Lusieta

 

続・この場所から 祈り 前編

 

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こうして目を閉じている間も、
ヒューヒューと絶え間なく風がうねり声を上げている。


小さいけれど石造りの頑丈な教会はビクともしないが。



弱い灯り二つに照らされて浮かび上がる聖母子像、
マリアが、その胸に抱いた小さな存在を大事そうに見つめている。


最前列に座り、質素なテーブルに肘をついて指を組んだ。


撮影スタッフや顔見知りになったホテルのフロントに猛反対された。

でも、どうしてもここに来ずにはいられなかった。

レインコートと懐中電灯で、やっとたどり着いた場所。


アヤノが痛みの中で新しい命をこの世に送り出そうとしてるのに、

僕はこんなに遠くで何をしてるんだろう。




どうか・・・

アヤノと、生まれてくる子を・・・

お守りください・・・



そんな祈りの言葉を吹き消すような風のうなり声。

負けないように、組んだ指に力を込めた。





     かあさん・・・


     オモニ・・・

     アボジ・・・



     カイさん・・・

     ミオちゃん・・・



     力を貸して・・・







ーーーーー






「なんだかそうみたいだから入院するね・・・」


電話が入ったのは3日間の撮影日程を全て終えた直後。
昼食をとろうとした時だった。


予定日より3週間早かった。


午後の便でとにかく那覇に向かおうと、大急ぎで支度した。


なのに・・・

今夜も僕はここにいる。




こんな風はいつものことだと、島の人が笑った。
うまい魚でも食べてのんびり待ってろと。

せっかくの言葉なのに、無性にいらだって笑顔を作れなかった。


そうだ・・・

こんな風が吹いて飛行機が飛ばなくなるなんて、いつものことなんだ。


でも、それもありだなって思えないヤツは
島には来ないほうがいいって誰かが言ってた。


だけど許して。
僕は今、泳いででも帰りたい。



なんでいつもこうなるんだろう。

こうしていつもいつも・・・


二人の人生にとってあまりにも大事な時に、
僕はアヤノに待ちぼうけをさせる。


待たせて・・・・

気が遠くなるほど待たせて・・・


やっと帰り着いた時には、
彼女はもう待ちすぎて怒る気力もない。


待ちすぎて、心配しすぎて・・・・
顔を見たとたん、放心したように僕の胸に倒れ込む。

いや、完全に気を失ってたっけ。




アヤノ、ごめん・・・


  ごめん・・・・





ポケットの中が震えた。二人をつなぐ唯一のもの。


「アヤノ!?・・・」


「テヤン・・・」


「大丈夫か・・・」


「うん、大丈夫だよ。すっごく心配してるでしょ。」


「うん・・・ごめん、そばにいなくて・・・」


「さっきいろんな検査終わったの。今、陣痛室。

ほんとに大丈夫。まだ陣痛の間隔15分なの。
だから今は休憩時間。余裕だわ。

あのね、赤ちゃん、ちょっと小さいけど大丈夫だって。
自然に産みましょうって。」


「そうか。よかった・・・」


「テヤン、ねえわかってる?
心配しすぎちゃダメよ。焦らないでね。
帰れないからってへこまないでね。」


「アハハ・・・全部読まれてるね。」


「ふふ・・・そうよ。お見通しよ。

あのね、こんなふうに仕事でその時に立ち合えないパパは
世の中にいっぱいいるんだからね。」


「パパ・・・か・・・」


「そう。パパはしっかり落ち着いててよね。」


「・・・アヤノ・・・やっぱり、あなたはすごいね。」


「そうでしょ。母はすごいのよ。」


「パパはママにはかなわないな。」


「そうよ。だからパパは・・・・・ッン・・・」


「アヤノ?・・・・」


「・・テヤン・・・・休憩・・・ン・・・終わり・・・じゃあね・・・」


「アヤノッ・・・」



一方的に切られてしまった。

携帯を握りしめた。

今、痛いんだな、すごく。



次の休憩時間はいつ来るんだろう。

それまで僕は・・・
そう、ただ祈るだけだ。


見上げると、マリアは変わらずそこにいて、
腕に抱いたその大切な存在を見つめていた。



     マリア・・・

     きっとあなたも強かったんでしょうね。



必ずこの子を守り育てると、
そんな覚悟と決意を感じるまなざし。

不意に涙が湧いてきた。

僕は少しおかしくなっているのかもしれない。
 
こんなにもせっぱ詰まってアヤノに会いたくて、
どうにかなってしまったかもしれない。



合わせた手の中に携帯を入れ、あらためて指を組んだ。


目を閉じる。



     主よ・・・

     アヤノの痛みを、僕に・・・




祈り始めてどのくらいたったのだろうか。



「・・・!!!・・・・」


手の中が震えた。



「アヤノ!」


「テヤン・・・」


「痛かった?」


「うん、痛かった。」


「そうか・・・」


「・・・ねぇ、テヤン・・・」


「なに?」


「ちょっと疲れた。」


「うん。がんばってるね。休んで。」


「ねぇ、テヤン。」


「ん?・・」


「愛してる?・・」


「あぁ、愛してるよ、アヤノ。」


「私も・・・テヤン・・・・」


「アヤノ?・・・」


「・・・愛して・・る・・・」


「・・・・もしもし?・・・アヤノ・・・」


「・・・・うん・・・もいっかい・・・・」


「アヤノ・・・愛してる・・・アヤノ?・・・」



     アヤノ、どうしたの?



「もしもし、テヤン、僕だ。」


「え?お父さん?!」


「あぁ。
アヤノさんは今眠ってしまった。」


「え?・・・」


「陣痛を我慢することを長時間繰り返すと
かなり体力を消耗するらしい。

昨夜はなんとなく予感がして眠れなかったようだし。」



     ゆうべ・・・

     電話で「元気よ」って言った。



「だから陣痛と陣痛の間はウトウト眠るようになるらしい。
これからはもうあまり話せないかもしれない。」


「お父さん。」


「あぁ。」


「アヤノのそばにいて下さってありがとうございます。
彼女がどんなに心強いか・・・」」


「ふふ、他人行儀だな。どういたしまして。
アヤノさんは息子の大事な嫁で、生まれるのは私の孫なものですから。」


「そうでした。」


「クニエダさんもエリカちゃんもいてくれてる。
もうすぐアヤノさんのご両親も到着される。」


「お父さん。」


「うん。」


「僕だけなんでこんなところにいるんでしょうか。」


「お前は、アヤノさんを待たせる運命だ。」


「・・・・」


「アヤノさんはお前を待ってばかりだ。
いつもいつも待っている。

死ぬほど心配しながら、倒れそうになりながら。
そしてギリギリセーフでお前が帰ってくる。」


「はい。」
 

「しかし、さすがに今回ばっかりは間に合わない。
もう諦めて、静かに神に祈るしかないな。」


「もう、祈っています。」


「そうか。
テヤン、大丈夫だ。アヤノさんは強い。
立派にお前の子を産むよ。」


「はい・・・」



もう何も言えなくなった。
僕はほんとに情けないな。



「まあいいさ。こっちは僕らにまかせて、
お前は安心してそこで泣いてろ。
じゃあな。」


「あ・・・」



また切られてしまった。

また僕だけ置いてきぼりだ。



そしてまた僕とともにあるのは・・・・

風の音と聖母子・・・



そう、置いてきぼりの僕のために、
マリアが、動かないでそこにいてくれる。




     ねぇ、マリア・・・

     僕はもうすぐ父になるんです。

     
     そして、

     アヤノが・・・

     もう一度、母になります。




黙ってただ我が子を慈しんでいるマリア・・・




     わかっています。

     あなたはきっと

     “安心なさい。すべては主の御心のままです。”

     そう言ってくれていますね。

     アヤノを、あなたに託していいですか?

     



目を落とすと、誰かの忘れ物か、
マリアの足元に小さな毛布が丸めて置かれていた。


急にあの日のアヤノが浮かびあがった。

あの日の教会の・・・


無惨に体半分が崩れ落ちたマリア像を見て、
狂ったように泣き叫んだアヤノ。

僕の涙をぬぐい続けながら、
ぽつんと「カイとミオがね、死んじゃったの・・・」と言った。




     アヤノ・・・・

     あの日、あなたは僕の宝物になった。

     なのにたった3日で消えてしまった。

     もう二度と会えないと思っていたのに、

     13年たって、こうして僕とあなたの間に、

     新しい命を授かるなんてね。

     考えてみると、すごい運命だ。

     
     だから、信じられる。

     この先何があっても僕たちは離れない。

     一緒にその命を守っていける。

     心配しないよ。

     今だって、たくさんの人があなたを守ってくれる。


     心配ないよ・・・

    
       ね・・・


         心配ないよ・・・・

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