Lusieta

 

シャボン玉 Ⅲ 前編

 

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気が滅入っていた。

撮影中にも、集中が途切れるとふと思い出してしまう。



このところのナヨンとのぎくしゃくが、

こんなに自分の心を重くしている。


彼女の存在が、自分の人生のなかでどんなに大きな比重を持っているのかを

あらためて思い知らされた。



     ナヨン・・・・

     今どうしてる?

     何をしてる?

     泣いてないか・・・



     一人で苦しまないでほしい。


     でも・・・

     苦しませてるのは僕だ。





   ・・・・・・・・・




春先、ネット上で噂が流れたのが発端で、

僕の女性関係について、テレビの情報番組で取り上げられた。

「新恋人発覚!」

よくあるガセネタだった。

長くキャラクターとして広告に出ていた会社の令嬢と、

この秋に婚約で、来春結婚だそうだ。

誕生日パーティーでお披露目だとか・・・

日本からも芸能関係者がたくさん来ているらしい。




     「全くのガセネタだからな。」

     「うん、わかってる。」

     「気にしてる?」

     「うふ・・・気にしてほしい?」

     「なんでだ。」

     「やきもち妬いてほしいかなって思って。」

     「ナヨン、なんだか余裕だな。」

     「そうよ。ふふふ・・・余裕よ。」

     「それは・・・・大変よい傾向です。」

     「ふふ・・・」


      
その笑い声をとても愛してる。



     「ナヨン。」

     「はい。」

     「僕には君しか見えないよ。
      君しかいない。」
      
     「知ってる・・・」

 
    

今思えば強がっていたんだろうか。

自分に言い聞かせていたのかもしれない。

ネットの書き込みは見ないでいようと話してはいたけど、

まことしやかに語られるいろいろな話には、ナヨンも心穏やかではなかっただろう。

仕事場で見かける彼女の姿に、なんとなくいつもと違うものを感じはじめていた。

電話だけの毎日がもどかしい。

   
  
     「ナヨン、最近元気ない?」

     「なんで?」

     「いや、そんな気がしただけ。」
  
     「いつもと同じよ。元気よ。」

     「そうか。」

     「ジュンは?」

     「元気じゃない。」

     「え?どうして?」

     「ナヨンに会えない。」

     「んふ。毎日会ってるわ。」

     「君は平気なのか。
      これは、会ってるって言えるの? 

      『おはようございます!』ってみんなといっしょに挨拶して、
      そんな華奢な体で大道具を運ぶ君とすれ違ってもしらんぷりして、
      
      一瞬目があっても、すぐに目をそらしあう。

      絶対誰にも気づかれないように注意を払って・・・

      あのクマ男、じゃなくて君の先輩が、
      なにかと言っては君にちょっかい出して、
      君の髪をひっぱったり肩を抱いたりしても・・・
      ほほえましいって顔して眺めて。
  
      それを見たソファンが『あの二人、あやしいですね』
      って、僕に言っても・・・
      『そうだな』って笑って応えて・・・
      
      それを“会ってる”って言うなら、
      確かに僕らは毎日会ってる。」

     「ジュン・・・」

     「ごめん。言い過ぎた。」


こんなこと、言うつもりなんかなかった。
ナヨンのとまどいが、受話器を通して流れてくるようだ。


     「ナヨン、ちゃんと君に触れて抱きしめて、
      二人だけでいたいよ。」

     「・・・うん・・・」

     「ナヨン?・・・」

     「私も・・・二人だけでいたい。」



君を困らせるつもりはないんだ。
わかってる。今はできないってこと。
でも、なんとなく元気がないそのわけを知りたい。



     「あの櫓さ、もうすぐ取り壊されるってほんと?」

     「うん、8月いっぱいかな。」

     「そうか・・・寂しいな。」

     「うん。」



ナヨンと初めて結ばれたのは、
柔らかいベッドの上なんかじゃなかった。

去年の僕の誕生日、あの櫓の上で鎌のように細い月に見守られながら、
僕らは一つになった。

ごつごつした木肌の感触に耐えながら、ナヨンはきっと必死で僕を受け止めた。



     「1年たったな。」

     「うん。」

     「壊される前に、あそこに行ってみないか。」






  ・・・・・・・・・・





去年何時間もナヨンを待たせたその場所で
今年は僕が君を待っていたかった。


誕生日を祝うパーティーの会場から、
クリスマスの時と同じステーションワゴンを借りた。

ソンファはいいヤツだ。またなにも訊かないでいてくれる。
「ヒョン、いい誕生日を!」

“絶対洗わないでくれ”と頼んでいた車は相変わらずドロドロで、
そっと裏口から抜け出すのにも好都合だった。




待ち合わせより15分早い。

なのに・・・・
ナヨン、もう来ていた。

去年と同じに常夜灯は空に向かって光の扇を作り、

去年と同じに・・・
その光の中をしゃぼんだまが舞っていた。

僕は去年と同じにハシゴを登り、
去年と同じに、しゃぼんだまを吹き続ける背中を抱きしめた。



     「ナヨン、早すぎるよ。」

     「ん?・・・いけなかった?」

     「僕にも演出させてくれよ。」

     「どんな?」

     「まあいいや、しゃぼんだまで始まるのは予定通りだから。」

     「ん?・・・うふふ・・・なに? 絵コンテでも描いてたの?」

     「そう。描いてたの。だから、これを・・・」


大事に持って上がった袋からグラスとワインを取り出した。


     「あ・・・」

     「さっきパーティー会場からくすねてきたんだ。えらいだろ。」

     「すごい・・・」


ほんとはくすねてきたりなんかしていない。
僕はそんなに器用な男じゃない。

何日も前から準備してたんだ。
我ながら呆れるくらい用意周到に。
呆れるくらいドキドキしながら。

空に浮かぶ小島の上で、グラスを合わせた。



     「誕生日おめでとう。」

     「ありがとう。」

     「ここで会えて、すごくうれしい。」

     「僕も。」



少し飲んだだけで赤くなる君だけど、その頬の火照りを確かめるには
あと少し光が足りない。

月明かりは、ただどこまでも白く君の肌を浮かび上がらせるだけだ。



そう・・・

この肩も、胸も、足も・・・・






     「このコート、シーツのかわり?」

     「そう。シーツにしては、なかなか厚手でしょ。」

     「そうね。肌触りが気持ちいいわ。」

     「それはよかった。」

     「ジュン・・・・」

     「ん?」

     「ありがとう。」

     「わざわざお礼を言われるとさ・・・」

     「ん?」

     「いかにもそのつもりで用意してきたみたいじゃないか。」

     「だって・・・そうでしょ。」

     「はい、そうです。」


夏だというのにロングコートを着て櫓に登ったのは、
ナヨンの華奢な背中を傷つけないためだ。


     「ふふ・・・だから、ありがと。」

     「どういたしまして。」


クスクス笑いあいながら、なんどもキスをした。



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