Lusieta

 

ジムノペディーⅠ 番外編 『深呼吸』

 

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昨日の私は、

今日まで生きてきて、

いちばん強情だったかもしれない。

いちばん必死だったかもしれない。



別々の部屋で休もうとする彼のあとを追いかけた。

「そんなのイヤだよ。」と言った。

「なんで? いっしょにいたいよ。」と・・・・



もちろんそう言ってねばる私は、

色っぽいしぐさのひとつもできてはいない。

子どもみたいに駄々をこねてるだけだ。



彼の困った顔を思い出す。

悲しいのか嬉しいのかわからない、ただ戸惑うようなまなざし。



「アズ・・・・無理しなくていい。急がないでいこう。」


一年前も、そんなこと言ったよね。

まったく違う意味だったけど。



「無理なんかしてない・・・」

「・・・・」

「一緒に・・・いたいだけ・・・」



目をそらさなかった。

私の目は怖かっただろうか。


「・・・・」


「またすぐあっちに行っちゃうのに・・・・

なんで?・・・

イヤだ・・・」


「アズ、今夜一緒にいるってことが、

どういうことだかわかってるのか。」


視界の隅に彼のベッドが見える。


「わかってる。」


「・・・・・・」


「イヤですか?

私は、そうしたいです。」


彼の目が一瞬大きく見開かれた。

何か言ってほしいのに、

黙ったままだ。


「私はまだダメですか?

未熟?

全然セクシーじゃないのくらいわかってる。

全然色っぽくなくて、

21なのに、こんなで・・・

だから・・・

ダメですか?」


「お前、何言ってんだ・・・」


彼が両手を腰にあてて、

ほんとに呆れたっていう顔で私を見てる。


「はぁ・・・・」


その深いため息が、

こんなセリフまで吐いた私をいたたまれなくさせる。



なのに次の瞬間、

長い腕が伸びてきて、ギューッと強く抱きしめられた。

たぶん今日までで一番強く。




大きな胸に埋められた私のすぐ耳元で、掠れた声がした。




「やっぱりアズは、どうしようもなくバカだ。

そして僕は、情けない男だ。」


「は?・・・・」


「今日のお前の、勇気ある言葉に感謝する。」


「え?・・・・」


「ダメなはずないだろ。」


「・・・・・・」


「お前はもうちゃんと大人の女性だ。

きれいで、とても魅力的だ。

誰にも見せずに、ずっと僕のそばに閉じこめていたいくらいだ。」


「・・・・・・」


「僕が今日までどんなに我慢してきたか、お前には一生わからない。

お前はいつもまぶしいくらい輝いてる・・・

大学で、僕はヤキモチを妬いてばかりいた。」


「・・・・・・」


「お前に触れたかった。

ずっと。

僕の我慢はな、

アズなんかの想像をはるかに越えてるんだ。」


「・・・・・」


「アズ・・・」


「はい。」


「お前が欲しくてたまらない。」


「・・・・・・」






・・・・・・・・・・・・・・・・







「怖いか」と訊くから“怖くない”と答えたのに、

震えを止められなかった。


「力を抜いて・・・」と言われたけど、

      どうしたらいいかわからなかった。



「痛いか」と訊くから

      “痛い”と答えた。



「すまん・・・」なんて言うから

      “あやまらないで・・・”と言った。



荒い息のなかで、「アズ・・・」って苦しそうに呼ぶから・・・

大きな背中に腕を回してしがみついた。





ひとつになるって、こんなふう?

熱くて・・・痛くて・・・はずかしいのに・・・

うれしくて、幸せで、泣きたくなる。



     


    ・・・・・・・・・・・・・・






やわらかな弛緩の時が訪れて、

そっと背中から抱きしめるその人は、

私を胸に抱え込んだまま、何も言わずに、じっとしている。

何を思っているんだろう。

ただじっと・・・

私を抱いている。



窓の外に微かな雨音を感じる。




「雨?」

「あぁ。」

「あんなに晴れてたのに。」

「そうだな。」

「夕焼け、きれいだったね。」

「あぁ。」

「・・・・」

「アズ・・・」

「ん?」

「大丈夫か・・・」

「ん?」

「・・・・」


その人が、もう一度抱き直すようにして腕に力を込めた。


「ダイジョブだよ。」


「・・・そうか・・・」


目の前で交差された太い腕に、そっと頬を寄せた。



ほんとは、言いたいことは別にある・・・・




       大切に、すごく優しくしてくれたこと、わかってたよ・・・

       あなたと一緒なら、なにも怖くないと思えた。


       あなたとひとつになれて・・・

嬉しかった・・・



       嬉しかった・・・

       ジュオン・・・




そう言いたかった。

でも・・・・

言えない。





       静かに続く雨の音をききながら、

       あまりの心地よさに、

       また眠りに引き込まれそうだ・・・・






         ・・・・・・・・・・・・・・・・・






目を開けると、やっぱり彼はいなかった。

今日は何日?
4月1日。
エイプリルフール。



昨日の出来事がすべて夢だった・・・・

なんてストーリー、ありそうだ。


でも・・・

ほんとにあったことなんだ。


体の奥に残る鈍い痛みといっしょに、今このベッドにいる私。



おそるおそるドアを開けると、もうおいしそうな香りに気づく。


心からほっとする。


カタカタと彼が立ち働く音がしている。

早く会いたいけど、会うのが怖い気もして・・・

どんな顔をすればいいのかわからない。

それに、しばらくこの気配だけを味わっていたかったりもする。

この家に、確かにあなたがいる気配。



階段の途中に座り、その音と、パンケーキの甘い香りを嗅いでいる。

明日も明後日も、ずっとこんな日が続くと、

今だけは、そんなふうに決めて目を閉じる。


膝を抱えてうずくまり、う~~んと甘い香りを吸い込んでいると



「こら・・・」って、下から声がした。


「あ・・・」


あなたが笑ってる。

腰に両手をあてて私を見上げ、いかにもおかしそうに笑ってる。


「何やってんだ。」


つい恥ずかしくて目をそらしてしまった。


「匂いを嗅いでる。」


「なんの?」


「この家に、あなたがいる匂い。」


「・・・・・・・」



あなたがゆっくり階段を上って、私に手を伸べた。


「アズミ姫、朝食の準備が整いました。

さあ・・・」


大きな掌にそっと手をのせると、

ぎゅっと包んで、用心深く私を導いた。


「これってエスコート?」


「そう。」


「じょうずね。」


「そうか。」


「こんなふうにしたことあるの?」


「ないさ。」


「ほんと?」


「ほんと。」


「ほんとかなぁ~」


「腹へったよ。早く喰おう。」


「ふふ・・・」





 ・・・・・・・・・・・・・・






大切で・・・大切で・・・・

大切な時間ほど、あっという間に過ぎる。




「どっちがいいんだろうな。」

「どっちかな・・・・」



今日のソファは、まだ雨がしとしと残る庭を向いている。

ふたりくっついて座り、

さっきから同じ言葉をつぶやいている。

私の肩先は、大きな腕に包みこまれている。



前にも、こんなふうに迷ったことがあった。

二人で入った喫茶店で、ケーキセットのケーキをどれにするかで延々と。



        ケーキだったらよかったのに・・・・




目下のテーマは、

“どっちが、より悲しいか”ってこと。




「空港までは来なくていいよ。」と言った。

「なんで?」と訊いた。


「一人であそこに残されるアズを見るのは耐えられないって

こないだわかってしまったから。」


でもね、この家にぽつんと残されるのだって同じこと。


「少しでも長く一緒にいたいのに。」

そう言った。



「いつもみたいに、行ってらっしゃいって送り出してくれよ。」

「空港で言ってあげるよ。」

「ダメだ。」

「イヤだ。行く。」

「はぁ・・・。アズもつらかったって言ったろ。

空港の帰り道。」

「うん。ふらふらだった。」

「僕も。」

「ふらふらだったの?」

「あぁ。」

「ふふ・・・。ウソだ。」

「ほんとだ。」

「どこで?」

「飛行機の中。」

「どうやって?」

「う~~ん・・・

とにかく気持ちがふらふらってことだ。

あ、トイレにいこうとしてふらついてスッチーさんにぶつかった。」

「スッチーなんて言わないでよ。おじさんだなぁ、もう。

CAでしょ。」

「CAさんにぶつかりました。」

「サイテー。」

「しょうがないだろ。気持ちがふらふらだったんだから。」

「意味がよくわかりません。」

「ヤキモチ妬いたか?」

「ちがうよ!」

「怒るなよ。」

「・・・・・・」

「アズ、ケンカはよそう。時間がもったいない。」

「これはケンカじゃないでしょ。」

「じゃあ、なんだ。」

「イチャイチャしてるの。」

「・・・・・」



楽しいのに・・・

寂しい。



大きな腕に包まれて、

温かいのに・・・・

悲しい。



あと少し・・・・




「アズ・・・」

「ん?・・・」

「説得力のある理由を思いつきました。」

「はい、なんでしょう。」

「家なら、ギリギリまでキスできる。」

「・・・・」

「そうだろ?・・」



そっと唇が下りてきた。

でも、ゆうべとは違う、静かな、短いキス。

10センチの距離で目が合うと、

ふっと笑ってまた抱きしめた。



「いい考えだと思わないか?」

「う~~ん。」


全然違うことを考えていた。


ゆうべの、痛いほど激しくぶつけ合うようなキスも、

嬉しかったなって・・・・

あんなのも好きだなって・・・・

そんなことを、

考えていた。



ほんとは、すごくキスが上手な人なのかもしれないと思う。

あの、彼女の、モデルのようなウォーキングを思い出す。こんな時に。

イヤだ・・・



腕を回してしがみついた。

もう他の誰にも、キスしたりしないで。



「なぁ、アズ。

もう許してくれ。

ここで見送ってくれ。」


「・・・・・・」


「そうじゃなきゃ、僕は、飛行機の中でふらふらになって、

またCAのおねえさんにぶつかってしまいそうだ。」


「わざとらしくぶつかれば。」


「アズ、これはケンカじゃないよな。

イチャイチャしてるんだよな。」


「そうだよ。」


「じゃあ、もっと優しくしてくれ。」


「優しくない?」


「あぁ、全然。

お前を残して行かなきゃいけないかわいそうな僕に、

もっと優しくしてくれ。」


そう言って、またぎゅっと抱きしめた。


「私もかわいそうなのに?」

うっかりこぼれた涙を

彼が唇ですくいとった。

何度も。






  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






雨が上がったと思ったとたん、どんどん晴れ間が広がっていく。

ちょうど彼の飛行機が離陸する頃だ。



いつも彼が履いていた庭用のスニーカーをつっかけて、

芝生の上に降りてみる。

午後の光が射して、露を纏った花や葉が輝いている。



今年の春の庭は、とにかくいっぱい花が咲いた。

彼がせっせと種を蒔き、球根を植えたんだ。

チューリップなんか、調子に載っていろいろな品種の球根を1つずつ買った。

咲いたのを見て

「なんだか節操がない感じになっちゃったな。」なんて言ったっけ。

そんなことを思い出しながら、自分が笑顔でいることに気づく。


マーガレット、ラナンキュラス、スノーフレーク、こでまり・・・

彼が丹精した場所に立って、

ここに生きているたくさんの命のエネルギーに包まれる。

ほら、こんな日だって、私はこうして元気になれる。

もしかして彼はそのために、こんなに庭を賑やかにしたのかもしれない。


きっとそうだ。


花たちが、“そうだよ。”と言っているかも。

“気づくの遅いな。”と。




  “アズ、雨上がりの庭はマイナスイオンでいっぱいだ。”

  “ほら、深呼吸してみろ“




両手を広げて目を閉じる。


     大きく息を吸って・・・

             吐いて・・・

               また吸った。




う~んと伸びをしながら目を開けると、

雨上がりの空を、

ひとすじの飛行機雲が横切っていった。

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