Lusieta

 

ジムノペディーⅠ 第14章

 

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ふたりの日々は流れていった。




あの怒濤のような数日をすごしたあとに待っていた毎日は、

うそのように平和で、温かな光に満ちていた。


それはあまりにも普通で何気なくて、

まるでずっと前から変わらずそうしてきたようだった。


自分でも、時々ふと思う。

ちゅうにいちゃんは、私がちゃんと送り出して

しばらくよその国の大学に行っていた・・・

ただそれだけなんじゃなかったかと。



たくさんの話をして、

少しずつ、自分の記憶の中の彼を取り戻していきながら、

だんだんそんな気持ちになっていた。





彼との距離は、あの夜いっぺんに縮まってから

その後はさほど変わっていない。


むしろ、いろいろ思い出してしまってからは、

もう近づけないような、複雑な気持ちになる。


ちいさなアズと彼とのエピソードは、

そのひとつひとつが、

あまりに無邪気で微笑ましいものだから。




彼の中の私は、永遠に小さなアズなんだろうか。





     私は・・・・


     どうなんだろう。




あの夜以来、

もう抱きしめられることも、

手を繋がれることもなくなった。




いや・・・

あった。



その後も、

あの日のように彼の胸に包まれたことがあった。



それは、ちゃんと数えられるくらい少ないけど・・・

たった2回だけど・・・







まどかさんに電話でナビをしてもらって、

ママのクローゼットから古いアルバムを見つけた日。

パパと出会い、恋の始まりにときめいていたころのママ。


パパ・・・・

私の存在さえ知らずに、

雪山であっけなく命を落とした、私のお父さん

ふたり、ぎゅっとくっついて、

幸せそうに笑ってる写真。



「幸せそうだな。」って彼が言うから


「いまもこんなふうにしてるかな。」って私が言った。


「あぁ、きっとラブラブだ。」なんて言った。


「ちゅうにいちゃんがラブラブなんて言ったら

全然似合わないよ。」


「そうか。」


「そうだよ。」


そう言って、私は泣いた。

彼は、はじめからわかってたように私を包んだ。







墓参りをした。

まどかさんも宮川さんも一緒だった。

帰る時間になったとき、どうしてもそこを動けなかった。


ママともっとなにか話しておきたいような・・・

それは多分うらみごとのいろいろ。

「ママともう少し話したいの。

だから先に帰って。」

そう言った。



「あ、そうね。

いろんなこと話したいわよね。

思い出してから初めてだもんね。

恨み言でもなんでも、ママにぶつけちゃいなさい。」


まどかさん、お見通しだ・・・・


まどかさんが彼を見て、彼がそっと頷いて・・・

そして当然のように彼はそこに残ってくれる。



私はずるい。

最初からそのつもりでわがままを言う。


小高い丘の上の墓地で、ママの碑と肩を並べるようにして座った。

いっしょに街を見下ろしてるつもり。


芝生の上で膝を抱えていると、

ほんとにそんなふうにママと彼と3人で、

並んで座ってるようだった。

不思議な気分。



「ママは、ほんとはパパと同じお墓に入りたかったかな。」


「大丈夫だよ。向こうでちゃんと出会ってラブラブなんだから。」


「あ・・・。ふふ・・・またラブラブって言った。」


それが合図のように、私はまた泣いた。

そして、彼はまた私を抱き寄せ、その胸に包み込んだ。



泣くたびに、何かを溶かして流していく・・・

そんな儀式のようにも思えた。






夕焼けが、眼下に広がる街と私たちを、

淡いピンクに照らしていた。




それが2回目。

その日以来、彼の胸に包まれることはなかった。








私は毎日自分の部屋のベッドで眠った。

ちゃんと灯りを消し、

静寂のなかで目を閉じることができるようになった。

壁一枚の向こう側で、彼が眠っていることを感じながら。




私がもうあの胸に包まれなくても眠れることは、

彼にとっては嬉しいことなんだろう。きっと。




     でも・・・


     私は・・・


     ほんとは・・・




よくわからない。



そのことを考える時だけ、

少し苦しくて、少し寂しい。








   ーーーーーーーーーーーー









そしてまた春の気配が近づいて

私の21才の誕生月がきた。






その人の大学での仕事は順調なように見えた。

初めて会ったときに白衣を着てたから、

てっきり理学科だと思っていたら、なんと美術科だった。



「便利なんだよ。実際制作をしなくても結構現場仕事が多いからな。」

その人が受け持つ講義は東洋美術史と美学概論Ⅱ。

「なんで“タダノジョシュ”なのに講義するの?」

「は? なんで助手なんだ? しかも・・・ただの?

誰が言ったんだ?」

「へ? だってほら・・・・」

「僕は助手じゃないぞ。“ただの講師”だ!」

「あ・・・そうだったの? “タダノコウシ”・・・

そうだったのぉ~~?

なんだよ・・・早く言ってよ・・・」

「なんのことだ・・・」

「・・・・」

直接制作に関わらないけど、

なにかと学生の制作を側面から応援していた。


そんな姿勢がみんなの信頼を得て、

男女の別なく人気があった。



ある時、私と同居していることが知られて小さな騒ぎになった。

彼は、

「血縁はないが大切な家族であり、自分は高梨アズミの保護者だ。

妙な噂なんか流したら許さない」

と堂々と言い放った。



それでみんなが納得したのかどうかはわからないけど、

からかうような発言や陰口はなくなった。多分。




チョウソベヤでノッコたちと過ごしているところに、

平気で「アズ、まだいたのか。僕は帰るぞ。どうする?」

なんて言ってくる。


ほんとは一緒に帰りたいのに、

みんなの前で素直に従うのはイヤだった。


「先に帰ってください。私はもう少しいます。」

なんて言ってしまう。


「わかった。気をつけてな。」と言って先に出るけど、

そういう時、いつも門の外で待っていてくれる。


坂道の途中、車にもたれて立つ姿をみつけた時の

胸の高まりをどう表現したらいいだろう。



街灯の弱い光に照らされたシルエット。

すぐには近づかずにそっと眺めるのが習慣になってしまった。



たばこに火をつける仕草・・・

家の中でも見慣れてるのに、ここだとまったく違って見える。

こんなにも大人の男性なのだと気づく瞬間だ。

急にドキドキしてしまう。



私の照れ隠しのわがままに付き合って、

時には30分以上もそこで待っていてくれる人。


なのに、私は家とは別人だ。

無愛想な顔で助手席に乗り込んでそのまま、

なかなか学校での「他人のふりモード」が切り替わらない。




「あぁ、よかった。

家に帰るとホッとする。

まるで魔法が解けるみたいにいつものアズに戻るんだ。」


「私、そんなにぷんぷんしてる?」


「あぁ、大学ではな。お前、怖いよ。」


「だって、慣れ慣れしくしたくないんだもん。

ちゅうにいちゃんのファンだっていっぱいいるし。」


「そんなんじゃないだろ。」


「バレンタインでチョコだっていっぱいもらってたし。」


「アズからもらうチョコだけで充分だ。」


「・・・・・」


「なんだ?」


「私見たよ。うれしそうにありがとうって言ってた。」


「なんだ?

それってやきもちか?」


「違う!」


「んじゃあ・・・なんだ?」


「知らない!

今日のお風呂当番、ちゅうにいちゃん!」


「はいはい・・・・」



こういうやりとりのあとは、いつも情けなくなる。

いつまでたってもその人の前ではこんなにも子どもじみてしまう自分が。









       ーーーーーーーーーーーー








3月のはじめのことだった。



私はチョウソベヤのいつものメンバーの一人から告白された。




春休み前のテストやレポート提出で忙しく

芸術棟を訪れたのは久しぶりだった。


夕方の薄闇の裏庭で、居ついている猫に牛乳をやろうとしていた。

クローバーの茂みに分け入って腰をかがめて探していた。


「ポーちゃん どこ? ポーちゃん。牛乳だよ・・・・」


ポーちゃん専用のお皿は、カップ焼きそばのトレイだ。




「タカナシ・・・」


「あ、シュウくん。ポーちゃん知らない?」


「知らない。」


「あ、そう。」




     シュウくんは、モデル実習のとき

     私が髪をかけて耳を出すことに抵抗し

    “そのままがいい。”と主張した同学年の子だ。





「タカナシ・・・」


「なに? あっ!いたいた・・・ポー・・」


「タカナシ!!」


「へっ? なに?・・・」


「俺と・・・こんど・・・伊藤若沖展、行かないか。」


「へ?・・・イトウ?」


「江戸中期の画家なんだ。

ブライスコレクションが来るんだ。

120年ぶりの公開でさ・・・

あの・・・チケット2枚あるんだ。」


「はぁ・・・あ・・・」





     シュウくんが必死でしゃべる肩の向こうに

     重いドアを開けて出てくるその人が見えた。

     私たちに気づいて、固まっている。


     たばこと携帯灰皿を持っていた。

      



「初めてお前がモデルで実習に来た時から好きだった。

好きなんだ。お前のこと。」


「・・・・シュウくん・・・」



変な距離で3人がいる。

みんな動かない。




「今、好きな人いるのか?」


「・・・う・・あ・・・ぃ・・・いなぃ・・・」


「ほんとか?」


「・・・ぅ・・・ん・・うん・・・」


「じゃあ、俺とつきあってくれないか。

前から、タカナシとふたりだけでいろんな話をしたかった。

一緒に・・・行かないか。」



「あ・・・・あ・・・」



音をさせずにその人がドアの向こうに消えた。




「・・・あ・・・・あの・・・ごめん、シュウくん。

私、やっぱり・・・・

好きな人・・・いるかも。」



「え?・・・・」



「好きな人、

いる・・・と思う・・・・」







     ーーーーーーーーーー








あわてて帰り支度をした。

空模様もあやしい。

こんな日は

「アズ、雨が降りそうだぞ。そろそろ切り上げないか。」って

いつもわざわざ言いにくる。

だから“過保護”な保護者って言われてる。



でも、今日は私からその人の研究室に行く。

階段を駆け上がりながら、はじめになんて言おうかと考える。



“さっきの、断ったから。”

って言うのか?



“他に好きな人がいるって言ったから。”


それは・・・誰?



急に足が止まる。




     言う言葉なんてないじゃん・・・




立ち止まってぼーっとし、

結局振り返って、だらだらと階段を下りていった。




駐車場で待ってることにした。

その間にセリフを考えよう。



なのに・・・

車がなかった・・





     なんで?

     速攻で帰ったの?



     なんで?
   
  
  

さっきまで白衣を着てたし、

いかにも休憩って感じでたばこを吸いに来たはずなのに・・・




帰りつくとガレージに車はあったが、その人はいなかった。



テーブルに小さなメモ


     “ちょっと出かけてきます。

      遅くなるからちゃんと鍵をかけて寝てください。”





“出かけてきます”だって。

“寝てください”だって。

いつもなら“寝ろよ!”なのに。



いつも“敬語使わないでくれよ”って言うくせに、

自分からこんな言葉使うなんて初めてだ。




     気持ち悪いじゃん!






その人が帰宅したのは2時を過ぎていた。

そっと部屋のドアを開けて、階下の物音に耳を澄ます。



シャワーをすませた頃にはもう3時だった。

階段を上がって・・・

廊下を歩いて・・・

私の部屋を通り過ぎて・・・


 ・・・?


まだ彼の部屋を開ける気配がしない。



私はベッドから飛び起きて

部屋のドアを開けた。


その人の驚いた顔がすぐそこにあった。



やっぱり・・・・



なんでそう思ったんだろう。

きっとそこに立ってると思った。




お酒の匂いがする。




「まだ寝てなかったのか。

遅いからもう寝ろよ。」



「お帰り。」



「あ・・ただいま。」



その人が背を向けて自分の部屋のドアに手をかけた。



「私・・・断ったから。」



「え?」



「イトウなんとかっていう江戸時代の・・・」



「伊藤若沖だ。」



「うん、それ。それのなんとかコレクション。」



「ブライスコレクション。」



「うん、それ。行かないから。」



「・・・・・」



「行かないから・・・」



「そうか。」



それっきり、部屋に入ってしまった。



バタンとドアがしまって・・・



私は置いてきぼりだ。









明け方まで眠れなかったせいですごい寝坊だ。

彼は眠れただろうか。


ゼミも、バイトも、約束も・・・・

朝からなにも予定のない一日のはじまりは遅い。

彼はもうとっくに大学だ。




枕元で携帯が鳴って

その人の声で、だらだらのひとときから引っ張り出された。。





「アズ、忘れ物をしたんだ。

悪いが持ってきてくれないか。」







大きな画集を抱え、通い慣れた階段を上がっていく。




まだ昼休みでゼミは始まっていなかったけど、

研究室はなんだか賑やかだ。


「じゃあ、ジュオン。終わったら絶対電話ちょうだいね。

大学のなかで待ってるからね!」




     この声・・・知ってる・・・


     あっ!




ちょうど入り口に立った私と目があった彼女は

微かに笑ったと思ったら、

いきなり彼に抱きついて、その唇にキスをした。

彼はすぐに彼女の両肩をつかんで体を離した。



「サナ。いい加減にしろ。」



すごく静かに言った。



「じゃあ、ほんとに待ってるから~。

あらぁ~? かわいいかわいいアズちゃんね!

今日はジュオンを借りるわよ。

朝まで帰らないかもしれないからよろしくね。」



私だけじゃなかった。

ゼミ室に居合わせた全員が、呆然と彼女の後ろ姿を見送った。

パリコレみたいなウォーキングで去っていく後ろ姿・・・




ただ一人冷静な彼が、


「アズ、ありがとう。悪かったな。」と言って、

胸にギュッと抱え込んでいた画集を、

そっと引きはがすようにして受け取った。


なにか言いたげな彼の顔を一瞬見たけど、

気づかないふりしてさっさと研究室をあとにした。





     あぁ・・・

     私、こんなことで動揺なんかしない。

 
     動揺なんかしない・・・・




大股で歩く


でも、階段はいつもより注意深く・・・




     今日は帰ってこないんだね!


     ごはん、いらないんだね!





階段の途中でばったりノッコに会った。

顔をのぞき込んで、


「なに怖い顔してんだぁ~?

プリプリモードかぁ~?」


「プリプリなんかしてない。」


「ん?・・・しかし・・・もろ、プリプリオーラが・・・」


「うるさい!!」







       ーーーーーーーー








いつもより熱めのお湯を入れて、ザブンと浸かる。



     “今日はジュオンを借りるわよ。

      朝まで帰らないかもしれないからよろしくね”




ブルブルと首を振る。



     私には関係ないもん!


     今日帰ってこなくても、


     明日も帰ってこなくても、

  
     私には全然関係ない!




ゆっくりと温まりながら、

もらった試供品のマッサージクリームで

ていねいに顔をマッサージする。



ノッコの言葉を思い出す。



    “アズミってほんとに色気ないよね。

     先生とは何にもないってこと、

     全身で表現してるよね。

     安心しな。誰も二人のことあやしんだりしないよ。

     あんたを見りゃ一目瞭然だもん。”



ふん!





色っぽくなるってどんなこと?

きれいになるってどんなふう?



胸の奥がグワンと鳴って、

悔しいような、悲しいような・・・

袋小路な気分。





んでもって、私はどうしたいの?





     自分がどうしたいのか、


     多分私は、ずっと前から知っている。


     私は・・・・

 
     私は・・・・


       ・・・・・






少々のぼせ気味で、スェットの上下に頭からバスタオルをかぶり

ぼーっとリビングに入った。



そしたら・・・・




     いるじゃん!





「うわぁ~!」





ダイニングテーブルで郵便物の整理をしていた。

ちらっと一瞬こっちを見て

「ただいま」と言って、

すぐに作業に戻ってしまった。



なんか、とてもよそよそしい。




「今日は遅いんじゃなかったの?」


「あぁ。メシだけ食ってきた。」


「朝まで帰らないんじゃなかったの?」




     私、何言ってる?





一瞬手を止めたけど、すぐ元に戻った。


やっぱりこっちを見ない。





     質問は無視?

     なんか、怖いよ。

     それに・・・ムカツクよ・・・





「今日は・・・」



「!!・・・・」



「忘れ物、届けてくれてありがとな。」



「あ・・・うん。」



「・・・・」



「・・・・」



「これ、アズの分」



「あ・・・ありがと。」




ダイレクトメールばかりだ。





「サナとはほんとに、なんでもないから」



     私のモヤモヤ、見破られた?



「・・・・キスしても?」



「え?」



「キスしても、なんでもないの?」



「・・・・・」



「前からキスしてたんでしょ。あの時言ってたじゃない。」



「あいつは・・・

挨拶がわりにそういうことするんだ。」



「じゃあ私にもしてよ・・・・」



「え?・・・・」



   
     え?・・・

     え?・・・

     え?・・・


     私、何言ってる?・・・・




「アズ・・・」



「あ・・・冗談だよ。

ジョーダンだからね・・・

んじゃあ、おやすみ。」




ものすごくうろたえてること、知られたくないのに、

なんだか足までもつれてうまく歩けない。




「アズ・・・」


「今の、忘れて!」


「大事な話がある。」



「・・・え?・・・」




「・・・・」


「・・・・」




振り返ると、彼が少し固い表情で黙ったままソファをさして

“座って”という合図をした。

そして自分が先に座った。

こんなさりげない動作が、急に大人を感じさせる。

よそよそしく見えて、遠くに感じるからいやだ。




     さっきのことなんか、もう全然平気なの?

    「キスして」なんて言われても動揺しない?


     いや、私だから?・・・

     私だからなんともない?





膝に置いた両腕、まくり上げた袖口から盛り上がる筋肉が

私を遠ざけてる。

否応なしに大人の男の人なんだ。


このごろ、こういう小さな場面で動揺する。

動揺して、自分の幼さにへこむ。



さっきの自分の一言で

動揺と自己嫌悪が最高潮に達してる私は

いたたまれなくて、早くここから消えてしまいたい。。




「明日じゃダメ?

疲れちゃったから今日はもう寝たい。」



やっとのことで言う。






「急なことで・・・

すごく・・・急なんだ・・・」




     なんか、やだな・・・・


     なんか、やだ。


     


     まさか・・・





「あっちの大学に戻ることになった。」






     やっぱり



    “まさか”だった

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