Lusieta

 

ジムノペディーⅠ 第7章

 

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みんなが「チョウソベヤ」と呼ぶ彫塑の実習室。


だるまストーブの上にペラペラのアルミ鍋をのせて

二人分のインスタントラーメンを作っている。

このペラペラの鍋、

こんなだけどキムチ鍋だって作れてしまうんだから、

なかなかスグレモノなのかもしれない。

午後9時半の、超ささやかな夜食。







ノッコの徹夜作業に付き合う夜は、いつもワクワクした。

守衛さんが巡回に来るのは12時。

その時には真っ暗にして、人の気配を消さなければならない。


11時からは暖房も切って、空気をひんやりさせる。

11時45分に照明を切って屋上に上がる。

守衛さんの仕事は超アバウトだ。

屋上までなんか絶対に来ない。

3階まであるのに、面倒な時は2階までしか廻ってこない。


バイクの音がして守衛さんが到着。

またバイクの音がして帰っていくまで、

ただ黙って星空を見てる。

話し声が聞こえてはまずいので、

静かに静かに、ただ空を見る、この時間が好きだった。

街のはずれの山際に立つ大学。

古びた学舎の上を

屋上プラネタリウムと呼んでいた。








二人でストーブを囲み、何も具のないラーメンをつっつく。

ただズルズルすする音だけが、天井の高い部屋に響く。


「なんかさぁ、静かだよね。」


ノッコが言った。


「うん。」


「CDでも持ってくればよかったね。」


「どんな?」


「なんか、ジャマにならないやつ。」


「あ・・・ノッコはエンヤか。」


「そだな・・・」


「君は王道だからね。」


「んじゃああんたのレミオロメンは何道?」


「そんなもん何の道でもない。」


「・・・・・・」


「・・・・・・」


ズルズル食べていた麺が、もうなくなった。


「アズミ・・・」


「ん?・・・」


「もう帰りな。」


「・・・・・」


「帰りな。あの人、待ってるよ。」


「・・・・・」


「もうすぐ10時だろ。今出て走ったら間に合うから。」


「・・・・・」




ノッコ・・・

こんな夜。いつもなら

「大歓迎だぜ~~アズミちゃん!一緒に夜を明かそうね~」

なのに、今日はこっちを見ないで、

追い出すセリフを並べてる。





「あんた、バレバレだから。」


「へ?・・・・」


「なにボーッとしてんのよ。」


「は?・・・・」


「あんたいつもボーッとしてるけどさ、

いつもの“ボー”と今日の“ボー”は全然違うね。

自分でもわかってんでしょうが。」


「・・・・」


「アズミ。」


「・・・ん・・・」


「嬉しかったよ。」


「え?・・・・」


「アズミのいろんなこと、初めて話してくれて、

嬉しかった。」


「あ・・・うん・・・」



ここについた途端に、一挙に全部話した。

そしてノッコをしばらく呆然とさせた。

そしてちょっと、一緒に泣いた。




「もうすぐ10時だよ。

帰るなら今だ。門が閉まっちゃうよ。」




「・・・・・・」



「あんたさぁ、今あんたの人生で、

こんなに大事な局面って、これからもそうないと思うよ。」


「局面だなんて、難しい言葉使うね。」


「ちゃかすんじゃねぇっ!!」


「はい・・・・」


「あのさぁ、今聞いただけでも、

そのジュオンって人が、どんなにアズミのこと大切に思ってるか、

すっごくわかるよ。感じるよ。

私がそう感じるってことはさ、

アズミ、あんた自身が

そんなふうに思ってしゃべってるからなんだよ。

わかる?」


「・・・・・」


「つまりあんたは、あの人がどんなに自分を思って

大切にしてくれてるかわかってて

その人のこと信じてるってことじゃん。

信じられないんじゃなくて、

信じてるのに拗ねてるんだ。

だから、そんなにそわそわして、

ほんとは帰りたくてたまんないオーラ出しまくりなんだ。」


「ノッコ、私は・・・・」


「早く帰れよ、アズミ。

あの人、ものすごく心配して待ってるよ。

さっきから何回もメール来てるじゃん。」


「・・・・・」


「あ・・・そうそう、さっきタツヤ呼んだんだ。

もうすぐ裏の塀乗り越えてくると思うから、

二人の世界にしてよね。」


そう言って、わざとらしくニヤッと笑った。



「ノッコ・・・・」


「帰る?」


「・・・うん・・・」






   ーーーーーーーーーーーー







ノッコとの出会いは

2年生になってすぐだった。

学食できつねうどん食べてる私に

いきなり、

「あのぉ~、すみません。

私、美術科の墨染っていうんですが、

あのぉ~、チョウソの実習授業で急遽モデルを探してるんです。

あなたの横顔が気に入りました。

モデルをしてもらえませんか?」



私は驚きのあまり口の中に残ったうどんの一本を、

ぴゅっと飛ばして、どんぶりの向こうにあったポテトサラダの鉢の中に

ピタッと着地させるという、チョー見事な離れワザをやってしまった。



それを見たノッコは爆発的に笑い出し、

はじめは唖然としたものの、だんだんこっちもおかしくなって・・・・

そうなったらもう止まらない。

私たちは笑って笑って、ずーーーっと笑って、

どんぶりの中のうどんが伸びきる頃にようやく収まった。



ノッコは、私の向かいに座り、持ってきたお弁当を広げて食べた。

そして家からわざわざ毎日持ってきているという特製ドクダミ茶をくれた。

「我が家の自慢です。美肌と便通に効果があります!」



こ・・・こんなところで、「ベンツー」って・・・

と思いつつ飲んだひとくちがまた苦くて

うえぇ~っとなって、口元から雫が垂れて、

それだけでまたふたり延々と笑った。

笑いすぎて時間がなくなり、

それでも笑いながら必死で食べて午後の講義に走った。



ふたり偶然同じ講義をとっていた。

学内で一番大きな階段教室の最後列で、

100分の間ずーーっとしゃべり続けていた。

マイクを通した教授の話はBGMのようだった。

二人どんなことをしゃべったのか、

今ではまったく記憶はないが。



そして・・・

その1週間後には、私は彫塑の実習授業のモデルになっていた。

もちろん首から上だけだ。

くれぐれも、裸婦像じゃない。


主に2年生で単位取得するはずの必修科目。

彫塑の入門のような実習だ。

それでも、3年生も4年生もいる。

もうすでに単位を取ってしまってるけど、

基本をもう一度練習しに来てる人も。

たまによその大学の学生や、先生の個人的な弟子までいる。

6年生なんて人もいる。

「長老」って呼ばれて、気が向いたらあちこちの実習に顔を出してる。



受け入れちゃうのだ、誰でも。

履修届けなんか出してなくても。


美術科の先生たちって、

根がアーティストだからな。


「おぅ、来たか。やるのか?

そうか、じゃあやれ。 若いモンのジャマをせんようにな。」

それだけだ。


そして、みんなが作ってる間に、たばこを吸いに外に出たと思うと、

捨て猫を抱いて帰ってきたりする。

「俺についてきちゃたんだよ。」だって。



驚いた。

これがほんとに自分が通う大学で

普通に開かれてる授業なのかと。




その猫はそのまま居ついてる。




私は、作業台の上に置かれた回転イスに座る。

そして15分ごとに90度ずつ自分で回転して向きを変える。



「モデルさん、すみません。髪を耳にかけてください。」


「はい。」


「あ・・・かけないで。その髪がいいと思って今作ってるんだから。」


「なんでだよ。耳の形がわかんないじゃないか。」


「耳を絶対つくらなきゃいけないわけじゃないだろ。

ふんわりかかった髪の質感を出すんだ・・・」


「俺は耳をちゃんと作りたいんだ!」



そんなやりとりのまんなかで、どうしたらいいかわからなかった。

すると長老のおヒゲさんが、粘土をむにゅむにゅやる手を止めずに

「今どっちが多いんだぁ?」って、のんびりと呼びかけた。



そしておひげさんの提案に従い、

少数派のために、髪を耳にかけて居残りでモデルをしたりした。




あれから1年、モデルは半期で終わったけど、

その後もずっとこのチョウソベヤに居座ってる。

いや、隅っこに存在することを許してもらっているという感じ。



誰かがそこで、黙々と作業をしている。

彼らは、ひたすら何かを創り出すことに没頭する。



どこから運んできたかわからない、

部屋の端っこに置かれたボロボロのソファ。

よく見ると、下からスプリングがひとつふたつ飛び出してる。

そこに座って、膝をかかえてボーッとしながら、

ただ創る人を見ているのが好きだった。



静かに、ゆっくり流れる時間だった。








   ーーーーーーーーー








間に合ってよかった。

10時5分前、

守衛室にペコッと形だけの会釈をしながら門を出る。




そうだ、帰らなきゃなんだ。

わかってたけど、

こうしてノッコに追い出してもらわなければ、

家への一歩を踏み出せなかった。



「帰れ。」と言われるためだけに、

私はノッコのところに行ったんだ、きっと。




今日も、夜の風は冷たい。





見上げると、春の星座たち。

白く光るのはスピカ。

いつ覚えたのかわからなかった。

なんで知ってるのか不思議だった。





     “アズ、ほら、あの白く光ってる星があるだろ。

      あれが乙女座の目印。スピカっていうんだよ。

      スピカはね、真珠星とも言ってね・・・・”


          “真珠って、ママのネックレスのあれ?”

  
          “そう。ほら、他の星より白いだろ?”


          “う~~ん・・・・”






     “アズ、さて問題です。

      春の大三角をつくる星は、

      乙女座のスピカと、牛飼い座のアークトゥルスと、

      あと一つは何でしょう?”


          “えっとね・・・・あのね・・・

           え~っとぉ、なんだっけ・・・”





「獅子座のデネボラ」

声に出して言ってみる。


    


     『アズ・・・』


     『はい。』


     『今夜、星見るか。』


     『・・・はい。』




 
     『ちゃんと見えるかな。』


     『あぁ。

      このまま晴れてるさ。

      きっと、見える。』








誕生日の出会いから2日後。



あの家で・・・


その人が、私の帰りを待っていた。

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