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声 <vol.2>

 

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新しい派遣会社に登録した日の夜、思い切ってドンファに電話をした。
彼は就職を喜んでくれ、
『お祝いしよう』 と私を誘った。

だが約束の時間にドンファは現れず、待ち続ける自分が憐れに思えてきた頃、
後ろから、あの声が低く響いた。
『ごめん、もう帰ったかと思った』 

だがドンファの声は、心もち以前と違っていた。
言葉はしっかりと意味を持ち、声だけにはならず、
酒と一緒に私の血の中にも入ってこない。

『無理させちゃった?』 
私はドンファが打合せやプレゼンや撮影を、
殺人的なスケジュールでこなしているのを知っていたので、
もしそうなら申し訳ないと思った。

ドンファは黙って首を横に振り、
一気にブランデーを飲み干すと私の手を握り、しばらく弄んだあと、
ようやく口を開いた。
『これからどうする?今夜は遅いし… 送っていこうか』
その声は即物的で、私を溶かしたドンファとは別人のもののようだ。

声の中に、私に対する欲望をさがす…
『ううん、まだ帰りたくない。もしあなたがよければ…』 自信なく私は答える。

今夜は隣の女子学生のところに恋人がやってくる。
ドンファと抱き合っていてもいなくても、私たちがしらけた気持ちになるのは間違いない。
それだけはごめんだった。

私たちはタクシーにも乗らず、
酔っ払いや客引きが群れる繁華街のネオンの下を歩いた。
ドンファはあまりしゃべらず、ずんずん暗い通りに分け入って行き、
やがて一軒のラブホテルの前で足を止めた。

『ここでいい?』
この前ドンファが口にしたホテルもさほど遠くはないのにと、
少し不思議な気がする。
場末の、いかがわしい雰囲気を漂わせたラブホテルとドンファは、
あまりに似つかわしくなかった。

けれども少し投げやりな彼の様子に、私はうなずくしかない。
ロッカールームの雀たちのさえずりが頭をよぎる・・・
二度目はお義理…

互いに顔が見えないようにブラインドが下ろされた窓口で、
ひしゃげた声の女が言った。
『おにいさん、もう特別室しかないけど…』
振り向いたドンファに、もう一度私はうなずく。

特別室は、それまで私が知っていたラブホテルのどの部屋とも違っていた。
入るとすぐ、オレンジ色のビニールレザーが張られた、
昔の歯医者の椅子のようなものがあった。
色々なボタンやレバーがついている。

椅子から目をそらしたい… だが出来なかった。
肘掛と足の部分には革ベルトがついていて、
これが拘束具だと、一目でわかった。
私を縛り付けたまま椅子は、どのボタンで後ろに倒れるのだろう。
台に留められた足は、どこまで大きく開かれるのだろう。

『怖がらせた?』 椅子を凝視する私を見て、ドンファが言った。
声が以前のように深く柔らかくなっていることに安堵し、
精一杯の笑顔を彼に向ける。

一人で部屋に取り残されるのがいやで、
せがんで一緒にシャワーを浴びた。

ひと足先に出たドンファが、
腰にタオルを巻きつけただけの姿でベッドに横たわり、天井を見上げている。
私が近づくと身を起こした。


手にラインストーンをちりばめた手錠を持っている。
『ごらん、よく出来てる』
そう言うとドンファは自分の手に手錠を嵌めた。

椅子は恐ろしかったが、手錠はそれほどでもなかった。
七色に輝く、きれいな玩具にすぎない。

手錠を嵌めたまま、ドンファがベッドを滑り降り、床に跪き、頭を垂れた。
『僕は、どうすればいい?』

指を伸ばしてなめらかなドンファの顎に触れ、顔を上に向かせる。
その瞳が私を欲しがって潤んでいるのを確かめ、
跪いたままの彼に覆いかぶさり、唇を奪う。

ひとしきり唇を貪ると、私は片足を彼に向けて差し出した。
彼の舌はたんねんに指をなぞり、ふくらはぎから腿の内側を這い登ってくる。
足の付け根へと、舌は快楽を押し上げる。

やがてたどり着いたところで舌は転がりはじめ…
…思わす私は声を飲みこむ… 
その一点だけに集中的に浴びせられる愛撫に、けれどもう…
もう押さえようもなく、
熱く熱せられた声が、あふれ出てしまう…

その中に彼の指が欲しくて、手錠の鍵を探す。だが鍵はどこにもない。
途方に暮れていると、ドンファが笑った。
『鍵は、ないんだ…』 
驚いて私はサイドテーブルの電話を見る。
フロントに鍵を開けてくれと頼まなければならないのか。

愉快そうにドンファがまた笑った。
『こうするんだ』
手錠でつながれた手首をカチリと打ち合わせると、
ばねが外れる音がして、閉ざされていた輪が開いた。

その手錠を、ドンファは私に嵌めた。
裸の体の前で両手が繋げられると、不思議な気持ちになった。
まるでドンファの意のままになる女奴隷になったような、
自分では身動き一つ出来ない、人形になってしまったような…

試しに跪いて、彼の足先に口づけてみる。
だがドンファは私を抱き起こし、ベッドに座らせて言った。
『同じことをしても面白くない』

確かにその通りだと思ったので、
私はドンファがやったように手首を合わせた。
とても簡単に、手錠は外れた。
もう一度、私は自分で手錠を嵌めてみる。何度かはずしたり、嵌めたりする。

ドンファはしばらくして、
手錠を嵌めた私の両手を体の上に持ちあげるとそのままベッドに倒し、
少しヘッドボードのほうに引き上げた。
そして手錠を、ヘッドボードに付けられた金具に繋いだ。
私は両手を頭上にあげたまま自由を奪われて、裸身を彼の前に曝した。

『どんな気分?』
『少し怖い』
『少しだけ?』 本当は怖くなどなかった。
ただ、おびえた振りをしてみたかった。

ドンファが私の足を左右に開いた。
足は拘束されたわけではなかったけれど、
まるで鎖でつながれて身動きが出来ないような気持ちになった。

彼の視線が、開かれた足の真ん中に注がれている。
その部分がじりじりと熱を帯び、潤いが増していく…

ドンファはしなやかな指先で私の体のあちこちをなぞり、
胸に震えが走ったり、体をくねらせたりするのを楽しんでいたが、
やがてどこからか黒い細い布切れを取り出し、それで私の目を覆った。

加えられる愛撫は、唇だったり、舌だったり、指だったり、
与えられる場所も乳首だったり、鎖骨のくぼみだったり、足の付け根だったりした。
次を待ち焦がれた体は、思いもかけないところに降り注ぐ愛撫に、
これまでにないほど敏感に反応した。

高まる喘ぎをこらえようとしたが、
噛み付く肩もなく、口を覆う自分の手のひらもない…
次から次に声が、こぼれ出た。

視覚を奪われて聞く自分の喘ぎやドンファの息遣いは、
まるで見知らぬ他人のもののようで、
それでいて懐かしい自分たちのもので、
それらの声は決して消えずに暗闇を満たし、
私たちの体をやさしい羽毛のように包んだ。

けれどもドンファは、少しも自分の快楽を求めない。
『ドンファ…』 
『だまって…』 ドンファは私を一層責め苛む。
私を何度も絶頂まで導く…

何故彼は私を抱かないのだろう。 
これほどに私に喜びを与えようとしながら何故…
私は自分で手錠をはずし、目隠しをとった。
ドンファが、途方に暮れたような目で私を見た。

キッコ… 
声は私を欲しがっているのに…
彼の手の中のものが、しだいに萎えていく…

私は目をそらし、もういちど目隠しをした。
そして今度は後ろ手に、自分で手錠を嵌めた。

ドンファに向かってにじりよっていく。
たどりついた膝から彼の股間に舌を這わせ、
ようやく探していたものを見つけ、口に含む。

口腔の筋肉を使って締め付け、舌を絡ませる。
喉の奥まで飲み込むと、苦しくて泣きたくなった。
けれどもそれもまた、快楽であることに変わりはなかった。

ドンファのからだを愛撫できないことが寂しかったが、
彼は私のからだのあらゆるところに触れてくれた。
やがて大きな手が私の髪の毛に差し入れられ、
私の頭は彼の思うがままに揺すぶられ、
そしてようやく彼に絶頂が訪れた。

ドンファの喉から漏れる喘ぎ声と一緒に、
彼の熱い、むせ返るものを、私は一気に飲み込んだ。
男のものを飲み干すのは初めてだった。
何かを成し遂げたような気持ちになった。

ドンファは逞しい腕で私を抱きかかえ、自分の胸に私の頬を押し付けた。
彼の全てを愛撫したくて、
胸の筋肉の割れ目を舌でなぞり、
乳首を探し当て、そっと噛んでみた。

舌をもう一度下ろしていく。
だが彼は私の動きを止め、唇を重ねてきた。
長く、深い、口づけだった。
けれどもそこに、もう一度欲望が戻ってくる気配はなかった。

彼が私の手錠をはずした。目隠しはとってくれなかった。
自分で取ろうとすると、取らないでと、さえぎられた。

私たちは優しさと哀しさを二人の間に抱きかかえるようにして、
そのまま眠った。

目隠しは、自然に外れたのだろうか、
それとも私が眠ったあとドンファが外してくれたのだろうか。
おそるおそる目を開けると、思ったとおりドンファはいなかった。

二度と彼は私に会わないだろう。
そう思って、私は泣いた。

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