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再生-イタリア紀行 with J #7 <3日目/チンクエテッレ~ポルトフィーノ①>

 

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Rai5の天気予報では、今日もジェノバ周辺は晴れ、
気温は最高が24℃、最低が16℃、いつもよりすこし高めだ。
今朝、ケイは朝食ルームで誰とも顔を合わせていなかった。
ハルエとリエはのんびりと美術館めぐりをすると言っていたから、まだ降りてきていないのだろう。

ロビーでのジェイとの待ち合わせは9時、サンタ・マルゲリータまで急行列車で30分、
そこから船でポルトフィーノへは15分ほどで着くはずだ。
午前中は散歩して昼食をゆっくり取っても、午後早い時間には帰って来られる。
今夜がジェノバ最後の夜だから、あまり遅くならないうちに戻りたかった。

エレベーターの扉が開いて、ジェイが降り立った。
すぐにケイを見つけると明るい微笑みを送ってくる。

『ケイさん、おはようございます。』
おはようジェイ、よく眠れた?』
『もちろんです。
夕べの食事もワインも美味しかったから、あのあとは満ち足りた気分でぐっすりと眠れました。』
『ほんとうに美味しかったわね。リエちゃんも元気になってよかったわ。
今朝もジムで彼女に会った?』

『ええ、元気そうでした。
そういえば、ボンディべルトなんとかと言われたけれど、どんな意味なんですか?』
『Buon Divertimento(ブォン ディヴェルティメント)、楽しんでね、って意味よ。』
『楽しんでね、いい言葉ですね。』

今日のジェイは白のコットンパンツにチャコールグレーのラフなジャケット、インナーは黒のポロシャツだった。
ケイは光沢のある深いエメラルドグリーンのカジュアルなロングスカートに、白のカットソー、そして夕方の冷たい風に備えて、生成りベージュのやわらかいジャケットを羽織っていた。

『スカートの色、きれいですね。ケイさん緑もよく似合います。』
『ありがとうジェイ、あなた必ず何か褒めてくれるのね。』
『だって、ケイさん、いつもすごく素敵だから。』
『あなたもよ。』
『本当ですか?僕心配してました。僕はケイさんの隣にいるのに相応しい男だろうかって。』
『ジェイってもっと自信家だと思ってたけど?』
『ええ、ケイさんに会うまではね。』

そう?と言ってケイはジェイの腕に自分の腕をからめた。
今日はなぜか自然にそんなしぐさが出来る。
『行きましょう。タクシーがそろそろ来るころよ。』

『駅に。』
ケイがドライバーに告げると、ジェイがすかさず言い直した。
『港に。』
『ジェイ、あなた…』
『大丈夫です、ぼくに任せて下さい。
水上タクシーの乗り場まで行って下さい。』
『あなたチャーターしたの?』
『ええ、今日一日。僕ケイさんをまた驚かせることができましたか?』
『でも・・・』

『前の仕事で少しまとまったお金が入ったんです。心配しないで。
情報は夕べロビーのPCで探しました。
ケイさんに、お礼をしたかった。
すっかりガイドをさせてしまっているから。受け取って下さい。』

『わかったわ、ありがとうジェイ…。
あなた仕事でこんなこともするの?
ずいぶん手馴れているのね。』

『先輩がいろいろやるのを手伝ったりします。
といってもいつもはチーム作業で、一度自分一人だけでやってみたかったんです。』

水上タクシーならあっという間にポルトフィーノに着いてしまう。
『ジェイ、せっかくだからチンクエテッレを少し見ない?』
『チンクエテッレ?』
『ええ、五つの地って意味なの。険しい海岸線沿いにある五つの村のこと。
昔は船でしか行き来できない陸の孤島だったのよ。ユネスコの世界遺産に登録されているわ。』

まずはチンクエテッレ一の賑わいを見せるヴェルナッツァに降りる。
ごつごつした岩場の隙間にほんの少しだけ顔を覗かせた平らな岩、それが桟橋だった。
まずジェイが降り、差し伸べられた彼の両腕に抱き取られるようにしてケイも飛び降りた。

バールや土産物屋が並ぶメインストリートから左右にいくつもの急な石段が延びている。
そのひとつを11世紀につくられたドリア城まで登る。
城と言っても今残っているのは見張り台のような塔だけだが、
狭い螺旋階段を登りつめた最上階からは素晴しいパノラマを望むことができる。
穏やかな海だった。
眼下には、岩にへばりつくようにして建てられたカラフルな建物が重なっていた。

その後はマナローラまで水上タクシーで行き、
次の町リオマッジョーレまでは切りたった海岸線に沿った散歩道をたどることにする。

『素敵な散歩道ですね。』
『なんて名前の道か知ってる?』
『Via dell‘Amore(ヴィア・デッラモーレ)』

『知ってるの?』
『いえ、さっきそう標識が出てたから。でもなんて意味なんですか?』

『“愛の道”よ。』
『ああ、そんな気がしました。
静かな海、緑の山、生い茂る植物…でもこの道、どこまで行くんですか。
この道の果てには何があるんですか?』
『果て? さあ、行って見なければわからないわ。
もしかしたらぐるりと地球を一周して、またここに戻ってくるのかもしれない。』

ジェイが写真を撮り出した。
岩にへばりつくように茂る植物ばかりを撮っていたと思ったら、振り返って今歩いてきた道を撮る。
ふいにカメラを海を眺めるケイに向けてシャッターを切った。

あわててケイは言った。
『ジェイ、あの植物はどう?』

ケイはのこぎりのような棘をつけ、白っぽい緑色をした、幅広の剣の形をした葉を指差した。
一株の直径が数メートルもあり、地面から放射状にとがった剣先をつきだしたような葉も、長いものでは2メートルくらいありそうだ。

『あれは?』
『リュウゼツラン。わたしの好きな植物よ。
シチリアにはたくさんあるけれど、イタリア中北部にはたぶんこの海岸にしかないと思う。
『ということはこの花も、海を越えて流れ着いたのかな。』
『たぶんね。見て、珍しく花をつけている。』

『あの空高くのびているのが花なんですか?』
『ええ、枝分かれした先端のデッキブラシみたいなのが花よ。もう枯れかかっているけれど。
花をつけている株の葉が他のリュウゼツランと少し違うのが、あなたわかるかしら?』
しばらく、ジェイはその花と葉を見つめていた。

『あの葉は死にかけている。』
『そうよ。リュウゼツランは30年から50年に一度だけ、花を咲かせるの。
でも花が咲いたら、その株はあとは死を待つだけ。
あのするどいかたち、身を守るためのとげ、すべては花をさかせるためなのよ。』

『どんな花なんですか?』
『ちいさな花の房が集まって、ひとつのブラシみたいになっているの。
夜、緑がかった黄色の蕾が開くと、何本もの細い舌のような花びらが伸びて、
その真ん中、ひときわ高い雌しべから、透明な蜜が溢れ出て、茎を伝っていく、強い芳香を放ちながら…。
やがて花は実を結び、地面に倒れる…。』

美しい花は死の前触れ…

死を前に何故あれほど誇らかに、高らかに、花は咲くのだろうか。
ケイのこころがさまよい出て行く…
まるで海に身を投げるように。
ケイの問いに対する答えが、海の底に見つかるかのように。

ジェイが、後ろからケイを抱きすくめる。
彼の肌のぬくもりを、うなじにかかる彼の息ずかいを、ケイは感じた。

ジェイ、私を行かせないで。もっと強く、あなたを、私に感じさせて。

あなたが誰でもいい、名前なんてどうでもいい。
もっと確かなものを、言葉になんか決して置き換えられないものを、ジェイ、私にちょうだい…。

ジェイに強く抱きしめらたまま目を閉じると、海を渡る風の音が聞こえた。
そして、空中を、弧を描いて抱き合ったまま海に向かって落ちていく、自分たちの姿が浮かんだ。

  ***

リオマッジョーレに着き、港に面したレストランの、戸外に設けられたテーブルで昼食を取る。
明日からは海を離れるから最後にもう一度、と言ってケイはムール貝を頼んだ。
英語やドイツ語が飛び交うレストランで、海風に吹かれながら冷たい白ワインを重ねる。

『ジェイ、いっしょに連れて行ってほしいって、言ったわね。今、連れて行ってあげる。
私たち、この街でいっしょに育った幼馴染だった。
でも学校に通うためにここを離れなければならなかったの。私はジェノバに、あなたはミラノに。
そしてそこで仕事を得て、お互いのことなんか忘れていた。
この夏、久しぶりの休暇で戻って、たまたまなんの予定もない朝に出会って、こうしてお昼を食べているの。

あいつ、どうしたかな?知ってる?もう子供ができたって。隣村のクラウディアと結婚したんだっけ?
ええ、あの人たち、腐れ縁よね。そういえば、あなたまだエレナと付き合っているの?
いや、彼女ミラノで金持ち男と結婚したよ。それはそうと、ファビオは元気?
知らないわ。あのあと世界を見たいって旅立って、それっきりよ。』

『そして僕は言う、俺の初恋の人、だれだか知ってる?』
『ええ、知ってるわ、私でしょ?』
『知っていてどうしてあんなに冷たかったの?』
『私もあなたに恋をしていたから。』

『恋をしていた…、過去のことなのか?』
『ええそうよ、私、もうあの頃の私じゃない。
ねえあなた、そんなことより私たちこれから、ベッドにいきましょうか?』

『ベッドに?』
とまどいがジェイの顔に浮かんだ。
このセリフは架空の女のセリフなのか、それともケイから発せられた何らかのメッセージなのか。

彼の逡巡を楽しみながらケイは続けた。
『そのへんにたくさんあるB&Bでもいいし、ホテルを探してくれてもいいわ。』
『もう恋してもいないのに?』
それは架空の男とジェイが見事に一致した、ひとつの人格としての問いだった。

『まあ、だからじゃないの。
余分なものがなくていいと思わない?ただ楽しみのためにベッドインするのは素敵だと思うわ。
あなた昔よりずっとセクシーよ。』

『ケイさん…』
ジェイがケイの真意を測りかねて言いよどんだ。

『ジェイ、優等生のあなたには考えられない展開かしら?
未来の監督としてはこのさきはどうする?そして結末はどうなるの?』

『確かにまるで映画みたいな展開ですね。』そういってジェイは笑った。
『僕は優等生ですか?』
『そう見えるわ。酔った女は襲わないし。』
『襲って欲しかった?』
『ええ。』

ジェイの澄んだ瞳がまっすぐにケイを見つめた。
その視線をうけとめたままケイは答える。
『今のは架空の女のセリフよ。』

『ケイさん、僕を混乱させて楽しんでるんですか?』
『いいえ、答えを探しているの。あなたなら答えてくれるかもしれない、そんな気がして。
さあ、架空の男はそのあとなんと言うの?』

『喜んで。うれしいな。あの頃、毎晩夢で君を抱いていたんだ。』
『あら、私もうれしいわ。つまらない冗談につきあってくれて。』

ほんの数秒、ジェイが目を閉じた。

『君は変った。』
『言ったでしょう。あの頃の私はもういないって。』
『いっそう複雑で、魅力的になった。
俺は今盛りのついた犬みたいな気分だ。すぐにでも君が欲しいよ。』
『あなた、言葉だけで私をいかせることができそうね。それなら寝るまでもないわ。』

『俺たち始めようとしているのか…』
『さあ、どうかしら。終わらせようとしてるのかもしれない。』

結局結末まで話は進まなかった。
途中で道に迷ったようになって、二人は話をやめたのだった。

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