Lusieta

 

続・この場所から  1月の風 2010  後編

 

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“さっきはごめん。テヤンを置いて乗っちゃってごめん。
早く会いたい。もう新幹線に乗ってる?”



ーーーーー


神戸でいろいろ行く所があるから在来線で向かうと言ったのに、

「運転手をしてやるよ。神戸のお父さんにも会いたいし。」
父はいそいそと1時間の道のりを迎えに来てくれた。


「あれ?テヤンはどうした?」 
「急な仕事で・・・遅れてくるの。」

思いっきり悟られそうな顔で答えていた。

「・・・そうか・・・」



まず東遊園地へ行った。
この場所に、なんでテヤンが一緒じゃないんだろう。
ユイルを抱きしめると、窮屈そうに身じろぎをした。


モニュメントの地下に降りると多くの人だった。
3人の名前を刻んだプレートに、
ユイルと一緒にあいさつをしてハンカチで拭いた。

天井から降る柔らかな光の中、
プレートに手を置いて話しかける人  
きれいな布で一心にプレートを磨く人  
涙を流す人  
祈る人

15年、15年とメディアはにぎやかだけど、
私がここへ来たのはつい最近だ。
テヤンに守られながらやっとこの地を踏むことができたのは11年後。
今からほんの4年前だ。

テヤンに抱えられるようにして探したアパートの跡地。

震災直後、テヤンが泣き狂う私を抱きしめて、
カイとミオのところへ行くのを止めてくれた教会。

カイと間違えたまま、
テヤンに「抱いて」と懇願した小さな部屋。


その11年後、テヤンに再会しなかったら、
私は今どうやって生きていただろう。

テヤンに出会わないでいたらなんて、そんなこと、想像することもできない。

ちっぽけな意地で置いてきぼりにした私の大事な人は、
今どこで何をしているのだろう。

きっと、カイとミオは「バカだね。」と言っている。
テヤンのお母さんは、「ふふ、大丈夫よ。」だろうか。

テヤン・・・今どこ?・・・



ーーーーーー




雲の流れが速い。

冬の空気は冴え渡り、
山の中腹の墓地に吹き上げてくる風はあまりに冷たく、
吐く息が凍る。

家から歩いて15分だけど、
ユイルを両親のところに置いてきたのは正解だった。
この寒さでは子連れで長居はできない。


「カイ、ミオ、今日は一人で来ちゃった。」

「ねえ、なんだかおもしろいね。

モニュメントで『久しぶり』って言って、
アパート跡の花壇で『また来たよ』って言って、
ここに来て『眺めはどう?』って聞いて・・・

でも、毎日写真に『おはよう』って言ってるよね。ふふ・・・」

   返事はない。

そのあとが続かなかった。近況報告する気になれなくて。

結局テヤンは、昨日のうちには来なかった。
そのままチカちゃんの大学に残ってしまったのだ。

でも、テヤンが一番の適任だったんだろうか。
いろいろ思ってしまう。

私がせっかくあんなに反省してたのに。
テヤンはまた大事なタイミングを逃す。



やっぱり携帯の電池は切れていたらしい。

「充電器を買いに行く時間も惜しかったんだ。」

「そう。」  「まっすぐそっちに行くから待ってて。」

「いいよ。神戸で落ち合いましょ。教会で。」

「でもお墓参りが・・・」

「いいの。テヤンはとんぼ返りなんだから。
ここまで来なくていい。」

「アヤノ・・・」


つっけんどんな言い方を止められなかった。


“待ってて” この言葉はきらいだ。
テヤンはいつも約束を破るから。

待っててと言うから、絶対帰ってくるからと言うから、
いつも私は待っていた。
でも、約束通りに帰ってきたことなんてなかった。

あの時も・・・
    あの時も・・・



昔ながらの墓地は、街を見下ろす斜面にあった。

遠い地に、すでに両親も家もないカイは、
私の郷里にミオと一緒に眠っている。

さわさわと常緑樹が揺れて、葉が舞っていく。

母が持たせてくれたカイロを背中に貼って、
墓石の隣に腰を下ろした。

「ここから、うちの屋根が見えるね。
やっぱり南向きっていいよね。
今日は陽射しがあってよかった。」

   返事はない・・・


「陽は当たるけど、やっぱり寂しいよね。ここ。」

「ねえ、カイ。カイは寂しい?・・・」

“自分が寂しいんだろ。”と、カイが呆れていそうだ。

「ねえ、エリカちゃんは15になったんだよ。
ミオと誕生日が1週間違いなんだ。
でもミオは・・・3ヶ月のままだね。」

「ねえ、ミオ・・・ママはね、今日はちょっと元気ない。
やっぱりさ、元気な時に来なくちゃね。
こういう時に来ちゃダメだな。」

でも、腰が上がらない。
ほんとは泣きたいのか? 私。


「元気出さないとね。」

「ねえ、私、バカみたい?」

「ねえ・・・」

ほんとにバカみたいだ。


「ここ、ほんとに寒いよね。」

「あぁ。ほんとに。」


驚いて、飛び跳ねるように起きあがると、
墓石の向こうにテヤンが立っていた。
手に花と線香を持って。


「いつから・・・いたの?」

「背中にカイロ貼る頃から。」

「・・・・」

テヤンはそれ以上は言わずに
静かに墓石の前にまわって花を手向け、
線香を供えて手を合わせた。


祈る横顔が静かできれいだった。
私の気持ちなんかまるで気にかけないみたいに。

急に胸の奥からなにか大きな固まりがせり上がってきてた。


テヤンなんか嫌いだって、叫んでしまいそうだ。

よろけながら、
まだ手を合わせているテヤンに背を向けて歩き出した。


「アヤノ・・・どうしたの?」

「帰るの。」

「アヤノ。待って!」

テヤンの手が私の腕に追いついた。

「やめて。」

「なんで?」

「だから帰るの。」

「どうして?」

「なによ。そっと近づいて、盗み聞きなんかしないでよ。」

「盗み聞きだなんて・・・」

「私は、カイとミオと話してたの。内緒の話だもん。」

私は・・・何を言ってるの?・・・

テヤンが、私の腕を掴んでいた手を離した。
とても傷ついてるはずの顔から目をそらす。


「邪魔して・・・ごめん・・・」

「・・・・」

「でも、あなたの背中が、あんまり寂しそうで・・・
つぶやいてる言葉を、聞きたかった。」

やめて・・・

「寂しかったんでしょ。」

「・・・・」

「アヤノ・・・僕を待ってたんでしょ。」

「やめて!」

「アヤノ・・・」

「そういうことじゃないわ。」

「え・・・」

「私だけのことじゃない。
テヤンは、1年に1回のこの日のこと、どう思ってるの?
チカちゃんのお願いに負けるようなことなの?」

「だから・・・ごめんよ。
チカだからというんじゃないんだ。チカのチームの・・・」

「私だけのことじゃないんだってば。

神戸に来るの1年ぶりでしょ。お母さんだって待っていらっしゃるわ。
神戸のお父さんだって、昨日のつもりで準備して・・・。
父も、母も・・・、みんなにとって大事な日でしょ。」

「ごめん・・・彼らも、せっぱ詰まってて。
卒業がかかってたんだ。
遅れても絶対来ようと思って、神戸の父にも話して・・・
始発に乗ったんだ。

こちらには泊まれなくなっちゃって、
お父さんとお母さんにはほんとに申し訳ないよ。
さっき謝ったらお父さんが・・・」

「もういい。」

「え?・・・」

「そうよね。テヤンのこと、みんな理解して、
いいよいいよって言うのよね。

いつもいつも怒るのは私だけよ。
テヤンは誰にも、いつもまっすぐに謝って・・・
怒る私のほうが悪いのよ。」

「そんなことないよ。僕が悪いよ。」

「テヤンはいつも悪くないのよ。
誰にでも優しくて、いつも使命感に燃えて誠実で、

だからみんな言うのよ、テヤンを責めるなって。
あいつは悪くないって。

そうよ。私は心の狭い人間だもの。
怒って電話もメールも無視して拗ねたりもするわ。」

「アヤノ・・・」

「そうよ。私だけのことじゃないなんてウソだわ。
テヤンのお母さんだって、神戸のお父さんだって、
みんな許してくれるもんね。

私だけが怒ってる。
やきもち妬いてるだけなのかもしれないわ。」

「怒って当然だよ。アヤノは怒っていいんだよ。ほんとにごめん。」


「そうやってすぐに謝ってくれる優しい夫だから、
私はなんでも許さなきゃいけないわ。
でも、怒っちゃうの。なんで?

テヤンがいつも愛してるって言ってくれるから、
こんな優しい夫はいないから、我慢しなきゃいけないのに、
我慢できないわ。なんでだろ。」

抱き寄せようとしたテヤンの腕を激しく振り払った。
テヤンが、ほんとに悲しそうに私を見た。

いやだ。

私は負けまいと、テヤンをみつめた。
睨んでいると言ったほうが合っていた。

涙をこらえると、体が震える。


「テヤン・・・」

「うん。」

「テヤン!」

「・・・アヤノ。」

「もう・・・疲れた・・・」

「うん・・・」

「寂しくて・・・やきもち妬いて、疲れた」

テヤンは黙ったまま近づいて、
怒ったような顔で私を抱き寄せた。


  涙をこらえると・・・
      体が・・・固まる・・・


「アヤノ、頼むよ。力を抜いて。」

「テヤンなんて、嫌い・・・」

「ごめん・・・」

「謝ってばかりのテヤンが嫌い・・・」

「僕は・・・ほんとにひどいね。
出会った時から、あなたをいじめてばかりだ。」

「・・・・」

「僕の方がいつもあなたを置いてきぼりにしてきたんだから、
いくらでも仕返ししていいんだ。」

「・・・・」

「アヤノ、言ってみて。いま胸のなかにあること。
仕返しして。なんでも言っていい。」

「テヤンは・・・テヤンは・・・」

「うん。」

「私を置いてきぼりにしてばかり。」

「うん。そうだね。ほんとにそうだ。」

「出会ってすぐに・・・私を置いて行った。」

「あぁ、そうだ。」

「一緒に生きていこうって言ったくせに。
出会ったのは運命だって言ったのに。
たった一週間でいなくなった。
死ぬかもしれない危険なところに。」

「うん。」

「もう会えないかもしれないって・・・
怖かったよ。すっごく怖かったんだよ。
テヤンが死んじゃったらどうしようって・・・
出会わなきゃよかったって思ったよ。
好きになんてなりたくなかったって。」

「うん。」


「クリスマスには絶対帰って来るって言ったのに
生きてるかどうかもわかんなくなったわ。
テヤンがドジすぎるからよ。私は心配しすぎて死んじゃうよ。」


駄々をこねる子どもみたいに言いつのる間も、
震える体はきつくテヤンの胸に抱きしめられて、
息が苦しいのはそのせいなのか。


「うん。ドジで・・ごめん。」」

「ニュースで・・・ソン・テヤン・・・死亡って・・・」

「ごめん・・・アヤノ・・・」

「あと1分早く帰ってきてよ!違うって言ってよ。
生きてるって・・・
私が気を失う前に、ちゃんと顔を見せなさいよ、バカ!」

「うん・・・バカだね。」

「そうよ・・・そうよ・・・バカよ。」

「ごめん・・・」

「なのに・・・また行っちゃったわ。
結婚式だったのに・・・
行っちゃったのよ・・・テヤン・・・最低・・・
ウェディングドレスと一緒に私を置いて
また地雷の中に・・・行っちゃった。」

「あぁ・・・」

「待たないわ。私は・・・もう待ちたくないのよ。

どこにも行かないでって言いたいのに・・・
そう言っても・・・お願いしてもお願いしても、
またきっとテヤンは行っちゃうわ。

いつも、ごめんごめんって・・・
謝ってばかりで、でも行っちゃうのよ。」

「うん。」

「そして、待っても待っても帰ってこないわ。
いつもそうだわ。
ユイルが生まれる時だって・・・」

「アヤノ・・・ほんとに・・・」

「テヤンはいきなりいなくなる。
大事な時に・・いない・・・
だから・・・もう約束なんてしない。
待っててなんて言わないで。」

「あぁ・・僕は・・・あなたを泣かせてばかりだ。
今日まで、あなたをいじめてばかりだ。」


「そうよ・・・テヤン・・・嫌いだわ。」

「ごめん、アヤノ・・・」

「嫌い・・・キライ・・・」

「愛してる・・・」

「嫌いよ・・・」

「愛してる・・・」

「キライ・・・」


「アヤノ・・愛してる・・・」

「・・・キライ・・・」




ーーーーーーーー



私の嗚咽をひととき受け止めたあとも、
きつく抱きしめる腕は力を緩めない。

私はやっとおずおずと、テヤンの背中に手を回す。

さっきのように寒くないのは、カイロが効いてきたのか、
それとも待ち人が現れたからだろうか。

待ち人・・・

そう、私はここで、ほんとにテヤンを待っていたんだ。

心のどこかで、テヤンが来ると知っていた。
そしてこうして抱きしめてくれることを。


「アヤノ」

「うん。」


「昨日、『先に行きます』ってメールが来て、
僕は初めて置いてきぼりの人になった。
考えてみると今日まで一度も
アヤノに置いていかれたことがなかった。」

「・・・・」

「アヤノが先に行くなんて、思いもよらなくて、
びっくりしてしまって・・・
待っててくれるものだとばかり思ってたから。」

「・・・・」

「これまでずっと、アヤノは待っててくれた。
僕が行く人で、アヤノは待ってる人だった。
いつもいつも。
置いていかれると、こんな気持ちなんだなって。
今日までどれほどアヤノを待たせてたのか、
どんなに辛い思いをさせたのか
わかったような気持ちになったけど、
そんなものじゃなかったね。100倍くらいだな。」

「違うよ。一億倍だよ。」

「あぁ・・・そうだね。」

「どんな気持ちだった?」

「寂しかった。」

「いい気味だ。」

「はい。ごめんなさい。」

「んふ。」

「あ、笑った!」


パッと嬉しそうな顔がのぞき込んだ。この笑顔がずるいんだ。


「アヤノ。」

「ん・・・」

「僕は、あなたにずいぶん甘えてたね。」

「それは私も同じ。」

「まだ・・・僕を嫌い?・・」

「・・・さあ・・・どうかな・・・」

「うぅ・・・」

「テヤン。」

「ん?・・・」

「神戸に戻ろう。」

「あ、うん。」

「ねえ、テヤン。」

「ん?」


「君はいつも私を置いてきぼりにするけど、
遠い国から、泣きそうなくらいステキな手紙を
たくさんくれた。

甘くて甘くて溶けちゃいそうなラブレターも、
その国で友だちになったステキな子どもたちの話も、
辛くて悲しいつぶやきも、全部私の宝物。」

「アヤノ・・・」

「ユイルが生まれる時、
嵐の中の教会で祈ってくれた。
朝まで電話で元気づけてくれて嬉しかった。
私、途中で寝ちゃったね。」

「うん。」

「テヤン・・・」

「ん?」

「ほんとは、わかってる。」

「なに?」

「待つ寂しさを覆うくらいにたくさんの・・・
愛を届けてくれるよ、テヤンは。」

「アヤノ・・・」

「しょうがないから、待ってあげるかしれない。
きっとまた、そのうちどこかに行っちゃうもんね。」

「あ・・・ほんと?
また行かないとは・・言えない・・かな。」

「だけどね、条件がある。」

「うん、言って。」

「こうしてたまに大噴火するから、つきあって。」

「あは・・・」

「そして、愛してるっていっぱい言って。」

「わかった。何度でも言う。百万回でも言うよ。

それに、この大噴火、意外とイヤじゃない。
いや、好きかもしれない。」

「は?・・・」

「噴火するアヤノ。
ドラマチックで・・・キスしたくなる。」

「・・!・・」


テヤンの唇が近づいてきた。


「ダメだよ。こんなところで。」

「大丈夫。」

「ダメ!」

「さっき、
『あっち向いててやるから、
あいつのことなんとかしろ。』って、カイさんが。」

「はぁ?・・・あっちって・・・
そりゃずっとあっち向いてるけど・・・」


南を向いたままのカイとミオの後ろで、
テヤンが無理矢理キスをした。

ほんとに南を向いたまま?

そんなはずないよ。


ほら・・・  
 今、そこに・・・


さわさわと枝が揺れて、
   足もとに葉っぱが落ちた。

       
重なる頬をなでるようにぬくもりが通り過ぎて、
   私の髪が、テヤンの指からこぼれてなびいた。


それは・・・


ほら、あの風が

吹き抜けていったから。




ーーーーーーーー


阪神淡路大震災をはじめ、不慮の事故で失われた尊い命に、

心より哀悼の思いを捧げます。



この1年、みなさんの心が安らかで温かく、

幸せでありますように。

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