Lusieta

 

続・この場所から テヤンの宿題 2

 

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2006.2

     ―――――― side アヤノ


まだかすかに震える手で、牧師さんの手紙を開けた。
 
      『 テヤン
       
        このあいだは来てくれてありがとう。

        そしてアヤノさんに会わせてくれてありがとう。
        彼女はとても素敵な人だね。
        あらためて、君たち二人の再会を神に感謝します。

        テヤン、
        自分では気づかなかっただろうが、
        君はほんとに嬉しそうで幸せそうな顔をしていました。

        私もほんとにうれしかったよ。

        ミヨンもどんなにか喜んでいることでしょう。
        彼女の嬉しそうな笑顔が目に浮かびます。



        さて、今アヤノさんが君のそばにいてくれることは、
        まさに神の導きだと感じています。

        なぜかというと、君に宿題が出されたからです。

        この宿題をクリアするために、
        テヤンひとりではつらいこともあるかもしれない。

        だから、アヤノさんという女神が
        君のもとに舞い降りたのだと、私は勝手に納得しています。


        今から大切なことを話します。
        しっかり読んでください。


        年末に、君の死亡の誤報がニュースで流れたとき
        君のお父さんから電話がありました。

        私のところには君からすぐに電話があったから、
        誤報だということと、日本に帰ってきたことを伝えました。

        その時はそれで終わったのだけど、
        先日、私をわざわざ訪ねていらっしゃいました。
        君に会いたいと伝えたいが、どうだろうかと。

        会おうと思えば、直接君の事務所に連絡すればいいことなのに、
        君のお父さんは、わざわざ私に了解を取ろうとしてくれる
        そういう誠実な人です。

        なぜ私たちが知り合いなのか不思議に思うでしょう。

        実は、彼と初めて会ったのは11年前、
        ミヨンが亡くなった直後です。
  
        そして、ミヨンはその1年前に彼に会っていました。

        ミヨンの死を知って彼が訪ねて来たとき、
        君は毎日出かけて、
        突然いなくなったアヤノさんを探しまわっているさなかでした。
        
        そして、私はそのとき彼に、
        テヤンが神戸にいることは言いませんでした。

        アヤノさんを探す君は、少し正気じゃなかったから、
        今引き合わせるわけにはいかないと思っていました。

        それに、私もたぶん正気じゃなかった。
        ミヨンを亡くして、
        でも、教会には毎日たくさんの人が来て、
        悲しむ暇もなかったことは、君も同じでしたね。
     
        私も頭の中がとても混乱したまま、
        身を粉にして働くことで、なんとか自分を保っていたころでした。

        だから、君と彼が出会うことは、
        あの時の君と私の許容範囲をこえそうに思ったものだから。
      

        でも、結果的には、
        彼とミヨンのことを語り合い、二人で泣いたことで、
        私はその後の厳しい毎日をがんばれたような気がしています。

        彼もまたずっと胸の奥でミヨンを忘れずにいて、
        安否を気遣い、死を知って、居ても立ってもいられずに
        神戸に来てしまった。
     
        そして、夫である私と一緒に、臆面もなく泣いたんです。
        今思うと、不思議な関係でしたが、温かい交流だったと思います。

        君のお父さんの悲しみようは深くて、
        とても痛々しかったです。

        うまく言えないけど、
        「自分はこの人よりも長くミヨンと一緒にいられた。」
        そのことだけで、満足できるような、そんな気持ちになりました。

        だから、震災の後のめまぐるしい毎日を、
        私はがんばれたのかもしれないと
        今では思っているのです。




        ミヨンが彼と交流することになったきっかけを書きます。

        実は、ある雑誌で君のお父さんのご夫婦が取り上げられました。
        
        いろいろな分野で活躍する人が夫婦で取材を受けて
        人生のパートナーの様々な形を紹介する記事でした。
        
        大きな写真つきの、ちょっと知られている記事なんです。

        そしてその半年後に私たち夫婦が取り上げられました。
        テヤンが私たちのところへ来るほんの数ヶ月前のことでした。

        私たちが取り上げられてすぐに
        君のお父さんは連絡をとってきました。

        ミヨンはね、そのことを予感していました。
        なぜなら、彼女は、彼が気づいてくれることを願って
        インタビューの中で彼に向けたメッセージを口にしていたから。

        彼女は偶然、彼の記事が掲載されたときに読んでいました。
        とても驚いたと思います。
        
        そして奇しくも半年後に自分たちも取材をうけました。
        だから、彼がこの雑誌を引き続き読んでいたら、
        きっと気づくはずだと思ったのでしょう。

        ミヨンはね、「お子さんは?」と聞かれて、
        「はい、今年20才になる息子がいます。
        今は国際ボランティアとしてチベットで一生懸命働いています」
        そう言ったんです。
        
        それは、“あなたと私の子どもは元気に生きています。”
        というメッセージでした。

        ミヨンが願ったとおり、彼は連絡を取ってきて、
        二人は20年ぶりに出会い、
        やっと真実を語りあったんです。

        テヤン、二人はあのまま離ればなれじゃなかった。
        ちゃんと出会って理解し合いました。

        テヤン、君は3人で会うことは出来なかったけど、
        君をこの世に送り出した両親が、君のことを語り合い、
        祈るようにして、いっしょに君の幸せを願った
        そんなひとときがあったことを
        喜んでほしいです。

        君は愛されて、毎日心から無事を祈られて生きてきました。
        その祈りが君に届いていたと信じています。


        ミヨンは、君のお父さんに会った日、
        帰りついたとたんに、わーわー泣き出しました。

        彼に会っていた間は泣かないで、
        私の顔を見たとたんにしがみついて泣きました。
        そのことが私はうれしかったりしたよ(余談ですが)

        「テヤンに会いたい・・・テヤンに会いたい・・・」と泣きました。
        ずっと気持ちを抑えていたのでしょう。
        自分にはそれを望む資格がないと。


        君のお父さんに出会って、君のことを語り合って、
        胸に閉じこめてきた思いがあふれ出したのでしょうね。

        そしてミヨンは君に手紙を書きました。
        悩んで悩んで、何度も書き直した手紙。

        結局、ただ会いたい、いろんなことを話したいって
        とても正直な手紙だったよね。



        ミヨンはね、韓国に君を置いて来る決心をして、
        私が待つ空港に来たとき、
        私の正面に立って言いました。

        「私はもう生涯子どもを産みません。それでもいいですか?
        私はテヤンを捨ててきました。
        だからこの先、子どもを慈しむ喜びを持たないことを、
        私の、テヤンへの償いにしたいのです。

        あなたの子どもを産まない。
        そんなふうに決めた私でも、
        それでもあなたは私を伴侶にしますか?」
 
        彼女は目が真っ赤で、寝ていないのがわかりました。
        とても興奮していて、挑むように私を見ていました。
        痛々しかったです。

        私は、急がないで韓国にしばらく残って
        ゆっくりテヤンと関係を作り直してから、二人で日本に来てくれと言いました。

        彼女は首を振った。
        「テヤンのオンマは、私じゃなかったの。
        テヤンのオンマは私だって、なんでそう信じてたんだろう。
        勝手に・・・思ってただけ。

        ちがったの・・・・
        私じゃなかったの。

        このままの方が、テヤンはきっと幸せになれる。
        笑っていられる。
        
        私では、テヤンに幸せをあげられない。」


        そう言って、ずんずん歩いて搭乗ゲートへ行ってしまいました。
        君との間に何があったのかわからないけど、
        そこまでの決意をさせる出来事があったのでしょう。

        テヤンも覚えていないと思うけどね。


        日本で暮らし始めてから、
        ミヨンはテヤンの話を全くしませんでした。

        それでも毎日、牧師の妻としての生活を
        ひたむきにつとめてきてくれました。

        韓国に里帰りしようと行っても、
        教会の仕事が楽しくて、
        こんなに忙しいのに帰ってなんかいられないと言って
        全くとりあいませんでした。
        
        明るくて優しくて、たくさんの人に慕われて
        いつも周りに人がいて、幸せそうにしていました。


        だから、ミヨンがあんなにもテヤンを思ってつらそうにしたことに
        私は衝撃をうけました。

        ほんとはきっと、
        日本に来てからずっとこんなふうに
        「テヤンに会いたい・・・・テヤンに会いたい・・・」
        そう思いながら、長い時を過ごしてきたんだと思いました。

        ミヨンがいじらしくて・・・・
        そして、ミヨンにもテヤンにもほんとにすまなくて・・・

        私は、二人のためなら日本を捨てて
        韓国に残るという選択だってできたのにと、
        後悔しました。
        たぶん一生消えない後悔です。

        テヤン、ほんとにすまないと思っています。


        なのに、君はこんなにも大らかで優しく強い男に育って
        私たちの前に現れました。
        私たちは、3人で暮らす日々が嬉しくてたまらなかった。

        そして、やっと会えたと思ったら、ミヨンはすぐに行ってしまったね。

        テヤン、
        ミヨンはね、君に、君のお父さんのことを話そうとしていました。
        そして、父と子を会わせようと考えていました。


        でも、その話を切り出すのを
        明日、また明日と、一日延ばしにしていたんです。

        その話をして、テヤンがほんとにお父さんに会ったら、
        今の穏やかで幸せな生活が変わってしまうかもしれないと、
        そう思うとなかなか勇気が出なかったようです。

        私は焦らなくてもいいと言いました。
        ちゃんとその時期は来るからと。
        神が一番良い時期を準備してくださると。

        ミヨンは毎日いそいそとテヤンの世話をやきながら、
        内心では、そのことを悩んでいたのです。


        君はあのころどんなふうに思っていただろう。
        考えてみると、君と私はその辺りの核心の話をしないまま
        11年がたってしまったね。
 
        こんな話、もっと早くに君にしなければならなかった。
        へらへらと笑い話ばかりしていて悪かった。

        アヤノさんとお父さんの出現で、
        いっぺんにこんな話をして、
        僕たちの間も一挙に変化するかもしれないね。

        僕も、覚悟をしなければと思います。


        君のお父さんには、すべてはテヤン次第だと言いました。
        私の了解などいらないと。
        彼は君からの連絡を待っています。

        「会う気になったらいつでも来てください」

        それが彼からの伝言です。

        会社のビルの総合受付で“ソン・テヤン”と言えば、
        すぐ社長室に行けるようになっているそうです。

        社長室への直通電話・携帯の番号・PCのアドレスは
        最後にまとめて書きます。



        テヤン、
        ぜひ会ってくればいい。

        よい方です。
        見た目だけでなく、人柄もとても君と似ています。

        不思議ですね。
        一度も会わずに生きてきたのに、
        親子とは、こんなふうに似るものなのでしょうか。

        纏っている空気のようなものが同じ気がします。

        企業のトップという厳しい立場にいても、
        大切なものをなくさないできた人、そんな感じです。

        ミヨンが恋しただけのことはあります。
        私は今でもすこし妬けます。

        あぁ、こんなことを書いていると、
        とてもとてもミヨンに会いたくなってしまいました。



        テヤン、
        実は、私は複雑な気持ちです。
        テヤンを私の元から送り出す、そんな気持ち。

        正直言って寂しいのです。

        テヤンが私とミヨンの間に生まれた子どもだったら
        どんなにいいだろうと思ったりしました。

        あるがままを感謝して受け入れることを、人に説く身の私が、
        こんなかなわぬことばかりを思っているなんてね。

        あぁ、牧師にあるまじきことばかり書いている手紙です。
        誰にも内緒にしてくださいね(笑)

        こんなことを書いてしまったら、君のことだから
        私に気を遣って会わないでおこうなんて思わないか心配です。
 
        それはダメです。
        勝手に決めて申し訳ないが、
        「テヤンは、きっとあなたに会いに行くと思います、」
        と言っておきました。

        あ、そうだ。
        「いつになるかはわからないが。」とも言いました。


        テヤン、しつこいようだけど
        会ってくるといいよ。
        きっと君は、会えてよかったと、心から思うはずだ。


        でもね、テヤン、お願いがあります。
        これからも、君のことを、私の息子と呼ばせてください。

        父親は、何人いてもいいですよ。
        君を息子として愛している人がたくさんいるのはいいことだ。
        そうでしょ。

        この家にもまた訪ねて来てください。
        アヤノさんといっしょに。

        そして、二人のあいだに新しい命が授かったら、
        僕に抱かせてください。
        おじいちゃんも、何人いてもいいのです。


        長い手紙になってしまいました。
        これで終わりです。

        伝えなければならないこと、
        全部書いたはず。
        たぶん。

        風邪ひかないように、体に気をつけてください。
        仕事、がんばって下さい。
        いい写真を撮ってください。
        応援しています。 

        アヤノさんによろしく。

        私の大事な息子、テヤンへ。  』

                   




嗚咽をこらえているのを気づかれたくなかった。


テーブルの上で、堅く組んでいたテヤンの両手は、
すこし緩やかになっていた。

君が顔を上げて、またさっきのように微笑んだ。

長い腕が伸びてきて、私の涙をぬぐった。


私が立ち上がると
いすの音が、静かすぎる部屋に大きく響いた。

そのまま、座るテヤンの肩を横から抱いた。

しばらく同じ姿勢でじっとしていた君は、
ひとつ大きく息を吸って吐いて、
私のみぞおちのあたりにコトンと頭をもたれさせた。

こんなに大きな背中が、今は頼りなげに見える。

そっと背中をなでて、もう一方の手で、
柔らかな髪を包み込んだ。



「アヤノ・・・・」

「ん?・・・・・」

「母の人生は、幸せだったよね。
あの牧師さんに会えたんだから。」

「うん、幸せだったよ。
手紙を読んで、テヤンがチベットからまっすぐ来てくれたんだから。」


「あの人・・・・
毎日たくさん料理作るんだ。食べきれないほど。
不思議だった。僕の好物、全部知ってるんだ。」


「そう・・・」


「一緒に僕の服を買いに行ったんだ。
あの人、はしゃいで買いまくってお金なくなっちゃって。

僕の財布も空っぽにしてやっと払ったから、バスに乗れなかった。

大きな荷物抱えて、歩いて帰ってさ。」


「んふふ・・・」


「『私って、ほんとバカだわ・・・ごめんね、テヤン』って、何回も言うんだ。
僕は全然平気なのに。

荷物、全部僕が持つって言うのに、渡さないで、無理して持って。
でね、どんどんしょんぼりしていくから、困ったよ。

途中で最後のお金使って、みたらし団子2本とお茶を1缶買って、
公園のベンチで食べた。

ふふ・・・ホントは肉まんにしたかったけど、お金、足りなくて。
あったかいお茶を分け合って飲んだ。

そしたらあの人、急に元気になって・・・・
『なんだ!お腹すいてただけなの?』って聞いたら、
『あ・・・そうかも・・・』って。

笑っちゃったよ。」


最後の言葉がかすれて消えた。



            テヤン・・・・

            よかったね、そんなひとときがあったんだ。

            大切な・・・・大切な思い出・・・



そっとなでる広い背中

この背中に、まだ宿題は課せられていて、

新しく出会う人や、初めて知る事実に、

この人は、あと何度、涙を流すのだろう。




牧師さんの言うとおり
私がその時のために降りてきた女神なら・・・・

今、私の仕事はなんだろう。



            テヤン

            どうしてほいしか、

            教えて・・・・






「アヤノさん。」

「はい・・・」

「泣き虫な男をどう思う?」

「すっごく好みです。」

「・・・・そうですか・・・よかったです・・・・」

「んふ・・・・」

「・・・・・・」


      ん? 

      それだけ?




「・・・アヤノさん・・・」

「はい」


「いつもいつも、『愛してる』って言いまくる男をどう思う?」

「すっごくすっごく好みです。」


「じゃあ、いつもいつも愛を確かめたがる男は?」



「・・・・今すぐ・・・
        キスしたいほど・・・
                 好みです・・・」




グフッと笑って見上げた君の、

その唇を捕まえにいく。

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