Lusieta

 

ジムノペディーⅠ 第13章

 

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     私はなんで、

     こんなふうになっちゃってるんだろう。


     なんで・・・

     あなたの腕を逃れて立ち上がっちゃったんだろう。



     ホントはどうしたい?

     抱きしめてほしい?

     いや、触れられたくない?


     わからない。



     わからない・・・

        わからない・・・

           わからない・・・






ガタガタ震えが止まらない。


またいろんな映像が浮かんできて、頭の中でぐるぐる回る。



立ち上がったまま動けないで、

それでもその人をじっと見ている。



目をそらすこともできない。

自分の呼吸が、全身に響くように聞こえている。





その人が静かに私を見ている。



     辛そうだね。

     でも私から目をそらさない。

     こんなふうになっちゃう私が

     あなたをどんどん辛くしてるね。

  




長い間見つめ合って、

お互いに目をそらせずにいた。




そして、

やっと口を開いたのは彼だった。




「アズ。

苦しいか。」



「はい。」



「すまん。」



「あやまらないで。

あなたはなにも悪くない。」



「・・・・」



「誰かが悪いなら、私が悪い。」



「え?・・・・」



「病室に戻っちゃった私が悪い。

見ちゃった私が悪い。

ちゅうにいちゃんが帰ろうって言ったのに。

ジュース飲みに行こうって言ったのに。

私はちゃんと、ちゅうにいちゃんの言うこときいて、

ついて行けばよかったのに。

ママがかわいそうで・・・

ママが痛い痛いって言ったから、

私がさすってあげなきゃって・・・・

私がさすってあげたら、ママはいつも気持ちいいって言うから・・・」



「アズ・・・・アズ!・・・・」



「あ・・・・あぁ・・・

ごめんね・・・ごめんね・・・・

私のせいで、ちゅうにいちゃんはこの家を出なきゃいけなくなった。

私のせいで・・・・

家族だったのに・・・

大事な家族だったのに・・・

私が忘れちゃったから。

知らないおにいちゃんだって言ったから。

こっちに来ないでって言ったから・・・」



「アズ・・・・」




その人が立ち上がろうとした。




「ダメ!

来ないで・・・・」



「・・・・・」



立ち上がったまま動かないその人。





     そんな優しい顔しないで・・・・

  
     ごめん・・・・

     ごめん・・・・

     ごめん・・・・




「思い出したのか。」



「わかんない・・・でも、たぶん・・・・」



「そうか。」



「こんなになっちゃってごめん・・・・


       私・・どうしよう・・・」





「アズ・・・・」







ぐるぐるまわる

  病室の扉や壁、廊下のベンチ・・・


息が苦しい

    

ぐるぐるまわる

  点滴の管、白いシーツ、ママのネームプレート・・・


立っていられない



ぐるぐると、

  ママも、ちゅうにいちゃんも、まどかさんも・・・


頭の中で回ってる。

無音の世界で、ぐるぐると。



吐き気がする





     その人にしがみつくママの細い腕

     叫ぶ顔

     ベッド

     きつく抱き合う二人

     
     そして・・・

     激しいキス

     何度も、何度も・・・・







「アズ、顔色が悪い。」



「ダメ・・・・来ちゃダメ!」




抗う一瞬も与えず一歩踏み出すと同時に

彼は私を長い腕で抱き取って、

胸に埋めてしまった。




「アズ、苦しいよな。苦しいよな。

アズのせいじゃない。

誰のせいでもないんだ。」




 
     イヤなのに、待ってた。

     拒みたいのに、恋しかった



     こうして包み込まれるぬくもり。









「ぁ・・・ぁぁ・・・

あぁぁぁ・・・・

ああーーーーー!」





こんな声が出るなんて知らなかった。

止めようがなく湧き出す涙。



その人の背中をこぶしで叩きながら泣いた。






     泣いて泣いて・・・・泣いて・・・・







小さな子どものように泣き続ける私を

ただ抱きしめて、

その人も泣いていただろうか。



私はそれを知らない。

あまりにも自分が泣くことに夢中で。

 




     私の目から今溢れ出るものは、

     胸に留まる悲しみや後悔を洗い流してくれるだろうか。



     私の口から今こぼれ落ちる嗚咽は、

     閉じこめてきた思いを解き放ってくれるだろうか。

    
      
     







    ーーーーーーーーー










“アズ、ありがとうね。

アズの手は魔法の手ね。

とっても気持ちがよくて、痛くなくなってきた。”



“ほんと? やったぁ!”



“アズ、まどかさんをママがひとりじめしちゃってごめんね。

ちゅうにいちゃんがいるから大丈夫かな?”



“うん、全然大丈夫だよ。

ちゅうにいちゃんね、お料理うまいよ。

それに連弾の練習も始めたんだよ。

ママが退院したときのパーティーに弾くの。

あ! 内緒だったのに、アズ言っちゃった!”



“うふふ・・・聞かなかったことにするね。

楽しみだわ~。

ちゅうにいちゃんは、ジムノンも弾いてくれる?”



“うん。ママとそっくりに弾いてくれる。

目をつむってるとね、ママがそばにいるみたい。”



“そう・・・”



“だからね、何回も弾いてっていうの。ふふ・・・”



“そう・・・”



“ママ? どうしたの?

泣いてるの? ママ?・・・”



“泣いてないよ。嬉しくて涙出ちゃっただけ。

ちゅうにいちゃんがいてくれて嬉しいなって。

アズが寂しくなくてよかったなって。”



“ママ・・・アズは・・・・”



“ちゅうにいちゃんの言うこと、

ちゃんときくのよ。”



“・・・う、うん・・・・”



     ママ・・・

     ほんとは寂しいよ。

     ママがいなくて寂しいよ。

     早く帰ってきてほしいのに・・・

     メヌエットも、上手に弾けるようになったのに・・・



     ママのグラタンが食べたい。

     ママのミックスジュースが飲みたい。

     ママとお風呂で歌いたい。


     ママじゃなきゃ、朝の三つ編みできないの。
     
     ママじゃなきゃ、お友だちのママとお話できないでしょ。


     ママがいないと、学校に忘れ物しちゃうよ。

     ママがいないと、「あのね帳」に、何書いたらいいかわかんない。

     ママがいないと、ご飯残しちゃう。


     ママがいないと・・・寂しいよ・・・  


       寂しいよ


           ママ・・・

                ママ・・・



アズは・・・


  寂しいよ・・・







     ーーーーーー










泣き疲れて眠ってしまったのだろうか。

覚えていない。

ラグの上で、私を後ろから抱きかかえるようにして

その人も眠っていた。

まるで、卵を抱く巣ごもりの鳥みたいだ。




すっぽりと包み込まれて、背中から温かさが流れ込む。





そう・・・

9才の私は、この温もりを失った。

ママもちゅうにいちゃんも突然目の前から消えたんだ。


こんなにも愛して守ってくれた大切な存在を、

一瞬にして消去したのは私自身。


それは、幼いアズが自分で自分を守ったのかもしれない。


生きていくために・・・・



そうして、寂しさも悲しさもぼんやりしたまま、

失ったものの大きさを知らずにハタチになった。

なにもかも9才までの日々に置いてきぼりにして。



いや・・・

置いてきぼりにした荷物を、

かわりに全部背負って今日まで歩いてきた人がいた。




     ねぇ・・・


     あなたは、


     こんなにも


     悲しくて


     苦しくて


     寂しかったんだね。




私を包んで目の前にまわされた腕に、

そっと触れてみる。

ひんやりして、ちょっとごつごつした太い腕。

頬をくっつけて、目を閉じた。




ねぇ・・・


     ママの願いを


     聞いてくれて


     ・・・ありがとう



     ママはきっと


     うれしくて、しあわせで・・・・


     そのまま逝きたくなったんだね。


     だから、ありがとう・・・・


  
   
背中がふんわり温かくて、

毛布なんかいらない。


あなたの背中は、寒くないのだろうか。


今日までの日々に、あなたの背中にも、

ちゃんと暖かい毛布があっただろうか。









この日のために、たくさんの本を読んだと言った。

何度も頭の中でシミュレーションをしたと言った。





     そして、ずっと諦めずに思い続けて

     あなたは私にこの日を与えてくれた。
     
     この日は、私が生まれ変わる日なのかもしれないな。


     今あなたが胸に抱く私が、9才のアズのままでもかまわない。

     だから私はもう一度、あなたにちゃんと甘えよう。

     あなたを大好きで甘えん坊なアズでいよう。


     そしてあなたは、

     その腕に取り戻す。

     あの日自分を拒絶したアズを。

     

     遠い過去にあったはずの物語を

     ここから二人で作りなおして、

     そのあとに何があるのかわからない。



     もしかして、大人になってしまった二人には

     すぐに限界がくるのかも。

     “ちゅうにいちゃんとアズ”の生活は

     簡単に終わってしまうのかもしれない。



     それでもいいと思う。

     ちゃんと始めてちゃんと終わったなら、

     きっとまた違うはじまりを届けてくれる。

     たとえそれが、ふたり別々のものであっても。

     




その人が、もぞもぞと身じろぎをして

私を抱き直すように抱え込んだ。



顎をぐりぐり私の頭に押しつけて・・・



     えっ!

     起きてるの?




やがてまた規則正しい寝息が私の髪にかかった。



     なぁんだ・・・・



ちょっとがっかりしながら笑ってしまったところまでは覚えていた。


あとは静かな寝息を聞き、背中に鼓動を感じながら


私は、とても安心で穏やかな眠りに落ちていった。





     おやすみなさい、

     ちゅうにいちゃん。





     明日こそ・・・



         星、見ようね。

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