質問にも精一杯答える準備をしているわ。



     
     アズミちゃん、

     ダメな祖母でごめんね。

     あなたのしあわせをいつもいつも祈っています。

     いつもいつも愛しています。
           
               
  

               南の島の脳天気ばあさんより






その場にしゃがみ込んで泣いた。



胸の奥ではわかってた。

まどかさんがいつもいつも私を気にかけ、

愛情を注ぎ、大事に大事に育ててきてくれたこと。


『こどもはね、“楽しぃ~~!”とか“うれしぃ~!”とか

“ドキドキするぅ~!”とか、“おもそしろそぉ~~!”とかね、

そんなことをいっぱいいっぱい経験することが大事なの。

机の上で勉強するのと同じくらい・・・う~ん、もしかしたらそれよりもっと

大事なの。』



遊園地、博物館、美術館、映画、コンサート、お芝居・・・

いろんな所へ連れて行ってくれた。

アウトドアは、ちょっと苦手だったな。


絵本も、ちょこっと難しい本も、たくさん読んでくれた。

まどかさんの朗読の声がすきだった。

私のためだけに本を読んでくれる時間。


私が笑ってるのを見ると、とても幸せそうな顔をした。




だから・・・

まどかさんに言えなかった。



いつもなんとなく気になってること。

薄もやの向こうに見える風景のような、心もとない記憶。

じっと目をこらして見つめてはいけないような、

その正体がなになのか、

突き詰めてはいけないなにか。



時々、急にわぁ~~っと目の前に

わけのわからない情景が浮かぶことがあった。

よく知らない風景が浮かんだと思うと、

誰かの顔がアップで迫ってきたり。



どこかに出かけた時、

“ここ、前に来たことがある。すごく楽しかった。”

って思ったり、


“このバスに乗って、ずっと泣いてた。”

って思ったり・・・・



怖かった。

すごく怖くて・・・

私はどこかおかしいんじゃないかと思った。



でも、まどかさんに言えなかった。


なんであんなに隠してたんだろう。



困らせたくなかったから?

いつも楽しそうにしてるアズミでいたかったら?

まどかさんが私の笑顔を見るとシアワセだって知ってたから?


たぶんその全部。




正直に言えばよかったんだろうか。

そしたら一緒にカウンセリングに行ったりしたんだろうか。

催眠術とかかけられて、いろんなことしゃべったりして、

案外早く解決したのかもしれない。


でも、そんなことは今言ってもしかたがない。






まどかさんも、ほんとは山ほどの辛いことに耐えて生きてきた。

いくら脳天気で“20年ごとのステキな出会い”とか言っても


実は若くして夫を亡くし、その10年後に娘を亡くして、

孫娘がそのあたりのショックで記憶を失った。

その娘を一人で育てなければならない。



ひとことで言えばそんなふうになってしまう。

ドラマティックな人生だ。

なのに、こんなにも楽しく楽しく私を育ててくれた。




     わかったよ、まどかさん。

     「彼を信じて」と言う

     まどかさん、あなたを信じるよ。

     






でもね・・・・

それは昨日の夜の話






     その人からは、なにも連絡ないんだけど。

     私は1日中そのことで頭がいっぱいだったっていうのに。

     どうすればいい?


     ねぇ、まどかさん。








今日という一日が終わった。

日付が変わる。

4月2日。

  


家じゅうの照明をつけたまま、

煌々と明るいリビングで、私は眠る準備をする。



まどかさんには内緒だけど、

一人になってから、一度も自分の部屋で眠っていない。

2階のあの部屋で眠るのが怖い。

二人の時はなんともなかったのに。

一人になってから、どうしても夜2階に上がれなくなってしまった。

まどかさんと過ごした生活の気配を残すリビングから

遠ざかるのが怖かった。




照明のまぶしさを避けて

グランドピアノの下に布団を敷く。

なんとなく、そこが落ち着くんだ。



テレビも朝までつけっぱなしだ。

眠りに落ちるその瞬間まで、

誰かの話し声を聞いていられるように。




おバカなバラエティーをハシゴしても、なかなか寝付けなかった。

そして結局その夜も、

薬の力を借りてしまった。







      ーーーーーーー







その夢は、玄関のチャイムによく似たBGMで始まった。




“アズ・・・・

    アズ・・・・

       もう起きよう。”


“まだ・・・もうちょっと。”


“もう10時だぞ。”


“うん。春休みだから。”




“なんでこんなところに寝てるんだ。”


“うん、まぶしいから。”


“そうじゃなくて・・・”




“テレビ、いつもつけたまま寝るのか?”


“うん”


“なんで”


“だって怖いもん”


“何が怖い?”


“・・・わかんない・・・”






“アズ、これはなに?”


“ん・・・・”


“目を開けて、これを見て。”


“・・ん?・・お薬だよ・・”


“なんで飲むんだ?”


“眠れないから”


“・・・・・・”




“アズ、もう起きよう。”


“だめだよ”


“なんで?”


“夢が終わっちゃうもん・・・・”


“どんな夢?”


“こんな夢・・・”




     ・・・・こんな・・・・夢・・・・

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