Lusieta

 

この場所から ~ふたたびの陽射し Ⅰ章 5~

 

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   この創作は、場面設定に、実際に起きた大災害を用いています。
   実際に読んでくださる方の中にも、
   当事者の方、あるいはこの災害で大切な人をなくされた方がいらっしゃると思います。
   その方々にとっては、この回の話を読んで下さることで、
   辛い思いをさせてしまうかもしれません。
   申し訳なく思います。
   辛いときにはどうぞスルーしてください。


     * * * * * * * * * *


初めて訪れた場所で、
ミオじゃない子を抱いて、カイじゃない人にすっぽり包まれて、
とても安らかな気持ちでいる私。

そして11年前にも同じことをしてくれたの? テヤン。

神様は今日の出会いに、いったいどんな意味を込めたの?

小さな彼女を起こさないように
ふたり、そっとささやくように会話を交わす。
テヤンの低くてちょっと湿ったやわらかな声、


「あの時のことは、思い出そうとすると、
全部が夢の中のような気がして、どの部分が夢で、どの部分が現実か自信がなくなる。

たくさんお世話をかけたのに、私、名前も言わないで勝手に来て勝手に帰ったのよね。」

「あのころあそこに来た人は、みんなほとんどそうでした。
ただ祈りたい、ただ泣きたい、ただ眠りたい・・・今だけ・・・
そして、気がすんだら戻っていきました。その時のその人の現実に。」

「・・・・私は、何をしたかったんだっけ。」

「『泣きたかった』って。」

「・・・ふふっ、私よりよく知ってる。
なのに、テヤンのこと覚えてなくてごめんね。
11年前もきっとすっごくかっこいい男の子だったはずなのに。」


「そうですよ。少しは思い出してほしかった。
ぼくだって、誰でも覚えてるわけじゃない。あなただから覚えてる。
他のひとと全然違ったから。」


「どんなふうに? すっごくきれいだったとか?」

「あ――ほんとにそう言おうと思ったのに。アハハーー。」

「し――っ」

「あっごめんなさい!
すごく印象的だったんです。っていうか大変だった。

2月なのに部屋着のままで。コートなしでスリッパばきで。
ガクガク震えながら、すごく青い顔して歩いて来たんだ。

・・・・・ほんとに覚えてないんですか?」

「・・・・」

「アヤノさん?」

「覚えてるよ、テヤンのこと以外はね。」

「ひどい」

「ふふっ・・・」


     ・・・・・忘れるはずない。フタをしてただけ。
              今日テヤンが開けちゃったけど・・・・・


   * * * * * * * *



11年前の1月17日

明け方にミオへの授乳を終えた。
水を飲んでグラスを元に戻した瞬間に、その時は訪れた。

ドーンと低く大きくつき上がってくるような音がしたかと思うと
あたしの体は宙に浮き、あちこちへぶつかった
気がつくと天井がすぐそばにせまり、全く体の自由が奪われていた。

    ・・・・・・・・

あの二人と離れていたのはほんの数分だったのに
それが永遠になってしまった。

あの時、授乳を終えてミオを布団に寝かせるとすぐにカイの手が伸びてきた
腰を引き寄せて自分の胸の上に抱きとめた。

そのまま閉じこめようとする腕を押さえて
「ちょっと待って。水飲んでくるから。」と言ったのだ。

小さなアパート、そうやって待たせる時、いつもカイの熱いまなざしが
私の動きを追っていた。
振り向いて「ん?」と首を傾げると
毛布から両腕を出して「早く来て」と言う。
その言葉に体の奥が潤むのをかんじてはずかしかった。

あと数秒でカイのぬくぬくと温かい布団にもぐり込むはずだった。
広くて堅い胸に鼻をすりつけてしがみつき
やがてカイの激しいキスを受ける

そんな小さな幸せを思いながらグラスを置いたんだった。


    ・・・・・・・・・


お互いに身動きできないまま
お互いの安否を目で確認できないまま
痛いとも、苦しいとも、伝え合わないまま
その時はすぐに訪れた

かすれた声で、カイが言った
「ミオはここにいるよ。オッパイ飲んだ後だから、よく寝てるよ」

カイはウソつきだった。
あの一瞬で、もうミオの命は消えてたんだ。

「アヤノ?」

「うん。」

「アヤノ、寝ちゃだめだよ」

これがカイの最後の言葉だった。

まるで、睦み合ったあとにまどろむ二人のように
静かに交わした言葉。
どちらが先に眠りに落ちたのかわからないまま・・・




次ぎに目が覚めたのは病院で、もう何日も日が経っていた
二人はすでに荼毘に付され、ただ白くてもろいかたまりになっていた。



父と兄が大きなワゴン車で二人を迎えに来たこと。
街の入り口で警察官に、これ以上車で入れないと止められたこと。

父がものすごい形相で涙ながらに、
「これから息子と孫を迎えに行って葬式を出してやるんだ。通してくれ!!」
と叫んだこと。

警察官が敬礼をして通してくれたこと・・・・

小さな棺のなかに、
アパートから掘り出したベビー服やガラガラや絵本を入れたこと。

カイもミオもすこしも傷のないきれいな顔をしてたこと・・・・

出棺の時に粉雪が降ったこと
たくさんの私たちの友人が参列してくれたこと

アパートから掘り出したアルバムの中に
二人ともすごくいい写真が見つかって
明るい笑顔の遺影になったこと・・・・

沈黙が怖くて、母はしゃべり続けることで自分を保とうとしていた。
私は、なにも聞こえないかのように、ただ大きく目を見開いて天井を見ていた。




なんであの時、そのままカイの腕に身をまかせなかったんだろう

二人、生まれたままの姿で抱き合って見つかれば、
「あーこの二人は幸せだったんだ」って思ってもらえたよ、きっと。

なんで水なんか飲んだんだろう。
そんなのあとでよかったのに。

最後の瞬間にちゃんと目を合わせて、触れ合って
3人で一緒に旅立ちたかった。

なんで私だけこっちにいるんだろう。



ある日、私が狂った。
・・・・・と、母は思った。

点滴を引きちぎり、頭の包帯をむしり取って、
大声で叫んだ。身もだえして泣きわめいた。

母は、驚き怯えてナースコールを押した。
すぐに注射が打たれて私はずぶずぶと眠らされた。

毎日それが繰り返されていたある日、
目が覚めると、母は居眠りをしていた。

白髪が増えて、ひどくやつれていた。
この人も、かわいいかわいい初孫を失った。
そして、娘の、発作のような狂い泣きに毎日おびえていた。
自分も泣きたいだろうに。

この人を休ませたかった。
でも、また泣いてしまうだろう。

うっと嗚咽が漏れそうになって、口を押さえてそのまま部屋を出た。
このまま終わりまで泣けるところはどこなのか、
思いつかないまま病院の外に出ていた。


 
  * * * * * * * * * *



「あの教会はね、カイと一緒に行ったことがあるの
その時、お腹にはミオがいた。
大学卒業前に妊娠して、親に反対されて
ふらり立ち寄った教会で『今日結婚しよう』ってカイが言って。」

「・・・・・・」

テヤンが、ただ包んでいてくれる。
時々うなずいて、時々肩を抱く腕に力を込めて、時々頭を撫でて・・・
子どもみたいにされてる。


「病院を抜け出して・・・
寒かった記憶はないな。なんでだろ。

ただ、教会への階段が崩れてて・・
木の足場を行こうとしたら揺れて怖くて

・・・・・・?!
あの時、手を取って登らせてくれたのがテヤン?」

「はい」

「ありがとう」

「ふふ・・・11年後にお礼を言ってもらった」

「君は、すぐに自分のジャケットかけてくれた。あってる?」

「はい、あってます。中に入るとあなたは立ちすくんで・・・
倒れ込むようにして泣き出した。」

「そうだった。
びっくりしたの。聖母子像が・・・・」

そこまで言って胸が詰まって言葉にならなかった。

聖母子像が、無惨な姿になっていた。

マリアはその胸にイエスを抱いてはいなかったのだ。
地震のために、胸から下が崩れ去り、我が子を自分の体ごともぎ取られていた。
彼女の放心したようなまなざしが私を見ていた。


『マリア、あなたも亡くしたの? あなたも、もぎとられてしまったの?』
それは、私自身の姿だった。
ミオはもうどこにもいない。

もう私の体も、魂も、ここにはなくて、全部もぎとられてしまって・・・

なにが残っているのかわからない。

眠って起きて摂取して排泄する・・・ただそれだけのもの?
目の前の人に私が見えているのかさえわからない。

もしかして私はもう透明なのかも。

あの教会で、多分私は叫んでた。
「イヤー!」と何度も叫んで、狂ったように泣いたのだと思う。

あいまいな記憶。
私がいちばん自分をなくしてたころの、恐ろしい日々の記憶

頭を抱え、身をよじって吠えていた。
遠い、夢かうつつか定かでない記憶
ちゃんと思い出せないのは、私がほんとに壊れてしまっていたから?


そしてそこに、テヤンがいてくれたの?


テヤンはまた手に力を込めて私を包んだ。
もう片方の手で私の頭を抱えて、その上に自分の頬を置いてる気配。

・・・・・・こんな話をじっと聞いてくれる、
テヤン、君もいろんなことを思い出して辛くなってる?・・・・

「テヤン。あの時ずっといてくれた?」

「はい」

「・・・・・・」

「こんなふうに毛布でくるんで?」

「はい」

「でも、私、暴れたでしょ。」

「はい、バンバン叩かれました。」

「痛かった?」

「はい、とても。」

「ごめん。」

「ふふ・・・今度は11年後に謝ってもらった。」

すごく近い距離で見つめ合った。目がこんなに優しい。

ただ目で笑い合って、テヤンはまた私の頭を自分の肩に抱えた。
テヤン、あんまり優しくしすぎじゃない?
ずっと前からの知り合いみたい。
まあ、そう言えなくもないけど。

もしかして、そうやって抱えたい自分自身の苦しみがあるの?



私の涙をていねいに指で拭ってくれるけど、
追いつかないくらいたくさん出てしまう。

今日は、この何年か分よりたくさんの涙を流してる。
あの時、一生分流しきったと思ったのに、
まだまだいくらでも出るもんだね。


「ごめんね。私ばかりが話してる。テヤンも苦しい?
君が思い出してしまったものはなに?」

「僕は苦しくありません。あの時のあなたとのいろいろを
思い出していただけです。
そしたら・・・・あなたをいくらでも抱きしめたくなる。」

     ・・・・・急に、そんな大胆な発言して、なんだそれ・・・・・


「へー、そんなにストレートに言ってくれるの?
そんなに私はかわいそうだったの?

それとも私、何かした?
ふふっ・・・もしかして私、テヤンを誘惑したの?」

「はい」

「え―――!! うふふ・・・誘惑したんだ。なんて言ったの?」

「なにも。 
・・・・いきなりすごいキスを。」

「・・・・・・」
      

あんまりびっくりして、なにも言えないままじっとテヤンを見つめてしまう。
テヤンは目をそらす。

・・・・・恥ずかしがってる? 今日こんな場面は初めてだね、テヤン・・・・


「カイと間違えたとき?」

「はい」

「ごめん」

「いいえ、きれいな人にすごいキスされて、
僕の一生の思い出です。ごちそうさまでした―――!」

「ブ―――ッ」と二人で吹いてしまった。

「シ―――ッ」二人同時に言って笑う。

テヤン、こうやってまた涙の水たまりから引き上げてくれる。
                                           
・・・・・テヤン、ちゃんと覚えていなくてごめん。
あなたのおかげであの日私は最後まで泣いて、泣き切ることができたんだね。
だから神戸を離れることができた。
カイと出会い、愛し合い、結ばれて、3人になって、
そして永遠に別れることになった街、神戸を・・・・・


あの日、きっと神様がテヤンに会わせてくれたんだね。

     ・・・・・・・・

「ああ、ちょっと思い出した。
私はきっと泣き疲れて眠ったんでしょ。

目が覚めた時、ベッドで寝てて・・・・。すごくちいさな部屋だったような・・・
テヤンの部屋だった?」

「はい」

「私を運んでくれた?重かったよね。」

「いえ、軽かったです。今とは全然違う感触で・・・」

「あ――!!」

「ごめんなさい!」

「許す。ほんとにガリガリだった。・・・・・そこで、すごいキスしたの?」

「はい」
  
   ・・・・・テヤン、また目をそらしてる。かわいい・・・・


「でも、ごめんね、誰かと間違えられて。
しかも本人が覚えてないなんて。なんか、最低だね。」

「いえ、最高でした。ハハハ・・・。」

「そ、そう言ってもらえると助かります。
でもよかったよ。キスだけで。
それ以上誘惑してたら大変なことになってたね。」

「あ・・・・・・」

     ・・・・あれ? テヤン、その微妙なリアクションは・・・・

「・・・・ん?・・・キスだけでしょ?」

「あぁー・・・・・」

「キスだけじゃないの?」

「あぁ・・・・はい。」

「・・・・・えっ?!」


      ・・・・・テヤン、ひだまりのように安心させてくれたかと思うと
          次の瞬間、容赦なく私の心を激しく揺さぶる人
          だから、ジェットコースターは苦手なんだって・・・・



     * * * * * * * * * *


 

   不慮の出来事で失われたたくさんの尊い命に、 
               心より哀悼の思いを捧げます。

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