Lusieta

 

続・この場所から  あなたを守る騎士の誕生日 2011 前編

 

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そのホテルは小さなプライベートビーチを持っている。
ビーチと言えるほど広くもないけれど、
ゴージャスなプールとは対照的に、
手つかずのままのよさを大切にしてるみたいだ。

たまたま岸壁に両側をふさがれて、
ホテルの庭からしか入るこができない贅沢な空間だ。

「物語に出てくる秘密の入り江みたいね。」
そう言ったのはエリカ。

じりじりと太陽が照りつける間は海に入って思い切り遊んで、
午後はのんびり昼寝した。
岸壁が大きな影を作って夕日を遮るその場所だけは、
涼しい風が吹いて、また人を誘っていた。


エリカはユイルを連れて砂浜を歩き回り、
漂着したものを拾っては、二人でいちいち大喜びしている。

ビーチグラスを見つけたユイルが、
誇らしげに空にかざして「これはあおいろです!」と言った。
「どう?」と問いかけるように首をかしげながら、
エリカの手のひらに載せる。

16才の叔母は3才の甥っ子に、
「そうです。あおいろです!」と、大正解を伝えた。
彼女の手のひらは、
ユイルが拾った貝殻とビーチグラスでいっぱいだ。


「ねえユイル、このきれいなガラスたちはどこから来たと思う?」

「ん?」

そうだな。
このままいくとユイルはもしかして、
砂浜というものは、砂と貝殻とガラスで出来ていると思うかもしれないな。

「あのね、遠くから海を流れて流れてここに来たんだよ。」
「遠く?」

「うん、遠くから。」

「遠くは・・・こうべ?」

「あぁ、神戸からも流れてきたかもしれないね。」

「こうべじいじが、ポ~~ンって?」

「あは・・・。うん、神戸じいじが投げて、
それが海を流れて来たかも・・・しんないね。」

「・・・・」

ぽかんと口を開けて海を見つめるユイルの頭の中には、
今いったいどんな映像が広がっているんだろう。

「こうべじいじが?・・・・
ぽ~~んって・・・えぃ~~~って・・・
オニはぁ~~そとぉ~~って?・・・」

ようやく小声で呟いた彼の脳内映像は、
豆まきをする神戸じいじに変換されたようだ。

ひとりで暮らす神戸の父さんも誘ったけれど、
今は教会の工事で忙しくてそれどころじゃないという返事が来た。

3月の震災をきっかけに信者さんたちの間で、
教会を太陽光パネルの自家発電の施設にしようという話が持ち上がったらしい。

信者さんたちの動きは速くて、
父さんがとまどっている間に調査が始まり、
それと同時進行で寄付もどんどん集まった。

「テヤン、すごいことになってるよ。」

次に神戸を訪ねる時には、屋根の十字架の下にパネルが広がり、
ピカピカとまぶしく光っていることだろう。



ユイルがこっちにやって来る。
砂に足を取られながら一歩一歩を「よいしょよいしょ」と言いながら。


「パパにもあげるよ。これはちゃいろです。」

「ありがとう。茶色、いただきます。」

「あのね、これはこうべからきました。
こうべじいじがね、オニはぁ~~そとぉ~~ってぇ、ぽいってしたから。」

「そうか、神戸じいじが投げたのか。
ここまで流れてきたんだね。」

「そうだよ。とおくからね、うみをきました。
たいせつに、してください。」

「はい、わかりました。
大切にします。」

ユイルの後ろでエリカが笑ってる。

「おにいちゃん、アヤノおねえちゃんが袋を持ってきてくれるまで
これちょっとポケットに入れといてくれない?
もう手に載りきらなくなっちゃった。」

「あぁ、いいよ。」

がさがさと固い感触が腿に当たり、
ハーフパンツの両ポケットがずっしり重くなった。

「なんか、重さで脱げちゃいそうなんだけど。」

エリカがちょっとだけ困った顔をした。
「じゃあ、アヤノおねえちゃんが来るまで座ってて。」


「あは・・・はいはい。でもアヤノ、遅いな。」

「もしかして、また水着になってくるとか?」

「おぉ・・・」

「そしたらおにいちゃん、うれしい?」

「あぁ、嬉しいかも。 でも、ありえない。」

「ふふ・・・」


もうすぐ17才だ。
まぶしく成長した妹は、
20才上の兄の顔をのぞき込んでそんなことを言う。

はじめて会ったときは5年生だった。
こんなふうにちょっと背伸びして生意気なことを言ったあと、
赤くなる自分を隠せなくてうろたえてるのがおかしい。

こんな妹を持てたこと、僕がどんなに幸せだと思っているか、
いつか面と向かって言える日が来るだろうか。
彼女がもう少し大人になってからかな。

そうだ、ハタチになったら、二人で酒でも飲みに行こう。


「ママァ、遅いねぇ。」

短い妄想の時間を破ってユイルが呟いた。

「ユイル、喉乾かない?
ママを見に行くついでにプールんところでジュースもらう?」


「ユイルはね、リンゴジュース!」


「よしわかった。
お兄ちゃん、なにかいる?
このままお姉ちゃん待つでしょ。」


「あぁ、ウーロン茶でお願いします。」


カメラで二人を撮りながら答えた。

「了解!んじゃあ行ってきます!」

ちゃんと心得てピースサインでシャッターチャンスを作る二人は
短い砂浜をよいしょよいしょと歩いて、小さなスロープを登って見えなくなった。

手をつなぐ後ろ姿が自然だ。
見えなくなるまでずっとレンズで追っていた。


ちょうど入れ違いに急な石段をアヤノが下りてきた。

こんな時しかはかないショートパンツから伸びた足が白くて細くて、
僕はドキドキしてしまう。

今日の水着もよかったな。

今夜、ユイルは早く寝るかな。

このところ忙しかった。

二人の時間が必要だよ、アヤノ・・・

岩の影に隠れてアヤノを撮った。
風に吹かれて、サイドに流した髪が頬にかかる。
きれいだな。


砂浜に誰もいないことに気づき、アヤノは一瞬立ち止まる。
キョロキョロと見回す姿に、反射的に身を隠した自分が笑える。

そっと覗くと、アヤノはかがんでなにかを拾った。
サンダル?
きっと流れ着いたビーチサンダルだ。


アヤノが変だ。


急に波打ち際に走り出し、なにか叫んだ。


「テヤン・・・」


僕の名前を呼んだように聞こえた。


「テヤン!!」


「ユイル!」


今度は大きな声で海に向かって叫んだ。

アヤノがジャバジャバと海の中に入り始めて、
僕はようやく事態が飲み込めた。

アヤノは僕たちが波にさらわれたと思ったのだ。


「アヤノ! アヤノ!」


砂に足をとられながら大声で叫ぶが聞こえていないようだ。


「イヤーーー!!」


叫びながらなお深く入っていこうとする背中をつかんだ。


「アヤノ・・・
みんないるよ。ユイルはエリカとジュースを・・・」


腕の中で急にアヤノが重くなった。
目は開いてはいるけどうつろで、口が何か言いたげにぱくぱくしている。

浜にひきずりあげたころにはいつもに戻っていた。
ほんの数秒・・・数十秒? いや、数分たっていただろうか。

そのあいだ、アヤノの心はどこかへ行ってしまっていた。


「大丈夫、ちょっと・・・慌てちゃった。そんなはず・・・ないのにね。」


息が荒くて、小刻みに体が震えている。
そんなに頑張らなくていいのに、
こんなにすぐにいつものモードに戻るのは無理がある。


「うん。ユイルと一緒にもう少し待っていればよかったよ。
びっくりさせてごめん。
ごめんよ。」


「ううん。
わたし、バカみたい。
そんなこと・・・・あるわけないのに・・・」


「うん。」


体の震えが少しおさまってくる。



その時、アヤノの胸はどんなに恐怖でいっぱいになったのだろう。


ちゃんと顔を見て目を合わせて何か言おうとしたところで、
遠くからユイルとエリカの声が聞こえた。

アヤノはさっと僕の胸から抜け出したと思うと、
僕の腕を引っ張って波打ち際に連れ出した。

そしていきなり水しぶきをかけた

僕がボーッと突っ立っていたのは数秒だ。
すぐに彼女の思いを察して、
「夫婦の楽しいふざけっこ」が唐突に始まった。


アヤノが、水しぶきを上げながら泣いているのがわかった。

悲しくても嬉しくても、怒ってもホッとしても涙が出る。
ほんとにアヤノは泣き虫だ。


大騒ぎの僕たちを見て、
ユイルが嬉しそうに、でも必死で砂浜を越えてくるのが見えた。

アヤノはユイルをみつけると、もう我慢できなかったのだと思う。
ユイルに駆け寄り抱きしめた。


ユイルが声をたてて笑う。
笑うユイルは、まだ涙が止まらない母親につかまって動けない。

「よ~し!」と、二人にたっぷり水をかける。


「キャーーー!!」と二人同時に声をあげて、
やっと僕に反撃開始だ。


砂に足をとられて転び、笑いすぎて転び、
もう三人はめちゃくちゃだ。



僕が無意識のうちに砂に置いたらしいカメラで、
エリカが三人を撮る。

くるくると場所を変えながら撮る様子がサマになっていて、
ほんとに被写体になった気分にさせるからすごいな。
照れくさくなるがやめられない。

高校の新聞部に入ってからだ。
シャッターチャンスを捕らえるセンスに唸った。

かえるの子はかえるって、こういう時に使う言葉?
日本のことわざはむずかしい。


ユイルがエリカに気づいて急に動きを止めてピースサインを作った。
気取ってシャキッと立っているのがおかしくて、
笑いながら僕たちもポーズをとった。

それを合図に、
いきなりの映画みたいな水際シーンは終了となった。



エリカがプールでもらってきてくれた4つのカップ。
ちゃんとサービスのバスケットに入っていた。
4人並んで座り、海を眺めながら飲んだ。


「ママ、おいしいね、ジュース。」


「うん、おいしいね。
ここでみんなで飲むからもっとおいしくなったね。」


「はい。もっともっとおいしいりんごジュースです。
ママとぉ、パパとぉ、エリカといっしょに飲むからね~。」


ジュースを飲みながら、みんな言葉少なに一日の終わりの海を眺めた。
アヤノ以外は。

アヤノだけは、カップを右手に持ちながら、
左手でずっとユイルの肩を抱き、髪をなで、
視線を我が子に注いでいた。


何かをみつけたらしいユイルが急に立ち上がって、
アヤノの手は宙ぶらりんになり、
すぐにも追いかけそうな自分を押さえているのがわかる。

エリカを間に挟んでいて、僕はアヤノを抱き寄せられないでいた。
大丈夫だよ、ユイルは大丈夫。
どこにもいかない。


ユイルがとってきたのは、さっきのサンダルだった。


「これ、パパの?」

「違うよ。パパはほら、ちゃんと履いてるでしょ。」

「あは、似てる。」とエリカが言った。

「じゃあ・・・誰の?」ユイルは今日拾った一番の大物を得意げにかざした。


「海から流れてきたんだよ。きっと。」エリカが言った。

「うぉ、これも・・・こうべじいじが・・・」

「あは、ユイル、これはこうべじいじのじゃないと思うよ。
きっと他の人が、海で遊んでいていつのまにか脱げちゃったんじゃないかな?」


「う~~、じゃあ、“僕のくつはどこかな?”って言ってる?」

「そうだね。遠くの浜で“どこに行っちゃったかな”って、探してるかもしれないね。」



3人は同じ思いだった。
ここから繋がるあの長い海岸線のどこかから流れ着いたかもしれないと。



「でも・・・3月にビーチサンダル履いてる人は、いなかったかもね。」


エリカが頭の中に浮かんだ言葉をそのまま口にして、
3人は、黙ったまま海を見ていた。






3月11日の、その日からしばらくのあいだ、
アヤノの心の中の時計はめまぐるしく行ったり来たりを繰り返した。

その日オフだったアヤノは、はじめとても冷静だった。
揺れの直後に自転車で保育園にユイルを迎えに行き、
夜遅くに歩いてやっと帰ってきた僕を笑顔で迎えた。

でも、そこまでだった。

その夜は、ユイルを挟んでひとつのふとんで眠ったが、
たぶんアヤノは一睡もしていない。

浅い眠りの合間に僕が目を覚ますたび、
アヤノは僕とユイルの体のどこかに触れながら起きていた。
目が合うと「キスして」と言った。
髪をなで、顔のあちこちにキスをした。

「テヤンがいるから大丈夫。」

なにも聞いていないのにそう言った。


明け方にやっと閉じたまぶたは濡れていた。
そっと起きだそうとしたのに、気配を感じてすぐ目を覚ました。
一瞬の混乱の中で僕を捜す表情があまりにも不安げで、胸がしめつけられた。

「アヤノ、怖かったら怖いと言って。
今のままの気持ちを言っていいんだよ。」


そう言うと、
「うん・・・怖い」
ひとこと言って、やっと泣いた。









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