Lusieta

 

続・この場所から  1月の風 2011  前編

 

konobasyo2_title.jpg





オーバーワークになっていることはわかっていた。


だから体のだるさも、あまりたくさん食べられないのも、
ただ疲れているだけだと思っていた。

夏から新たな企画を担当して残業が増えたが、
だからと言って休みは増えない。
ユイルの世話も家事も、テヤンはもちろん精一杯やってくれるが、
そもそも彼も忙しい。


2~3時間睡眠が3日続いた日だった。
編集長に呼ばれて立ち上がったとたんに目眩がして医務室に運ばれた。
2時間ほど爆睡して目覚めたあと、
仰向けの状態で、ふと気づいたことがあった。

なんとなく触っていたおへその斜め下あたり、
なんか、固い。
右側は柔らかいのに左側が固い。

そして、押すとなんとなく痛むような気がする。
そしてドクドクと脈打ってる。
右側はそんなことないのに・・・

なんだろう、これ。


そう言えば、会社の健康診断を、
ユイルの水疱瘡ですっぽかしたままだ。

ちょっと怖くなった。

そう言えば・・・
疲れるといつも背中の左側が痛い。
ちょうど固いところの真裏くらい?

そう言えば・・・
この頃体重が減っている。
ダイエットなんてしてないのに前みたいに食べられない。


お腹の同じところを何度も押してみてるうちに、
なんだか吐き気もしてきた。
痛い、気持ち悪い・・・


私、どうかなっちゃった?



やっとのことで定時に会社を出てかかりつけの医院に行ったのは、
年をまたいだ2週間後だった。

私の話をあれこれ聞きながら仰向けのお腹を触診していたドクターが
「うん、確かにこっちにだけ拍動を感じるね・・・
うぅ~ん、胆嚢かな? うぅ~~ん・・・」


そういう唸り声、やめてほしい。
ますます不安が膨らんでいくから。


その場ですぐに総合病院の予約が取られ、
私は無理矢理仕事をやりくりして2日後に受診することになった。





ーーーーーーーーーーーーーーー




ボーッとしながらユイルを迎えに行った。

家に帰って暖房をつけたあとも、
部屋が暖まるまでと自分に言い訳をしながらユイルを抱きしめてじっとしていた。
ユイルがもぞもぞと身じろぎするのに、その小さなぬくもりを手放せなかった。


「ユイル。」


「は~い。」


返事しながらユイルがとうとう私の腕を抜け出して、
朝に散らかしたままのブロックのところへ行ってしまった。

急にお腹がズンと寒くなる。
それだけで、今日は泣きそうだ。


「ご飯作らなきゃね。ユイル。」


「ユイルはね、ちゃけごはん おしみる食べましょう(鮭ごはんとおみそ汁)」


ユイルは背中を向けてブロックを積みながら、
今一番のお気に入りメニューを返す。


「ユイルは渋い好みだね。
毎日それでいいの?」


立ち上がってこっちを向いたユイルが、
ブロックを高々と上げながら叫ぶ。


「ちゃけごはぁ~~ん!
おしみるぅ~~~!
たべましょ~!」


「嬉しいな。ママはお料理が簡単でラクチンだよ。」


「らくちん~~らくちん~!
ママはらくちん~~!」


やっと部屋が暖まってきた。

しかし体はなかなか暖まってくれないようだ。
微かに震えを感じて両腕を抱きしめる。


私はいつも、胸の奥の奥に小さな種を抱いている。
恐怖の種。

人を失うことへの怖れは、
いつも私をマイナス思考のスパイラルに落とし込む。

テヤンが取材で日本を離れるだけで、
“テヤンが事故に逢ったらどうしよう”
“テヤンが死んじゃったらどうしよう”
そんな思いにかられていつも彼を困らせる。


でも、今はちょっと勝手が違う。
私が、人を残して一人旅立つ恐怖。


私はどんな病気なんだろう。

“最近体重が減ったというようなことは?”
“はい、減りました。あまり食べられなくて。”
“そうですか。”



ユイルがおもちゃ箱の奥に落ち込んでしまったブロックを必死に取ろうとしている。
今にも体ごと箱の中にはまってしまいそうだ。


「あは、ユイル、はまっちゃうよ~~」

そう言ったあと、不意に涙がこぼれた。



“人は簡単に死んでしまう”
“人は簡単には死ぬことができない”


カイとミオの命は、あんなにあっけなく消えてしまったのに、
二人のあとを追うことばかり考えていた私は死ぬことができなかった。

でも、こんなに大切な存在ができた今になって、
私が行ってしまうなんてことが、あるのかな。


そっとお腹を撫でる。
なんでこんなにマイナス思考なんだろう。
すぐに最悪の結果に結びつける性格をなんとかしたい。


ダメダメだね。
しっかりしなくちゃ。


いくらなんでもご飯の準備しなきゃと思ったところで、
玄関ドアを開ける音がした。

大喜びでお出迎えをしたユイルを片手に抱きながら
テヤンがリビングに入ってきた。

パパのたくましい腕にひょいと抱えられたユイルは、
嬉しそうにその首にしがみついている。

一日の疲れを目尻に滲ませながら、
ほんとに温かく、この人は笑う。


「ただいま。」


「おかえり。」


ユイルがパパの肩に頭を置いたまま歌う。

「ただいま~ おかえり~ ユイルのパパはだっこです~~」


あぁ・・・
私の家族。


気づいていなかった。
自分の頬に涙が落ちていることなんて。


テヤンがユイルを抱えたまま私の前に屈み込んだ。


「アヤノ、どうしたの?
また気分悪くなったの?」


気配を感じて、ユイルがじっと私を見た。
テヤンの腕から私の膝に移動するユイルを受け止めながら、
無理に笑おうとしたけど、うまくいかなかった。


「テヤン・・・」

「うん。」


テヤンの大きな手が私の頬を包んで、
丁寧に涙を拭いていく。


「ずっと、3人で、一緒にいたいね。」


「ん?・・・」


「・・・・・」


「うん。ずっと一緒だよ。
アヤノとユイルと僕、ずっと一緒だよ。」


テヤンがそばに座り込んで、
私をユイルごと抱きしめた。

深いため息をつきながら目を閉じる。



あの日と一緒だ。
テヤンと、11年ぶりに再会したあの日と。


まだねんねの赤ちゃんだった唯ちゃんを抱く私を、
出会ったばかりのテヤンが抱きしめた。

あれから5年。
今私の腕の中にいるのは、
テヤンと私の間に生を受けた命だ。


どこにも行きたくないな。
ずっとこの二人といっしょに生きていきたいな。


こんなにも大切な存在ができてしまった。
どうしたらいいかな。


「アヤノ。どうした?」


「うん、ちょっと疲れて、お腹すいて・・・
ユイルを見てたら感傷的な気持ちになっちゃった。
幸せで、怖くなった。」


「・・・・」


「1月になったからかも。」


「うん。」


よしよしと髪を撫でられてまた目を閉じる。

もうすぐなのに、神戸、一緒に行けるのかな・・・






ーーーーーーーーーーーーーーー







病院ってほんとに待ち時間が長い。
予約しててもこんなだ。

でも、編集部のデスクにいるより仕事がはかどった。
誰も邪魔する人がいないから。


総合病院の長いロビー。
みんな静かにこの長い時間を待っているんだな。
不安や恐怖を抱える人もいれば、期待や喜びを胸に座っている人もいるだろう。
そして、諦めや悲しみの中にいる人も。

それぞれの思いは、その無表情の裏に隠れて見えない。



書類を書き終えたあとは、
クニエダちゃんに借りたまま読めないでいた本を取り出した。
好きなシリーズの続きだから、
こういうところで没頭して時間を忘れるにはちょうどいい。


冒頭からこの小説のいつもの空気が漂って、いい気分になったところだった。

大柄な男性が隣にドカッと腰を下ろす気配がした。
あまりに近いのでちょっとイヤだなと思った。
テヤンはこんなふうに不躾な座り方はしない。
隣の人とちゃんと距離を取って、静かに腰をおろす。

目は単行本の文字を追いながら、そんなことを思っていた。

・・・なのに・・・


「アヤノ」

「えぇっ?!・・・・」


あまりに驚いて、うっかり大声を出してしまった。


「な・・・なんで?・・・」

「編集長に聞いた。」

「・・・・」


さすがに二日後に丸一日休ませてくれと頼むには嘘は言えなかった。


「編集部に、なんで行ったの?」


「たまたまだ。」


テヤン、すごく怒ってる?


「なんで言ってくれなかったの?」

「あ・・・ちょっと、あっちに行こう。」


人がまばらな端っこのソファまでテヤンを引っ張って行った。


「仕事は?」


「大丈夫。」


「でも・・・」


「大丈夫だから。」


いつも穏やかなテヤンの、険しい表情には慣れていない。
私は少しシュンとして小さな声で
「ごめん」と言った。

たくましい腕が肩に回って引き寄せられた。


「どんなふうなの?」

小声でかいつまんで説明する私は、とても冷静だった。
あの時の涙が嘘のように。
静かな空間に、やりとりする声はさらに小声になった。

テヤンの大きな手が、私のうすっぺらいお腹に触れる。

「ここ?」

「この辺。」


テヤンの指をとって、その場所に誘導する。


「あ、ほんとだ。ドクドク・・・」


テヤンはそこから手を離さないまま沈黙した。


「気づかなくてごめんね。」

「なんでテヤンが・・・」


その時、私の名前が呼ばれた。
すごく待っていたのに、
こんなシチュエーションで呼ばれると、とても驚いてしまった。
顔を見合わせて立ち上がり、促されて採血室に向かう間も、
テヤンは私の肩を抱いていた。

 ←読んだらクリックしてください。
このページのトップへ