Lusieta

 

続・この場所から  ブルーだけどブルーじゃない誕生日  前編

 

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アヤノとケンカしたまま丸一日がすぎた。

ユイルが生まれてからはじめてのケンカだった。
いや、ケンカじゃない。
僕が一方的に悪いんだけど。


ユイルと3人でいるのに、
パパとママはおしゃべりしない。

それでもユイルは笑って泣いて、
動き回っていたずらして眠る。




アヤノ・・・

いつも、仲直りのタイミングはなんとなく雰囲気で感じあってきたよね。

ささいなことでケンカして黙ってしまっても、
お互いの我慢の限界がいっしょだった。


僕が花を買ってくると、
あなたは僕の好きな料理でテーブルをいっぱいにしてた。


謝ろうと電話したら、話し中で全然繋がらなくて、
同じ時刻にあなたも僕に電話してた。


後ろから抱きしめて「ごめん」と言うと、
僕の腕に手を置いて、「私こそ・・・ごめん・・・」




アヤノ・・・


でも、今度だけは違う。

あなたの気持ちを思うと僕は・・・

のたうち回りたいほどの情けなさとすまなさで、息が苦しい。




僕が悪かった。

弁解なんかしないよ。

弁解なんかできない。

あまりにもひどいね。



でもね、アヤノ・・・

あなたにそんなふうにされると、
悲しくて苦しくて、
僕はどうにかなってしまいそうだ。



ぜんぶ僕が悪いけど・・・

でも・・・

こんな時間はいつまで続くの?






ーーーーーー




昨日、仕事は午前中で終わった。

このところ、いつも休みがすれ違っている。


当然、ユイルを保育園に迎えに行くのは僕だ。


ちゃんと覚えていたんだ。

なのに、その瞬間、頭から飛んでしまった。

古本屋をハシゴして、目当ての写真集を見つけたその瞬間に。




ネットで探してみつからず、古本屋めぐりも3回目だった。
もうあきらめかけていたところに、
奇跡のように出会ってしまったんだ。


「チカが知ったら、喜ぶだろうな・・・」



“もともと絶対数がすごく少ないんです。
 日本にどれだけあるのかわかんないけど、
 とにかくレアなんです。
 みつかったら奇跡ですね”




芸大に通うチカは、
ボスのところの使いっ走りのアルバイトだ。
もう1年になる。
ボスの姪っ子だ。


たまに訪ねると、ひたすら動き回っている。



「あいつ、よく働くだろ。
『卒業したらこのままうちに来い。』って言ったら、
なんて言ったと思う?

『そこからテヤンさんのところに出向させてもらえるなら・・・』だとさ。
オマエ、手出すなよ。」


「あはは・・・」


「まあ、オマエの場合ありえないか。」


「はい、ありえません。
命より大事な妻と子がいますから。」


「はいはい・・・」





ーーーー





なのに僕は、命より大事な息子の迎えを忘れてメールしていた。




“見つけたぞ!今度見せてあげるから楽しみに。”


“えぇ~~!!マジですかぁ~~(~o~)(@o@)(~o~)(@o@)
今どこですか?
今日は私もオフなんです。
ひと目だけでも見せてもらえませんかぁ~~<(_ _)>”


“実は、チカのうちのそばかもしれない。”


“どこ?!”




カフェの名前を伝えたら、
5分もしないうちにやってきた。

汗だくの笑顔をまぶしいと思った。




チカはカフェのテーブルの水滴を全て乾いたティッシュで拭き取った。

そのあとおしぼりでしつこいほど自分の手を拭いてから、
そっとその写真集を手に取った。


『BLUE PRINTS』
そのままのタイトルだ。
青写真の写真集。

サイアノタイプフォトグラフといって、
アートな写真の一分野として確立している。


・・・Zeva Oulbaum・・・


大好きなフォトグラファーだ。

そして偶然チカがこの名前を挙げたのだ。

その日から僕たちは、会えばこの写真集探しの話ばかりしていた。



チカが椅子ごと移動して僕の隣に来た。

一緒にページをめくるため。




「この人、どうしてこんな青が出せるんだろ・・・」


「光をうまく使えるようになったんだよ、きっと。」


「どんなふうに?・・・」


「言うこと聞いてもらえるようになったんだ。」


「どうやって?・・・」


「仲良くなった・・・」


「どうしたら仲良くなれるの?・・・」


「一日じゅう、太陽の下でぐるぐる右往左往する。」


「テヤンさんはそうやって仲良くなったの?」


「いや、これから仲良くなる予定。」


「じゃあ、まだサイアノは未経験?」


「そう、未経験。チカは?」


「大学で何度もやりました。」


「ウソ?!
感光紙も自分で作ったの?」


「はい。」


「薬品、ちゃんと調合したの?」


「もちろん。」


「すごい・・・・」


「ふふ。」


「これから師匠と呼んでいい?」


「え?・・・」


「サイアノの話するときだけね。」


「ふふ、いいですよ。
じゃあそのときだけ、私、タメ口きいていいですか?」


「OK。」


「ふふ・・・」





カフェを出て、まだ興奮が冷めない2人だった。



「テヤンさんなら太陽と仲良くなれます。」


「そう?・・・」


「はい、名前が名前だけに・・・」


「あはは!!」


「太陽を名に持つ男、テヤン、
弟子にしてあげるから、いつでもいらっしゃい。」


「はい、ありがとうございます。
よろしくお願いします。」




チカはいきなり僕の前に立った。


「手始めに・・・
今日一晩だけ師匠にこれを貸すというのはどうかしら?」


「え?・・・
ダメだよ。いや、ダメです。今日買ったばっかりなんですから。」


「師匠の一生の頼みでも?」


「あはは・・・・」


チカの目線まで降りていった。

「今度ゆっくり、ちゃんと貸してあげるからさ。」


言い聞かせるようにのぞき込むと、
チカの目に一瞬いたずらな色が光った。

素早い動作で僕の手から本を抜き取ってしまった。


「ありがとう!ほんとにいいのぉ~~!?
うれしい~~!」


そう言いながら早足で歩道を先に行く。


「こら待て!」


「たった一晩でいいの。絶対明日返す~~!」


一冊を取り合ってもつれ合う僕たちは、
行き交う人たちにとって、邪魔この上ない。



「いや、ダメだ!
アヤノも、前から楽しみにしてたから、
彼女に見せてからね。」


チカの動きが止まって、
いたずらな表情がスッと引いた。


「そっか・・・
そりゃそうですね。
ごめんなさい。」


「あ・・あぁ。」


あまりにも引き際がよくて驚いてしまった。

さっきまでの執着と元気はどこへ言った?



写真集を取り戻して前に向き直り、
歩きだそうと、チカの背中を押した時・・・





目の前にアヤノがいた。

ユイルを抱いて。

え?・・・なんで?・・・・

わぁっ!!!!!



「わぁ!・・・わぁ~~!!
そうだった・・・

アヤノ・・・あ・・・ごめん・・・

忘れてた。

ユイル・・・ごめん・・・ごめん・・・」



アヤノは黙って近づいた。


「楽しい時間に悪いんだけど、
私、打ち合わせの途中だったの。

ユイルをお願いね。」



アヤノがこんな皮肉を言うなんて・・・



「あ・・・アヤノさん・・・こんにちわ。
私、あの、写真集を見せてくださいって無理矢理テヤンさんに・・・」


アヤノは完全にチカを無視した。


「あなたの携帯、壊れた?」


「あ・・・さっき充電が切れて・・・ごめん、アヤノ。
ほんとにごめん。」





それには答えずに、
さっさと背を向けて、待たせていたタクシーに乗り込んだ。


僕と一度も目を合わさなかった。


ユイルはキャッキャとはしゃぎながら、
僕の頬をつまみ、パンパンと叩いた。



・・・ユイル、もっと強く叩いてくれ・・・




「チカ、僕は信じられないミスをした。」


「そうみたいですね。」


「ほんと、最低だ。」


「そうですね。最低だ。
私が妻なら・・・
ここでぶん殴ってるわ、確実に。」


「そうだな。
そうされてもしょうがない。」


「アヤノさん、
いつから見てたのかな・・・」


「・・・うん・・・」


「すみません。私が調子に乗ってはしゃいじゃったから、
誤解されたかもしれないですね。」


「いや・・・
心配しないで。
チカには関係ないんだ。
ユイルの迎えを忘れた僕の問題だ。

彼女は・・・このことで誤解なんかしない。
僕にそんなこと、あり得ないから・・・」


「・・・・そうですね・・・
あり得ない・・・ありえないですよね・・・・」」


「チカ、ごめんね。
ユイルと帰らなきゃ。」


「はい。今日はありがとうございました。」




いつもより深く腰を折って丁寧にお辞儀するチカを置いて、
僕は急いでタクシーを止めた。

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