「はいはい、ちょっとお茶淹れましょう。
みんな熱くなりすぎです。」
エリカちゃんが一番オトナだ。
とにかく決まらない。
誰かが提案すると誰かが難色を示す。
さっきから1時間以上白熱した論議か交わされて、
アヤノの両親は疲れてホテルに引き上げてしまった。
「どうしても今日中に決めてしまいたいです。
マダくんって呼ぶのは今日限りにしたいから」
そう言ったのは僕だけど、なんだかもう煮詰まってる。
メンバーが増えるとますます意見がまとまらないことを痛感。
父とクニエダさんはもうただこの場を楽しんでいるとしか思えない。
アヤノ(A)「でもやっぱり日本語でもハングルでもどちらで呼んでも
響きがきれいで呼びやすいっていう条件ははずせないわ。」
エリカ「さっきの“ユイル”って、よかったなぁ。日本語ではなんだっけ?」
テヤン(T)「ゆういちだよ。“唯一”親しく呼ぶときは“ユイラー”」
A「でも、唯一なんて名前つけられたら本人にとっては重くない?
なんだかすごく期待かけられてるって感じで。
それに次に生まれた子は“自分は唯一じゃないのか?”
って思ったりするかも。」
T「そんなことないよ。みんなかわいい唯一の子だよ。」
A「じゃあややこしくなっちゃうよ。」
クニエダ「ほんじゃあさっきのもう一つの“ユイル”どう?」
エリカ「ママのおすすめのほう?」
クニエダ「そう。楽しいのが一番!で、“愉一”。」
エリカ「楽しいのだけがいいのかな。苦しくても大事なことってあるしな。
楽しければいいじゃん!って感じに聞こえちゃうかも。」
クニエダ「あんた、若年寄か・・・」
エリカ「なに? ママひどい!」
シュンスケ「まぁまぁ、エリカちゃんの言うのも一理あるな。
どうかな、ここで発想を変えて二人から一字とるというのは。
アヤノ(文乃)の文とテヤン(太陽)の太をとって
ブンタ(文太)っていうのは。」
クニエダ・アヤノ・エリカ「ブンタ~~?!」
A「ソン・ブンタ・・・」
T「ハングルでは“ムンテ”です。親しく呼ぶと“ムンテヤー”です。」
クニエダ「シュンちゃん、もうちょっと考えよう・・・・」
シュンスケ「じゃあこれはどう?テヤンの母親ミヨン(美栄)の栄と
僕の俊で“栄俊”」
クニエダさんの顔が一変・・・
父さん、何考えてるんだ。
T「ハングルでは“ヨンジュン”、韓国にはよくある名前ですが・・・」
A「あ・・・あの、日本語ではエイシュン? お坊さんのような感じですね。」
クニエダ「“サカトシ”とも読めるわね・・・なんか、ちょっとダサくない?」
シュンスケ「そうかなあ・・・」
父さん、鈍感すぎる。
T「あの、僕からの新しい提案なんですが、
結ぶ人と書いて“ユイト”結人ってどうでしょう。」
エリカ「なんかステキ。」
T「心を結ぶ。愛を結ぶ。人と人を結ぶ。アジアを結ぶ。世界を結ぶ・・・」
A「それ、いいかも! ハングルでは?」
T「“キョリン”。ソンがつくと“ソン・ギョリン”親しく呼ぶとキョリナー。」
A「ギョリン・・・ギョリンってなんだかウロコみたいね。
魚鱗・・・う~~ん・・・」
T「日本では、変なの? 響きの問題?」
A「うぅ~~ん・・・・」
T「じゃあ世界を結ぶってことで“世結”セユは?」
A「セユ・・・いいかも。」
クニエダ「アヤノはさぁ、いつも“いいかも”っていうけど、
そのあと文句言うよね。」
クニエダさん、なんか攻撃的になってきた・・・・
父さん、フォローしてよ。
・・・・無理か。
A「そんなことないわよ。ねえテヤン、ハングルでは?」
T「“セギョル”親しく呼ぶと“セギョラー”。」
A「う~~~ん・・・・」
クニエダ「ほぉーら、やっぱり・・・」
エリカ「ママ! こっちでお茶飲みましょ。
ほら、シュンちゃんも。」
エリカちゃん、オトナだ・・・
T「あのね、まだあるよ。アジアの亜と自由の由で“アユ”亜由は?
ハングルもそのまま“アユ”親しく呼ぶと“アユヤー”」
A「ちょっと女の子みたいね。
響きはステキだし、ハングルと日本語が一緒っていうのは魅力だけど・・・・」
T「・・・・・休憩だ・・・」
A「怒った?」
T「疲れただけ。」
A「ごめんね。こないだと違うのをまたいっぱい考えてくれたんだよね。
ご苦労さん。」
T「いや・・・・」
その時、ノックもなく扉が開いた。
「わぁ~~遅くなっちゃったわぁ~~!」
あ・・・・どすこいさん、
なんてナイスなタイミング。
「ごめんごめん、おむすび作ってたらね、つい凝っちゃって・・・」
二段の重箱登場!
ーーーー
みんながっついて食べてる。
しかし、おいしい・・・
クニエダ「結局みんなさぁ、お腹すいてたってことよね。
満たされるだけで、なんか空気変わったよね。ぐふふ・・・・
どすこいちゃん、お手柄だわ。
おむすびおいしすぎ。」
どすこい「なんのこと? なんのこと?・・・」
エリカ (小声で)「あのね、あとで話してあげる。」
どすこい「うん?・・・・」
エリカ 「それにしてもどすこいさん、この味噌そぼろのおむすび、サイコー!」
どすこい「ん?・・・あ・・あらそう?・・おいしい?
そうなのよ~。この味付けは我が家の秘伝でね・・・」
エリカちゃん、オトナだ・・・
A「やっぱりあと少し、マダくんのままでもいいんじゃない?
今日一晩考えてみるから。ね・・・」
T「なんだか、“マダ”以外ならなんでもいいような気がしてきた。」
A「テヤン、そうだ、君は疲れてる!
うちに帰って眠ってよ。ちゃんと寝たらまた元気が出るよ。」
T「イヤだよ。今日はここに泊まる。」
A「そんなことしたらまた眠れないよ。」
T「いいの。」
A「ちょっとやけっぱち?」
T「疲れてるだけ。」
A「あのね、夫の疲れて不機嫌な顔は、母乳の出に悪影響なんだって。」
T「え?・・・・」
A「だからうちでちゃんと寝て来て。」
T「・・・・・気になって眠れない。」
A「大丈夫、テヤンはすぐに眠れるよ。」
T「イヤだ・・・・そんなに僕がそばにいるのがイヤなの?」
A「そうじゃないよ。何言ってんのよ。そんなわけないでしょ。」
エリカ「ねえみんな、今日は帰ろうよ。
アヤノおねえちゃん、赤ちゃん産んだばっかりなのに、
やっぱりみんなはしゃぎすぎだったよ。
ほんとにおっぱい出なくなったら大変。
テヤンおにいちゃんも、おねえちゃんの言うこと聞こうよ。」
エリカちゃん・・・
そうだそうだと、急にみんなソワソワ帰り支度をはじめた。
T「どすこいさん、来てくれたばかりなのにごめんなさい。
おむすび、おいしかったです。生き返ったよ。」
どすこい「そう、よかったわ!
いいのよ。はじめから長いするつもりはなかったもの。
とにかくみんなに食べてもらって、
クニエダちゃんの案内で赤ちゃん見て帰れたら幸せよぉ~ん」
そうと決まれば、みんなの行動は早い。
「みんな、あっという間に帰っちゃって、うそみたいね。」
「そうだね。」
「あと5分、ここにいて。」
「うん。」
「ごめんね・・・」
「なにが?」
「なんか・・・ごめん・・・」
「んふ・・・僕もだよ。ごめん。疲れただろ。
おっぱい出なくなったら大変だ。」
そう言って、そっとあなたの胸に手を置くと、
そのふくらみの大きさに驚いて、思わず手を引いてしまった。
「ちゃんと寝て、お腹もいっぱいにして明日また来るよ。」
「うん・・・・
テヤン・・・」
「ん?・・・」
「キスして・・・」
あと5分は15分に延長され、
僕たちはためらいがちに触れ合って、小さな仲直りをした。
アヤノの首筋に顔を埋めると、
さっきより強く、酸っぱくて甘い香りに包まれた。
むりやり気持ちを引っぱがしてうちに帰る。
宿題を抱えて・・・
彼女の言いつけ通り、幸せな深い眠りのために。
でも・・・
今夜たぶん、僕は夢を見る。
漢字とハングルに追いかけられる夢。
そして逃げ切れなくて捕まるんだ。
誰に?・・・・
誰だろう・・・・
漢字とハングル?
名前つけるって、
ほんと、むずかしい・・・