Lusieta

 

続・この場所から  1月の風 2012

 

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今日という日が終わろうとしている。

ユイルを寝かしつけたまま、
その小さくて温かな体を離せないでいる。



「ユイル、今日が終わるよ。」



小さく開いていた唇が一度だけ閉じてまた開いた。
何か応えたつもりなのかもしれない。


「パパは“こうべじいじ”と、
やっとゆっくりお話してるだろうね。」


早く寝なきゃと追い立てられて、
まだ眠くないとぐずったユイルよりも、
ほんの一瞬、私のほうがもっと拗ねたかもしれない。
大人げないな。


テヤン・・・
私はもう眠ってしまいそう。


神戸のお父さんは、私たちを迎える数日前に、
この和室にパネルヒーターを入れてくれた。

「夜寝ている間もふんわり温かいらしいよ。
それからこれは湯たんぽで・・・」

お店でかわいいカバーを選ぶお父さんの姿を想像した。
優しい人だ、ほんとに。

今頃きっとお母さんの思い出話をしているのだろうな。
お父さんが心おきなくお母さんのことを話せるのは、
この世でただ一人、テヤンだけ。


テヤンのお母さんに会いたかったと、心から思う。
その声やしぐさ、テヤンをみつめるまなざしに触れたかった。
そして、ようやく息子と暮らせる幸せを抱きしめるお母さんを愛したかった。


だからせめて、神戸のお父さんと語り合うテヤンのこの時間が、
誰にも邪魔されないよう、私は静かにユイルと眠ろう。


ゆうべから今朝までずっと、
私を抱きしめていてくれたテヤンのために。





・・・・・・・・・・





神戸のお父さんは、昨年何度か私たちの家を訪ねてくれた。

それは、私たちの家がちょうど神戸から東北への通り道にあるからだった。
訪ねてくれるのは、決まって神戸への帰り道だった。
お父さんは何も語らず、いつもただユイルを抱っこし頬ずりをして、
一緒にブロックで遊び、アンパンマンのDVDを観た。
そして一話を見終わらないうちに寝入ってしまった。



3月11日のあとのお父さんの動きは早かった。
仲間の牧師さんの教会が避難所になっているとわかると、
すぐに行くことを決めた。

地震の影響で仕事がキャンセルになったテヤンも合流して向かうことになった。

大きな荷物と、何枚もプリントアウトされる地図。
次々にかかる打ち合わせの電話。

忙しく部屋をあちこち行き来しする足音を聞いていた。
部屋のドアとクローゼットのドアが、何度も開け閉めされていた。
いつもより静かに響くその音が、テヤンの気遣いを伝えていた。


テレビはコンセントを抜いていた。
ユイルがうっかりリモコンを触ってスイッチが入ることがないように。
その映像がいきなり映し出されることがないように。

CDもFMも、何も音のない部屋に、
テヤンの足音だけが静かに響いた。
私は、ずいぶん重くなったユイルを抱っこしながら、
ガラス越しの空を見ていた。

いつもと同じに風が吹いて、ベランダの洗濯物がなびいた。



「ユイルのくつした買わなきゃ。」

「うん。トーマスの。」

「わかった。」



ユイルと、外ばかりを見ていた。




そして・・・どのくらいの時間がたったのか、
いつからかテヤンの足音は止まり、
でもそのことに私は気づいてなかった。

気配を感じて振り向こうとした時、
テヤンが後ろから私を抱きしめた。
いや、私とユイルを。



「どうしたの?」


「やっぱりやめるよ。」


「何を?」


「行くのやめる。」


「なんで?」


「こっちの用事を思い出したから。」


「なんの?」


「とっても大事な用事。」


「・・・・」


「アヤノ。
僕はあなたのそばにいる。」




私はその時初めて気づいた。
自分の状態が尋常でないらしいことを。
そしてそれがテヤンを引き留めたことを。


でも・・・
「私なら大丈夫だよ」と言わなかった。
「君は頑張って行ってきて。」なんて、
「君の力を待っている人がいるんだから。」なんて・・・
言わなかった。


泣いたかもしれないけど、よく覚えていない。

それから数週間の私の記憶は曖昧で感覚的で、
全てがぼんやりしている。
仕事をしたはずだ。
ご飯を作って、掃除も洗濯もしたはずだった。




寒い季節が終わり、春が来て夏が来ても、
テヤンは私を置いてどこにも行かなかった。

そして、秋にはまた違う理由で行けなくなった。
私の中に、また小さな命を授かったからだ。



でもわかっていた。

新しい喜びと心配を抱えたテヤンを、
いくらなんでも私はそろそろ解放しなきゃいけないと。

そしてもうその準備はできていた。



たくさんの命が一度に失われた年に、
私たちは新たな命を授かった。


自分の体をもぎ取られるようにして、
2人がそれぞれに大切な存在を失ったあの年にも、
たくさんの新しい命は生まれ、育っていった。

そう。エリカちゃんのように、
未来をみつめるたくさんの17才が、
この国の今を生きている。



そっとおなかに手を置いた。
まだ名前のない小さな存在に聞いてみたい。
今日までの半年、あなたはどんなだった?

私の心が揺れた時、あなたの世界も不安げに揺れただろうか。
少しくらいの揺れにたじろいだりしない温かな繭が、
今私の中にあるといいのだけれど。
母は少し自信がない。

でもね、そんな頼りない母の繭のその上に、
もうひとつ大きな繭が、あなたの母ごと包んでくれる。
だからきっとあなたは大丈夫。

温かで過保護な繭はいつも
「そばにいるよ」「どこにも行かないから大丈夫」と言うよ。
でも、もうそろそろ・・・

「私たちは大丈夫だから、行ってきてね。」
そう言おうね。
私たちは待っていよう。
あなたのお兄ちゃんもいっしょに。


眠る小さなお兄ちゃんの丸いおでこをそっとなでた。
3人で寝ていよう。
おとうさんを待ちながら・・・







・・・・・・・・・・・・・・・






背中が温かい。
テヤンだ。

小コアラ・中コアラ・大コアラ・・・

同じ方向を向いて抱くようにつながるコアラの木工パズルが浮かんだ。


「ふふ。」


「ん?」


「もう朝?」


「いや、まだ3時。」


「お父さんとたくさん話したんだね。」


「うん。」


「・・・」


「僕がいなくて寂しかった?」


「全然。」


「んふ・・」


「お父さん、また行くんでしょ。」


「あぁ。」


「テヤン。一緒に行ってきて。」


「え?」


「お父さん、あなたと一緒なら百人力だと思ってると思うよ。」


「ヒャクニンリキ・・・えっと・・日本語だったよね?」


「んふ。つまりね、お父さんは、
あなたと一緒ならなんでもできそうだと思ってるってこと。
頭の中にはいっぱいプランがあるはずよ。」


「お父さんが話したの?」



「ずっと前にね。ユイルが生まれる前だったから、ずっと前に。
教会が避難所になっていた時の話。
テヤンがどんなに頼もしかったかって。
物資の調達、ボランティアの調整、子どもたちのケア・・・
テヤンはスーパーマンだったんだって。」


「そんなことないよ。」


「うふふ。私ってば、スーパーマンを独り占めしてるオンナ。」


「ずっと独り占めしてていいよ。」


「うん。でも、そんなことしてるとバチが当たるから・・・」


「バチガアタル?」


「うぅ~ん、あとで広辞苑見ておいて。
とにかくテヤンは今度こそお父さんといっしょに行ってきて。」


「どこに?」


「あは・・・
あのね、私は大丈夫。
私もね、自分の場所にいてできることをするんだから。」


「・・・」


「テヤン。」


「はい。」


「今日までありがとう。」


「ん・・」


「いっぱい心配かけちゃった。
ずっと一緒にいてくれて、守ってくれてありがとう。」


「・・・うん。」


「テヤンはやっぱりスーパーマンだよ。」


「スーパーマンじゃないよ。あなたを守るナイト(騎士)でしょ。」


「あ、そうだった。」


「ふふ。」


「仕事、今なら都合つくんでしょ。
行ってきて。」



「アヤノ・・・」




「ね。」





テヤンは何も答えなかった。

長い腕で胸に家族3人を抱きこんで
「あぁ~。あったかいなぁ。」と言った。






「ねえアヤノ。」


「うん?」


「ユファって、どう?」


「なにそれ?」


「ユイル(唯一)の唯と花。ゆいか。
ハングルで読むとユファ。
ユイルの妹は“世界にひとつだけの花”っていう意味で。」


「韓国語に、そんな言葉があるの?」


「ないけど。」


「は?」


「思いついたんだ。今日。」


「ユファか・・・すてき・・・」


「でしょ。」






テヤンは行くだろう。

そして私は、ここで私がするべきことをしていくだろう。
その年に授かった命を生み育てながら、
この場所にいてこそできることを続けていくだろう。



大きな繭にくるまって、
私はあまりに安心で、無防備なあくびをする。
きっと私の中にいるユファも、気持ちよさそうにゆるゆるとしているはずだ。



窓ガラスがカタカタと鳴った。


昨日は風のない穏やかな日だった。
天気予報は大当たりだ。

今日はどんな夜明けだろう。



またヒュッと音がしてもう一度カタカタと窓は震えた。
ほんの少し緊張して耳をこらした。
でもそれきり何も聞こえない。


もしかしたら、
もっともっと大きな見えない繭となって私たちを守る人が
そっと窓を叩いたのかもしれない。



『今年も、幸せそうでよかった』と。



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災害により失われた 多くの尊い命に
心より哀悼の思いを捧げます。

          2012年 1月17日


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