Lusieta

 

ジムノペディーⅡ 第3章

 

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お風呂から上がってくると、

夕食あとのテーブルにたくさんの資料を広げて、

あなたはPCと格闘中だ。


“エス エー エム・・・”

持って帰ったノートPCは、韓国の知らないメーカーのロゴ。

こんなことで、ちょっと寂しくなったりする。




「ココア、入れようか。」



「あぁ、サンキュ。」



PCから目を上げない。



「はい、どうぞ。」



「あぁ、サンキュ。」



見たのはマグだけ。

私を見ない。





  ーーーさっきのご飯のときだってーーー





「今日の午後は記録だったのか?」



「うん、そう。午前中の実験をビデオ見ながら集計するの。」



「そうか。今日はどうだった?」





どうだったって・・・・

寝てたからわからない。



黙々と食べながら質問を投げかける。

“スプーンを持つ手がサカキ君に似てるな”

なんて思ってしまった。




「うん、無事に終わったよ。」



「アズが記録をしたのか?」



「あ・・・うん、まあ。一緒に。」



「してないよな。」



「へ?・・・」



「熟睡状態だったじゃないか。

彼のジャケットを掛けられて。」



「えぇ~~!!」



「あんな場所で、よくあそこまで無防備に眠れるな。

あきれる。」



「あ・・・・あ・・・」



「二度通ったが、二度とも同じ姿勢で寝ていた。

となりで彼がリモコンをこまめに操作しながらずっとペンを動かしていた。

相棒は気楽なもんだな。」



「・・・見てたの?」



「あんなに丸見えなんだ。見ないほうが難しい。

そうだ、ギャラリーは他にもいたぞ。

お前はかなり女の子たちの反感を買ってるな。

気をつけたほうがいい。」



「・・・・・」



急に食べられなくなってきた。

あなたのリクエストで張り切って作ったシチュー。



ひどいな・・・

わかってて質問するなんて。



目を伏せて、ちっともこっちを見ないでそんなこと言うんだね。

スプーンの動作が規則的で、なんかすごく冷たく感じる。


ふと、お昼のサカキ君の手を思い出す。

やさしくお茶碗をつつむあったかそうな手。




なんだか無性に腹がたってきた。

むりやりシチューを口に押し込んだ。




あなたはバクバク食べてさっさと片づけ、資料を取り出した。

おいしいって・・・・

言ってくれなかった。






  ーーーほら、そのココアも、

     あなたは何も言ってくれないまま

     このまま冷めていくよねーーー







自分のココアを持ってラグに座り込み、

あてつけみたいにヘッドホンでテレビを見た。



おもしろくないバラエティーを見ながら、

意地になってるね、私。

もう30分以上あなたのほうを見ていない。


手の中のココア、とっくに冷めてる。





トントンと、資料をそろえる音が聞こえて、

我慢できずに振り向くと、

あなたは立ち上がって片づけはじめていた。

ヘッドホンをはずすと、

プリンターがウィ~ンと唸っていた。

出てくる書類はかなりの量だ。





きれい好きのあなたが最後にていねいに拭いて、

テーブルの上は元通り、一輪挿しのガーベラだけになった。




ココア、飲んだかな・・・・





「風呂、入ってくる。」



「うん。」







  ーーーー







髪をバサバサ拭きながら上がってきて・・・

そのまま冷蔵庫にビールを取りに行って・・・



テレビを見るふりをして、背中で彼の気配を追っている。




こっちにくるかな・・・



ラグに座る私の真後ろのソファに腰を下ろした。




ビールをゴクゴク飲む音が聞こえる。

あなたを見たい。

でも、何をきっかけに振り向こうか。





「朝、車の中の会話を聞いて思ったが、

彼は第一印象よりずっとしっかりしてるな。」




あぁ・・・

またサカキ君の話。




「そしてお前はかなり彼に頼ってるな。

気づいてないかもしれないが。」



「そんなことわかってる。

でも、あれはそもそもサカキ君の実験で、

私は手伝ってるだけだもん。」



「そうか。」



「・・・・・」



「・・・・・」



「あの、何か言いたいことがあるの?」



「別にない。」



「・・・・・」



「・・・・・」



「なんか、やな感じ。」



「なにが?」



「そんなふうにサカキ君の話するだけで、

私たちの話は全然しないね。」



「私たちの話ってどんな話?」



「そんなの・・・・」



「どんな話だ・・・」



「たとえば、ゆうべベッドで話してたみたいな・・・

楽しい話。」




こんなことだけで、顔が熱くなるなんて・・・




「・・・・」



「・・・・」



「そうだな。」



「・・・・・」




彼がソファからラグに降りてきた。

私の目の前のテーブルにビールの缶が置かれ、

そのままその腕に抱き取られた。



やっと大きな胸にもたれる。



「寂しいよ。」



「ん?・・・」



「一緒にいるのに、あなたは怖い顔してばっかり。

前はあんなにやさしかったのにな。」



「そうか。

僕は・・・そんなか。」



「うん・・・」





まだ乾ききらない私の髪に顔をつけながら、

あなたが言った。



「アズ、僕はどうしたらいい?」



「ん?」



「こんなにやきもち妬きで・・・・

どうしたらいいんだろう。」



「・・ん?・・・」



「訊いてるんだ。どうしたらいいか。」



「怒ってるんじゃなくて、やきもち?」



「そうだ。」



「そうなの?」



「そうだ。」



「ほんとに?」



「何回も訊くな。」



「ふふ・・・」



ホッとして、いっぺんに体から力が抜けていく。




「ん?・・・それって・・・サカキ君にってこと・・・だよね。」



「彼以外、誰なんだ。」



「んふ。」



「実験で、彼と手をつなぐのか・・・」



「あぁ・・・うん。なんで知ってるの?」



「毎回か。」



「そうだけど・・・

あ・・・車の中で話してたから?」



「・・・・あぁ・・・」



「気になる?」



「気になる・・・・」



少しうれしくなってくる。

なんだかもっといじめてみたくなるけど、やめておこう。



「私とサカキ君の間になんて、なにかあるわけないわ。

絶対ありえないもん。」



「ありえない?」



「そう、ありえない。

長い付き合いだけどね、ずっとこの調子で来たの。

彼は超モテモテ君でね、かわいい女の子がまわりにいっぱいいるの。

私はそういう対象外だよ。」



「そうかな。そうとは限らない。」





ため息と一緒に腕に力がこもり、

あなたの顎が私の頭のてっぺんをグリグリしてる。

少し痛い。




「ねぇ・・・」



「なんだ。」



「他の人の話はもうこれくらいにしたいよ?」



「あぁ・・・

そうしよう。」






体をねじって振り向いた。



     キスがほしくて・・・・










ーーーー









三日目の朝はちゃんと起きた。

と言っても、彼のおみそ汁の匂いで起きたんだけど。



「おみそ汁、すごくおいしい。」



「そうか、よかった。」



「あのね、お願いがあるんだけど。」



「なに?」



「あなたが起きる時、私も一緒に起こしてほしいの。」



「なんで?」



「あの・・・・ベッドの中でおはようって言って、

一緒に起きたいの。」



これだけで、また顔が熱くなる。

でも、ずっと言いたかったこと。



「目がさめてあなたがいなくて、一人なのは寂しいから。」



「そうか・・・・

実は今日も起こしたんだけど。」



「えっ?! そうなの?

私が起きなかった?」



「あぁ。」



「・・・そうなの?・・・」



「どうしてもっていうことなら明日・・・って言いたいんだけど。」



「ん?」



「アズ、今日から京都へ行く。」



「えぇ~?!」



「だから、明日と明後日と、その次も、起こしてやれないんだ。

ごめんな。」



「・・・・」



「アズ?・・」



「なんで今言うの? もっと早く言ってよ。」



「すまん。ほんとにさっき電話があって急に決まったんだ。

すごく大事なことで、今日じゃなきゃ会ってもらえない人がいて・・・

他にも京都のいくつかの美術館に・・・」



「私も行く。」



「え?・・・」



「うそだよ・・・・」



「アズ・・・

土曜日は早い時間に帰ってくる。」



「・・・・」



「アズ?・・・」



「私はいつも会いたいの。

いつもいつも会いたくて・・・

帰るっていう連絡を待ってるの。」



「・・・・」



「あなたはこんなふうに突然帰ってきて、

途中いきなりいなくなっちゃって・・・

私はひとりでまた待って・・・・

そしてやっと帰ってきたら、

二晩でもう海を越えて行っちゃうんだね。」



「すまん。」



「わかってる。

あなたのせいじゃないよね。

全部急に決まるんだから。

しょうがないよね。

私は意地悪言ってる。

わかってるんだけど・・・」



最後はもう消え入るような声になる。




「・・・・」




どうして私はいつもこう、

言わなくていいことも言ってしまうんだろう。



そして・・・・

どうして勝手に涙が出るんだろう。

どうしてこんなに大人じゃないんだろう。



あなたが立ち上がってこっちに来る。



「アズ、ごめん・・・

そうだよな。毎日、寂しいよな。」



「あなたは・・・悪くないよ。

私が子どもなだけ。」



座ったままの肩を引き寄せて、頭を抱え込む。



「ごめん・・・・」




あなたのせいじゃないのに、

こんなに恨み言を言ってしまう。

何度もごめんと言わせてしまう。




「出発・・・何時?」



「昼前に出る。

帰ってくるのは・・・多分土曜日の午後だと思う。」



「・・・・・」



「アズ、すまん。

大事な仕事なんだ。

分刻みで人に会う。

美術館の所蔵品を見せてもらって話をして・・・」



「うん。わかった。

私、すぐ感情的になっちゃってごめん。」




もう私の出発の時間が迫ってる。




「じゃあ行くね。

京都、気をつけて行ってきてね。」




やっぱりニコニコはできないけど許してね。

私はこんなちっぽけなヤツ。




「送るよ。」



「いいよ。」



「送らせてくれ。

学校まで・・・」



「イヤだ。」



「え・・・」



「まだ気持ちを鎮められないの。

だからひとりのほうがいい。

ごめんね。

こういう時、気持ちをうまくコントロールできなくて。

子どもでごめん。

普段はこんなことないのに。

あなたのことになると、ほんとに私、おかしくなっちゃう。

ダメだね。

電車の中で切り替えるから。」



「アズ・・・・」



こんな尻切れトンボなセリフを吐いて、

ガタンとイスから立って、あなたの腕を離れた。


きっとあなたは、あの困ったような優しい顔をして

そこに立ってるんだね。




振り向いて顔を見ることもできないで・・・


あなたをリビングにおいてきぼりにした。







   ーーーー





かろうじて涙は止めたけど、

ぐちゃぐちゃな自己嫌悪と悲しさでいっぱい。

操縦不能の心持ちのまま電車を降りた。




これから先も私は、

あの人のことになると、こんなに心が乱れるんだろうか。

心が乱れて急に泣いたり怒ったりしてあの人を困らせるんだろうか。

ゆうべのあの幸せな時間から、まだ数時間しか経っていない。

これからもこんなふうに、

ジェットコースターみたいに心が浮いたり沈んだりするんだろうか。




人混みの向こうに、頭一つ突き抜けたサカキ君が見えた。

超然として立っている。

揺らがずにそこに一日立っていそうなくらい。



そうだ、今日もあそこに向かうんだ。

改札口を境界線にして切り替えよう。



安心の目印みたいなその場所に、人混みを縫ってたどり着く。




「おはよう!」


「ウッス!」




「なんか、お前、目赤い? また寝不足か?」



「えっ、そう? 花粉症かな。」



「もうシーズン終了だろ・・・」



「あ、そうだっけ・・・」



「・・・まあいいや。今日もがんばろうぜ。」



「おぅ!」







なんか・・・


  大丈夫そうだ・・・・







   ーーーーーーーーーーー









ヨッちゃんもアツシ君も、今日は元気に復活だ。

二人ともお休みが1日だけで、しかもこんなに表情が元気。


ミコ先生が言ってたとおり、

新しい刺激への順応が早くなったんだなと実感する。




私たちが来たのを見ると、

ヨッちゃんが嬉しそうにピョンピョン跳びながら迎えてくれた。

それからずっと、サカキ君のこと目で追ってる。


うんうん、知ってるよ、ヨッちゃん。

大好きだもんね、サカキせんせのこと。





あの実習の時サカキ君は、ヨッちゃんたちのなかなか聞き取りにくい言葉を

早くに覚えて理解できるようになっていた。

先生たちもびっくりだった。



実験を終えて遊びの時間になると、

今日もヨッちゃんはサカキ君の手をひっぱった。


ミコ先生がひとこと。

「ヨッちゃん、またたぬきウンチだ・・・想定内ですね。」



実習の時のミコ先生命名「たぬき寝入り」ならぬ「たぬきウンチ」


ヨッちゃんはサカキせんせと二人きりになりたがる。

「ウンチ」と言うと、サカキ君はトイレについて来てくれる。

そして、便座にすわるヨッちゃんと見守るサカキせんせは差し向かい。

ふたりは楽しく歌をうたう。



「サカキせんせは甘いよね。ヨッちゃんは確信犯なんだからさ。

甘やかさないでよね、ホント・・」


そう言いながらミコ先生は笑ってる。




ほどなく、トイレから二人の歌が聞こえて・・・・



     “グーチョキパーで  グーチョキパーで 

            なにつくろ~ なにつくろ~


      みぎてがチョキで ひだりてがグーで

            かたつむり~ かたつむり~”




チョキが苦手だからパーとグーになるヨッちゃん、

この歌が大好きだ。

この歌が好きなのか、それとも・・・

サカキせんせとこの歌をうたう時間が好きなのか。



気づくと教室にいる子たちが、

トイレから聞こえる歌に合わせて体を揺らしてる。



手でカタツムリを作ろうとする子も、

ただ両手を上に上げて体を揺らしてる子も、

楽しそうだ・・・



     “みぎてはグーで ひだりてもグーで

          あんぱんマーン あんぱんマーン・・・”




グーを作ったついで?

アツシ君がサキちゃんのほっぺをコツンとやった。


クラス一番の泣き虫サキちゃんは、わぁ~んと泣き出した。

泣きながらこっちに来る。

左手はほっぺ。右手はまっすぐ私に向けて。


急に切なくなって胸が詰まった。


サキちゃんを抱きしめると、

首に巻いたバンダナがもうぐっしょり濡れてる。


笑ったり大きな声を出したり・・・

唾液もいっぱい溢れたみたいだ。

午前中で2枚使ってしまいそうだな。



バンダナを取り替える間も、サキちゃんは私に抱きついたままだ。

保護帽のゆがみを直すと、

そのてっぺんを人差し指でつつきながら、「あー」と言って教えてくれる。

そう、お母さんが毎日結んでくれる、日替わりのリボン。



「リボン、かわいいね。」



サキちゃんが、うんうんと頷いてニコニコ笑って、

いっぺんに機嫌が直る。

ひまわりみたいに笑う。




あぁ・・・・

毎日ここで、私のほうがみんなに頭をなでられて、

エネルギーを注入してもらってるよね。


だから、ちゃんと復活しなきゃだな。






ヨッちゃんとサカキ君が手をつないでトイレから出てきた。



サカキ君、笑いながら

「ウンチ、出ませんでしたぁ~。」


いつものセリフだ。

でもヨッちゃん、すっごく満足そう。






サカキ君が言った。


「タカナシせんせ、まだ目が赤いですね。」



「あ、そうですか?」



「しつこい花粉症ですね。」



「あは、はい・・・」




それを聞いたからか、

サキちゃんがほんとに頭をなでてくれた。

また目が赤くなってしまいそう。




されるままになりながらサカキ君を見ると、

彼もこっちを見てた。




そっと笑って頷いて・・・


でも、すぐに遊び虫に変身してしまった。


私も後を追って変身した。

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