Lusieta

 

この場所から ~ふたたびの陽射し Ⅰ章 3~

 

konobasyo1_title.jpg




なんでここに特急が止まるの?と言いたくなる小さな駅。
全国的に有名な温泉へのアクセスとして、重要な駅らしい。
と言ってもその温泉は、ここからさらに直通バスで1時間かかるそうだ。

私たちが目指すのはそこじゃない。

この街は、タコ足のように奥へのびる何本かの谷の拠点のような位置にある。

つまり、何本かの川が集まって大きな流れになる合流地点ってこと。
その川のうちの1本をたどると上流に上品な温泉街がある。

でも私たちが目指すのは別の谷
清流をたどって上る


駅からのタクシーを途中で降りて山道を歩き始めた。
このまま歩くと1時間程度で宿に着くみたい。

ドライバーによると、その宿を利用する人は
よくこの辺りで急に「下ろしてくれ」と言うらしい。
あまりの風景の美しさに、車で素通りすることなんてできないのだろうと。

その言葉に素直にうなずく。
こんな景色の中を、あっという間に通り過ぎるなんて、

そんなことできないよなー。

道路以外は手つかずの自然。
道の左手には川、右手は山肌。


昔は人と馬がやっと通れる道がついていたと、ドライバーの話。
気を緩めると深い谷川に落ちる、昔の人の通行は命がけだったって・・・。


ドライバーの話を聞きながら、映画『もののけ姫』を思い浮かべていた。

    ・・・・タタラ場に戻る途中で川に落ちたのは 
                   馬じゃなくて牛だったな・・・・
 
   ・・・・落ちた牛飼いの声やってたの 小林薫? 
                   ちがうな~・・・西村雅彦?・・・・


なんて、ぼ――っと考えてた。


いきなり彼が
「アヤノさん、『もののけ姫』見ました?」

     ・・・・あ、まただ・・・・


彼と私、何かの拍子にふと思い浮かぶことが同じ?
そんな感じがさっきからしてる。


「うん、見たよ!
さて問題です。タタラ場に帰る途中で、川に落ちた動物は?」


「牛ですね」
即答、悔しい。


    ・・・・・・・・・・・・・・ 


実は、すごく気持ちよくて最高にいい気分なんだけど
同時にさっきから湧いてきた胸のザワザワは
どんどん大変な状況になって来てる。


テヤンと一緒にいるだけで、例の・・・必死で閉めてるフタが
ボコボコ開きそうになる感じがして、ちょっと苦しい。

フタを開けるまでもなく、
テヤンが一瞬にしてその世界に連れていってしまいそうで怖い。

なんて言ったらいいのかな。
顔は全然違うのに
においとか、並んで歩くときの気配みたいなもの
そんなものがカイといっしょなんだって、気づいてしまった。

楽しいのに苦しくて、
苦しいけど、嬉しい

どうしたらいい?

    
    ・・・・・・・・・・・・・・


空気の違いってこれなのか。
さっきまで呼吸していたあの街とは明らかに違う

でもなんと形容していいかわからない。
肺の中が磨かれていく感じ? ・・・・・

「キレイですね」とテヤンが言う。
ため息と一緒に吐き出される言葉。ほんとに感激してる様子が伝わってくる。

私は、わき上がってくる胸のザワザワを抑えて
「ほんとにキレイね」って言った。

雑木林は、常緑樹の中に紅葉する木々が点在して、もこもこと立体的な織物のよう
  
    ・・・・これって『や~まのふもとーの すーそーもよう~』って歌うアレ?
                   『おーるぅニーシーキー』だっけ? どっちだ?


そんなこと、考えてたら、いきなりテヤンが

「みーずのうーえにーも おーるぅニーシーキー」

     ・・・・えっ? 知ってるの? しかし、またテレパシー状態だ・・・・


振り返るとテヤンはあまりにも美しく佇んでいて
ぼーっと見てしまう。
きれいな横顔。

見た目が良すぎるよなー。あらためて、なんだこりゃー!だわ。
普通あなたは被写体よね? 私が写真うまかったら絶対モデルにする。

長い手足、服の上からもわかる筋肉、小さい顔、どの角度から見ても完璧にハンサムな顔面。
そしてその佇まい全体を覆う気品。


おぉっと~、イケナイ・イケナイ、仕事だ!正気に戻ろう。


     ・・・・でも・・・さっきから彼が変だ・・・


「アヤノさん、そのまま歩いていてください。」って言いながら
後ろに戻っていって、私が振り返ると
「歩いていってください!」だって。

今度は前に走っていって
「アヤノさん、こっち向いてくださ~い!」

 
        ・・・エーッ!!なんでー!・・・


デジカメと一眼レフをあれこれ取り替えながら、彼が構えてる。

切れた・・・

「冗談やめてよ。フィルムの無駄遣いしないで!
仕事しに来てるんです!
 プロとして仕事してください。」


さっきまでのフレンドリーモードから一変、私はまくしたてた。


エッという表情で彼がカメラから目を離した。
「これ、仕事ですよね。」

     ・・・なんで?・・・

「編集長から聞かなかったですか? 僕はアヤノさんを撮ることになってます」

「・・・・」

「もちろんアヤノさんだけではありません。山も川もいろいろ撮りますが。
心配しないで。グラビアアイドルみたいに撮るんじゃありませんから。」

     ・・・笑ってる・・・冗談言ったつもり?・・・


「でも、ほんとに聞いてないんですか?」

「・・・・」

「どうしたんですか? 大丈夫?」

わかったよもう。あなたのせいじゃない。
これは、私と編集長の問題。


怒りがMAXに達すると、私は表情がなくなるんだ。
兄ちゃん、覚えといてね!


黙ってウェストバッグから携帯をとり出す。
こうなったら編集長に一発発射しなきゃおさまらない


          ・・・・・ん?・・ナニ!! 圏外だってーーーーー!!


くっそ――!!
そう言えば、今日行く宿、それがウリだったっけ!
「携帯に追いかけられない旅」
はぁ――。


編集長ってば、初めから計算に入れてたな。


テヤンの話によると、
今回は「宿までの道のりを体験するライターをそのまま写真で生々しく伝える」ってやつ。

そんな企画、他のアウトドア雑誌なんかでも普通にやってるし、
なんにも画期的なことじゃないのに、なんで内緒にするんだ。


それに私は諸事情のためにライターも兼ねちゃうけど編集者なんだ
なんで相談がないわけ?
イヤダイヤダって、だだこねるとでも思ったの――――?!

あぁ・・・そうしたかも。
遠景だからって言われても、ほとんど横顔と後ろ姿って言われても、
「イヤなものはイヤですよ!」とか、言っちゃうかもね。

編集長、それを読んでて、抜き打ちで?

クニエダちゃんの留守に、彼を上手く使ったな!

思い出した。
「今回のカメラマン、おまえと波長が合うと思うよ。
まあ、おもしろがってこいよ。」


編集長、自分が波長が合ったんでしょうよ。


あぁ、私もおもしろがってやるわよ、
もうすでに、おもしろすぎて・・・大泣きだってしたよ!


  
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


彼が足を止めた。
ぷりぷり怒ったままの私を撮ろうと悪戦苦闘していた彼が、
突然別なものに心を奪われた。


「アヤノさん、見て。」


遙か下に流れる谷川。
二人並んで見下ろす


ずっと下にあって、静かにカーブを描いて流れてる。

このポイント、最高にキレイ
こんなに上から見ても、水が澄んでいることがわかる。


そこは、いま自分が立ってる所とは全く別の世界
違う時間が流れているみたい。

『静謐』(せいひつ)、そんな言葉が浮かんだけど、
合ってるかな?
案外テヤンはこんな言葉を知ってそうだな。


なんてったって日本文学専攻さ!
清少納言だもんね
さらに三島由紀夫だし
さらにさらに村上春樹だから

・・・・・けっこう偏ったチョイスだよ、テヤン。



静かで、静かで・・・
川への斜面を覆う常緑樹たちの色合いが初夏の鮮やかさとは違う
マットなタッチで・・・

そう、抑えた色彩がまるで日本画のよう。
ゴロゴロと大きな川原の石たちも、今は深い眠りの中だ。


絵を見てるのではなくて、
絵の中に私たちがいる・・・・そんな感じ。

光ともみじ葉をのせて流れる川面。
この風景が一幅の絵ではないことを教えてくれるのは、
その川面のきらめき。
動くものはそれだけ。


きっと、彼も隣で同じことを考えてる気がする。

何枚か撮ったあとで・・・

「静かですね。」
テヤンが言った。

     ・・・・ほらね、やっぱり・・・

「うん。」

「絵のようですね」

「うん。」

「アヤノさん、川に降りていいですか?」

・・・・そう言うと思った・・・・

「うん、いいよ。」

・・・・でも、どうやって? 道がない・・・・

「ここからですね」
  
 ・・・・えっ?・・・ただの崖でしょ!!・・・



彼は足場を確認しつつ、木の幹につかまりながら、ゆっくり下りていき、
振り返って微笑みながら、
電車の時みたいに無言で私に手を伸ばす。


ためらってる場合じゃないし、
キャーキャー怖がって、受け入れられる年でもない。


それに、何より私も下に行ってみたい。


木につかまって恐る恐る斜面を下りながら、彼が伸ばした腕を目指す。
やっととどいた。
しっかり腕を捕まれる。


お互いの腕を握りあう状態で私の左手と彼の右手。
彼の腕は筋肉質で堅い上に太いので、こちらからはあまりしっかり握れない。
「鍛えすぎ?!」なんて、こんな時に考えてる。

彼の先導で少しずつ下りていく。

この崖の高さはどのくらいだろう。
二階家の大屋根よりもずっと高い?
そしてほとんど垂直?

もともとスポーツは苦手なので
こんなふうに、筋力や、バランス感覚や、敏捷さを要求される活動は・・・・
大変困るのです!!


テレビで見たサバイバル番組みたい。
ここが未開のジャングルのような気がしてくる。
さっき見た日本画の一部だなんて・・・ありえない!


手はしびれてきたし、足はガクガクする。
もう後戻りはできないし、でもこのまま下りていく道のりも
今の私には途方もなく長い。
泣きたくなる。


片腕をしっかりと捕まれた状態で
たくましい体にガードされて下りているというのに
こんなにも、みっともなくズルズルすべるんだな、私って。


彼はといえば、着実に足場を探して難なく進んでいる。
ひとりなら、小走りで駆け下りてしまいそうだ。


必死の形相でガチガチの私に

「大丈夫です。アヤノさん、もっと力抜いて」とか
「上手です。はいここに足置いて・・・」とか

悔しいけど
リードのしかたがうまくて、インストラクターになれそう。
この人といっしょなら絶対大丈夫って思ってしまう。


なのに・・・

“安心のナイト”だったはずの彼が、突然私を放り出した。


「ここの木につかまって!」
私がしっかりつかまって足場を確保したと思ったら
彼が私の手を離した。

そして彼ってば、するする先に下りちゃった!
   
  ・・・・なんでー!! 私、降りられないじゃないの――・・・・


「ちょっと、テヤンさん!」

「テヤンって呼んでください!」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! こらテヤン! なんでよ!どうすんのよー!!」

こんな大人げない物言いも自分で抑えられない。
私の慌てぶりを見て、彼は、テヤンのヤツは、うれしそうにニコニコしてる。


もう彼の気配がどうのこうのとか、
心にフタをしなきゃとか微妙なこと考えてる場合じゃなくなった。

「絶対落ちるよ。このさき無理よ。あ――どう行けばいいのよ――!」

足場と、つかまる木を必死で探りつつ、恥も外聞もなくわめき続ける私を・・・・・

テヤンが撮ってる?!

     ・・・・・なんなのよ、君! あんまりじゃないのよ!!・・・・


私はホントに震えていた。

グラビアアイドル風じゃないことは十分わかったから、
どうか助けてちょうだい。

ついでに、編集長のバカヤロ――!



何枚も私を撮って満足そうなテヤンだったが
助けに来てはくれない。

「頑張って自分で下りてみましょう。」

      ・・・・鬼! インストラクターになれるなんて思ったこと、撤回する・・・・


「右足をその先の木の根もとに乗せて」
「そして右手はその上の木の幹に」
「まだです。もっと体をその幹に預けてから左手を離して。」

そう言いながら、なおもカメラを向け続ける。
 
   ・・・・ホント、鬼だろ!・・・


しかし体は、そんな言葉にものすごく従順に従うしかなくて
一歩一歩ゴールに近づいていく。
足はずっと震えている。
あまりの緊張で息が苦しい。

あと少しというところで、足場もつかまる木もなくなった。
さっきテヤンは軽々と飛び降りたけど・・・

運動音痴の私に残された道は、ずるずるとお尻ですべるだけ。
それも、かなり怖い。

だって垂直なんだから。

このジーンズ、結構気に入ってるんだよね。ポケット破れるかな・・・


すぐ下で、テヤンが私を仰いで両手を広げた。
彼は左足を川原に、右足を斜面に置いて、
上半身は斜面に沿わせて安定させた。

なにも言わずに手を広げてこっちを見てる。
じっと私を見つめて、うなづく。

不思議。その顔を見ると、不安がなくなる。悔しいけど。
そこに飛び込めば絶対大丈夫って思える。
ホント、くやしい。


そっと手をのばす。
テヤンの手に届かない。
もう少し・・・と思ったときに、もう片方の手がすべって木から離れた。

「わぁっ!!」

一瞬宙に浮いた体は、次の瞬間ガシッとつかまれて
私の体全部が彼の大きくて堅い胸に抱きとめられた。

彼にしがみついたまま、震えが止まらない。

「怖かったでしょ。大丈夫ですか?」
彼が私を抱きしめたまま優しく言った。

やっと大きく息をはいた。

「うん、ダイジョブ・・・・ん?

・・ちがうよ!大丈夫じゃないよもう!
ひどいじゃないのよ! こわいじゃないのよ――!

落っこちたらどうすんのよ!」

叫びながらテヤンの胸をグーで叩いてしまった。
テヤンは私をぎゅっと抱きしめなおした。

あんまりほっとして涙がこぼれた。

      ・・・・あっ・・・・
           ダメだ、またトリップしてしまう・・・・


思い切り大声で責め立てたり、拳で胸を叩いたり、
大きな胸にもたれかかって安堵の涙をながしたり・・・

そんなことできたのは、カイだけだったのに・・・
そして・・・もう二度とないと思ってたのに・・・

なんでこんなに突然、再現シーンになってしまうの?


   「永遠にこの広い胸に守られて生きていくんだ」なんて思った若い日があった

     ―――胸の奥深く封印してきた映像の中に――――

 ←読んだらクリックしてください。
このページのトップへ