Lusieta

 

この場所から ~ふたたびの陽射し Ⅱ章 5~

 

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冬ってこんなに寒かった?
それとも、テヤンのあったかさを知ってしまったから、
テヤンがいない毎日が、こんなに寒くなってしまったの?



私は努めてこれまで同様の生活を送ろうとしていた。
テヤンに出会う前の毎日のように。

会社へ出て、めいっぱい仕事して、
日付が変わるまでに帰ることが信条。

寝に帰るだけの部屋でも、休日にまとめて掃除すると
ちょっとさっぱりしていい気分になって・・・

花を買ってきて飾る。

そうそう、テヤンに出会ってから、
花は、カイとミオの写真の横に飾るようになった。




    ・・・・・・・・・




たまに仕事帰りに仲間うちで、
わいわいと飲みに行くこともある。

そうそう、このあいだはすごい話聞いた。

写真の専門学校でテヤンの後輩にあたる女性カメラマンと仕事して、
そのあと飲んだ。
彼女は私とテヤンのことはもちろん知らない。

私とテヤンが一緒に作った記事の話から、
びっくりな方向に展開しちゃった。

彼女の話では、
その学校でテヤンは伝説を作ったらしい。

人物撮影の課題の時
あらかじめ準備されていた数人のモデルを無視して
女性たちはほとんどテヤンをモデルにしたいと言いだし、
結局一番人気のモデルとして、
撮影されることになってしまったらしい。

テヤンは当初、絶対無理だと主張したが、
なにしろ講師をしていた現役カメラマンが面白がってしまって
テヤンを説得し始めた。

逃げ回っていたテヤンだが、
一旦観念すると、その潔さはすごかったって。

少しの照れも見せずに要望通りにポーズをとり、
笑顔を乞われれば、とびきりのテヤンスマイルで応えて。
最終的にはヌードも撮ったという話・・・らしい。
ほんとか?


でも・・・・テヤンなら、あり得る。
覚悟したときの潔さや、取り組む姿勢の真摯さは、
そんなところにも発揮されてたの?
そして、いつでもどこでも人を瞬時に温かくする、あの笑顔も。

それにしても・・・・ヌード?

ふいに、愛し合ったテヤンとのひとときが蘇って、
顔が熱くなった。

鍛え上げられた筋肉が創り出す陰影、
彫刻のような完璧な肉体には、
およそ不似合いな、面差しの優しさ。

ヌード・・・・
撮りたくなる人の気持ちが素直に理解できてしまって、苦笑する。


でも、その時の・・・・
愛し合うときの彼を知るのは私だけ。


・・・ん?
私だけ?


そんなはずない。
だってテヤン、上手だもん。

大切に、上手に、私を愛してくれる。
ちゃんとその場所を探し当てて、
あんなにも私を幸せにしてくれる。


今日までに、いろんな恋があったのは、当然のこと。
あんなにかっこよくて、優しくて・・・・・


私に、二度一目惚れしたって言ってくれた。
もう離れたりしたくないって。

でもね・・・・・
一目惚れと一目惚れの間に、どんな恋があったのかな?


知りたいけど、知りたくない。


あーーテヤン。
ずるいよテヤン。
私がこんな気持ちになっちゃった時に、
そばにいないなんて。


『コノヤロー!』って言って頬をつまんで、
『白状しろー』って言ってくすぐって・・・・

『アハハー! 勘弁してくださーい!』
って、テヤンが言って・・・・


・・・・・テヤン


・・・・・・急に寂しさがこみ上げて、
何の脈絡もなく
「今日は帰るね」と言って中座してしまった。


そのまま、合い鍵を預かる彼の部屋に直行せずにはいられなかった。

テヤンの部屋、

暗くて寒くて・・・・
吐く息が白い。

スイッチを探して明かりをつける。

浮かび上がるテヤンの空間。

あれからテヤンが買い集めた“私のモノ”のせいで
部屋の雰囲気がずいぶん変わったね。

初めて来たときのモノトーンの感じ、
それも好きだったんだけどな。
なんか急に生活感が出ちゃってる。


テヤンと初めてキスしたソファに座る。
     ・・・・私、震えてたね。
         テヤン、すごく優しかった。


テヤンといっしょにスパゲティーを作ったキッチンに立つ。
     ・・・って言ってもテヤンは、
        うしろから私の腰を抱いて、うなじにキスしてただけだ。


テヤンと何度も愛し合ったベッドをみつめる。
     ・・・・テヤン、
         君が、いない・・・・


急に、彼の不在の実感が、私に覆いかぶさる。
ベッドに倒れ込んで彼の匂いを思いっきり吸い込むのに、
なんだかその匂いも薄れてきているようで・・・・

今日はこのまま、ここで寝ようかな。



・・・・・テヤン

寂しい。

早く帰っておいで。

テヤン・・・

キスして。





       ・・・・・・・・・・・・・




中途半端に眠って夜中に目を覚ますと、目が冴えてしまった。
熱いシャワーを浴びて、メールチェック。

テヤンからのメールが届いていた。

ひとりぼっちの部屋で「あっ」と声を上げていた。


       
    ――――――――――――――――

  


To :アヤノ

元気ですか?

誓いは守ってる?
よく食べて、よく寝て、よく笑ってる?

僕はすこぶる元気だよ。
時々あなたを思ってあれこれ想像し、ぼーっとする以外はね。

僕は最近、ほんとによくボーッとしてるらしくて、
今日、ボスに「いったいこの頃どうしたんだ?」と
聞かれてしまいました。
正直に言おうと思い
「恋の病です。」って答えました(笑)

みんなにバカウケでした。
おかげでそれからずっと
「おーーい、そこの『恋の病』君!」って呼ばれてるよ!

僕はちゃんと、「ハイ、何ですか?」って答えています。
日本に帰ったら絶対紹介しろって言われています。


さて、前線基地となる街に着きました。
街の市場へ行くと、宗教の戒律で、女性たちはみな
布で顔を覆ってしまっています。

どんな顔をしてるのかわからない。

全身を布で覆って歩く姿は、やはり異様に感じてしまいました。
布は色とりどりですが、どこか葬列のように見えて、
僕は身震いしてしまうのです。

しかし、その布の下には輝く頬をした若い女性もたくさんいるはずです。
そして、その瞳に宿っているはずの、
向学の思い、平和への希求、美や恋への憧れ・・・・・
そういったものを、全て布の中に閉じこめているようで、
見ていると、辛い気持ちになりました。

布をはぎ取って自由になりたいと思うことはあるのか、
あるいは、生まれたときからの慣習で、
なんの違和感も感じていないのか・・・・知りたいです。



彼女たちは、未来に自分なりの夢を持つことを許されているのでしょうか。
「私はこうしたい」「私はこれになりたい」と願うことができることを、
知っているのでしょうか。

いろいろ話を聞いてみたいのですが、
インタビューひとつも、厳しい宗教の戒律に縛られて、
思うようにはいかないのです。

彼女たちが、
信じる神の教えに従って小さな世界で生きること、
その布を取り去って、「私はこうしたい」と叫んで広い世界に踏み出すこと、
どちらの方が幸福かは、本人が決めることなのでしょうか。
それでいいのでしょうか。
わからなくなります。




さて・・・気分を変えて、
再び「恋の病君」の妄想です。

葬列のような人並みに、
あなたと背格好が似ている人がいると、
「彼女がアヤノだったら・・・」なんて想像したりしています。

この中にあなたがいたら、
僕は顔を隠したあなたを見つけられるのだろうか・・・
何を以てあなたを見分けるのだろうか・・・
葬列をかき分けながら、ひとりひとりの布の奥を覗く?

いや、僕はそんなことはしない。
そんな方法は我慢できない。

我慢しきれずに、大声で
「アヤノーーー!!」って叫ぶだろう。

そして、その声を聞いて、顔を隠したたくさんの女性の中から
1人だけが、さっとドラマティックに振り返り、
自分を覆う布を、ぽーんと空に投げ上げて、
僕の所に走って来るんだ。

人混みをかき分けて、
僕だけを一心にみつめて走ってくる。

やっと見つけてくれたって、やっと会えたって・・・
笑いながら走ってくるんだ・・・・


・・・・・・・

ほらね、
みんなといる時、こんなことを想像しているとしたら
かなり長い時間ボーーーッとしてることになるでしょ。
あきれられるわけだよね。

アヤノ、僕はこんなふうにあなたのことばかり考えながら
元気にやっています。

明日難民キャンプに出発です。
そこで彼女の詳しい消息を聞いて、
彼女がいると思われる国境の山岳地帯へ移動します。

明日から何日かかるかわからない。
しばらくメールが途絶えても心配しないでね。
1週間くらい音信が途絶えることは普通です。
だから心配しないで。
わかった?

アヤノ、僕の心はいつもあなたのそばにいます。
アヤノ、愛してる。


From : テヤン




     ―――――――――――――――――――――――




真夜中のテヤンの部屋で、

明かりも暖房もつけずに、じっとディスプレイを見ている。

テヤン、ついこのあいだまでここで触れ合って
温もりを感じあっていた君は、
もうこのディスプレイのなかに閉じこめられちゃった。

でも、感じる。
君の言葉のあいだから、
こぼれる息づかい、温もり・・・
テヤン、君を感じるよ。




     ―――――――――――――――――――――――



To:テヤン

元気そうだね。
ホッとしています。

素敵なワンシーンを届けてくれてありがとう。
私をヒロインにしてくれたお話、映像が浮かびました。

恋の病のソン・テヤン君。
私も君に負けないくらい重傷だよ。
どうしよう・・・

今日は、テヤンの写真学校の後輩から、君のモテモテ話を聞いて
動揺してしまいました。
テヤンの部屋に直行して、
ベッドにひっくりかえって、
君の匂いをクンクン嗅いでしまいました(笑)
帰ったらその話について、詳しくきかせていただくとしましょう。
覚悟しておいてね。

私は、毎日よく食べて、よく寝て、よく笑っています。
特に心がけてるのは、声を出してよく笑うこと。
やっぱり寂しくて、ボーッとしてしまうから。

そして元気に仕事してるから、安心してね。

チョーカー、シャワーの時も外さないでつけています。
テヤン、いつも君のこと祈ってるよ。


テヤンの仕事、実りあるものになると信じています。
あなたの感性に響くものを大切にして下さい。


水に気をつけてね。
自分の体力を過信しちゃダメだよ。
無理しないでね。

テヤン、愛しています。

                From:アヤノ



      ―――――――――――――――――――――――


なんだか、恋の初めの女の子のラブレターのようになってしまって恥ずかしい。
でも、カッコつけてもバレバレだし、そのままの私を送ろう。

送信ボタンを押して、ホッとしたら眠くなった。
テヤンのベッドに潜り込んで、いつもより温かい気持ちで眠ることができた。





  10日後 ―――――――――――――――――――
        

To :アヤノ


元気に過ごしていますか?

ついに彼女「緑色の目をした少女」に会うことができました。
彼女は3人の女の子の母になっていました。

アヤノ、僕はさっきからずっとPCの前にいて、
どう言葉を並べたらいいのかわからないまま
時間が過ぎていくんだ。

なんて言ったらいいかわからないんだ。

彼女に会ってから、あなたのことがものすごく胸に迫って
苦しくて・・・・涙がでてしまう。
あなたを、今すぐ抱きしめたくてたまらない。

アヤノ・・・・
アヤノ・・・・
アヤノ・・・・アヤノ・・・・アヤノ・・・・


でもこうしてずっと座っていてもしょうがないから、
書き始めるよ。
きっと支離滅裂なはず。
でも、読んで欲しい。

そのソファで、君を胸に抱きながら、
僕が、うまくまとまらない話をぼそぼそつぶやいていると思って読んで欲しい。
いい?


彼女は、今30才か31才くらい。自分の年も定かじゃないんだ。

6才の時に爆撃で家と両親を失い、
祖母と兄妹4人とで、
雪の山道を1週間歩いて難民キャンプにたどりついた。
爆撃に怯えながら進むその行程が、どれほど過酷だったか、
きっと僕の想像を超えているはず。

その難民キャンプで暮らして6年ほど経ったときに、
キャンプの写真を取りに来たボスと出会った。

彼女は、ただ昨日から今日、今日から明日へと、
命をつないでいくことだけ、それだけのために生きてきたんだ。
ずっと。

6才の時からずっと彼女に安らかな日はない。
16才の時に、周りの大人たちが決めた男と結婚した。

今日まで生きてきて、シアワセだと思ったのは結婚式の日、
その日、ただ一日だけだそうだ。

17年前の写真の当時、13才くらいだった彼女は、
今は、13才、3才、1才の女の子のお母さんだ。


アヤノ、彼女には笑顔がない。
まったく笑わないんだ。
笑う筋肉を今日までまったく使ったことがないような、
寂しい顔をしているんだ。

まだ若いのに・・・・

全てをあきらめたような、希望のない顔なんだ。
見ているのが辛かった。

想像を絶するような苦しみの中で、
それでも生きて、子どもたちを守って
今日まで来たことを、すごいことだと、感動したと伝えても、
そんなふうに人に影響を与えることに何の意味があるのか
彼女が理解することはないだろう。


僕は、彼女に笑顔になって欲しかった。
でも、僕には何もできない。
彼女を笑顔にすることはできない。
あまりにも無力なんだ。


写真を撮られることも、それが世界に発信されて話題になることも、
それは彼女にとってはなんの意味もない。

なんの晴れがましさも、うれしさもないんだ。

そんな彼女に、僕らができることはなんだろう。
そんなものはないのか・・・?

そう思っていたら、ボスが言った。

「『教育は、目を開かせる光』というが、彼女にその光はない。」

ああそうかって思った。

「知る」ということはとても大切なのだとあらためて思う。

喜びを喜びだと理解する感覚、
幸福を感じられる力、人と人のつながりを大切だと思える心・・・・
そういったものをその人の中に育てていくのも教育なんだと思ったんだ。


今、目の前の彼女を笑顔にすることはできなくても、
彼女の子どもたちが心の目を開き、
未来の可能性を自分自身で切り開くための手立てなら
ほかの国の人間たちが担うことはできるのかもしれない。

「この子たちに教育を受けさせたい。」
それが彼女のただ一つの願いだから。
子どもたちこそが、彼女の希望の光だから。



   ・・・・・・・



アヤノ、僕が彼女を見ていて、あなたを思ったのは、
あなたの笑顔を思い出したから。

あなたのような笑顔ができるような、
そんな毎日を彼女に送らせてあげられたら
どんなにいいだろうって・・・・


そしたらね、あんなに過酷な出来事を経験してもなお、
笑顔を取り戻したあなたのことを思って、
あなたが愛しくて、
涙が止まらなくなった。

あの日、電車の中で
あなたは僕を気遣って、涙でぐしゃぐしゃの顔で
一生懸命笑顔を作った。
僕に笑いかけてくれた。


あなたの笑顔を思い出す。


「私のマフラーを作ってちょうだい!」と言って
女王様のように気取ってみせながら、おどけて笑った。

「テヤンがいてくれたから、二人のあとを追わずにいられた。」
そう言ってくれたあなたが、僕の頬に触れて、優しく笑った。

夕日の中で鮮やかに振り返っあなたが
「唯ちゃんって、いい名前だね。」って、
大声で言って笑った。


あなたの笑顔が、次々に胸いっぱいに蘇って。
僕は苦しいよ。


アヤノ・・・
あなたが、僕の知らない11年の間に
どれほどの悲しみや寂しさに耐えて来たのか、

倒れそうになるたびに、気持ちを奮い立たせて、
どれほど必死に生きてきたのか、

きっと僕の想像を遙かに超えているんだろうな。

アヤノ、
ほんとにあなたは頑張ったんだね。
今日まで1人で頑張って来たんだね。

そして、僕はあなたに出逢えた。
やっと出逢えた。
なのに、すぐに出発してしまって・・・・

あなたは笑顔で僕を送り出してくれた。

「よく食べ、よく寝て、よく笑い・・・」
いたずらっぽく笑って誓いを立てながら、ほんとはどんな気持ちだったの?


アヤノ・・・
あなたが、また人を失う恐怖に耐えて、
どれほど必死に送り出してくれたかを、
僕はちゃんとわかっていなかった。


ごめん、アヤノ・・・

アヤノ・・・アヤノ・・アヤノ・・・


今すぐあなたを抱きしめたい。
アヤノ、抱きしめたい。


アヤノ、愛してる。



絶対に、あなたのもとに、元気で帰る。

待っていて。

       
From:テヤン





     ―――――――――――――――――――――――





真夜中のテヤンの部屋

PCのデスクに突っ伏して、私は泣いていた。


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