Lusieta

 

ジムノペディーⅡ 第2章

 

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ズンズンと歩いていく後ろ姿が、

追いかけて来るなと言ってる・・・ように見えた。

そして、背中はすぐに芸術棟へつながる角を曲がってしまった。



ボーッとしてしまう。



ふたりともいなくなって、

正門の広い空間に、私だけが残された。




「・・・・」




今のは・・・・なんだったんだろう・・・

ほんとにあの人だった?・・・

幻だったかも。




でも、

サカキ君が“叔父さん”って・・・


あの人が“どうも”って・・・







メールした。




     “おかえりなさい”


    
     “ただいま”





幻じゃなかった。




     “門のところで待ってていい?”



     “今日は教授と食事をして遅くなる。

      先に休んでいてくれ”





そうか・・・

遅くなるのか・・・

でも、とにかく今日会える。





わぁ・・・・帰ろう。

帰って掃除をしよう。



彼の部屋に掃除機をかけて、机の上とか拭いておいてあげなきゃ。

あ、布団乾燥機をかけて新しいシーツをつけておこう。


そう考えながら、新しいシーツまでいったところでハッとして、

顔が熱くなった。



帰ってくるのは何時になるんだろう。






それにしても・・・

怒ってるだろうか。

あんなじゃれあってるみたいなシーン。

サカキ君、“叔父さん”って言っちゃったし・・・








ーーーーーーーー








ちゃんと起きていようと思ったのに、

リビングのソファでうたた寝をしてしまった。



     あれ?・・・



なぜかしっかり毛布がかけられ、

テーブルに置いていたコーヒーカップもクッキーの袋もなかった。



慌てて立ち上がってお風呂を覗いたけどいない。

でも、湯気の温かさが残ってる。




ボサボサになっちゃった髪を直して歯磨きをして・・・

あちこちの電気をパチパチ切りながら呼吸を整えた。



ずっとスゥーハァー呼吸を整えながら、

階段を上った。



彼の部屋をノックした。



応答がない。




そっと開けると真っ暗で・・・

彼は壁を向いて眠っていた。


いや、絶対寝たフリだ。




     こんな子どもっぽいことしたりするんだ。

     ちょっと、嬉しいような、変な気持ち・・・




ベッドのそばに膝をついた。



「おかえり。」



「・・・・」



「起きてるでしょ。」



「・・・・」



「ねえ、まだ寝てないでしょ。」



「もう寝た。

オジサンは早寝早起きなんだ。」



「ぐふふ・・・・」



「・・・笑うな。」



「ごめん・・・」



「彼は、お前のボーイフレンドか。」



「違うよ! そんなわけないでしょ。

 ただの同級生だよ。」



「オジサンとしては、かなり気になる。」



「何言ってんのよ。」



「仲良さそうだったな。オジサンとしては・・・」



「もうやめてよ!!

せっかく会えたのに。

そんなんじゃないって言ってるのに。

なんでそんなふうに言うのよ・・・」



「あ・・・」



「・・・こんな意地悪・・・・しないで・・・」



やっと彼がこっちを向いた。



「すまん。」



「・・・・・」



「アズ、悪かった。

ちょっと拗ねてみようかと思って。」



「バカ・・・・」




あなたがそっと毛布を持ち上げた。


自分でも驚くほどなんのためらいもなく、

すっとその空間にすべりこんだ。



ぬくぬくと温かいその場所に入ると同時に、

ふたり言葉もなく抱き合った。



長い腕に包まれて、大きな背中に腕をまわした。

その胸に顔をくっつけてあなたの匂いを感じて・・・


でも、顔を見たい・・・

キスをしたい・・・



どちらが先かわからない、

二人ぶつかるように唇を重ねた。



あなたとひとつでいたい。

離れたくない。

もっと抱きしめていて。

もっとキスして。



こうして・・・・

どこにも隙間がないように。

唇も・・・

胸も・・・

足の先まで・・・・


離れずに、あなたとひとつでいたい。






「会いたかった・・・」



「僕も・・・アズ・・・」








  ーーーー









何度か目覚まし時計が鳴って、誰かがとめた。


そんな感じ・・・




きょうは何曜日だっけ。


今何時かな・・・


体の向きを変えようとして、なにか障害物に阻まれる。




      あ・・・・


      えぇっとぉ・・・

        えっと・・・えっと・・・

          なんだっけ・・・




「わぁ! わぁ~~~~あ・・・あ・・・あぁ!」



「お?・・・どしたんだ・・・」



「今何時? あ・・8時半・・・ハチ?・・・

       ハチジハン!・・・」







    ーーーー







駅まででいいって言ったのに、目的地まで送って行くって

下ろしてくれないからもっと遅くなった。


こんな時間は電車のほうが早いに決まってるのに。



     トホホ・・・



あれから二人、眠らなかった。

話したいことはいくらでもあった。

聞きたいことも。

窓の向こうが白々としてくるころにもう一度抱き合っって、

そのまままどろんだようだ。



何度でもキスしかった。

ずっとあなたに触れていたかった。

百回でも千回でも、全然足りなかった。






でも・・・・

今隣りでハンドルを握る人は、

ほんとにゆうべと同じ人だろうか。



タンクトップの上にすばやくジャケットを羽織りながら、

車のキーを取り、「行くぞ。」と言った。


玄関のドアの鍵を閉めてバタバタと門を出た。

四駆の助手席によじ登ろうとすると、運転席から手が伸びた。

しっかり握って引っ張り上げられた。


そんな小さなことが嬉しかったけど・・・



今はサングラスの横顔が、ちょっと近寄りがたい。

目的地に近づくにつれて、二人の会話もなくなる。




助手席からサカキ君に電話するのも、微妙だ。



「あ、私。

ごめん! 改札口には間に合わないから、

待たないで学校に向かってて。

うん、寝坊しちゃったの。

うん、学校の時間には間に合うと思うから。

え?・・・あ・・うん、車で送ってもらってるの。

うん、あの・・・昨日の・・・。

うん・・・そうなの。

間に合うと思う。

ほんとごめんね。

じゃああとで。」



こういう電話を切ったあとって、なんだかますます気まずい。



「誰の車に乗ってるんだって訊かれたんだろ。」



「あ・・・うん。」



「それで、あのオジサンかって訊かれた?」



「うん。」



「それで“うん、そうなの”って、答えたんだな。」



「・・・・そう・・・」



「彼はいくつだ。」



「同級生だもん、21だよ。」



「そうか。」




それだけ?

なんか、やな感じ・・・

また拗ねるってこと?・・・





あっ・・・前方をサカキ君が歩いている。



「あの、ここでいいわ。降りるから。」



止まらない。



「だからもうここでいいから。

ストップ! 私も歩かなきゃ!」



「なんでだ。彼が乗ればいい。」



「えぇ~っ!ダメだよ。私が降りるってば。」



そう言う間にクラクションを鳴らし、

振り返ったサカキ君に手招きしてる。







  ーーーー








あぁ・・・なんか変な感じ。




「おはようございます。すみません、僕まで。」



サカキ君が“僕”って言ってる。



「いえ、実験なんだってね。

ご苦労さまです。

電車のほうが早かったのに、僕の見当が甘くてね、

遅れて申し訳ない。」



「いえ、そんな。

これで間に合います。ありがとうございます。」



そのあとは会話が続かず、ただみんな前を向いていた。



赤信号で停まり、なおも続く沈黙をサカキ君の携帯が破った。

小さな声で話したあと、



「タカナシ、ミコ先生からだ。

ヨッちゃんとアツシが休みだって。」



「えっ!

もしかしてそれって、夜泣きが出ちゃった?」



「たぶんな。」



「あちゃ~~。ちょっと心配してたんだ。

やっぱり刺激強すぎたかな。

すっごくハイになってたし、パターン②の時は緊張してた。」



「最近は順応が早くなってきたから明日は大丈夫だろうって。

ミコ先生的には、ヨッちゃんもアツシも全然OKだと思うって。

そのあとの遊びが楽しくて興奮しただけだろうって。

こうやってだんだん刺激に順応していく途中なんだから、

今日もひるまずにやんなよって。」



「うん・・・うん。」



「こら、ひるむなよ。」



「大丈夫だよ。」




体をねじって振り向いて、じっとサカキ君を見た。

実はひるんでる。




「でも、ヨッちゃんとアツシがいないってことは、

ペアを組みなおさなきゃいけないんじゃないかって。

もし変えるなら準備するからすぐ連絡くれって。」



「そうか・・・」



「うぅ~ん。」



今度は違う沈黙だ。



「あのさ・・・

俺はさ、子ども同士のペアは変えないで、

今日だけオトナが入って昨日のままの組み合わせを

最後まで維持するほうがいいと思うんだ。

今回の実験にはペアの組み合わせそのものはゆるやかだし、

そんなに大きな影響はない。

それでもなるべく条件は変えないほうがいいと思う。

同じ条件でずっとやってるうちに、

あとでこっちが予期しないような現象が生まれたりすることあるだろ。

そういう時には、条件が同じだったってこと、重要だから。

っていうか、前提だ。」



「うん、そうだね・・・・

私もそう思う。

でも、入るオトナって・・・・」



「校長先生と教務主任のハヤテ先生にたのんでみよう。」



「校長センセ?!・・・って、つまりイチタニ先生?

ダイジョブ?・・・」



「うん。俺、けっこう最近しゃべるんだ。

“君も丸くなったね。オトナになったんだね。”って言われたから。

ハハ・・・」



「すごいじゃない! 天敵同士だったのに。」



さっきからぐっと体をひねって後部座席を向いたままで話してる。

大きな声で喜んだあと、

あ・・と思ってその人の横顔を盗み見る。




「ちょうど昨日出会ってさ、

実験のこと興味あるから行ってみるって言ってくれてたんだ。

今日こっちに来る日なんだって。」



「なんか・・・・

信じられない展開。ドキドキする。」



「ハハ・・・よく見てろよ。

丸くなったイチタニさん、おもしろいよ、きっと。」



「サカキ君みたいな学生に鍛えられてちゃんと丸くなれるなんて、

イチタニ先生、いいとこあるかも。ちょっと見直しちゃおうかな。」



「おっ、言うね。」



「でも、反応は?っていうか、演技?

ちょっと子どもになったつもりでやってもらうの?」



「いや、そのままで、先生の気持ちのままやってもらおう。

でも、手をつなぐシーンだけは・・・

昨日、俺たちが手つないだ時、

パターン①でヨッちゃんもアツシも模倣したんだ。

でもパターン②では模倣しなかった。

先生たちには、手を繋ぐ場面ではペア組んだ相手の動きに合わせてもらおう。」



「うん。」



そんな話をしながらも、ちょこちょこと隣りの人が気になっている。


無表情のまま運転してる。






「その信号を左に曲がるとすぐなの。」



「ん・・・・」



「・・・・・・」







  ーーーー









天ぷらうどん、かやくご飯とミニシーザーサラダ。

ここの学食は、ひとつひとつがちゃんとおいしい。

これは学生生活のなかで大きな幸運と言えるはず。





今日もなんとか終えた。

明日はヨッちゃんもアツシもきてくれることを願いつつ、

お腹ペコペコで大学にたどり着いた。






「お前ってほんと、炭水化物ズキだよな。」



「うん、よく言われる。今日は特別おなかすいてるしね。

朝抜きだから。

そういうサカキ君も日替わり定食と海鮮焼きそばって、

充分すごい。」



「あぁ、今日は夕方練習だからな。

今喰っといて練習前はたぶんゼリーだけだし。」




ふたりとも話しながら、食べる手を休めない。



「イチタニ先生、最高だったね。

サカキ君の言うとおりだった。」



「おう、今日あの先生見直したよ。

あんなにうれしそうに子どもと遊ぶんだな。

どうにもならない堅物の、権威主義のおっさんだと思ってたのに。」



「もしかして、ほんとにサカキ君とのバトルの連続のおかげかもね。

サカキ君ってさ、誰かと言い合ってても、

なんていうか・・・

ばぁ~ん!ってキレちゃったりしないでしょ。

どんな時も、フレンドリーなオーラ出し続けてる気がする。

えらいなって思ってたよ。」



「そうか?」



サカキ君が、ツーッとおみそ汁をすすりながらそう言った。

お椀を持つ指が、やっぱり優しくて優雅だ。

お汁椀も、ご飯茶碗も、サカキ君が持つと

“大切に扱われてる”っていうふうに見えるのはなんでだろう。




「そうだよ。

私なんかあの先生のこと、一時は顔見るのもいやだったよ。

遠くから歩いてくるの見えたら、

あいさつするのイヤで、トイレに入っちゃったりしたもん。」



「お・・・お前がそんなことするのか・・・」



「するよ。」



「お前も普通なんだな。ハハ・・・」




ご飯中だから?

ちゃんと口に手をあてて笑う。

なんだかかわいい。


指がきれい・・・



海鮮焼きそばをすーっとすすった。

男の子なのにこんなに食べ方がきれいなのは、

あのおばあさまのしつけかな?

それとも、そういう星のもとに生まれたの?

なにをしても優雅な星のもとに。

ぞんざいな言葉遣いが全然似合わない星のもとに。



「あの人な、しつこくゼミ室行ってると、

ある時すげえ笑いだしたんだよ。

君は根性があるねって。

こんな学生初めてだよって。」



「わぁ・・・」



「『私は学生に嫌われこそすれ、慕われたことなんてない。

もちろん君も私を慕って来てるわけじゃない。

異議を申し立てるために日参している。

なのに、何故だろう。

私とのコミュニケーションをあきらめない君に、

ある種の感動を覚えるよ・・・』

だってさ。

その時からなんだ。いろんな話をするようになった。

話してみるとけっこうおもしろい人だ。」



「サカキ君・・・」



「なんだ。」



「ちょっとカッコイイかも。」



「ちょっとか。」



「うん、だってあんまりほめるとまた調子に乗って自慢がはじまるから

ほどほどにしとく。」



「ひでぇ・・・」



「ふふ・・・・」




そう言っている間も、

ふたりともまったく箸がとまらないって・・・

我ながらすごい。





「あのさ・・・」



「ん?・・・・」



「家でもその喰いっぷりで毎日あの叔父さんとメシ喰ってんの?」



いきなりだ・・・



「あ・・・うん、前はね。」



「今は、違うのか?」



「うん、韓国の大学に帰ったから。

こっちで用事があって1週間いるらしいけど。」



彼の話題をサカキ君と話すと、

なんとなく居心地悪くなってしまうのは、

“オジサン”ってキーワードのせい?

サカキ君にとっては漢字の“叔父さん”だけど。



ほんとは叔父さんじゃないんだよって・・・

言ってしまいたいような、絶対言いたくないような・・・



「そうなのか。んじゃあお前、またひとりになったのか。」



「あ・・・うん、まあ、そうかな。」



「そうか・・・」



「うん・・・」



「んじゃ、昨日は久しぶりに二人で話し込んで夜更かししたのか?」



「え?・・・あぁ、うん、そんな感じ。」



もう、この話題、耐えられない。

勝手に顔が熱くなってくる。



「あ・・・噂してると叔父さんだ。」



「えぇ~っ?」



そうだ、美学の教授に用があるって言ってたんだ。




サカキ君がガバッと立ち上がって

「今朝はありがとうございました!」

なんて、いかにも体育会系らしい元気いっぱいな挨拶してる。



「あ・・どうも、お疲れさん。

このあとも実験?」



「いえ、このあとは記録です。ビデオ見ながら。」



「そう。頑張ってください。」



「ども・・・」



なんで私を見ないの?

それに、なんであんなに女の子たちが一緒なの?



「タカナシ、こら、タカナシ、どした?」



「へっ?・・・・」



「顔が怖いぞ。」



「へっ?・・・・」



「お前の叔父さんってさ、カッコイイよな。

大人の男って感じするよな。」



「そう?」



「それに、筋トレマニアの俺が見たところ、

あの体は相当鍛えてるな。

大胸筋、俺負けるかも。

中身、見てみてぇーー。」




中身・・・・

どうしよう。また顔が真っ赤になる。


下を向いてズルズルとうどんをすすると、

お約束のように、むせ返って咳き込んだ。



「ほら、そんなに慌てるなよ。ゆっくり喰えよ。」



サカキ君がわざわざ立って、

少し離れたテーブルのティッシュの箱を取りに行ってくれた。

その手に箱を渡したのは、あの人だった。



最悪だ・・・・

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