Lusieta

 

ジムノペディーⅠ 第5章

 

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ピアノが聞こえる。


これは夢?




 ~~♪♪~~♪




     なに?

     これは・・・


メヌエット・・・


     右手だけ?


     右手は私だもん。

     私がいつも弾くんだよ。


     だから、左手弾いてよ。


     交代・・・こ・う・た・い・・・





      ~~♪~~♪♪








目を開けた。

いきなりピアノのイスに、

大きな足を見つけた。



???・・・・・



「わぁぁぁ~~~!」


   ゴンッ!・・・・



メヌエットが止まった。



ピアノの下に寝てるってことがあり得ないんだから、

頭を打ったこと自体は、自業自得だ。




「イテテテテ・・・テテテ・・・・」


「やっぱりやったか。」


「・・・・・・」


「しかし絵に描いたようだな。

派手にぶつけるもんだな。」




「なんでいるんですか?!

人が寝てるところに勝手に入ってくるなんて。

大家さんなら何してもいいの?」


「アズはいつも僕に怒ってる。」


「なっ!・・・・」


「だよな。」


「怒りたくなるようなことばかりだからです!」



その人がイスから立ち上がり、

こっちへ回り込んで床にあぐらで座り直す。



私は90度横を向いた体育座り。

憮然としている。




「朝から電話しても出ないし、メールの返事もない。

チャイムを押してもなんの応答もない。

ほんとになにかあったんじゃないかと心配になったんだ。」


「・・・・・・」


「すまん。

黙って入るつもりなんか、最初は全然なかったんだ。」


「・・・全然・・・・気づかなかったです。

今、何時ですか?」


「12時ちょっと過ぎ。」


「えぇ~12時?!」


「アズ。」


「・・・はい。」


「いつからあの薬、飲んでる。」



ぎょっとして振り返った。



「・・・・・なんで知ってるの?」


「自分で言った。眠れないからって。」


「私が?」


「あぁ。」


「いつ?」


「2時間前。」


「・・・・・」


「いつからだ。」


「睡眠薬じゃないの。

導入剤なの。効力は2時間くらいで・・・」


「そんなことわかってる。」


「いつもじゃないの。

たまに、どうしても眠れない時に・・・」


「アズ。」



そんな優しい声で、私を呼ばないでほしい。

そんな優しい声で、一番の弱点を弄らないでほしい。



「アズ・・・」


「秋・・・くらい。」


「まどかさんが行ってからか。」


「お願い。まどかさんには言わないで!」


「あぁ。言わない。」


「絶対です。」


「あぁ。」



あぐらを解いたその人が、ズルッとスライドして

体育座りのままの私を抱きしめた。




     ほら、また勝手に涙は溢れて、

     この胸にもたれるしかなくなるんだ。




「アズ、

ひとりで、よくがんばったな。」


    

     なんでそんなにやさしく言うの?

     あのときといっしょ。

     包み込む手から、もたれる胸から

     ぬくもりが流れ込んでくるようだ。

     
     
「あなたに誉めてもらうことなんか何もないです。」


「そんなことないさ。」


「ほんとです。

私は恥ずかしい。ひとりになってからたった半年なのに。

こんなにへこんでるし。

眠れないし。

一人暮らししてる友だちなんか山ほどいるのに。

私みたいにヤワな人、ひとりもいない。」




その人の胸の温かさに、

     つい甘えて、本音がスラスラ出てしまう。

     このままずっと包まれていたら、

     私はどうなってしまうのだろう。





「今日から、越してきていいか。」


「え?・・・」


「今日から僕はこの家で寝る。」


「!!・・・・」


「午後荷物を持ってくる。大した物はないから。

車で1回運べば済む程度だ。」


「・・・・・・」


「いいか。」


     
     大きな腕に包まれたまま

     やっとのことで言う。



「・・・は・・い・・」


「よかった。

じゃあメシにしよう。

アズ、着替えて来いよ。

パンケーキ焼いてやる。」


「・・・は?・・・・」






ーーーーーー






びっくりした。

これは・・・・

お休みの日の、まどかさんのパンケーキモーニングだ。



バターとメイプルシロップたっぷりのパンケーキ

新鮮フルーツ&ヨーグルト

大きなマグカップでカフェオレ



使い込まれた古いランチョンマットも、

このメニューの時はいつもこれって決まってた。



最後にまどかさんがアイロンをあて、

ていねいに引き出しにしまわれていたもの。





促されるまま食卓に付くと、


「さあ、食べよう。いただきます!」


その人が胸の前で両手を合わせ、力強く言った。


「いただきます。」



まどかさんの味がした。


「どう?」


「とてもおいしいです。」


「そうか、よかった。」



三日月形の目がもっと細いアーチになって、

その人が笑った。



その笑顔に覚えがあった。


引き込まれて見入ってしまうと

その人が眉を上げて、

「ん?」という顔をした。



急に苦しくなった。



ナイフとフォークを取り落とすように置いて

両腕を抱えた。



苦しい。




  なんだろう・・・

      なんだろう・・・

          息が苦しくて・・・



  知らないけど、知ってる笑顔

      知らないけど、知ってる声

          知らないけど、知ってる空気


  

    知ってるけど・・・・・


          知らない・・・・・







「アズ、どうした?

大丈夫か!」


その人が立ち上がった拍子にイスが音を立てて倒れた。




「ダイジョブ・・・です。

おいしすぎてびっくりして。」



わけのわからない説明だ。




「そうか。

不思議なリアクションだな。」




そう言いながら、その人がイスを元にもどした。




そのしぐさも、知ってると思った。




「あんまりびっくりさせないでくれよ。

ノドにつまるよ。

あ・・・そうだ、オレンジジュースもあるぞ。

飲むか?」



その優雅な身のこなしと、かいがいしい世話焼きのセリフが、

とてもミスマッチだった。


そして急に可笑しくなった。




パンケーキを頬ばったまま笑うと

「ぐひゅ・・・」っと声が出てしまい、

その声に自分で吹き出した。



「なんだ、アズ!

ほら・・・

飛ばすなよ。」


私の口からテーブルに飛び散ったパンケーキを

慌てて拭くその人。



なんだかもう我慢できずに笑い出して・・・



つられてその人も「ハハ・・アハハ!」と笑った。




   その笑い声も、知っていた。







ブランチを食べ終わり、

カフェオレをおかわりして、

満ち足りた気持ちだった。

まどかさんがいなくなって以来、

初めてこのテーブルで誰かと一緒に食事した。


当たり前だ。

この家に、誰も来なかったから。

ノッコも呼ばなかった。

帰っちゃったあとの寂しさがイヤだったから。





今はその人と向かい合って

まるでずっと前から毎日そうしていたように、

のんびりとカフェオレをすすっている。







「アズ、さっきの話だけど・・・」


「え?」


「君が、ひとりが寂しくて怖いことは、、

恥ずかしいことじゃない。」


「え?・・・」


「友だちが一人暮らしを始めるのと

アズがひとりなのとは、まったく状況が違うだろ。」




いきなりその人が切り出して、

メイプルシロップの世界から引き戻された。




「みんなは、自分の家庭から巣立って

新しい場所でゼロから生活を作っていくんだ。

そして、帰って行く巣はそのままある。

でも、アズは違う。

家族ですごしていたその場所から、

一人ずつ抜けていって、

最後に一人残っちゃったんだ。

帰る場所もない。」



「・・・・・」




     こんなに優しい声で、

     こんなにストレートな現実を言うの?

     いつも直球勝負の人なの?

     私、耐えられないかもしれないよ。





「だから、寂しくて怖くて当然なんだ。

それでもちゃんと暮らして、

家の掃除も、庭の花の手入れもして、

えらかったな。」



「・・・・・」


 

     ちいさな子みたいに誉められてるね、私。




「ウッドデッキもきれいだ。

アズがブラシで磨いたのか?」


「はい。」


「いつ?」


「お正月」


「正月?!

水撒いたんだろ。

なんでそんな寒いときに?」


「なんか・・・・

することなくて・・・・

まどかさんも帰ってこなかったし。」


「・・・・・」



     頬杖をついて、その人がじっと私を見つめる。

     目尻が光ってるみたいだけど、

     ちゃんと見られないからわからない。




「アズ、これからは

いっしょにメシを作っていっしょに掃除して、

一緒に・・・寝るわけにはいかないけど・・・

寂しくないさ。

テレビを消して、部屋を暗くしても大丈夫。

薬も、きっといらなくなる。」
     


「・・・・・・」


「なっ。アズ。」




うんうんと、うなづくしかできなかった。

うつむいて、マグカップの底に残ったカフェオレを見ていた。


鼻水を、ずるっとすすると、


その人が、「ほら。」って

うつむく顔とマグカップの間にティッシュを出した。

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