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ある晴れた日に、永遠が見える… エピローグ2

 

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<エピローグ②>






案内されたのは大きなダブルベッドが自慢の部屋。
というのもベッド以外に何も置けないほど部屋が狭いのだ。
バスルームには便器とビデが並び、シャワーは廊下の突き当たりの二つの共同のブースを使う。

窓のたてつけが悪く、よろい戸も半分壊れかけていてまともに閉まらない。
エアコンはかろうじて動くことを確認する。
ジャヌはあまりの部屋のひどさに、なんと言っていいのかわからないらしい。
だまってベッドに腰をおろすと、ぼんやりと窓の外を見つめている。

「どう、驚いたでしょう?」 してやったりと、私はジャヌに声をかける。
「ああ。きっと一生忘れられない夜になるだろうな。」
「狙い通りだわ。」
「これが君の好みとは…」
「王女は全てを捨ててきたのよ。
塔の上の素晴らしい部屋も窓からの眺めも、豪華なバスルームも、庭のプールや石のテラスも…」
ジャヌの顔に愉快そうな表情が浮かんだ。

「ここだって贅沢すぎるくらいだわ。
もしかしたら今夜のベッドは、追手に追われて逃げ込んだ、
森の奥のきこり小屋の固い木の床だったかもしれないでしょ。」
「確かに… もしかしたら狭い車の中の、けっして平らにならないシートだったかもしれないし…」
ジャヌの答えに私は満足し、夕食に誘う。

湖のほとりにあるレストランまで歩く。
このあたりでは唯一のレストランなので他に選択の余地はない。
オペラ上演のため、今夜はビュッフェ形式のセルフサービスとなっていた。




ここでのご馳走は、暮れなずむ湖の景色だけだ。
以前食べたアラカルトもひどかったが、作り置きのビュッフェとなるとさらにひどい。

「ごめんね… せっかくの夜なのに。」 私は謝った。これだけは申し訳ないと思ったのだ。
「そんなことないよ。ありがたいよ。
もしかしたら僕たちは、食べ物もなくきこり小屋でひもじい思いをしていたかもしれない。
あるいは僕が湖で釣った魚を、君は慣れない手つきで調理して、黒焦げにしてしまって…」
「ちょっと待って…」 私はジャヌの言葉をさえぎった。

「黒こげってなによ。あなた、そもそもそんなに簡単に魚なんて釣れるもんですか…」




ジャヌは器用な手つきでメロンに生ハムを巻きつけると、腕を伸ばしフォークを私の口元に運ぶ。
私の背中の傷のためか、ただでさえレストランの客の注目を浴びているというのに、
ジャヌは平然と生ハムで私の唇の端に触れる。
仕方なく口を開くと、舌の上に生ハムとメロンだけを残して、すっとフォークがはずされた…

生ハムのとろける塩味に、みずみずしいメロンが甘くからみつく。
まるで初めて与えられた、名も知らぬ美味な食べ物のようだ。
私は信じられない思いでそれを咀嚼し飲み下す。
「だから釣りなんか…」
またフォークが伸びてくる。なにかしゃべろうと口を開くと、次々に食べ物を与えられる。

「じゃこうしよう。君が魚を釣り、僕が調理する… 君は釣りが得意?」
野菜と川マスのグリルを手早く切り分けながら、ジャヌが言う。
私はさっき口に放り込まれた茹ですぎたペンネを、最高に美味しいとほおばりながら、首を横に振る。
「そうか… しょうがない… じゃ一緒に釣りをして、一緒に調理しよう。」


   ***


茹ですぎたトマトソースのペンネを、うっとりとした表情で、カナは飲み込んでいく。
最初は戸惑っていたくせに、今では餌を与えられる雛のように、フォークを近づけると自分から口をひらく。
魚と付け合せの野菜も、デザートのティラミスも、全てを僕はカナに食べさせる。
そして、カナの背中の傷と、儀式のように繰り広げられる僕たちの食事風景に寄せられる、
客たちの好奇の視線を味わう。

オペラがもうすぐ始まるのだろう、客は次第に引けていき、最後に僕たちだけが残された。
僕は身を乗り出して、口に含んだ冷えたシャンパンをカナに飲ませる。
シャンパンの味に、かすかにエスタテの桃の香りを感じて、
それを確かめるように僕はカナの舌を吸い上げた。

よろける足取りのカナを、抱きかかえるようにしてレストランを出る。
ふと野外劇場の入り口に目をやると、会場に入っていく人の群れに、
路上で道を尋ねてきた婦人が、初老の紳士を乗せた車椅子を押しているのに気づいた。
だが僕たちは野外劇場と湖に背を向け、ホテルへの道をたどる。

夜のホテルのホールはなまめかしく、淫らな闇をまとっていた。
客はオペラのために出払っているのだろう、キーボックスは全てキーで埋まっている。
ホールから部屋まで続く市松模様の通路を、時間をかけて、僕たちは歩く。

部屋に入るなり僕はカナのドレスを脱がせようとした。
カナは首を振る。
「ジャヌ、あなたが脱ぐのよ!」

僕はゆっくりとシャツのボタンをはずす。
カナの瞳が欲望に潤んでいくのを見つめながら…

裸になるとカナはいきなり跪き、僕のくるぶしに唇を寄せた。



僕は身をかがめて、カナのドレスの首の後ろの結び目をほどく。
ドレスが床に滑り落ちるのすらもどかしく、僕はカナを抱き起こし唇をふさぐ。
部屋の狭さゆえいっそう巨大に見える、輝くベッドにカナをうつぶせに横たえ、
背中の、脈打つ、僕の『空間概念』にそっと唇を寄せる。

そのままカナのなかに、熱く漲る僕自身を埋め込んでいく。
深く、溶け出した欠落の底まで。

オーケストラの音が澄んだ空の下を流れ、窓の隙間にたどりつく。
やがてかすかに、互いを貪りあう僕たちの耳に、美しいアリアのフレーズが届く。






ある晴れた日に 海の彼方に 煙がひとすじ見え…






僕の上に跨り、乱れた髪を揺らし、のけぞる白い胸を震わせたあと、
カナは僕にしがみつくと、喉から甘い声をもらし… 僕たちは同時に果てた。

緩やかにうねる快楽の波に浸りながら、
ひとすじの煙は、またの名を永遠と言うのだと僕は思う。
誰もが海の彼方に見ることができるが、手に入れることは容易ではない。
僕は腕の中にたゆたう永遠を、そっと抱きしめる…




         FINE


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