Lusieta

 

この場所から ~ふたたびの陽射し Ⅰ章 4~

 

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テヤンの胸にもう少しもたれていたいというのが正直な気持ちだった。
背中にまわされた腕の温かさを感じていたかった。


でもまた電車の時とおんなじになるもんね。
絶対そうなるって確信できる自分が情けない。
こんどこそ、止めどなくなりそう。


やっぱりここでも『うぉっしゃー』だな。
でも、今度ばかりは、気持ちが複雑すぎて笑顔になれない。

抱きしめられていた大きな胸を押し返して先に歩き出す。


「すみません。そんなに怖かったですか。ごめんなさい、アヤノさん。」
テヤンが背中に謝ってる。

あんまり謝ってもらっちゃうと
心の揺れの全てをテヤンのせいにしたくなるよ。
だから謝らないで。


無視してすたすた歩いて行こうと思ってるのに
上流の川原の石はゴロゴロと大きく
一歩一歩に注意を払って進まなければならない。

まだガクガクする足を、なんとか交互に前に出してる・・・つもり。

たやすく私の前に回ったテヤンが、また黙って手をのべる。
私の泣き顔に気づいて、とまどってる?


「怖い思いをさせてすみません。ぼくがいけなかったです。」

     ・・・・だから謝らないで・・・・

「いいです!」

知らん顔して足元を見ながら歩を進める。

また突然だ。
テヤンが私の手をぎゅっと握って引き留めた。

「アヤノさん、止まりましょう。止まってください。
ここ、ほんとにステキです、見て。
しばらくここで撮りたいと思います。」


     ・・・・えっ?・・・あっそうなの?・・・・


いきなり手をつないでふたり川面に向かって佇んでる。

「ふふ・・・」

「何ですか?」

私は袖で乱暴に涙を拭った

「もっとしつこく謝るのかと思った。」

「もっとしつこく謝ったら許してくれましたか?」

「ダメだね。」

「今回の僕の、一番の罪はなんですか?」

「・・・・・・・むふっ」

「何ですか? 言ってください。」

「私の下着を濡らした罪よ。」

「えっ?!」

     ・・・・・テヤン、目がまんまるになってるよ・・・・


「すっごい油汗で背中がぐっしょりよ。
冷え込んで風邪を引いたら、罪はもっと重くなるわ!」

「はぁー、アヤノさんて、こういう冗談言える人だったんですね。
こっちが汗かきます。」
  
テヤンが手をつないだまま川に向かって90度に腰を折った。

「あなたの下着を濡らしてしまって、ほんとにごめんなさい!
何でもしますから許してください!」

おかしくて、二人で声をあげて笑った。

電車の中のテンションにもどったかな?

「わかったわ。私の望むとおりにしてくれたら、許してあげる。」

「はい!なんでもします。言ってください。」

「この川に流れるもみじ葉で錦を織って、私のマフラーを作ってちょうだい。」

テヤンは、「おぉー」と小さく息を吐いて、すごく嬉しそうな顔で私を見た。

「承知しました。クリスマスには必ず織り上げてプレゼントします!」

    ・・・・クリスマス?・・・・

クリスマス・・・

    ・・・・・テヤン、これは言葉の遊び?
             半日前に出会った私たちに、クリスマスがあるの?・・・・


「ステキ! 期待してるわ。」

それに応えるように、テヤンがぎゅっと手を握り直した。

     ・・・・そうだ、手、つないでた・・・・

急に気恥ずかしくなった

「さあ、仕事しよっか。」

「はい、仕事しましょう。」

スッと離れた二人の手は、一瞬、所在なげにさまよって・・・・

私は 髪を掻き上げた

テヤンは タバコを取り出した




    ・・・・・・・・・・・・・



「タバコ吸っていいですか?」

テヤンが笑顔できく。
携帯灰皿とタバコを持った両手をちょこっと上げて

気をつかって風下に行っても、一瞬かすかな煙のにおいがここまで届く。
それだけで胸がザワザワする私。

そんな自分になんだか急に疲れてしまった。

もう帰りたいような・・・帰りたくないような・・・
このあとの自分の精神状態が予測不能で、ちょっと怖い。
ハンドルもブレーキもきかない車に乗っちゃったみたいな気分。

今日いきなり会った人のせいで、こんなに心が揺さぶられちゃって・・・
ジェットコースターみたいになってる。



               ジェットコースターは苦手。
               観覧車がいい。

               遊園地でデートすると、いつもカイだけがジェットコースターに乗って
               私は下で待ってた
               観覧車に乗ろうって言うと「時間がもったいないよー」って言うくせに
               乗ってる間ずっとキスするんだ



川の水に手を入れてみる。
なんだか背中がまるまっちゃって・・・
私、おばあさんみたい?


         ・・・カイ・・・・
              あなたの夢を見るとき、時々こんな川が
              私とカイの間に流れてる。
              なんで?
              この川が あちらとこちらの境界線?

        ・・・カイ・・・
             この頃あんまり夢に出てきてくれない
             前はあんなに毎日来てくれたのに
             それは私が元気になったって思ったから?
             もう大丈夫って思ったから?
        
             私もそうだと思ってたんだけどさ
             結構そうでもなかったよ
     
             びっくりだよ、カイ
             カイ・・・


いつのまにか、すぐ近くで
パシャパシャとシャッター音が聞こえてる。
今は一眼レフの音だね

テヤン、おばあさんみたいにまるまった私を撮ってるの?
今ね、向こう岸の人とお話してたのさ

だからごめんね、こんなにテンション低くなっちゃって
なにも話さなくて

        ・・・カイ・・・
            この人がテヤン
            ちょっと似てるよ
  
            妬いたりする?



「そろそろ行きましょうか」

「うん」


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・


テヤンが私のリュックも持ってくれて、こんなに身軽なはずなのに
足元はやっぱりおぼつかなくて必死に歩く

途中、すっごく大きな岩を何回かよじ登った。
ほとんどテヤンにひっぱりあげられたんだけど。

岩から岩へ跳び移ったりもした。
私にすれば画期的!

とにかくかなりハードな道中だった。

でも危ない場面になるたびに、
テヤンの力強い腕にがっちり支えられ、引っ張られた。

崖を下りるときで懲りたのか
テヤンは、その後は私に何の要求もせず
ほったらかすこともなく、ひたすらサポートしてくれた。
こんどこそ完全に、“安心のナイト”

その間にもカメラを構え
熱心に風景を切り取っていったテヤン。

やるなー!と、ちょっと見直してしまう
撮影姿も絵になるしね。


上流に行くほどに川幅は狭まり、
川原と呼べるものもなくなり、流れの両側は崖になった。

これ以上あがるなら流れの中をバシャバシャ進むことになる。
だから車の道にもどらなきゃ。

今度は崖をあがらなきゃいけないの?と、そこで初めて気づく私。
真っ暗な気持ちになる。


でもよーく見ると、崖の高さは1メートルちょっとくらいだった・・・あれ?
木が茂っていてすぐ目の高さに道があることに気づかなかったんだ。
よかった。
私たちは、何度か岩をよじ登り、上流へ上流へと進むうちに、
いつのまにか道と同じ高さまで来ていたのだった。


道に上がってすこし歩くと急に視界が開けて目の前に棚田が広がった。
こんなところにこんなに広々とした場所があるなんて・・・
稲の刈り入れが終わったあとの段々たんぼは、色もなくちょっと寂しげ。


その棚田を見下ろすようにして段々の頂点に建っているのが目的の宿なんだけど・・・


川をたどっているうちに、人間の手の届かないところまでたどり着いたような気分になっていた。
なのに、こんなところに
稲作という営みの場も、人間が暮らす家もある。

なんだかすごく唐突で、不思議で、不似合いな気がして、
ちょっと不満を感じてしまう。


それでも、私はもう心も体も、いっちょまえの登山をしたようにクタクタだったので、
心からほっとした。



頑丈そうなログハウス
宿というよりペンション
よく手入れされた玄関までのアプローチ
ここにはやっぱり日本家屋の方がしっくりくるのにな。
これまたちょっぴり身勝手な不満。

「あれ?鍵がかかってます」

「なんで?」

裏に回ってみる。
裏口は簡単に入れた。
ていうか、玄関扉以外は全て鍵がかかっていない。

はー、この無防備さもウリなのかな?

「ゴメンくださーい」

「誰かいますかー」

しーんとしていて人の気配が全くない。

二人同時に目にとまったホワイトボードに

    “タマキ様(お二人様・取材)4時到着”って

「テヤン、いま何時?」

「1時半です」

「あっー!! ゴメン。時間の変更、電話するの忘れてた。」

「アヤノさんも結構ドジなんですか?」

「はい、そうです」

テヤンが笑う。すっごくうれしそう!

「こんなに開けっ放しなんだから、すぐ帰ってくるつもりでしょうね。
ちょっと散歩しましょうか」

「うん」

テヤンはカメラだけ持って行く準備。

「そうだ、携帯持ってても意味ないしね。」

私は手帳だけ。

裏口から出ていこうとした時、何か動物の声がした。
猫かな? いや違う
・・・・・・・人間? 
エ―――ッ!! 赤ちゃん?!

テヤンと私はお顔を見合わせた。


リビングの横の扉を開けると和室になっていて
くぁーんくぁーんと泣く真っ赤な顔。


テヤンが、その赤い顔の横にひざまずいて
「アヤノさん。」

私、突っ立ったまま
「うん」

「・・・・」

・・・・テヤン・・・私が抱っこすればいいのよね
わかってるんだけどね・・・
   

テヤンが、抱っこした。
すっと抱き上げた。じょうず。

でも、泣きやまなかった。

私はこの11年間、赤ちゃんを抱いたことがない。
徹底的にその場面を避けてきたから。
なのに・・・
ほんとに今日はいったいどういう日なの?

そっとテヤンからその存在を受け取る
ちいさなちいさなその胸を私の胸にくっつけて
背中をやさしくとんとん叩く。

やがて鳴き声は静かな寝息に変わった。

テヤンが、ハァーと息をはく。


彼がいてくれてよかったと思う。
ひとりで抱いていたらどうにかなってしまうもん。

ぽてんと体を預けて眠るちいさな背中を撫でながら
くんくん匂いをかいでしまった。
赤ちゃんの匂い。

・・・ミオの匂い・・・

このまま胸に抱いていたい思いをはぎ取るようにして
そっと布団におろした

寝顔を見つめながら、壁にもたれて膝をかかえる。

大丈夫。ほんとのママが帰ってくるまで、ここでこうして見てるからね。
これ以上近寄らずに・・・
抱かずに・・・
見てるだけ。


テヤンが、そっと隣に座る。

「テヤン」

「はい」

「ごめん、もう我慢できない。」

「はい」

「何がって聞かないの?」

「わかってるから」

「・・・・」

テヤンがそっと私の肩を抱いた。
私はダムの決壊のような涙を、テヤンの膝に落として泣いた。



どのくらいの時間、泣いていたのかわからない。
泣きやんで落ち着いた今も、テヤンが優しく頭を撫でてくれる。

「テヤン、なんで『わかってるから』なの?」
テヤンの膝に頭をのせたまま尋ねた。

「・・・・・」

「ふふっ・・・テヤン、答えなさい!」
そう言ってグーで膝をコンコン叩く。
頭はテヤンの膝のまま

「ん?」

「・・・・」
 

顔を上げようとしたら、テヤンがそれを阻んで
また私の顔を自分の膝にくっつけてる。
そして静かに肩を抱きなおす。

    ・・・・テヤン、どうしたの?・・・・

「アヤノさん、このままで聞いてください。
僕は、前にあなたに出会っています。」

「えっ?」
顔を上げそうになったけど・・・・
きっとこのままで聞いたほうがいいことなんだね。

「11年前です。」

「・・・!!」


「僕が日本の大学に編入するために日本に来てすぐの頃です。
叔父がプロテスタントの教会で牧師をしていて・・・
1月から、4月に大学が始まるまでのあいだ、
その教会にいました。
・・・・神戸に、いました。」

「・・・・・」

「あの時も、あなたはこうして泣いた。」

「・・・・・」

自分の体がぎゅーっと固くなるのを感じる



      ・・・・・・・・



沈黙のなかに、小さな存在が、かすかな寝息をたてている

「テヤン」

「はい」

「あの教会?」

「はい」

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」


「今日は僕が電車であんなこと話したから、
たくさん思い出しちゃったんでしょ。
つらかったでしょ。
ごめんなさい。」


「テヤン」

「はい」


ずっとテヤンの膝に頭をのせたまま・・・
涙がテヤンのジーンズを濡らし続けてるんだね


「いつ私だって気づいたの?」

「あなたが電車の中で、泣きながらむりやり笑ったとき」

「・・・・」

「あの時の、別れ際の笑顔と同じだった。
『ありがとう』って。『これで、神戸を離れられる』って。」


・・・・テヤンだったの?・・・


「あの時、泣いてる私を毛布でくるんで抱いていてくれたのは・・・テヤン?」

「はい。」

「私、あなたの胸、バンバン叩いた?」

「はい」
  
    ・・・・・こんなことってあるの?・・・


「シチューも?」

「はい」

「・・・・・」

「・・・・・」



テヤンの膝に頭をのせたまま、ちょっと向きをかえると、

毛布からのぞく小さな手が見える。


「私、なにか話した?」

「はい、アヤノさんはいっぱい僕に話しかけてたけど、
ずっと、誰かと間違えてるみたいでした。」

「それは・・・・カイ?」

「はい」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「私、名前を呼んだよね、覚えてる。」

「ええ、僕のこと『カイ』って呼んで
そして・・・・
『ミオはどこ?』って」

「・・・・・・」



目の前の小さな存在が、またくぁんくぁんと泣き出した。


こんどは私が抱き上げた・・・

泣きやんだあとも、なかなかおろす気になれない
オッパイを求めるように口をつぼめて眠ってる

急に息が苦しくなった。
なんて言ったらいいかわからない思いがこみ上げて
苦しい・・・
この子を抱きしめて壊してしまいそう。
でも・・・もうこの腕から離すことができない。

そんな二人をくるむようにテヤンが毛布を掛けて
そして毛布ごと抱きしめてくれた。

思い出した。
11年前にも、
こんなふうにしてくれたその感触を。

多分・・・・ずっとずっとこうしていてくれた。

今、毛布とテヤンにつつまれて、
とても安心できた。

波立つ胸が、ゆっくりと凪いでゆくよう。
ちいさな存在を抱いたまま、テヤンの肩にもたれていた。

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