Lusieta

 

この場所から ~ふたたびの陽射し Ⅲ章 6~

 

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「葬儀の日、母が日本から駆けつけた。

 でも、そのとき僕はもう狂ってた。

 なにがなんだかわからなくなってた。

 母が到着したという知らせを聞いたら、
 もう、いてもたってもいられなくなった。

 そのまま家を飛び出してしまった。、




 気がついたら漢江の岸にいた。


 葬儀にも出ないで、あちこち転々として・・・・
 そのまま一週間帰らなかった。

 だからあの時、母にも会ってない。

 祖母にも・・・・
 最後の別れをしていない。




 帰ったとき、あんなことした僕を誰もとがめなかった。

 僕が帰るまで、兄たちが交代で家に泊まりこんで待っていてくれた。       

 「おかえり。腹減ったか?」って、それだけで。

 兄はおかゆを作ってくれた。



 祖母と同じ味がして・・・

 僕は初めてオイオイ泣いて・・・・
 泣きながら食べた。

 食べ終わっても泣いて・・・・
 ずっと泣いて・・・・

 また兄がご飯を作ってくれた。
 また泣きながら食べて・・・
 そのあともずっと泣いた。


 いったい何日泣いたんだろう・・・・

 あのころの何日間かは
 あんまりよく覚えてないんだ



 そして・・・・
 1ヵ月後には、韓国を離れた。



 国際ボランティアとして、チベットに行ったんだ。

 学校を建てに行った。
 山岳地帯の小さな村々に、小さな学校を建てていくチームだった。

 もう韓国に帰らないで、
 こんなふうにずっとぐるぐるあちこちの国を回っていようかと思った。


 祖母をあんな悲しいまま逝かせてしまって、

 ほんとの母にも背を向けて、

 何もなかったようにもとの暮らしをするなんて、ありえなかった。

 自分にはもう安らぐ場所もないし、そんな資格もないと。

 ずっとずっと、この地球のどこかで汗をかいて働いていようって、
 漠然と思ってた。



 とにかく自分をいじめるみたいに必死で働いてた。

 チベットでは高山病になって、
 慣れるまでは吐き気がして、何にも食べられなくて、
 休んでろって言われても、むりやり仕事した。

 苦しいほうが、気持ちが楽だった。
 自分をいじめていじめて、死んでしまってもいいと思った。

 止められても止められても仕事しようとして、
 最後にはリーダーに殴られて、むりやり寝かされた。

 半年たったころ、兄たちから事情を聞いた母が手紙をくれて・・・

 会いたいって。
 ちゃんと会って話がしたいって。
 一度日本に来てほしいって・・・


 でも全然に行く気はなくて、
 相変わらず毎日ただ体動かして仕事してた。



 ある日、その学校を作る活動を主宰している女性が現場を訪ねてきたんだ。

 チベットのすべての子どもたちが学校に通って学ぶことができるように、
 辺境の地域に学校を建てるという夢を持って、
 その資金の全部を提供してる女性。

 彼女は日本で活動してるチベット人の歌手だった。
 コンサートや講演活動の収益金をつぎ込んでたんだ。」



      その人、私も知ってるよ。

      ミャンジンさんでしょ。

      本も読んだし、テレビもみたよ。

      テヤン、すごい人に出会ってるんだね。
      


「夜、一人で星を見てると、彼女が来て『なにしてるんだ』って聞いた。

 不思議なんだけど・・・・

 僕はとっさに
 『空にオンマを捜してる』って言ったんだ。

 なんでだか、ぽろっとそんな言葉が飛び出した。

 そしたら彼女が

 『捜さなくていい。いつも君と一緒にいる』って言ったんだ。


 『ふるさとに帰ればそこに待っていてくれるし、
  写真を見ればそこにお母さんは宿っている。

  いつだって話せるし、いつだって君を守ってくれる。
  君を許してくれる。

  仏になったらすべてを許し、すべてを癒して君をよい方向に導いてくれる。

  だから何も悲しむことも、悔やむこともない。

  お母さんに呼びかけてごらん。

  ちゃんと声が聞こえるから。

  ちゃんとお母さんを感じられるから。』って。」




     あの時、テヤンが私に言ってくれた言葉だね。

     その言葉が、ちゃんとテヤンの中に根付いて、

     私を力づけてくれた。




「そして、『君がお母さんと出会えるように』って、うたを歌ってくれたんだ。

 歌詞を説明してから歌ってくれたのは、日本の歌『ふるさと』だった。


 すばらしい歌声だった。


 チベットの夜空は、星が降るように輝いていて・・・・・

 突き抜けるような澄んだ歌声が、僕と星だけの世界に満ちていった。



 体が震えて、涙が止まらなかった。

 ほんとに祖母はここにいるって思った。

 『オンマー』って声を出して言ってみた。

 『僕を許してくれる?』

 そのまま朝まで、僕は祖母と語り合った。




 そして・・・


 日本に行ってみようという気持ちになった。
 『会いたい』と言ってくれる人のところへ。





 母は・・・・

 「お疲れさん。大きくなったね。」って、

 それだけ言って泣いた。

 抱きしめて背中を撫でて・・・・



 でも・・・・抱きしめられたとたんに祖母を思い出してしまって・・・

 母のそんなやさしさに応えたら祖母に悪いような気がして・・・

 どうしたらいいかわからなくて、体を硬くしてた。


 若かったんだね。

 僕は、すごくぎこちなくて・・・・



 祖母は、母と僕が打ち解けられたら

 うれしいに決まってるのにね。



 それから、微妙な距離感で3人の生活が続いたんだ。

 そんなに長居をするつもりはなかったんだけど、

 二人があまりにも暖かく接してくれて、

 僕がいる生活を毎日喜んでくれるものだから・・・・




 でも・・・・

 ちゃんとするはずだった話は一向に始まらなくて、
 ただ母は僕を見て微笑んで、あれこれと世話を焼いてくれるばかりで。

 いろんなわだかまりを抱えたままだったけど
 そんな生活に安らぎを感じてたのもほんとなんだ。

 ずっとこのままでもいいかな、なんて。



 そしていきなり牧師さんから
 日本の大学に編入しないかって言われた。

 二人は僕にそばにいてほしかったんだと思う。

 「テヤン、君は僕たちの大切な息子だ」って、
 毎日牧師さんが言ってくれた。

 無条件に歓迎してくれることはやっぱりうれしかった。



 韓国にはもうしばらく帰る気にはなれなかったから、
 日本じゃなくても、どこでもよかったんだけど

 やっぱり母のいる国にいたかったのかな。


 一度だけ韓国に帰っていろんな手続きをして、
 1995年の正月は日本で迎えたんだ。




 そのころから僕はだんだん気になり始めてた。。
 母から全然核心の話がでてこない。

 僕は母のことをずっとアジュンマって呼んだままだし、

 でも、オンマと呼ぶには、
 ずっと僕にとってのオンマだった祖母に悪いような気がしたし・・・

 それに、僕を選ばずに彼との日本を選んだときの気持ちを、
 母の口からちゃんと聞きたかった。

 僕も、ちゃんと覚えてないにしても、母のことすごく拒否したこと、謝りたかった。

 そして、そんなに拒まれて、母がどんな思いだったか知りたかった。



 それでなんだか、悶々としてしまったんだ。


 そして・・・・

 そんなふうなままで、その日が来ちゃった。」



テヤンがふーーっと息を吐いた。

私の頭に頬を乗せて髪をいじってる。



     お疲れさん。

     ここまですごくがんばったよね。

     でも・・・・・

     これから、なんだよね。




「アヤノ、コーヒーがまた冷めちゃった。」

「・・・・・うん」

「ねっ!」

「ん?・・・・・・」

「休憩・・・かな?」

「うん・・・そうかな?」



「アヤノ、大丈夫?」

「うん・・・・大丈夫じゃなくても、ちゃんと聞くって気合だけは入ってる。」

「ふふ・・・・僕も。」

「え?・・・・・・」

「大丈夫じゃなくても、最後までとにかく話すって気合だけは入ってる。」

「うん。」



「だから・・・・・もう一回コーヒー淹れよっか。」

「うん。」



さっきから二回目だ。

冷めたコーヒーを捨てた。

コーヒーメーカーを、またセットした。

ふたり、ポトポトと落ちるコーヒーのしずくを見ながら、

「今度はちゃんと熱いうちに飲もうね。」

「うん。」 




今夜初めて二人並んで、ちゃんとコーヒーを飲んだ。

ラグに腰を下ろして、ソファには座らないでもたれてるだけ。



      この使い方が最近多いね。

      そういえば二人でいるときは、あまりソファに座っていない。

      もたれるだけだね。

      二人のいつものポーズばかりで・・・・



温かくて甘い液体が、体にしみわたっていく。


     
カップを置いたとたん・・・




「あの時・・・・

 母は、早朝礼拝の準備で
 住居から中庭を通って教会に行く途中だったんだ。」



     えっ? テヤン・・・

     いきなり始まった。

     

「中庭に出たところで地震が起きて、

 落ちてきた屋根瓦が母を直撃した。

 僕が駆けつけたときには、
 牧師さんが、母を家に運び入れてた。

 母はまだ意識があったんだ。

 『頭が痛い、頭が痛い・・・・』って言った。

 おでこのところが大きく切れていて、
 血が止まらなかった。」



      やっぱり無理・・・・



並んで座る位置から、

私は自分でテヤンの足の間にもぐりこんで、胸に顔をうずめた。

テヤンが黙ってぎゅっと抱きしめた。



「とにかく牧師さんの運転で病院へ行くことになったけど、

 いろんなものが散らばっていて、
 ガレージから車が出せなくて手間取ってたんだ。



 ・・・そのとき・・・

 牧師さんは車の外にいた。

 僕は後部座席で母を抱きかかえてた。



 母はすごく汗をかき始めた。

 息が荒くなって・・・

 そして・・・・
 急に僕の両腕をつかんで『テヤン』って言った。

 自分の体に何かを感じたんだと思う。

 そして、今言わなければって・・・・

 『テヤン・・・・
  テヤンっていう名前は私がつけたの。』って言った。

 テヤンって、太陽っていう意味なんだ。」


「太陽?」


「うん。太陽。

 母が言ったんだ。

 『太陽のようにいつも明るく輝いていてほしい。
  そして、その陽射しで、
  あなたのまわりをやさしく照らして温めるような人になってほしい。

  そんな気持ちでつけたの。

  テヤン、ごめんね。
  あなたを置いていってごめんね。

  ごめんね、ごめんね・・・・

  それなのに、
  会いに来てくれてありがとう。

  うれしかった・・・・うれしかった・・・


  ちゃんと話さなくてごめん・・・

  ちゃんと話したら、もう終わりになりそうで、

  ちゃんとテヤンと話したら、
  テヤンが帰っちゃいそうでこわかった。

  もう二度といっしょに暮らせなくなりそうで・・・


  ずっとこのままいっしょに暮らしたかった。

  テヤンのために毎日ご飯を作りたかった。

  テヤンの笑う顔を見ていたかった。


  テヤン、テヤン、私の大事なテヤン・・・・

  テヤン、テヤン・・・・』って・・・。


 僕の腕をぎゅーーーっとつかんで、

 すごい力でつかんで、

 僕をみつめたまま・・・・

 そのまま息を引き取った。」


「・・・・・・・」


「最後まで・・・・・

 オンマって・・・・

 言えなかった・・・・」



「・・・・・・・」



      テヤン・・・・

            テヤン・・・・



「アヤノ・・・・・」


「はい・・・・・・・」


       


「これで・・・

    全部です・・・・」




「はい・・・・・」




起き上がって、ひざで立ち、

テヤンを正面から抱きしめた。

テヤンの頭を抱えて髪に頬を寄せた。



「テヤン・・・・・」




私の胸に顔をうずめて、

テヤンが泣いた。



肩を震わせ、

抑えても、漏れる嗚咽




テヤンが・・・・

    泣いた・・・・・



私はただ必死で彼を抱きしめていた。

いや、しがみついていたのかも・・・・





どのくらいそうしていたんだろう。

テヤン・・・・

苦しそうだった息遣いが、穏やかになった。

今はただ私の胸に頭をもたれさせて

じっとしてる。

ぼーーっとしてる。




「アヤノのシャツ、濡れちゃった。」



       たくさんの、テヤンの涙・・・・

       羽織ったニットの下は薄手のシャツ、

       胸に張り付くほど濡れている



「なんか、この感じ、セクシー?」

シャツの濡れた胸元をつまみながら言ってみた。

「えっ?」っていう顔して、わたしを見た。



       テヤン、君が笑わないから・・・・・

       私は急に恥ずかしくなる。

       脱力した表情が痛々しくて

       泣きそうになる。

       


じっとその胸元を見るテヤン、

大きな手のひらが、濡れたシャツの感触を確かめる。

そして、あと二つボタンをはずして・・・・

長い指が素肌に触れた。


「冷たくなっちゃったね。」


そう言って、冷えた胸元に頬をつけた。


「テヤンのほっぺ、あったかい。」

彼の髪に指を入れて、そっと撫でる。




「アヤノ・・・・」


「ん?・・・・・」


「お願いがある。」


「何?・・・・」


「このまま、あなたの中で、温まりたい・・・」


「・・・・・・」


「ダメ?・・・」





      テヤン・・・・・

      何でもしてあげる。

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