Lusieta

 

シャボン玉 Ⅴ 前編

 

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「ちょっと見てくれない? この子なんだけど・・・」


そんな言葉とともにPCにDVDを挿入したのは、ヒジンssi。
映画を一緒に撮ってから、公私ともに親しくしているプロデューサーだ。


僕は彼女のアンテナをとても信頼している。



     “今作ってみたいなと思ってる映画のイメージはね・・・”



彼女の壮大なプランを聞くのが好きだ。
どうしてこんなにも楽しそうに話せるのだろう。



彼女が語る話を聞いていると、
是非ともその映画を見たくてたまらなくなる。



まだ彼女の頭の中にしかないのに。
一文字として形になっていないのに。

こんなにも心惹かれて、そして演じてみたくなるんだ。



そんなふうに思わせる。
生まれ持ったプロデューサーの資質って、
こんなふうなのかもしれない。



「見てなさいよ。ふふ・・・
ジュンの好みだと思うな。

惚れるなよ~。」



始めは声だけだった。


     “雨です! 雨が降ってきましたぁーー!!”


どこかで聞いたような声・・・


ガタガタと音がしてるのは、
カメラマン自身が、物にぶつかりながら移動してるからだろう。
キャップを取り忘れていて真っ暗な画面。



カメラマンの息づかいが聞こえる。



偶然みつけた被写体を早く撮ろうと焦る感じがリアルで、
こっちもわくわくする。


ここは?・・・


ようやく見えた映像はたぶん、野外ステージかなにか。
観客席にあたる部分が芝生の斜面で、ミキサーやアンプが見える。



初めて見る。
こぶりなステージなのだろう。
芝生部分もこじんまりしている。



ソウル近郊にこんなところがあったっけ・・・・

まだまだ準備の始めの段階で音響のリハだけやっているのかもしれない。



まだカメラは被写体を捕らえていない。


すると・・・
そこにいきなり現れた白い影。



寄りすぎていたんだ。
大急ぎのズームアウト。



「ずいぶん、慌ててるね。」

「えぇ、このDVD持ってきた時、すごく興奮してたわ、彼。」


「・・・!!!・・・」


いきなり焦点が定まって映し出された女性は・・・



ナヨンだった。



これはいったい・・・


     “誰かぁーー!! 雨です!!

      機材が濡れます!”


ナヨンは必死で叫びながら走る。

近くにブルーシートを見つけたようだ。
広げて、まず心臓部のミキサーに掛け始める。


「全体のシルエットがきれいな子でしょ。
でね、走り方も絵になるのよ。


素のままでこんなふうに・・・・
なんていうのかな、私ね、感じるんだ、この子に。

生まれ持った特別なものがあると思うの。」




僕は何も応えずに、
ただ硬直したままディスプレイを見つめるだけだ。


僕が気に入ってる白いワンピース。
よく似合ってるよ。

でも、もう嫌いになりそうだ。

あ・・・
こないだの、あの日?・・・



ナヨン・・・
こんなところで何してる。

こんなぶしつけな視線にさらされてることも知らないで。

ナヨン・・・
バカだな。



誰かを呼ぶことをあきらめたのか、
ナヨンは芝生に点在する機材を見回す。


・・・サンダルを脱いだ。


もう一枚のブルーシートでアンプを覆うと、
10数メートルほど先のもう一台をそこに運ぶ。


「この持ち運び方が安定してるの。びっくりでしょ。
この子、こんなに華奢なのにえらく力持ちだと思ったらね・・・」

「・・・・」


彼女の話はもう聞こえなかった。
僕はただ、目の前を裸足で走り回る恋人を凝視していた。


アンプはあとふたつ。
運ぶには離れすぎている。


もうやめろよ、ナヨン・・・
やめてくれ。

そんなに無防備な姿を、
どうか・・・

僕以外に見せないで。



一瞬佇んだあとにまた走り出した。

自分のバッグをとると、
中を探りながら残るアンプの方へ走った。

そして、折りたたみ傘を差し掛けた。

その赤い傘を、よく知っている。



雨脚が強くなった。


「ここからがすごいの。
しっかり見てて。」

「・・・・・」


4つめのアンプを・・
君はどうしようというの?

もうイヤだ・・・


4つめのアンプ・・・
カメラの正面。

ナヨンがカメラに近づいた。
いや、アンプに・・・


そして・・・

「あっ!!・・・・」


君は・・・

ワンピースの前のボタンをはずし始めた。
裾まで全てはずすと全開になることを、僕は知っている。



やめろー!!



叫びたいのに、声は出ない。
両の拳を握ったまま、ただ全身を硬直させていただけだ。
ここでこんなふうに自制が働いてしまう自分を情けなく思う。


君は、両手をあげてワンピースの前を羽のように広げた。

パールピンクのキャミソールと細い足が露わになったのは一瞬だった。


やがて足を折って跪き、アンプに覆いかぶさった。
まるで親鳥が雛を庇うように。



ナヨン・・・

   君って人は・・・



するといきなりズームインして、
胸の谷間がまっすぐに映し出された。
僕の手にすっぽり収まる控えめなふくらみ。

僕だけの・・・・



「ダメだ!!・・・」

「ん?・・・・」

「こんなこと・・・・」

「いいでしょこの子。
すごくいいと思うの。」


興奮したプロデューサーは、
僕の言葉なんて聞いちゃいない。


「私、鳥肌たっちゃったの。
すでに持ってるものがすごいと思うのよ、この子。
できればジュンの相手役に育てたいと・・・」

「断るよ。」

「え?・・・なに?・・・」


映像はまだ続いていた。


容赦ない大粒の雨が、
かがんだ君の背中に落ちていく。
肩も袖も、薄いワンピースが張り付いて、肌の色を透かしている。

髪の先から雫が落ちて・・・


ふと、映画のワンシーンのようだと、
ほんとに、思ってしまった。



じっと動かないでいた時間はどのくらいだったのだろう。

時々濡れた髪をかき上げた。
まるで我が子を抱くように覆い被さりながら・・・

親鳥が温めるのは、四角くて冷たくて黒い箱。
画面からも伝わるその懸命さが切ない。


数分後、雨の音がなくなった。


キョロキョロ辺りを見回す君。
やがて光が射して、白いワンピースが発光する。

まぶしい。

やっと体を起こす頃、
ガヤガヤと大勢の声がして、一度に騒がしくなった。

このタイミングだって映画みたいだ。


そして・・・
一番にナヨンのところに駆けつけたのは、あのクマ男だ。


     “お前!なにしてんだ!!”


そんな声が聞こえて、大写しのナヨンの体は彼の背中に隠れた。


ズームアウト・・・


彼は自分のジャケットを脱ぎ、
ナヨンがボタンを留め終わるまで、彼女を隠そうとしている。

首を大きくひねって彼女から目を背けながら、


「おーい!
誰か、大きめのタオルだー。」



そのままあのクマ男が、僕のナヨンを叱る。



     “お前・・・派手なことして・・・
      ほら、また人気沸騰だぞ。どうすんだ。”
      
     “先輩、到着が遅いです。”

     “あ、すまん。・・・って、オイ、俺は定時出勤だ!
      今日から主役の二人が交替だから、
      7時から立ち稽古で声だしやってたらしい。
      一段落ついて朝飯喰いに行ったんだろう。”

     “あ・・・今日で交替・・・ますます心配。”
      
     “何が・・・
      っていうかお前、休みだろ、今日。なんでいんだよ。”

     “二幕からのベランダのセット、気になったんです。

      おとといから急に立ち台がうまく填らなくなったみたいで
      組み立てに時間かかったそうなんです。

      昨日凸のほうをカンナで削って調整したんですけど、
      もしかしたら削らないほうがよかったんじゃないでしょうか。
      もっと違うことが原因だったかも。

      立て付け全体の歪みを点検するべきでした。
      削った部分、危険かもしれません。

      そうなったらすぐ補正しなおさないと。
      すみません。私の判断、甘かったかもしれません。”



たくさんのボタンを一つ一つとめながら、
ナヨンは、早口で話す。

厳しさを含んでいるが、
心から信頼する仲間へのフランクな仕事口調でもあって、
僕は複雑だ。


ナヨン・・・

僕にこんな姿を見せないでくれ。

僕が知らない君。
まるで、ここが君のほんとの居場所だとでも言うように。


君が僕のもとへ来るということは、
この場所を捨てるということ?

『あなたと生きる』
君はそう言うけれど・・・



     “そうか。
      今からすぐに確認する。
      お前はもう帰れ。”

     “え?・・・なんでですか?
      もちろん私が行きます。
      私のミスかもしれません。
      私が確認します。”

     “お前、今日デートだろ。”

     “えっ?!”

     “早く行け。”

     “俺が知らないとでも思ってるのか”

     “えぇ?!”

     “誰だか知らんが、今度紹介しろ。
      俺がちゃんとチェックしてやる。”

     “あ・・・”
      
     “だから、早く行け!”

     “行きません。”

     “彼氏がイライラして待ってるぞ。
      遅れたら怒るんじゃないのか?”

     “彼は怒ったりしません。”

     “ほぅほぅ。ごちそうさま。”

     “あ・・・すみません。”

     “謝るな。バカヤロウ。”

     “とにかく私が点検します。”

     “お前、今日を逃したらまた当分休みがないぞ。
      いいから行け。
      それとも、俺の技術と判断を信用しないとでも?”

     “そういうことじゃなくて、私の責任・・・”

     “うるせぇ!!
      それ以上言うと、ここで今すぐキスするぞ。
      いいのか?!”

     “・・・・・”

     “早く行け。”

     “はい・・・・
      ありがとうございます。
      じゃあ、よろしくお願いします。”



そこからずっと、
カメラはナヨンが見えなくなるまで彼女を追っていた。


いろいろな人に声をかけられ、礼を言われ、
ハグと握手攻めに合いながら、
だんだんに遠ざかっていった。

映画ならスローモーションになっただろう。

最後に名前を呼ばれて振り返った笑顔がUPになり、
そのまま画面がとまった。
ディスプレイはナヨンの笑顔でいっぱいだ。


このあと君は、ずぶ濡れのままタクシーでたどり着く。
僕の部屋へ。


シャワーを浴びる時間さえ待ちきれずに、
熱い飛沫に打たれながら君を抱いた。


崩れ落ちそうな瞬間を、
僕にしがみついて耐えた君の、
のけぞる首筋を思い出す。


苦しい・・・




   ーーーーーーーー





興奮気味のヒジンssiが熱く語る。
呆然としたままの僕を置いてきぼりにして




「ねぇ、ほらね。
あの先輩とやらの最後のやりとりだって、映画のセリフみたいでしょ。

こんなシーンを偶然撮られちゃうなんて、
この子、もう運命としか言いようがないでしょ。」


「・・・・そうかな・・・」


「こういう子っているのよ。
きっと10年に一人くらいしか出会えないわ。

神に選ばれちゃったキレイさっていうか、
悲しいくらいにどこまでもキレイな子っているでしょ。

魂までキレイ・・・みたいな・・・・
そんな感じが滲み出てると思わない?」


「そうかな・・・」


「きっと運命なのよ。
選ばれた子なのよ。

あぁ~ファイトが湧く~~!

ジュン、私、この子絶対落としてみせるわよ。
こないだ話した映画のイメージにぴったりなの。
どうしてもこの子、欲しいの。」


「・・・・」


「・・・ねぇ、聞いてる?
ジュン・・・」


「ヌナ・・・」


「ん?」


「この子はなんて言ったの?」


「なんてって・・・
そりゃ・・・」


「なんて?」


「んふ・・・
絶対やらないってさ。
ふふ・・・でもね、私も、絶対自信あるの。」


「会ったの?」


「会ったらね、ますます気に入ったの。
もうね、すごかった。

びっくりした顔したんだけどね、最後までちゃんと見て・・・
見てる横顔がまた美しくてさ。

終わった時にはすごく冷静だったの。
んで、感想を聞かせてって言ったんだけど、

『特にありません。
私は演技をする側に回るつもりはありませんから。
この映像は、すぐに消去してくださるよう、お願いします。』

って、そう言ったわ。」


     そうなんだ。
     ナヨンはそう言うよ。


「その一部始終を撮っておきたかったって思ったわ。
あまりにもよかった。

凛としていて、全然ひるまない。
ちょっと怖いくらい。

思ったとおり、内面は骨太な子よ。
根性あるわ。

大道具の仕事ぶりもなかなかのものらしいし。」



     あぁ、そうだよ。
     僕のナヨンは、そうなんだ。



「すぐに消去してくれって言われたんだろ。
なんで消さないの?」


「そんなことするわけないじゃない。
これは、あの子がスターになってから公開するお宝映像よ。」


     ヒジンssi、初めてあなたに苛ついた。。



「やらないって言ったんだろ。」


「やるわよ、あの子。」


「やらないだろ。」


「ジュンが誘ってくれたら、きっとその気になるわ。」


「・・・・・」


「ジュン、あなたも感じるでしょ。
この子のすごさを。
もうすでに今、
プロデューサーの目で彼女のこと見てるはずよ、あなたは。」


「ヌナ。」


「ん?・・・」


「帰る。」


「え?・・・」


「この子とは共演しない。」


「え?・・・え?・・・なんで?・・・
イメージわかない?」


「そう。まったく。」


「うそ・・・」




そう・・・

まったく・・・

イメージなんて湧かない。


彼女は共演者なんかじゃない。

もっと違う・・・
もっと大事な・・・



ナヨン、

すごく疲れたよ。



今どこにいる・・・



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