Lusieta

 

ジムノペディーⅡ 第4章

 

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4日目の実験の記録を終えて、練習に行くサカキ君を見送った。

4日目ともなると記録のしかたも要領を得て

所要時間は初日の半分くらいになったかもしれない。

いよいよ明日で最後だ。



備品の補充で生協に行ったら、ばったりノッコに会った。

久しぶりだから来い!と強引に誘われて、

そのまま一緒にチョウソベヤに行くことになった。




どうせあの人は今日も明日も帰ってこない。

日が暮れたら屋上に上がって星を探そうかな。






「ポーちゃん、元気にしてる?」



「あ、ポルコのこと?」



「え?・・・あ、そうか。

正式な名前はポルコか。」



「正式って・・・野良だからね。

ほかの場所では違う正式な名前があるかもしんないけどね。」



「アハ、それはそうだ。」



「でも、最近大学では名付け親のところにいりびたって、

いいものばっか食べてるんだよ。

ほんとに名前どおりの猫になっちゃいそうだよ。」



「名前どおりって?」



「だからさ、ブタ猫。

ノムラ先生がさ、野良でも強く逞しく生きて、

ブタのように太れよって。

んでポルコってつけたんだよ。」



「フランス語だった?」



「イタリア語だよ。」



「ノッコって詳しいね。

あ・・・ポルコ・ロッソって・・・あったよね。

なんだっけ・・・」



「『紅の豚』だよ。」



「あ、私そのDVD見たことあるわ。」



「誰と?」



「誰だっけ・・・・」



「私とだよ!」



「あ・・・・そうか・・・」







チョウソベヤの面々と久しぶりに会い、

淹れてもらったコーヒーを飲みながら、

みんなの制作風景を見ていた。

あぁ、なんだかシアワセな気持ちになる。

この空気全部が懐かしい。



今よりもっともっと子どもであぶなっかしかった私を、

そのまま包んでくれた場所。

部外者の私を受け入れ、

ただじっとそこにいることを許してくれた場所。





「ソッセイ(卒業制作)のテーマ決まったの?」



「うん、決まった。

採用試験の一次が終わってから始める。」



「そうか。」



「アズミは?」



「私も。」



「ジュオン先生が行っちゃってから、

あんたあんまり、っていうか全然ここ来なくなったね。」



私がいてもさっさと作業を始めたノッコは、

手を休めないで、こっちを見ないで核心部分をついてくる。



「やっぱ、ここに来るとジュオン先生思い出して寂しかったとか?」



「え?・・・あ、そんなんじゃないよ。

ゼミが忙しかったったんだよ。」



「ふぅ~ん。

こっちはさ、あんたが来なくなって寂しかったよ。」



「あ、ごめん。

っていうか、ありがと。そんなふうに言ってくれて。

お邪魔虫なのに。」



「あは、そんなこと思ってたの?

いつもデカイ顔してるから全然そんなふうに見えなかったよ。」



「ふふ・・・・」



「シュウなんか、自分が告白なんかしたから

あんたが来づらくなったんだって落ち込むし。」



「あ・・・・、そんなふうに言ってたの?

そんなんじゃないのに・・・」



「今度あいつに会ったらさ、

フレンドリーにしゃべってやってよね。」



「あ、うん・・・」



「でもさ、あんた発達心理の超イケメンといい感じなんだろ?

シュウはかわいそだなぁ~。」



「へ?・・・」



「シュウもなかなかイケてるほうだと思うけどさ、

あんなすごいヤツじゃ勝ち目ないもんな。

もう付き合ってるの?

ほれ・・・ちゃんと私に報告しなさいよ。」



「何よ、それ・・・何?・・・

ち・・・違うよ。誰が言ったのよ。」



「えっと・・・誰だっけ?

ひとりじゃなかったよ。何人かが言ってた。

まあ、4年生の中でナンバー1って言われてるんだろ、あの子。

みんな注目してるんじゃない?

よく一緒にいるらしいじゃん。そりゃ噂もたつよ、

ちいさな学部なんだから。」



「ノッコぉ・・・」



「よかったじゃん、ジュオン先生がいなくなっちゃったけど、

あんな彼氏がいたらOKじゃん。

ちゃんと付き合っちゃえばいいじゃん。」



「だから・・・・そんなんじゃないよ・・・

全然違うんだってば・・・・

あぁ・・・なんだよそれ・・・」



芝居じみた仕草で大げさにソファにひっくり返った。



「ねぇ、お願い、ノッコ。

今度そんな話題が出たら、全然違うって否定してね。

ほんとに違うから。」



「いいじゃん。そんなに激しく否定しなくても。

そのうちほんとのことになるかもしれないんだから。」



「はぁ・・・

それは絶対あり得ないの。」



「なんで?」



「私・・・あの・・・

ほかに好きな人いるから。」



「え?・・・マジ?・・・・

シュウに言ったのって、あのイケメンのことじゃないの?

なんだよ・・・№1男じゃなかったのか。

んじゃあ、誰だよ。

シュウより、あのイケメンより上を行くやつなんてさ、

この大学にいたっけ?」




別に、上を行かなくてもいいんだよ。

私が好きなら・・・・



オジサンでも・・・





「・・・・いつか、言うよ。」



「とか言って、ずっと片思いしてるだけなんだ、君は。

どぉ~んと当たってくだけたりしないからな。」



「・・・・」



「あのさ、そんなんじゃ一生誰ともつきあえないよ。

好きならどぉ~~んと行けよな。

とりあえず告白してみな。」




だからさ・・・

片思いじゃないんだけどな。





「アズミなんてこのままじゃ一生バージンだな。」



「!!!・・・・」



「あぁ~、しかし・・・・

アズミに彼氏ができたりしたら、

溺愛の保護者ジュオンくんはどうなっちゃうのでしょう。」



「・・・・」



「わかった。

アズミ、あんたに彼氏ができるのは、

ちゃんとあの保護者にも彼女ができて、

無事に身を固めてからでいいや。

そうじゃなきゃ、彼はそこらの父親よりもやっかいだわ。」



「あ・・・あは・・・そうかもね。」




ノッコ・・・




「好きな人がいるってのもさ、

やっぱ当分言わないほうがいいよ。

今ジュオンくんはとっても大変だから、平常心でいないとね。

大事な大事なアズミのことが心配で、

今回のお仕事でポカしたら大変だぁ~。」



「大変って? 仕事って?」



「え?・・・

アズミ、知らないの?」



「知らない。あんまり仕事の話しないもん。」



「そうなんだ。

じゃあ今回何しに帰ったか知らないんだ。

あぁ、でも説明されてもアズミにはわかんない話だけどね。」



「あ・・・ひどい。」



「なんかさ、うちの美学のナカニシ先生と一緒に

文化庁のエラい人のところに行ったみたいだよ。

後援もらったり助成金の申請したりするんだって。

すごいんだよ。」



「文化庁・・・」




「ショウショウハッケイズ(瀟湘八景図)っていうのがあるんだけどね、

中国の瀟湘って地域の美しい風景を描いた絵があるんだよ。

っていうか、中国の一番最初の原画はもうないんだけどね、

韓国と日本の画家がそれをリスペクトしてそのまま同じ題名で描いてるの。

日本で描いたのは、狩野派の・・・元信だっけか・・・ん?・・・忘れた。

それに習って『近江八景図』とか『金沢八景図』とかも描かれたんだ。」



「ふぅ~~ん・・・」



「ほら・・・興味なさそ・・・

まあいいけどさ、東洋の美術史の中で、

日韓中が深い縁を持つその瀟湘八景図をテーマに、

韓国でシンポジウムを開くことになったんだって。

んでさ、三つの国の文化庁みたいなところに

それぞれの国のメンバーが掛け合って後援や支援をもらおうとしてるみたい。

人だけじゃなくて、3つの国のたくさんの絵が

韓国で一同に会せる企画に!ってことらしいよ。

その流れを汲む水墨画がいっぱい集まるんじゃないかな。

うぅ~~ん、アズミ、わかる?」



「すごいってことは、わかる。」



「そう。

んで、日本のことはジュオンくんが中心に進めてるんだな。」



「それは大変。

なんか・・・想像つかないくらい大変そう・・・」



「行政だけじゃないよ。

企業とか回ってスポンサーになってもらったりして、

んで美術館に絵を借してくれってお願いしなきゃいけないし・・・

とにかくすごいプロジェクトなんだよ。

もう・・・ジュオンくんはめちゃめちゃ大役背負ってやって来たのさ。

わかった?」



「わかった・・・・」



そして、そんな大変な人が、

あんなに低い次元で駄々をこねる女の子を相手に、

『ごめん、ごめん・・・』って、

ただ謝ったんだってことも・・・


わかったよ。



言い訳すればいいのに・・・






屋上で星を見上げるその時に・・・

閉門ギリギリに大騒ぎでダッシュして飛び出すその瞬間に・・・


あの人が浮かぶ。




今、何してる?





ノッコとラーメンを食べて帰った。

当たり前だけど、帰り着くと家は真っ暗だった。







  ーーーー







ラーメン屋の油と煙草の匂いを早く落としたくてシャワーを浴びた。

上がってくると、リビングは少し肌寒い。




メールの着信を知らせるランプに飛びついた。



あ・・・

サカキ君だった。



サカキ君、がっかりなんかしちゃってごめん。




     “調子はいいか?

      いよいよ明日で最後だ。よろしくな。

      叔父さんに起こしてもらえなくても遅刻すんなよ!

      なんならモーニングコール、承るぞ(▼▼メ) y-゜゜”




ふふ・・・



     “そんな怖い顔で承ってもらわなくても、大丈夫だよ(--;)

      ちゃんと起きてちゃんと行くからね。

      明日もよろしく(*^_^*)”



なんのひねりもない平凡な返信だな。




起きてると寂しいから、さっさと寝ちゃうことにする。

あの人のベッドで。



眠れないかと思ったら、そうでもなかった。

夢の中で着信音が聞こえて、寝ぼけたままで読んでいた。



     “アズ、元気か?

     京都はおもしろいぞ。

     どこに行っても、お前を連れて来たいと思ってしまう。

     今日美術館の館長さんが立派なところに食事に連れて行ってくれた。

     そしたら舞妓さんが来たんだ。驚いた。

     舞いを見たり、一緒に座敷遊びをした。

     小さくてかわいかったぞ。

     どうだ。ヤキモチを妬いたか。

     お前にヤキモチを妬かせたくて報告してみた。

     たくさん飲まされて、久しぶりにかなり酔ったよ。

     じゃあおやすみ。

     明日、ちゃんと起きられるか?

     なんならモーニングコールするぞ。”




サカキ君と同じこと言ってる。

私って、そんなか・・・



今日の仕事も、きっとすごく大変だったんだよね。

これって接待だったんでしょ。

そんなのできるの?

偉い館長さんのこと、おだてたりご機嫌とったりしたの?

ちゃんと、絵を借りられるようになったの?



絵を借りて、お金を集めて・・・



スーツを二着準備してたね。そのためなんだね。

全部自分でちゃんと準備して、

私がしてあげることなんてなんにもなくて。




だからせめて、ちゃんとヤキモチ妬くよ。




     “ふぅ~ん、

     舞妓さん・・・10代なんだよね。

     私よりも若いんだよね。

     「かっこいいドス」とか言われたりしたわけ?

     帰ったらもっとたっぷり報告きかなくちゃ。

     覚悟してよね( ̄‥ ̄)=

     モーニングコールはけっこうよ。

     ちゃんと起きるもん!!

     じゃあね、明日もお仕事頑張ってくださいo(^-^)o




送信してからまたすぐに送った。





     “やっぱりモーニングコールしてほしいです。

      声を聞きたいから・・・・”







   ーーーー







     ねぇ、早く目覚まし、とめてよ。

     どこ? とめてよ。



     あれ?・・・なに?・・・

     携帯?・・・・・


 
     あ・・・・・




「もしもし・・・」



「あ・・・起きたか?・・」



「うん。ありがと・・・おはよう。」



「あぁ~よかった。

よけいなお世話かと思ったんだけどさ、

段々不安になってきて、最終日だからさ、念のために・・・」



「ん?・・ん?・・・誰?・・・」




「え?・・・は?・・・」



「ん?・・・」



「あの、タカナシさんのお宅ですか?」



「はい、そうです。」



「あぁ、びっくりさせんなよ。誰だと思ったんだよ。

俺だよ。」



「あ・・・サカキ君?」



「あぁ、今やっとわかってくれたのかよ。

泣ける・・・・。

このあと二度寝すんなよ。んじゃあ、あとでな。」



「うん、ありがと。」




サカキ君だった・・・


あの人は?・・・



送信ボックスを確かめる。

ちゃんと送ってる。

おかしいな。

返信がない。




がっくり来たら・・・

ほんとに二度寝してしまった。

また8時半。

歯磨きとリップクリームだけで飛び出そう。

今日は送ってくれる人がいない。


バタバタと出かける準備をしながら電話する。



「ごめん、ほんとに二度寝した!」



「泣ける・・・」



「先に行ってて。タクシーで行くから。」



「待っててやるから、一緒にタクシー乗ろうぜ。」



履こうとしていた靴がなかなか履けなくて、

下駄箱の上に携帯を置いて、両手を使ってやっと履いた。



そして・・・

携帯を置いたままにして家を出てしまった。









   ーーーー











連絡、くれてるかな。

家に忘れちゃったんだって知らせたい。

あぁ、やだな。

学校でみんなと遊んでる時は忘れられたのに。




「お前、今日あんまり昼メシ喰わなかったな。

朝も抜きだったんだろ。

テンションだけは高いのに、食欲はないのか。」




「うん、胸がいっぱいって感じかな。」



「大丈夫か?」



「うん、大丈夫。」






記録がやっと終わって、

サカキ君が、また儀式のように丁寧に備品を片づける。

なんでだろ。

それを見ていると眠くなる。



きれいな指・・・

あなたを思う。



どうしてるの?





     ねぇ・・・

     なんで声を聞かせてくれなかったの?

     
     携帯の電池切れかな。

     酔っぱらって寝ちゃった?

     二日酔いだったりして・・・

     大丈夫かな。

     今日もちゃんと仕事できてる?



     
     ねぇ・・・

     わがまま言ってごめんね。

     こんな子どもでごめん。




     ちゃんと待ってるから。


     でも・・・・

     ひとりの家は、やっぱり寂しかったりするよ。







「タカナシ・・・オイ・・・起きろ・・・」



肩を揺すられ、泣きたいのに泣けない世界から引き戻された。



「お前・・・大丈夫か?」



「へ?・・・あ・・・」



「起きてる時はやたらテンション高くて、

眠るとドツボで真っ暗っていう・・・

今日はそういう日か?」



「あ・・・・」



「寝言言ってたぞ。」



「うそ!・・・なんて?!・・・」



「“ごめん”が2回と、“でも”が1回。

あとは、うぃ~~んと唸ってた。」



「・・・・・」



誰かの名前じゃなくてよかった。



「なんか・・・・あったか。」



「ううん、なんにもない。」



「私もともと、すぐごめんって言っちゃうよね。

夢の中でも謝ってるんだね。

なんか、情けないな。ハハ・・・」



「タカナシ、

自信なさそうで、実はありそうで・・・やっぱ、なさそうで・・・

悩みなんかないって顔でいつもニコニコしてるのに、

時々すげえ複雑そうな顔したり・・・

なんか・・・お前ってさ・・・なんていうか・・・

無理してるか?・・・」



サカキ君、今そんな直球投げられたら・・・困ちゃうな。

私、そんなにミエミエなんだな。



「何も、無理なんかしてないよ。

あ・・・今日はちょっと最終日で、

なんだかいろんな気持ちになったけどね。

ホッとしたような、寂しいような・・・

ヨッちゃんさ、今日でおしまいって言ったら、

すっごく寂しそうな顔したよね。」




養護学校のみんなにさよならをした。

教室の窓から手をふってくれるみんなを見て、

鼻の奥がツンとした。




今日でおしまいってわかったヨッちゃんは、

その時からサカキ君の首にしがみついて離れなくなった。

黙ったままじっと背中にくっついている。


サカキ君はそれから30分、

何をするにもヨッちゃんを背負ったまま動き回った。

ヨッちゃんはニコニコ嬉しそうで・・・

そして最後にミコ先生に抱き取られて離れる時は、

なんとも言えない表情で手だけを伸ばしてた。


「もうちょっと・・・」そんなポーズ。


でも、駄々をこねたり怒ったりしない。

でも、でも・・・バイバイもしない。

ただ黙ってじっとサカキ君を見つめて

それがヨッちゃんオリジナルの送り出し方だったんだと思う。


ヨッちゃん、今日夜泣きしたりしないかな。




今日の私の心持ちは、

そんな最終日の感傷とぐちゃぐちゃになってるからかもしれない。

きっとそうだな。








「それだけか?」



「それだけ。」



「ほんとか?」



「ほんと。」





サカキ君が首をかしげて私の目をのぞき込んだ。

そしたらその瞬間、「キャー」っという叫び声が聞こえたような気がした。



ドキッとして目を上げると・・・



「わぁっ!!」




ギャラリーが・・・・

あぁ・・・10人はいるかな。



なんという事態でしょうか。

絶対誤解されたよ・・・



サカキ君はニコニコ手を振ってる。



「あのね。サカキ君・・・

今誤解されたんだよ。」



「どんなふうに?」



「どんなふうにって・・・・」



「俺がキスしようとしたって?」



「・・・・」



「せっかくだから、しようか。」



「バカ!」



そう言いつつ、私はもうギャラリーのほうを見られない。



「じゃあもうここは終わりにして、アンジェラ行こう。」



「へ?・・・・」



「ほら、初日の続きだ。

残念ながらお前のかっこいい叔父さん登場で延期となった

あのアンジェラのアフタヌーンケーキセットだ。

それで目を覚ませ。

んで、なんだか知らないが、

その苦しいことをちょっとの間忘れてしまえ。」




「・・・・あ・・・」



「さあ、行くぞ。」





まるでこのあいだの再現フィルムのように、

私たちは同じ道をたどって、

その場所に向かった。

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