Lusieta

 

この場所から ~ふたたびの陽射し Ⅳ章 メグ 4~

 

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私はシャツのボタンをはずし始めた。


その手を、オッパの大きな手が包んだ。


そのまま広い胸に抱きしめられた。

『・・・・・・』

『・・・・・・』


今までのハグとは違う、強い力でぎゅっと抱きしめられてる。
こんなことは初めてだった。

オッパの息遣いが、耳のすぐそばで聞こえる。
髪をやさしくなでられる。

これがどういうことなのか、よくわからない。

どっちなんだろう・・・

全身で揺れてるのではないかと思うほど、ドキドキが体じゅうに響いた。



『メグ・・・・・』

『・・・・・・』


『僕の話を聞いて・・』

『・・・・・・・』


腕を解いて、私の両手をとって、
オッパがじっと私の目を見つめた。

私も見つめ返した。
そらしてはダメ!
挑むように、にらみつけるように、

でも、オッパの目はどこまでも穏やかで、優しい。



オッパがそっと息を吐いて、静かに微笑んだ。

そんなふうに見ないで・・・・

いたわるように・・・包むように・・・守るように・・・慰めるように・・・

そして・・・その目に苦しみを滲ませて・・・


そんなふうに私を見ないで。






『ちゃんと座って話そう。』

かすれた声でそう言って、私の胸のボタンを元どおりにしていく。



あぁ・・・そうなんだね。

そりゃそうだ。

はじめからわかってた。




恥ずかしさと惨めさがこみ上げて、もうこのまま逃げ出したい。

でも・・・・

一方で、ホッとしているのも確かだった。



オッパは私の手を引いてソファへ座らせた。

私は必死で涙をこらえていた。

私から言い出したことなんだから。

泣いてはダメだ。

しっかりしなきゃと何度も自分に言い聞かせて・・・




ソファに並んで座った。

『そうだ、コーヒー飲まなきゃ。』

オッパが立ち上がって、コーヒーを入れてきた。

いつもの私専用のマグ。
当たり前みたいに、何年もこの部屋にあった。

ふたり、黙ってコーヒーを飲んだ。

温まってるはずなのに、私はあまりの緊張に震えていた。

オッパが気づいて、ベッドからブランケットをとってきて
私をくるんだ。

そして・・・その上からそっと肩を抱いた。


もう、さっきみたいに抱きしめてはくれない?

でも、不思議だ。
オッパの広い胸にもたれていると、それだけで気持ちが落ち着いていく。


『メグ・・・』


『・・・・・・』


『前に話したよね。僕には、家族がいない。』


『ん・・・・・』


『母も祖父母も亡くなった。父の顔は知らない。
 韓国にいる血縁は3人の叔父だけだ。』


『メグに出会って、また家族ができたような気がした。

 僕の毎日の中に、メグのほうからグングン入り込んできてくれたね。

 うれしかった。

 メグってさ、ほんとに僕の都合なんか全然聞かないで、ガンガンくっついてきたよね。

 かわいかった。

 あぁー妹ってこんな感じかなって思った。』


『・・・・・・・・』


オッパ、お願い・・・・

もうその言葉、聞きたくないんだよ。



『メグ、僕はメグが大好きだ。

 ずっとこんなふうに一緒にいたかった。

 でも・・・・だめなんだよね。

 ごめん。

 メグがそんなに苦しんでたのに、僕はずっと兄妹気分で幸せに過ごしてた。』


『・・・・・』


『メグ・・・・・

 僕にとっては、メグはもう大事な家族だったんだ。

 きっと肉親のような気持ちでいたんだと思う。

 お父さんが亡くなって、メグがあんなに泣いて・・・・
 これからはメグの父親の役目も、ずっと僕がするんだって思ってた。

 メグがお嫁に行くとき、
 バージンロードを一緒に歩く僕は、きっとすごく泣くんだろうなって・・・・・』


『や・・めて・・・』


息が苦しくて・・・もう聞けない・・・

私はオッパの手を払いのけて、よろよろ立ち上がった。

ブランケットが肩から落ちた。

背を向けたままラグに座り込んだ。


『やめて、オッパ・・・・

 もうわかったよ。それ以上言わないでよ。

 もう充分だよ。』



『メグ・・・』


『ありえないよね。
 オッパにとって、私は妹以外にありえない。

 私を抱くなんて一生ありえない。

 オッパがどんなに私を大事に思ってくれてるか、
 ほんとに充分わかってたんだよ。

 今日までどんなに私を愛してくれたか。

 いつもいつも、恋人よりも自分よりも、私を優先してくれた。
 オッパの愛は肉親以上だ。

 なんでこんなに大事にしてくれるのか、不思議なくらいだった。

 それは何年たっても変わらなかったね。

 父さんが死んだときも、オッパは自分の父親が死んじゃったみたいに
 オイオイ泣いて、そしてそれからますます私たちの家族になった。

 頼もしくてやさしくて・・・
 父さんの代わりをしなきゃって思ってくれたことも、

 すごくよくわかってたんだよ。



 でも、私はもう言っちゃった・・・・


 妹じゃイヤだって・・・
 抱いてほしいって・・・

 言っちゃったんだよ、オッパ。


 だからもう、きっと元に戻れない。


 ごめんね。

 ごめんねオッパ。

 最後の我慢ができなくて、ごめん。

 オッパと私はもう家族にはもどれない・・・・

 オッパの大事な家族を・・・・
 奪っちゃってごめんね。

 ごめん・・・・・』




泣いてはいけない・・・・・



『メグ・・・・』


『ねぇ・・・

 最後まで・・・・

 最後まで、メグはずっとあっけらかんで、元気だったって覚えててね。

 オッパのことを好きで好きでたまらなかったメグは、

 元気で、おバカで、いつもかわい~く笑ってたって、覚えててね。

 ねっ、オッパ。

 わかった?!』



後ろを向いたまま、最後だけちょっと声を張り上げた。


絶対泣かない・・・・





『メグ・・・・』




『メグ、僕は・・・・

 僕は、メグを失ってしまうの?

 このまま、メグは僕からいなくなるの?』



『・・・・・』


『メグ・・・・』



『そんなふうに言わないでよ。

 オッパは、ずるいね。

 ずるい!!

 ほんとのお兄さんでも、オッパみたいに優しい人いないよ。

 これからどんな男の人に出会っても、オッパより優しい人なんて、いないよ。

 困っちゃうよ、私。

 どうしたらいいんだよ・・・・』


『・・・・・・』




もう、我慢できない。

一人にならなきゃ・・・・



『帰るね。』


『えっ!』


バスルームに向かった。

乾燥機の中のジーンズとTシャツ。
まだまだ湿ってるけど・・・


『メグ、何言ってるんだ。外になんか出られないよ。』


早く一人にならなきゃ、爆発しちゃうよ。


『大丈夫、気にしないで。タクシー拾うよ。』


『そんなの走ってない。一台も。』


『じゃあ、歩いて帰るから。』


『メグ・・・』


オッパが私の両腕をぎゅっとつかんで正面を向かせた。

私は身をよじって抵抗した。
うつむいて、今にも溢れそうな涙を見せないように・・・


『イヤだ・・・やめてよ。帰るんだよ、私・・・』


『・・・・』


オッパの腕の力に、最初からかなうわけない。


『お願い・・・ひとりに・・・なりたい・・・・』


もっと強くつかまれて体ごと揺すられた。


『こんな嵐の中に、大事な人を放り出すヤツが、いると思うか!!』


『・・・・・・・』


広い胸に抱きしめられた。



オッパ・・・・オッパ・・・

苦しいよ・・・・・

オッパ・・・・

悲しいよ・・・・




『うっ・・・・うっ・・・・』


堰は、切れてしまった。



一挙に涙は溢れ、私は嗚咽とともにその場に崩れた。

オッパに抱きしめられたまま。



泣いた。
オッパにしがみついて、声を上げて泣いた。

オッパも私をぎゅっと抱きしめたまま・・・・
同じように、胸が震えていた。

オッパも泣いていた。
静かに・・・




長い間、そうしていた。

狭い廊下の壁にもたれたオッパ。
その胸にもたれ、泣き疲れて放心した私・・・


フローリングの冷たさと、オッパの胸の温かさ・・・

何も考えずに、ずっとこうしていられたら、どんなに幸せだろう。

でも、もうすぐ終わる。

そして二度とないんだね。



『メグ・・・・』


オッパがその声で、耳元で語りかける。


『メグ、僕が今夜、メグの願いを受け入れても受け入れなくても、
 どちらを選んでも、きっと明日からもうメグは僕のところには来ないんだね。』


『・・・・・・』


『確かに、僕が今夜メグを抱いたら、もう一生会えないだろう。

 でもね、抱き合わないで終わったら、きっといつか会えるんだ。

 それは何年先かわからない。
 もしかしたら10年先かもしれない。

 でも、きっと会えるし、また笑いあう日が来るって、そう信じられる。

 僕は、メグと一緒にバージンロードを歩く夢だって捨てていない。』


『・・・・・・・』


『きっと僕は、ずるくて鈍感で・・・

 メグの気持ちだってちゃんとわかってやれない。
 結局メグを僕のペースに引きずり込んで、今日まで振り回してきたんだ。

 ひどいよ、僕は。

 でも、あきらめない。

 今夜抱き合わないからこそ、僕たちは未来でつながれる。きっと・・・

 だから、忘れないで。

 僕がメグに会える日を、ずっと待ってるってこと。

 忘れないで・・・・僕を。』


そう言って、またぎゅっと抱きしめた。


『・・・・・・』


私はオッパの背中に回した腕にまた力を込めてしがみついた。


『・・・・』




時間が止まればいいのに・・・

あぁ・・・・このまま死んじゃいたいくらいだ・・・・





夢かな・・・・

リビングで遊び疲れて眠った私は、
父に抱かれて子ども部屋に運ばれる。

このゆらゆら揺られてる感じ
幸せだった小さなころの象徴のよう・・・・


やっぱり・・・
オッパだった?・・・


あのまま廊下で寝ちゃったの?私・・・

そっか・・・・

眠ったふりをしていよう。

そっとオッパのベッドにおろされる。

涙をこぼしたら、起きてるってバレてしまうね。


ベッド、オッパのにおいがする。

ブランケットをかけられる。

そっと前髪を梳く指を感じる。

髪を撫でられてる・・・・
ずっと撫でられて、また眠くなりそう・・・・


『!!!』

額に、温かくて柔らかな感触。

それがオッパのキスだってわかる頃には

オッパはもう部屋を出ていた。

オッパのキス・・・・

最初で最後の・・・・

オッパからのキスだった。



私はブランケットをかぶり、シーツに顔を押し付けて、

また泣いた。





どのくらい眠ったのか・・・
しっかり眠ったのか、少しまどろんだだけなのか、よくわからなかった。

昨夜の風雨がうそのように、穏やかな朝日が差している。



そっとリビングをのぞくと、オッパはぐっすり眠っているように見えた。

乾燥機の中から、ちゃんと乾いた服を取り出し、身づくろいをした。



オッパは目を覚まさない。

こんなときにも、きれいな寝顔だなぁって、あらためて思ってしまう。

その、ちょっと厚い唇が、ゆうべ私の額に降りたんだと思うと、

それだけで泣きそうになる。



触れたい・・・・

ダメだよね・・・・


オッパ・・・ほんとに眠ってるの?

触れたい・・・・

もう一度だけ・・・・



でも、やっぱ、我慢だ・・・


さよならだね。

大好きだったよ・・・・

オッパ、さよなら・・・・

私の大好きなものがいっぱい詰まったこの部屋、さよなら・・・

さよなら・・・



そっと玄関のドアを閉めて、
大きくひとつ息を吐いた。



マンションのエントランスを出ると、
そこは台風一過。

見上げる空はピーカンで、どこまでも青く高く、遠かった。

立ち止まり、目を閉じて両手を広げた。

大きく息を吸い込んだ。

そのまま体が透明になって、空に浮かんでいきそうだった。

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