Lusieta

 

シャボン玉 最終章 前編

 

shabon_title.jpg



「コーヒー淹れよう」


どうしようもなく澱んでしまった空気をかき混ぜたくて
普段より大きな動作でソファから立ち上がった。


ナヨン・・・・

君とこんな空気を共有する日が来るなんて、

想像もしなかった。


ナヨン・・・

    ナヨン・・・

        ナヨン・・・・


君は今なにを考えてるの?
こんなに近くにいるのにな。
あんなに二人はひとつだと思えたのに。


君に背を向けたまま、
ポトポト落ちるコーヒーの雫を眺めている。

こんな気持ちで淹れたコーヒーは、
今日までで一番マズいはずだ。


二つのマグに入れ終わったところで、
いきなり背中に君を感じた。

僕の腰にそっと腕を回して、
ためらいがちに触れたのは、君の頬だな。

大きく腕を回して、胸に抱き取った。



「ごめん・・・」

「・・・・」

「ごめん・・・困らせるつもりはないんだ。」

「・・・ジュン・・・・」


何を言えばいいかわからなかった。
たった今、僕を遠ざけた君に
何も言う言葉なんかない。


いや・・・
遠ざけたんじゃないな。
ただ「今は無理だ」と・・・
君はそう言っただけだ。

それだけだ。

それを、遠ざけられたと思うのは、僕の勝手な解釈だ。

世界の終わりのようにその言葉を聞いてしまうのは、
今の僕のコンディションのせいだ、きっと。


ナヨン・・・


僕はね、背負う荷物の重さに、
時々押しつぶされそうな気持ちになる。

ちょっとの間、荷物を下ろして休憩しろって人が言う。
でも、それがどんなことなのかわからない。

どうやって下ろすの?

一旦下ろしてしまったら、
今度また背負いなおすのが
死にたいくらいに億劫になるかもしれないじゃないか。

それが怖くて休憩できない。

そんな時、僕の人生に君がいてくれることが、
どんなに僕を励ますか、どんなに僕を救ってくれるか。
きっと君が想像している100倍くらいだ。


なのに・・・

君は、“まだ”なんだね。
「ジュンと一緒に生きていくの」そう言ったよな、ナヨン。

なんの躊躇もなくそう言う君がまぶしかった。

女優の話をきっぱりと断ったあとに、
「でもジュンには観てほしかった」と言って笑った君の正直さも、

仕事に没頭して今日が何日かも忘れてしまう一途さも、

そして・・・
オズオズと触れる僕を自分から迎え入れたあの日の大胆さも、

みんな愛してる。

ナヨン・・・
君を愛してる。

狂いそうなくらいに愛してる。

愛してる。
愛してる。
愛してる・・・

    ナヨン・・・


「ジュン・・・」

「ん・・・」

「私の“今はまだ”は、
あなたにとっては、永遠という意味なの?
待っては・・・くれないの?」

「・・・・」

「今じゃなきゃ・・・ダメなの?」


そうだ・・・
なんで僕は今じゃなきゃダメなんだろう。

ナヨン・・・
なんでだろう。

今すぐなんだ。

「待てない」と言ったら、
君はもう僕のそばにはいてくれない?



「ナヨン、僕はきっと、いろいろあってすごく疲れてる。
そして、わがままになってる。
君がここにいると、
もっともっととんでもなくわがままになりそうだ。

しばらく・・・
離れて考えようか。」


そんなこと、できるのか?


「え?・・・」

ナヨンが顔を上げて、僕の顔をみつめた。


「いっしょにいると、僕はナヨンに甘えてしまって、
どんどんわがままになってしまいそうだ。
ナヨンに・・・
ひどいこと言いそうだ。」


そうなんだ。
君が大切にしてるものを壊してしまいそうで怖い。


「しばらくってどのくらい?」


「今日は少し休むよ。
調べ物もある。
君を送っていけなくてごめん。」


「しばらくって・・・どのくらい?」


「・・・・」


今にも泣きそうな顔が見上げてる。


「私が、あんなふうに返事したから?」


「いや・・・・」


「Yes以外の答えだったから?」


「・・・・」


「素直にYesだけ言う私だったらよかった?」


「違う・・・」


「あなたにYesと言えない私はもう・・・
あなたと一緒にいられないの?」


「違うって言ってるだろ!!」


「・・・・ジュ・・・」


ハッとして僕をみつめる顔に
かすかな怯えが見える。


「ごめん・・・」


「・・・・・」


ナヨン・・・
怖がらないで。
僕を、そんな悲しそうな目で見ないで。



「だから言ってるんだ。
僕は今とても疲れてるし混乱してる。
このままふたりでいると、君を・・」


「うん、わかった・・・
じゃあ・・・帰るね。」


え?・・・


急にあっさり答えた。
僕から目をそらして・・・



「ナヨン・・・」


「ゆっくり・・・
休んで。」


僕を見ない。


「うん・・・」


「あったかくして・・・」


「わかった。」


「・・・ジュン・・・」


やっと君が僕を見たのに・・・


「じゃあな。」


そう言ってしまったんだ、僕は。


「・・・・ん、じゃあ・・・」


なにか言おうとした君が、目をふせた。
そして、部屋のすみのいつもの場所に置かれたバッグをとった。

それはほんの1時間前に
二人で飾り付けたクリスマスツリーの下だった。


ナヨンが部屋を出て行く。
振り向かずに。


僕は動かなかった。
キッチンのシンクにもたれたまま、窓の外を見ていた。


やっと合わせたふたりの休日だった。
まだこんなに日が高いのに、

もう・・・
ひとりになった。



マグのコーヒーはとっくに冷めて、
行き場をなくしたまま、
ふたつ、並んでいた。



ナヨンのセンスで美しく飾られたクリスマスツリーが、
自慢げに電飾をまたたかせていた。




ーーーーーーーー





眠れなかった。


僕は今夜、なんでこんなふうにひとりでいるんだろう。


二人の休みが重なる今日を、
僕たちはどんなに待っていたか。

あれをしようこれをしようと、夜中の電話で話し合った毎日。
ナヨン・・・
君は、まるでどこかに旅行にでも行くみたいにはしゃいでいたね。

どこにも行けないで、
じっとこの部屋に隠れて過ごすだけなのに。


そんな大事な時間を・・・
めちゃくちゃにしたのは僕だ。



ナヨン・・・

それでも僕は、待ってるんだ。
君がこのまま帰ってこないはずがないって。

待ってるんだ。

おかしいよね。
君を帰してしまったのは僕なのに。




日付が変わった。

さっき君がいて微笑んでると思った場所に、
誰もいないから・・・

夢だったんだな。

ということは・・・
少しは眠ったみたいだ。


もう一度眠ったら、
また君に会える?

そこで微笑む君に・・・



 ←読んだらクリックしてください。

このページのトップへ