Lusieta

 

続・この場所から  1月の風 2011  後編

 

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採血のあとCTを撮った。


そのあとまた待って、やっと診察室に呼ばれたのは、
予約時間の2時間半後だった。

いきなりテヤンが現れてから1時間が経っていた。
二人、あれからの待ち時間、言葉もなくただじっとくっついていた。
一緒にいるのにこんなに言葉少なで過ごしたのは、
初めてだったかもしれない。



女医さんだった。


「今日はご主人もご一緒ですか。」


にこやかに笑顔で言われてホッとする。


「はい。よろしくお願いします。」

テヤンが静かに答える。


紹介状を見ながら、

「拍動性腫瘤・・・」

と呟くとすぐに、

「ちょっとここに横になって・・・」


ドクターがお腹を押さえながら、

「ここらあたりのこと?」

はい。

「痛いですか?」

「はい、少し・・・」

「・・・・」

あちこちを押して

次々に「ここは?」と聞いていく。


「結論からいくと、このドクドク脈打っているのは腫瘤ではありません。」


「え?・・」


「ここはね、腹部大動脈が通ってるから誰でもドクドクしています。
今日ご主人も寝る時に仰向けになって触ってみてください。」

「はぁ・・・」

テヤンが間の抜けた返事をした。


「それから・・・」

問診票から顔を上げたドクターが言った。

「便秘気味なのですか?」

「あ、はい・・・」

「今触診したところでは、左右の固さの差はあまり感じられません。」

「はぁ・・・」

「宿便がある時に、そのような固さと軽い痛みを感じることはありますが・・・」

「え?・・・しゅく・・・」

「今回、ちょっとあるようです。
夜寝る前に飲む、ごく緩い薬を出しておきますね。
リズムがつくよう、規則正しく三食食べてくださいね。」

「・・・はい・・・」

「念のため、消化器と子宮の検査を1月のうちにしましょう。
予約とりましょうね。」

「あ、お願いします。」


ドクターがうふふと笑った。


「あなたの場合、血液検査の結果はパーフェクトに正常値なんですよ。
なにか悪いものがあったら、血液がこんなに優等生なわけありませんからね。
今のところ問題ないと思ってていいでしょう。
かなり疲れが溜まってるみたいだし、
ちゃんと寝て食べて、適度の運動を心がけてください。
背骨が曲がっていて左右のバランスが悪かったり、
偏った姿勢を維持しなきゃいけない仕事なども、
背中や腰に左右不均等な痛みは出ます。
あまり根を詰めないようにね。」


「はい。」


「ちょっと前に目眩がしたみたいだけど、
貧血の数値も出てないし、
とにかく十分な休息をとることですね。
ご主人は、奥さんがオーバーワークにならないよう、
気をつけてあげてくださいね。」

「あ、はい!」

テヤンが場違いな大声で答えて診察は終わった。






帰りの車の中で、テヤンは運転しながらづっと笑っていた。

「そうか、そういうことってあるんだな。
そのシュク・・・」

「わぁ~~言わないで!!」

「あは、あははぁ~~」


おかしそうなテヤンの横顔を見ながら、
自分の間抜けさにあきれて、やっぱり笑うしかない。


この2週間と少し。
そして、二日前のドクターの「確かに・・・」から今日まで。

私の不安と恐怖はあっさり“大動脈と宿○”で笑い飛ばされ、
“優等生の血液”で太鼓判となった。

どこまでも膨れあがったマイナス思考の風船は、
パチンとはじけてあとかたもなく、
恥ずかしさと安堵と脱力が残った。



「では奥さん、今日から毎晩僕と一緒にストレッチをしましょう。」

「は?」

「僕のトレーニングに参加してください。」

「いや・・・あんなすごいことはできません。」

テヤンが毎晩しているストレッチなんか真似したら、
私は10分で体がバラバラになってしまう。

「僕が優しくコーチします。」

「ダメ。
前に背中をギュッと押して私をつぶそうとしたもん。」

「あれはごめんよ。あんなに固いとは思わなくて。
あんなに曲らないの、冗談だと思ったんだ。
しないしない。もうしない。」

「ひどい・・・」

「優しくするから・・・」

「絶対痛くしない?」

「しない。」

「最初は10分だけから。」

「よしOK!今晩からね。」


テヤンがとても嬉しそうだから、まあいっか。
心配かけちゃったし。

思いがけずできた時間。
スーパーで二人だけで買い物をするのも久しぶりだった。


「アヤノ。」

「ん?」

「元気そうだね。」

「そう?」

「この頃、そんなふうに笑わなかったな。」

「あ・・・そう・・・だった? ごめんね。」

「アヤノ。」

「ん?」

「謝らないで。」

「あ・・・うん。」

「アヤノ。すごくきれい。」

「・・・テヤン・・・」


入浴剤が並ぶ棚の死角で、テヤンはすばやくキスをした。



「そろそろユイルを迎えに行かなきゃ。」

「うん・・・」


カートを押すテヤンの腕に、
そっと手を添えた。





ーーーーーーーーーー






「どこかな?・・・ん?・・・」



真夜中、ぬくぬくとしたベッドの中で、
さっきからテヤンは自分の腹部大動脈を探している。


「ふふ・・・」


一緒に探す振りをしてテヤンの固い腹筋に触れてみる。


「こら、くすぐったい。」

いたずらしながら、私は心から安堵していた。
こんなに安らかな夜を迎えることになるとは思っていなかった。


「ふふ・・・ストレッチでいじめた仕返しだ。」


「あ・・ひどいな。あんなに優しくしたのに。」


「あれで? 私、たぶん明日筋肉痛だから。」


「いい気味だ。僕を脅かした罰だ。」


「あ・・・ほんとにごめんって~。」


「あは、うそだよ。」


ほんとにほんとにごめんって思ってるんだよ。
私のマイナス思考はどうしようもない。
笑えるような笑えない話。
いや、笑おう。



「あぁ、あった。これか?
確かにね。あはは~。」


今度は私がテヤンに誘導されてその場所に触れた。
そこはドクドクと脈打ち、テヤンが生きている証を刻んでいる。



「ほんとだ。同じ。」


「あぁ。なにが拍動性腫瘤だよ。
父さんが紹介してくれた先生だけど、
ちょっと文句言いたくなるね。」


「ダメだよ。ずっとユイルだってお世話になってるし。
これまでだって無理を言って時間外に診てくださったこと、
何度もあるんだから。」


「そうだよね。親孝行なユイルが熱を出すのは休日ばかり。」


「だからダメだからね。
先生には、ひどい便秘だったって言うから。
わかった?」

「あはぁ、事実ではあるんだけど、それで先生納得するかなぁ?」

「テヤン・・・」

「わかった。文句言わない。」

「テヤン」

「わかったってば。」

「そうじゃなくて。」


テヤンは体をこちらに向けて
「なに?」と言った。


「心配かけてほんとにごめんね。」

「あぁ・・・
気づかないで無理させてごめんって、
今僕が言おうと思ってたのにな。」

「そう?」

「でも、これからはなんでも隠さずその時に言って。
心配かけるから黙っておこうなんて、そういうのはナシだよ。」

「はい。」


テヤンの胸にすっぽりと覆われて、その温かさを吸い込む。


「アヤノ。」

「うん?」

「僕を置いて行かないで。」

「え?・・・・」

「怖かったよ。アヤノに何かあったらどうしようって。」

「うん。ごめんね。」

「僕はバカだね。」

「ん?」

「あなたは僕が遠くに行っている間、
こんなふうに怖い思いで待ってるんだね。
何ヶ月も。」

「それって・・・今頃気づいたってこと?
何度も言ってきたのに?」

「いや。ほんとにごめん。
リアルに実感したのは・・・やっぱり今日かな。」

「ひどい・・・」

「ごめん・・・」


テヤンの目が真剣だ。


「ふふ。
よかったよ。超マイナス思考は私だけじゃなかった。」

「普通、みんなそうだよ。大切な人のことなら。」

「うん・・・」


うん、テヤン。
君が大切で大切で・・・

だから君を残して私はどこにも行くわけにはいかないと、
あらためて思う。

大切な人を残して行かなければならないことが、
どんなに苦しくて悲しいか。
リアルに実感したのは私も同じ。






カイも・・・
きっと苦しくて悲しかったはず。私を置いていくなんて。

それなのに、あの朝、あんなに静かに私に語りかけ続けた。

「ミオはここにいるよ。オッパイ飲んだあとだから、よく寝てるよ。」と。

「アヤノ、寝ちゃダメだよ。」と。


すごいな、カイ。カイ・・・


テヤンの胸に埋もれながらカイのことを思う私を、
テヤンが腕を回して抱き直す。





「アヤノ」

「うん・・・」

「今年は神戸に行く頃が一番冷え込むらしいよ。」

「・・・あ・・うん・・・」

「眠い?」

「あ・・・ううん。起きてるよ。」

「うそ、もう眠いんでしょ。」



違うよ、テヤン。
驚いただけだよ。

私が何を考えているか、まるでわかってるみたいに、
テヤンがそんなこと言うから。



眠くなんてないよ。

眠くなんてないけど・・・
目が勝手に閉じてしまう。

もっと話したいのに。



テヤン・・・テヤン・・・

またその日が来るね。

テヤン・・・

もう少し話したいのにな。
まだ眠りたくないのに。

でもとても気持ちがよくて・・・

テヤンの胸があったかいからだよ。
テヤンのせいで眠くなる。



おやすみ。



もうすぐだね。





ーーーーーーーーーーーー






阪神淡路大震災をはじめ、不慮の事故で失われた尊い命に、

心より哀悼の思いを捧げます。



この1年、みなさんの心が安らかで温かく、

幸せでありますように。

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