街が動き出すまでは間があった。
腕の中で震える背中を撫でながら、
僕の胸に押しつけるようにして吐く嗚咽を聞いていた。
その日から今日まで、一見普段どおりに過ごすアヤノは、
胸の奥に住み着いてなかなか出て行かないもうひとりの自分とつきあっていた。
そして、うまくバランスをとって付き合うことに少しばかり苦労していた。
アヤノの胸の時計は、一気に16年前に逆回りしたかと思うと、
全速で“今”に帰ってきたりする。
だから、ふさぐ気持ちを隠そうとしてわざとハイテンションになったり、
ボランティアに行きたいと言ってスケジュールを調整しはじめたと思うと、
やっぱり無理だと言ってキャンセルした。
「お願いだからテレビをつけないで」と訴えた数時間後、
ニュースが伝える惨状を、ボーッと見ていて突然嗚咽した。。
ユイルの保育園のクラスにも、避難先として東京を選んだ家族が増えた。
アヤノは親身に世話を焼いた。
自分の過去は伝えないまま。
そして一生懸命話を聞いて、帰ってきてから泣いた。
・・・・・・・
シャワーを浴びて着替えると、
やっと到着した父さんとクニエダさんが合流して、
ちょっと早い食事になった。
「何に乾杯する?」
父さんが言うと、
「うぅ~~ん、終わっちゃう夏休みに。」
エリカが言った。
「うん、夏の終わりか。いいね。」
クニエダさんが言う。
「じゃあ、終わりゆく夏に・・・乾杯!」と父さんが言って
みんなでグラスを揚げた。
「カンパァ~~イ!」
そんな中でひとりだけ、違うセリフを叫んだのはユイル。
「パパ、おたんじょうびおめれとぉ~~!」
「あは?・・・」
「わぁ!・・・」
「あらま・・・」
「うふ・・・」
アヤノが慌てて言った。
「こないだから練習してたもんだから。
こうやってコップをあげて言うんだって。」
「そうか、じゃあ一日早いけど、前夜祭ってことで、
今日もお祝いしよう。
な、ユイル、パパのお誕生日だもんな。
じょうずに言えたぞぉ。
じゃあもう一度乾杯な。」
父さんが嬉しそうにそう言って、
いきなり僕は祝ってもらった。
「それではみなさん、私の息子テヤンの誕生日を・・・」
「パパ、おたんじょうびおめれと~~~!」
この旅行のスポンサーの“お言葉”の途中、
またまたユイルがフライングして、みんな笑いながら従った。
「おめでと~~~!」
急遽始まった誕生会にもかかわらず、
バースデーケーキがサービスされて驚いた。
さすがだ、父さんの七光り。
パチパチと花火が飛びながら登場したケーキに目を丸くしたユイル。
その興奮した顔をケーキと共に撮ることができて満足だ。
これがユイルからのプレゼントだな。
永遠に続きそうだった楽しい宴は、
ユイルが居眠りし始めたのを潮に、お開きとなった。
・・・・・・・・・・・・
みんなと調子を合わせてはしゃいでいたけど、
実はちっとも酔っていないアヤノが、
ようやく“がんばりモード”を解いて僕の布団に入ってくる。
遊び疲れたユイルはきっと朝までぐっすりだ。
だからアヤノは、朝までずっと僕の腕の中にいればいい。
「みんないなくなったと思って、怖かった?」
「うん。」
「そうか。」
「ユイルが溺れて、テヤンが助けようとして・・・なんて・・・
あんなに凪いでる遠浅の浜で、そんなはずないのにね。
やっぱり私、変だよね。」
「うん。3月からずっと、アヤノの胸の中は大変だったろ。」
額にかかった髪を梳いて、そのまま頭をなでた。
「・・・・まだこんなだなんて、思わなかった。
いろいろごめんね、テヤン。」
「ああ、僕は大丈夫。
でも・・・今日はさすがに焦ったけどね。」
「うん。ごめん。」
「アヤノ。」
「ん。」
「何回でも戻っちゃっていいよね。」
「え?」
「アヤノは、神戸に行けるようになってまだ5年しか経ってない。
だから無理もないんだ。
自分が過去に引き戻されることを怖がらないで。」
「・・・・」
「フラッシュバックもあるだろ。
誰かの境遇にものすごく寄り添って落ち込んじゃって、
すぐには気持ちが立て直せなかったりすることもあるだろ。
でも、それは普通のことだ。
逆に言えば、アヤノだからそこまで寄り添えるんだ。」
「うん・・・」
「保育園の帰りに北見さんの話を聞いて、
そのまま気持ちが切り替わらなくてもいい。
その日寝るまで引きずっちゃっても気にしないで。
アヤノだから北見さんは話せたんだって、
やっと泣けたって言ってたんでしょ。」
「うん。」
「それでアヤノが悲しくなったら、その時は僕がいるでしょ。
僕に話せばいいんだ。
ずっとそうしてきたでしょ。
自分で自分が変になっちゃったって思う時は、
僕にそのまま話して。」
「うん。そうだよね。
でも、落ち込んじゃうと、
ユイルにもあんまりよくないかなって。」
「大丈夫だよ。
アヤノは、自分が思うよりずっとたくましいよ。
この半年だってちゃんとやってきた。
ユイルは毎日楽しそうだ。
今のアヤノにはね、なにがあっても受け止めてくれる家族がいるでしょ。
オッホン、僕のことだけど。」
「ふふ。とっても感謝しています。」
「知ってる。」
「ふふ。」
「それにさ、アヤノには、
そんなに長い時間立ち止まらせてはくれない日常がある。
家庭と仕事が、ちゃんとお尻をたたいてくれて、
あなたは前を向かずにはいられない。」
「うん。そうだね。」
「だから、大丈夫だ。
とりあえず、落ち込んでる時は、
“ただいま落ち込み中”の紙を顔に貼っててくれれば、
僕がなんとかするから。」
「はい、了解です。
たよりにしてるよ。」
「任しといて。」
顔にいくつも降らせるキスに、
アヤノはちょっと気のないふうだ。
「テヤン・・・」
「ん?」
「キタミさんに、まだ私のことは話してないの。」
「話してないことが気になるの?」
「うん。」
「なんで?」
「なんかね、私だけがキタミさんのこと知ってて、
なんかフェアじゃない感じ」
「・・・・」
「・・・うまく言えないんだけど・・・
でも、私・・まだ自分のことうまく話せないし・・」
「なんでそんなこと気にするの?
まだ話したくないなら、アヤノにその時期が来てないんだよ。
北見さんにとってはさ、今話すことが必要だったんだ。
あの時の、初めて話した時のアヤノみたいに。
だから自分でそうしたくてしたんだよ、きっと。」
「なるほど・・・」
「これからだって話すタイミングはきっと来ると思うけど、
それでもそのとき話したいかどうか、アヤノの気持ちどおりでいいと思うよ。
話さないことは、悪いことじゃない。」
「うん・・・そっかぁ・・・そうかも。」
「そうだよ。」
「テヤン・・・」
「なに?・・・」
「テヤンってば、私が弱っちくなるといつも、
すごくかっこいいこと言うんだよね。」
「あは、それは・・・ほめてくれてるの?」
「もちろん!」
「そう?じゃあ、ありがとう。」
「じゃあってなによ。」
「アヤノが弱ってたら嬉しいってわけじゃないからね。
僕はあなたを守るナイトだから、あなたのピンチには頑張るんだ。」
「うん。私はとっても嬉しいの。
とっても幸せで・・・テヤン、ありがと。」
アヤノがうんと顔をあげて唇がやっと届いたのは僕の首筋だった。
しょうがないから僕が迎えに行ったのに、
「あっ!」といきなり声をあげる。
「声大きいよ。」
「ごめん。
でもテヤン、10分すぎちゃった・・・」
「ん、なにが?」
せっかく迎えに行ったんだからもう戻る気はなくて、
僕はあまりにも無防備にほどけていく浴衣の、
そのあっけなさを味わいはじめたところだった。
「いつも思うけど、ホテルの浴衣って、着てる意味あるのかなあ。」
「ちょっと・・・・何してるの? ダメだよ。
取ってこなくちゃ・・・」
そう言ってアヤノは僕を押し返す。
「ダメだよ。こんな状態でどこに行くの?
もうほとんど何も着てない状態でしょ。」
「もう、テヤンが脱がせるんでしょ!
だから、プレゼントだよ。
12時過ぎちゃって・・・あ、ちょっと・・・テヤン・・・」
「あ、そっか、ここに持ってきてくれたの?
重くなかった? わぁ、楽しみだな。ありがとう・・・」
そう言いながら、僕はもう止められなくなってる。
「まだ渡してないんだけど・・・
それに・・・ぜんぜん重いものじゃないし。」
「うん。」
「ねえ。聞いてる?」
「あのね、アヤノ・・・」
「なに?」
「これもね、毎年いただく大事な誕生日プレゼントでしょ。
せっかく準備してもらっていて申し訳ないんだけど、
今日はね、こっちが先にいただきたくなりました。」
「あは・・・」
「なので、順番を逆にお願いします。」
「・・・・ぶふっ・・・・了解しました。」
そんな会話の間にも、あっという間にユカタは剥かれて、
腰に巻かれた細い帯だけが、すでに布の塊になったユカタをつなぎ止めていた。
「前から気になってたんだけどね。」
「ん?・・・んふ・・・私・・変な恰好・・・」
「だからさ、それなんだ。」
「ん?・・何?・・・」
「ほんとに、こんなにちゃんとしたホテルも、
やっぱりユカタなんだね。
これは、この国の不思議だ。」
「どうして?」
「だってさ、これ、一瞬で肌を剥き出しにできるでしょ。
衣服として、無防備この上ないよ。」
「そう?・・そうかな・・・ふふ。
そうか、テヤンはそういうところが気になるのね。
思ってもみなかった。」
「日本という国は何かとガードが堅いはずなのに、
全国的に認められているんだよね、これ。」
「あ、そうだけど・・・ふふ・・」
「これだけは、僕には不思議でたまらないよ。
アヤノがこれに着替えた時からずっと、
胸と足、布の分かれ目ばかりに目が行って落ち着かなかったんだから。」
「あらま。大丈夫よ。これで部屋の外に出てないもん。」
「そんなの当たり前でしょ。
絶対出ちゃだめだよ!」
「うん。このホテルはこのまま出ちゃいけないことになってるけど、
普通にこれでレストラン入っちゃってもいいホテルもあるんだよ。」
「危険だな。
これからだって、どこに行っても僕の前だけでしか着ちゃダメからね。」
「ん、わかった。
っていうか、もう脱いじゃってるしね。」
意外に固く結んでいた帯をほどこうとしている間、
アヤノはずっとされるままになりながら、
僕の手元をおもしろそうに見ていた。
そして、やっと小さな小さな布1枚をつけただけの姿になった。
「昼寝したから、眠くないよね。」
「うん・・・眠くない・・・あ・・・」
「明日は、寝坊しようね。」
「うん・・・ユイルが・・・寝かせてくれるなら・・・は・・あぁ・・」
「絶対起きないよ。」
「・・・そかな・・・ん・・・テヤン・・・あ・・テヤン・・・」
あなたのその場所は、もうとっくに潤んで僕を待ち受けていた。
いつもそうしていて。
そんなふうに僕を待っていて、アヤノ。
いつもこうして、あなたはあなたの全部で僕を受け入れてくれる。
だから、僕も、僕の全部であなたを受け止め包んでいたい。
苦しい時には、ちゃんと苦しいって言って。
悲しい時には、僕の胸でちゃんと声を出して泣いて。
わかった?
ゆっくりと繋がると、あなたは両手を伸ばしてキスをせがんだ。
あぁ、今はただこうしていよう。
隙間なく触れ合っていよう。
そのことの幸せだけ感じていよう。
「アヤノ、プレゼントをありがとう。」
「んふ、これ、プレゼント?」
「あぁ、そうだよ。」
「んふふ・・・あぁ・・・んん・・・ステキ・・」
「でしょ。」
「テヤン。」
「ん?」
「お誕生日、おめでとう。」
「ありがと。」
「アヤノ。」
「ん?」
「明日、寝坊しよう。」
「んふ、わかったよ・・・ん・・・あ・・・」
あぁ、アヤノの背中が弧を描いて、その刺激は僕を締め付ける。
僕はぐっとそれに耐えた。
まだまだだ。
今日は時間をかけてゆっくりとアヤノを愛して、
そしてみんなで寝坊をすると決めているんだ。
ユイルだってちゃんとわかってくれてるさ。
それがユイルからのプレゼントその2。
向いの部屋の父さんたちだって寝坊するんだ、大丈夫。
ちゃんと言ったもの。気の利くクニエダさんに。
「明日僕たち寝坊するのでよろしくお願いします。」
だから、僕の言うことを聞いてね。
ユイル、アヤノ、寝坊しよう。
だって今日は、僕の誕生日なんだから。