Lusieta

 

続・この場所から テヤンの宿題  最終話

 

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2006.2


         ―――――――――――― side テヤン



      アヤノ・・・・

      その人が現れたとたんに大泣きしたかと思ったら、

      あわててバタバタ行っちゃった。
  
      あなたらしいんだけど・・・

      残された僕はちょっと心細かったりしてるよ。

      まさか・・・・

      僕と彼を二人きりにするためのお芝居じゃないよね。

      いや、あなたにそんな手の込んだこと、できるはずないね。





あなたを見送りながら、

その人が言った。

「素敵な人ですね。

あんなに泣いて・・・・・

君のことを、とても大事に思っていることが伝わってきて、

僕の方が泣きそうでした。」



「あ・・・・・。

はい・・・びっくりさせてしまいましたね。

僕もとても大事に思っています。

正直で、ひたむきで、温かい人です。」



「うん・・・・うん・・・・」



「母も・・・・

そんな女性でしたか?」



「えぇ・・・・・・

・・・・・そうでした・・・

今、そう言いたいと思っていました。

ほんとに、ミヨンは・・・・

君のお母さんは、

一生懸命で、一途で、可憐で・・・・

そして、聡明な人でした。

きっとアヤノさんもそうでしょ?」



「はい。

そうです。そんな人です。」



「僕たちは、きっと女性の好みも似ていますね。」



「そうですね。」



しっかりと目を合わせて笑い合った。



そしたら・・・・・・

その拍子に、唐突に涙がこぼれてしまった。




      アヤノ・・・・

      あなたが行ってしまったせいだよ。

      さっきはあなたがそういう役を、

      一手に引き受けてくれてたから

      僕は守る役でいられたのに・・・・

      あなたがいないから、

      僕はいきなり、“父親”の前で

      “息子”になってしまいそうだよ。




横を向いて眼鏡をはずす。

そんな僕に、彼はとまどっているだろうか。



しばらくの沈黙のあと、

意を決したように、

また彼が口火を切った。

「牧師さんから、だいたいのことは聞いてくれてますね。」


「はい。」



「ミヨンが・・・君のお母さんが亡くなったあとのことも?」


「はい。

あの、“ミヨン”でどうぞ。

それに・・・・

“君のお母さん”はヘンですよね。

僕は・・・・

僕は、母の息子なのと同時に、

あなたの息子なんですから。」



「・・・・・・・」




彼が、僕を見つめたまま固まってしまった。

まるで息も止まってしまったように。



そして・・・・

彼の目にも、涙があふれるのを見た。


お互いに、絶句したまま、

流れ出るものを止めることができなかった。





メールのやりとりをし始めて、すぐに感じていた。

この人と僕は見えない大きなものでつながっていると・・・・

逃れようがなく、父と子なんだと。



それは衝撃的な感覚だった。

嬉しい気持ちと同時に、

僕たちの上にもたらされた運命のいたずらを思わずにはいられなかった。

そして、母がもういないということが、

今さらながらに悔しくて、やりきれなかった。




3人で、会いたかった。

長い間の胸のつかえを取りはらって、

心から安堵する母の笑顔を見たかった。


彼もまた、今このときに、胸の中でそんな思いが

ぐるぐると回っているかもしれない。






こんなところで、大きな体の男が、

しかもよく似た顔をして、

背筋を伸ばしたまま離れて座り、

二人して涙している。

不思議な情景だろうな。




「ありがとう・・・」

彼が言った。

「えっ?・・・・」

「君は、僕を父と認めてくれるのですか?」



彼の目を見て、しっかりと言おう。


ほんのすこしのためらいのあとに、

僕の口からするっと滑り降りたその言葉。



「はい。もちろんです。

      ・・・・お父さん・・・・」



「・・・・・・・ありがとう・・・・」




また沈黙が訪れる・・・・







「お父さん。」


「はい。」


「母が、僕にテヤンという名前をつけてくれたそうですね?」


「・・・あぁ・・・・

     はい、そうです。」



「母は、息を引き取る間際に、そのことを僕に初めて教えてくれました。

でも・・・・もう一つの大切な事実は教えてくれなかった。

このあいだ電話で、お父さんと会うことを報告したとき、

牧師さんが教えてくれました。」




彼が、切羽詰まったような顔で、僕を見ていた。




「母は、牧師さんと出会った頃に、彼に話したそうです。

日本に愛する人がいると。

その人と一緒に、生まれてくる子の名前を1日中考えたそうです。

なかなか二人の意見が一致しなかったのに・・・・

母が『“テヤン”はどう?』って言ったら、

その人が『ああ、それはいいね。』って言ったって。

男の子でも女の子でもその名前にしようって。」



彼が唇をかみしめた。



「二人でそう決めたとき、その人が言ったそうです。

『そうだね。太陽みたいにいつも明るく輝いているように。
そして、その陽射しで、
まわりをやさしく照らして温めるような人になってほしいね。』

母はこのままの言葉を、僕に伝えて逝きました。

これはあなたの言葉だったんですね。

あなたの願いだったんですね。


母は、ほんとはそのことを、最後に伝えたかったのかもしれません。」





彼はこらえきれずに、

テーブルに肘をついて顔を覆った。




二月の午後の光は少しずつ翳り始めて

冷めたコーヒーを持つ手が、かじかんでいった。




でも・・・

二人の間にながれる沈黙は

居心地の悪いものではなかった。

お互いに

ゆっくり、涙が止まるのを待ち、

次の言葉をさがした。






「もう知っていると思うけど、

君が流産なんかしていなくて、

ちゃんと誕生したことを知ったのは、12年前です。

20年ぶりにミヨンと会いました。

変わらず美しくて、まぶしかったです。

僕は混乱してしまって、その後しばらく呆然と過ごしました。





実は僕の妻は体があまり丈夫でなくて、

とうとう子どもは授かりませんでした。

優しい人でね、子ども好きだったんです。

だから、よけいに子どもを産めないことを悔やんでいました。



もし、僕とほかの女性との間に生まれた子どもがいると知ったら、

彼女はショックで、それこそ立ち直れないと思いました。



彼女に気づかれずに、彼女を傷つけずに

君と会うことはできないと思いました。

彼女にとっては、僕がすべてでしたから。


そして・・・・

3年前に亡くなりました。」





「・・・・・・・・そうでしたか。」





「ミヨンが亡くなったあと、

君の存在を知りながら、

何の責任も果たさずに、申し訳なかった。」



「いえ、僕はもう成人でしたから。

孤独じゃなかったと言えばうそになるけど、

そのときにあなたに出会えていても、

今のように受け入れることはできたかどうかわかりません。

僕たちがこうしてわかり合うために、

この時間が必要だったのだと思います。

それを僕は、アヤノから教わりました。」


「アヤノさんから?」


「はい、このことを話すと長くなってしまいます。

またゆっくりと・・・

お父さんと僕には、これから先の時間がたくさんありますから。」



「そうだね。

ほんとに、そうだ。」



「その後、いつ僕のことを?

あのニュースですか?」



「いや、その前です。

アヤノさんとの、あの紅葉の記事でした。

とてもいい記事でした。

写真も、文章も。

名前を見て、もしかしてと思いネットで調べました。

君に間違いないと思いました。


何よりも、写真の顔が・・・・

僕とそっくりで。」



「えぇ、僕も、あなたの写真を見て間違いないと思いました。」



「ふふ・・・・

僕たち、似すぎだよね、。」



「えぇ・・・・」





「年末に、君のニュースを見た時には、

目の前が真っ暗になりました。

牧師さんに電話をしようとするのですが、

手が震えてどうしても番号を押せませんでした。

秘書に頼みました。



誤報だと聞いたときの気持ちは・・・・

どう言い表したらいいかわからない。

イスに倒れ込んでしばらく動けませんでした。

嬉しくて、嬉しくて・・・・・


僕は無宗教ですが、このときばかりは祈りました。

ミヨンが守ってくれたのだと思いました。」



「・・・・心配かけました。」



「いや・・・

すぐにでも会いたくてたまりませんでしたが、

妻の三回忌を終えてからにしようと思いました。」



「素敵なご夫婦だったのですね。

あの記事、読みました。」



「えぇ、妻は・・・・

ただ全身で僕を支えてくれました。

最後に、

『あなたの子どもを産んであげられなくてごめんなさい。』

そう言いました。



僕は・・・・

妻を、最後まで裏切っていたのかもしれません。

もし君の存在を打ち明けていたらどうだっただろうかと

思うことがあります。

妻は、喜んでくれたかもしれないと。


ほっとしてくれたかもしれない。

母を亡くした君と

3人で和やかな時間をもてたかもしれない。

君のために、妻は張り切って料理をしたり、

あれこれと世話を焼いたかもしれない。

そして、君にとって、

孤独が和らいで少しでも安らぎを感じたり、

甘えられる居場所になったかもしれない。

3人で旅行にだって行けたかもしれないなんて・・・・」



「・・・・・・・・・・・」




「ミヨンは君を産んだのに、

長く会えないまま暮らした。


妻は・・・・・

子どもを産めないことを悔やみながら暮らした。


そして、君は・・・・」




「僕は幸せに暮らしていました。」




「えっ・・・・・」



「僕は・・・・

    幸せでした。」



「・・・・・・・」



「祖父母をずっと両親だと思って育ちました。

祖父母も叔父たちも、それは大事にしてくれて・・・・

僕は幸せだったんです。

事実を知ったときは動揺したし、

その後のいろいろなことにも、たくさん悔いはあります。

それを一つ一つ思い出すと、今もまだ苦しいです。

でも・・・・

受け入れていきたいと思うし、そう出来ると思っています。

今日までの日々があったから、アヤノにも会えたし、

こんなかたちで・・・・お父さんに会うことができました。」



「・・・・・・・・」



「僕は幸せです。」



「・・・・・・・・・」



「お父さん・・・・」



「・・・・はい。」



「僕の人生は、あなたより20年少ないけど、

今すでに、悔いが山のようにあります。

のたうち回りたいような、取り返しのつかない悔いがあります。

忘れられない。

だから、忘れないで、それも全部胸に大事に抱えて生きていく。

そうしながら、今の僕は幸せになります。

去年、彼女に出会ってから、そう思えるようになりました。

彼女はあの震災で、夫と生まれたばかりの子どもを失っています。」



「えっ!!・・・・」



「お父さんも・・・・・・・

たくさんの悔いがあるのでしょ?

すまないという気持ちで苦しいのでしょ?

逝ってしまった人に、いろんな思いがあふれて・・・


きっと、お父さんと僕はそういうところも、とても似ています。


だからこそ・・・・

もう一度幸せになってほしいです。

それしか、逝ってしまった人に報いることはできないと思うんです。」



「・・・・・・・テヤン・・・」




「僕は、嬉しいです。

とても嬉しくて・・・・

今日、僕たちが会えたこと、

母はきっと、とても喜んでいくれていますね。」



「あぁ・・・・そうだね。」




「・・・・・・・・」


「・・・・・・・・」



「僕、しゃべりすぎですね。

        生意気ですね。」



「いや・・・・

そんなことない。

ちっともそんなことないんだ。」



「・・・・・・」


「・・・・・・」




たくさんの沈黙がながれて・・・

その人は言葉を探している。





「そうだ! 

明るいうちに梅を見に行きませんか?」



「あ・・・・

そうだね。」



「お父さん、そればっかりですね。」



「えっ?・・・・」


「『あぁ・・・・そうだね』って・・・・」


「あ・・・・そうか・・・・」


「ふふ・・・」



「テヤン。」


「はい。」


「君はほんとに・・・・・

こんなに立派に育ったんだね。

ミヨンのご両親がどんなに大切に君を育ててくださったか、

よくわかったよ。

嬉しいよ。

いきなり、君に諭されちゃって、

僕は・・・・・

なんて、幸せな父親なんだ。」



「ふふ・・・・そうです。

幸せな父親です。

だから僕は、幸せな息子ですね。」

       

「あぁ・・・・そうだね。」



「またですか?」


「あぁ・・・・そうだ・・・・あ・・・」



ふたりして、アハハと笑った。



「陽が傾いてきたね。

        行こうか。」


「はい。」






背の高い男ふたりが、

肩を並べてゆっくりと梅林の中を進む。

若い男は、時々カメラを構え、

もう一人の男は、顔を寄せてそのモニターをのぞき込む。

二言三言、ことばを交わして、

ふたり笑い合うと、白い歯がこぼれる

そっくりな口もと・・・



それを見る人は、

当たり前のように二人のつながりを推測するだろう。


しかし、それが、今日初めての対面だと思う人は、

きっと、ひとりもいない。





「お父さん・・・」

「うん。」


「いつか、お母さんとの、

恋の話を聞かせてください。」


「うーーん・・・・」


「聞きたいです。」


「ふふ・・・わかった。

・・・・でも、少しアルコールの勢いが必要かもしれない。

つきあってくれるかな。」


「もちろんです・・・・」


「楽しみだよ・・・」


「僕もです。」





春を待つ午後の陽射しは、

急速に翳りを増して

オレンジから紫に色を変えた。


そっして、立ち去りがたく佇む二人を

ゆっくりと包んでいった。












・ ・・・・・・・・・・・・・・・





     
      ――――――――――― side アヤノ







もう、vaiさんたら、ほんと大変だった。

タクシーに乗ってる間からずっとLIVEで電話し続けて

状況把握してるのに、

やっと会った瞬間にはなぜか原稿を手にしていない・・・・




「あ・・・今、手帳出して確認しなきゃいけないことがあったの。

両手がふさがるからバッグに入れたの!

あ・・・ファスナーが・・・

あ・・・時間が!・・・」


二人して搭乗ゲートに向かって走りながら

vaiさんは、原稿の封筒が引っかかったファスナーをギコギコやってる。

「あぁぁぁ~~~もう!!」

力まかせにファスナーをこじ開けて、破れた封筒をひっつかんで渡してくれた!


「あぁ~よかったぁ~!

間に合ったねぇ~~

じゃあね、アヤノちゃ~ん。チャオ~~~!!」


はぁ・・・・


「チャォ・・・・・・・」


vaiさん、ほんとに・・・・道中ご無事でね・・・・・

ファスナー・・・・絶対こわれたよね・・・・





大急ぎで編集部に帰って原稿を渡すと、

細かい処理なんかしながら

時計ばかりを見ていた。

どのタイミングで電話しようか。


         そろそろかな・・・・

         いや、まだかな?

         二人きりになってから話が弾んでるかもしれないし

         だったら、邪魔しちゃ悪いしな。



「テヤンの部屋の近くまで行ってから一度かけてみよう」

そういうふうに決めて、電車で帰った。

電車を降りて、携帯を取り出したとたんに着信音。



テヤンだった。



「アヤノ?!

なんかあったの?

なんでこんなに遅いの?」


「えっ?・・・・・

いや、あんまり早くかけると邪魔かなと思って・・・・」


「そんな気を遣ってたの?」


「テヤン、今ひとり?」


「そうだよ。今どこ?」


「電車降りたところ。」


「わかった。迎えに行くから。」


「いいよ。わざわざ来なくても・・・

あれ?・・・・もしもし・・・・もしもし?・・・」

もう切っちゃった。

         

         テヤン、お父さんとちゃんと話せたのかな。

         別れたあとの時間

         何を思ってたのかな。

         私に早く会いたいと思ってくれたの?

         だったら嬉しい・・・・・


         晩ご飯、どうしようか・・・

         でも、明日仕事だから今日は帰らなきゃだな・・・

         今日は朝までいたい気分だけどな。

         きっとテヤンもそうだな。

         もう、なんだか二つ部屋があるのは大変。

         テヤンの言うとおり、越してこようかな・・・

         君のことをあれこれ思うと

         それだけで、今日は胸がいっぱいになるよ。




なんだか切なくて

両腕を抱えながら坂道を登っていった。




「アヤノーーー!」


       えっ?!



大きな声が聞こえた。

探すと、まだずっと先の、坂の上にいるテヤン。



       声、大きすぎるよ。

       みんながびっくりして見てるじゃない。

       ヤダ、もう叫ばないでね・・・・

       叫ばないでね・・・・

     

早く行かないと、またテヤンが叫んじゃいそうで

小走りになってる。

でも、みるみるテヤンが近づいて・・・・


       きゃーーー!


ぶつかるように捕まえられて、

勢い余ったテヤンがくるりと向きを変えた。

私は地面から足が浮いて、体を回される。

抱きしめられたまま、テヤンの荒い息を聞いている。

広い胸が上下して、二月なのにほんのり汗のにおい。



          こういうとき、

          テヤンって、全然まわりのことどうでもいいんだよね。

          全然はずかしくないんだもんね。

          テヤン・・・
 
          私もちょこっと慣れてきたかも・・・・




胸に閉じこめられたまま聞く。


「お父さんと、話できた?」


「うん。」


「よかった。」


「アヤノ・・・」


「ん?・・・」


「僕は幸せだ。」


「うん。」


「僕はすっごく幸せだ。」


「うん。」


「なんでかって、聞かないの?」


「なんで?」


「こうして、今日あったことを『早く話したい!』って、

そう思う人がいてくれる。

だから・・・・・」


「うん。」


「アヤノ、会いたかった。

早く会いたかった・・・・」


「うん。」



またぎゅっと腕に力がこもって

苦しいくらいに抱きしめられる。




「アヤノ。」


「うん。」


「早く結婚しよう。」


「ん?」


「すぐに、僕のところにお嫁に来て!」


「テヤン・・・・」


「早く、ふたり、家族になろう。」


「・・・・・うん・・・・」


「ん?・・・・・・」


「・・・・ん?・・・・・・・」


「アヤノ・・・今の、なに?・・・・・」


「今のって?」


「なんて言ったの?」


「なんてって?」


「うんって言った?」


「うん。」


「・・・・・・」


「・・・・・・」


「OK?」


「OK。」


「OKってこと?」


「そうだよ、テヤン。明日結婚しちゃおっか!」


「はぁーーー」



またぎゅ~っと抱きしめるテヤンに身を任せていた。

ここがどこだかなんて、もうすっかりどうでもよくなっていた。



      うん、テヤン・・・・

      そうしよう。

      私たち、家族になろう

      牧師さんも

      お父さんも

      みんな・・・・・


      うん、
      
      テヤン・・・・

      家族になろう、明日!





いつもの坂道、かろうじて街灯の光を避けて

舗道の片隅でいつまでも抱き合っていた。

ささやいて、キスして・・・・・

またささやいて・・・・

いつまでも、いつまでも

そうしていた。


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