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海と月とトラベラー  8

 

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<8> 最終話



今宵僕たちが確かめ合い、たどりついた場所は、深い信頼に満ちた楽園だった。
腕にあなたを抱きながら、体も心もひとつに分かちがたく繋がっているのを感じる。


『ルナ、あなたはこれからどうしたいの?
今のままで遠く離れていて本当にいいの?
いつ会えるのかもわからないまま、僕をじっと思っていられると? それで幸福だと?』

『ジャン… ああ、ジャン… 
会いたいわ。毎日でもあなたに会いたい』
『結婚すれば、毎日一緒にいられんだよ』
『だめよ、それはだめ… 』

そんなやりとりに、繋がっていた心が離れていく…
僕たちの話は平行線をたどるばかりだ。
お互いに歩み寄らなければ、これ以上近づくのは無理だ。
体を重ね、満たし合った深い喜びのすぐ後にも、心はすぐに離れていく… 

僕の休暇もあと二日で終わる。
硬直した状態のまま別れるのだけは、避けたかった。

僕は決めた。
あなたへの信頼はもう揺るがない。
ならばあなたを丸ごと受け入れよう…

『わかったよ、ルナ、あなたのしたいようにしていいよ。
僕が来れる時には来る。でもあなも会いに来てくれるね?』
『ジャン、ありがとう。私、あなたが呼んでくれたらすぐ行くわ』

『レストランは?』
『マネージャーを雇えばいいもの』
『じゃ、僕があなたに会いたいときには、いつでも?』
『ええ、いつでも行くわ…』

僕が一歩近づいたら、ルナも一歩近づいてくれた。
形にさえこだわらなければ、僕は彼女の孤独に寄り添うことができそうだ。

ふと、蓮池でルッカが漏らした言葉を僕は思い出した。

『ルナ… 実は今日ルッカと話したとき、彼がつぶやくように言ったことが気になってるんだ。
聞こえなかった振りをしたけど』
『なんて言ったの?』
『僕たちをうらやましいって。叶うなら、僕たちが愛し合うのを見たいって…』

ルナはしばらく考えこんでいたが、やがて口を開いた
『私は、いいわ…』
『あなたも、それを望んでいるの?』
『望んでいる…? 私が…? わからない。 でも… 』
『以前にも同じようなことを?』
『… 』
彼女が言いよどんだので、それが実際に行われたことだと分かった。

『ええ、ルッカと別れる前に。
夫婦のままでいながら、お互いに愛人を作ってみようって。
私たち、いろんなことを試してみたの』

『それで、どうだった?他の男に抱かれるあなたを見て、ルッカは欲情した?』
『いいえ。まず、そんなことを了解してくれる男がいなかったわ。
下卑た笑いを浮かべて応じてくれても、実際その場になると私を抱く気にならなかったり、
おざなりに果ててしまったり。
そのあとは私もルッカも自己嫌悪に捉われて事態は一層悪化するばかりだった…』

僕は、あなたを抱く腕に力を込めた。
二人の苦渋に満ちた夜を思うと、哀れさがこみ上げてきた。

『でもあなたとなら…』
『ルナ…』
『あなたとなら、出来るかもしれない。いえ、あなたなら出来るかもしれない』
『ルッカの前であなたを抱くことが?』
『そうよ。二人のときとすこしも変らずに、あなたなら私を愛することが、きっとできるわ。
私たちは同じ海や月の仲間だから』

『でも何のために? あなたとルッカはもうとっくに別れたんだし、
今更ルッカのあなたに対する欲望を呼び覚ますようなことは、何の意味もないだろう?』
『彼が私に欲望を覚えることは二度とないわ。彼の不能は私に対してだけじゃないの』

『でもルーチェや他の愛人には…』
『ルッカは私だけじゃなく、東洋人の女に欲情しないの。
彼はそれを認めていないけれど… 認めるのは死ぬよりつらいことだから。

ルッカは私を抱けなくなって、アジアに、ベトナムに挫折したと思った。
私とアジアを重ねていて、あまりに恋焦がれすぎて、自分が一体になれないとわかると拒絶されたと思ったの。
あまりに深く愛し、求めすぎる人だった。
あるいは彼はそんな自分を罰しているのかもしれない』

『彼のためでないとしたら、何のために?』
『まず私たちのためよ。
そしてもし、それがルッカのために少しでもなれば、わたし…』

ルナの言わんとすることが、なんとなく分かる気がした。
もしかしたらこれで決定的に、あなたはルッカという影を捨て去ってくれるかもしれない。
ルッカも、同じように… 
しかしそんなことが、僕に、僕たちにできるのだろうか…




翌日、僕はルナと近くの街まで出かけていった。ドレスとベールを探すために。
夕べ、遅くまで僕たちは話し合い、そして賭けてみることにしたのだ。
そのためには今夜、ささやかな結婚式を挙げる必要があった。
車を飛ばしてのとんぼ返りで、なんとかディナーに間に合った。

ルナは真っ白な、シンプルな麻のドレスを身にまとい、
パールのネックレスを首にさげ、熱帯の夜に香る白い花を髪につけた。
ベールは大袈裟になるからと、結局やめた。
僕も白い麻のスーツを着て、ダイニングに入っていく。

既にテーブルについていたルッカが、立ち上がって僕たちを迎えた。
ルーチェも驚きの表情を浮かべて立ち上がった。

『君たち、その恰好は…』
『ええ、今夜、僕たちだけで結婚することにしたんです』
『ルッカ、私とジャンだけの心の結婚式なの。
私たち二人だけが、互いに相手をただ一人の相手だと誓うだけのことなの』
『でもお二人には祝福して欲しくて』

『そうか。おめでとう。ルナ、ジャンも』 ルッカが、少ししんみりとした調子で言った。
『よかったわ。二人とも、おめでとう。
ルッカ、その、娘を嫁にやる父親のような顔はよしなさい。
でもうらやましいな。今夜、私もルッカに迫ることにするわ』 ルーチェの明るさが嬉しかった。

『正式には結婚しないの?』
『ルーチェ、私、それは最終的な結果だと思うの』
『どういうことかな、ルナ。僕は君の口から結婚と言う言葉が出ただけでも驚いたんだが。
では君たちはいつか本当に…』

『僕はいつでもいいんです。むしろ早くそうしたい。けれどルナの気持ちも大事にしたい』
『私、迷ったわ。ジャンは結婚で、私たちの孤独を寄り添わせたいって言ってくれた。
それは私も望むことなの。
でも、そのために結婚という形はいらないと私には思える』

『僕が折れました』
『あら、私だって折れたわ』
ルッカがあきれたように僕たちを見る。
『もう夫婦喧嘩かい?』 
『いやだわ、そんなんじゃないのに。ルッカ、からかわないで…』 ルナが恥ずかしそうに頬を染める。
僕はそんな彼女を見るのがたまらなく嬉しかった。

『で、結局どういうことなんだい?』
『ジャン、僕たちはお互いの中に自分の国を作ろうと思うんだ』
『互いの中に自分の国…?』

『そうだ、その国はいつでも出たり入ったりできる。
旅をしてもいつも帰って行ける自分の故郷…』
『でも国を作るのは簡単じゃないわ。
私たちはまず結婚で枠を作るんじゃなくて、
一緒に、ひとつづつ石を積み上げ、建物をたて、木を植え、道をつくろうと思うの』
『そして水をやって、育て、そうしたらそれがきっと結婚になっているんじゃないかと…』

『まず形ありきではなく、…か。すばらしいよ。
それにジャン、君はもう旅人ではないんだな。僕がずっと旅人だった国で…
おめでとう、ジャン。』
ルッカが僕に手を差し出した。
僕がそれを握ると、彼は僕を引き寄せ、肩を抱いてくれた。

『そしておめでとう、ルナ…』
ルッカを見るルナの目が、すこし潤んでいる。
両手を広げたルッカの胸に、ルナはまっすぐ飛び込んだ。
『ルッカ、ありがとう…』
やさしくルナを抱きしめるルッカが、涙をこらえるように天を仰いだ…


いつものコースを少し贅沢な材料で作ってもらっい、とっておきのシャンパンを開けた。
乾杯の前に、僕たちは、結婚の誓いの言葉を述べた。
『僕はずっとルナだけの男だ。海と月の前で…』
『私もずっとジャンだけの女よ。海と月の前で…』

たったそれだけなの、とルーチェにあきれられたが、二人は心から祝福してくれた。
食事も、酒も美味しかった。
例によって食後はバーで少し飲み、4人で踊った。

そろそろお開きというとき、僕はルッカとルーチェに告げた。
ちょっとだけ、ルッカに付き合って欲しい、
特別の儀式を行いたい、前にルナの夫だった人に是非参列してほしいのだと。



僕たちは三人で、海の一番奥のコテージにもどった。
『何か飲みますか?』
『もしブランデーがあれば…』
僕はグラスに琥珀色の液体を注いだ。

『もう一度乾杯しよう』 ルッカがグラスを掲げた。
『海と月と、そして花嫁と花婿に…』

僕たちは黙ってブランデーを口に含んだ。
時を経た芳醇な香りが口腔を満たし、からだの芯を熱くしていく。

『ルッカ… 私たちを、見て欲しいの… 
あなたに、最後に一度だけ、私の本当の喜びを捧げたいの』
ルッカは泣きだしそうに顔をゆがめたが、なにも言わずにうなずいた。
ルナが、ドレスのすそをまくり揚げ、僕の膝にまたがった。

むき出しにされた美しい脚が、僕の欲望をそそる。
僕は静かにあなたの唇を塞いだ。

僕たちは固く目を閉じ、ただお互いの中に深く潜りこんだ。
ルッカの視線が、遠くから僕たちを照らす月の光のように感じられる。
いつもと同じように、あなたがからめてくる舌が僕を欲情させる。
むくむくと、僕自身が、まるでそれ自体別の命をもつ生き物のように反応し始める。
あなたの体が、いつにも増して熱い。

僕はやさしく、あなたの白いドレスを脱がせた。
なにも覆うもののない、僕とルッカの視線にさらされた、柔らかな肌… 乳房…
欲望の赴くままに、あなたの乳首を口に含む。
あなたの喘ぎ声が、海に向かって開け放たれたドアからも、窓からも、漏れでていく…

僕は唇を次第に下ろしていき、ついにあなたの中心にたどりついた。
『ジャン… あなたも…』

ルナの手が、肌にまとわりつく僕のシャツをもどかしく引き裂いた。
からみつくシャツやズボンを脱ぎ去り、熱い手の愛撫をむき出しの肌に感じる。

ルナが、いつもより感じていることに、僕は気づいた。
僕自身の欲望も、切ないほど高まっている。
すぐにでも彼女の中に入りたかったが、僕はルッカに、絶頂にたゆたうルナの美しい姿を見せたかった。
僕の手で、ルナが赤い月のように宙に上り、濃密な水気を含んだ空気に、滲み、溶け込んでいく姿を見せたかった。

僕はあなたを抱き上げ、明るい月の光が溢れるテラスに出た。
テラスの広い床には、僕たちの結婚の儀式のために、大きな寝椅子を運び込ませていた。
その上にあなたを横たえる。

もう一度、あなたの全身にくまなく唇を這わせる。
唇のひとつの愛撫ごとに、あなたの体が花のように香り、潤っていく。

僕は体を起し、あなたを後ろから、僕の開いた膝の内側に抱きかかえる。
月の光がくまなくあなたを照らし出すように、
あなたの姿が、開け放たれたドアの奥の、コテージの暗がりの中に立つルッカによく見えるように。
僕の後ろには海…

あなたの耳元で囁く。
『どうしてほしい?』
『ジャン…いつものように、私をいかせて…』

僕は片手で胸のふくらみを愛撫し、もう片方の指をあなたの中に埋めていく。
あなたの体が揺れ、あなたの声が揺れ、あなたの官能が揺れる。

あなたは片ほうの腕を僕の首にからめ、
姿の見えないルッカの眼差しの前に、更に体を開いた。
中心のふくらみに指を沿わせると、あなたのからだは勝手に己の快楽を追い求めて動き始める。
僕は自由にあなたを泳ぎ遊ばせる海となって、あなたを包み、あなたを晒し、あなたを高みへと導く。

ああ、ジャン… 訪れた絶頂にあなたが僕を呼ぶ… ジャン…と、
たゆたい、花開き、喜びを溢れさせて…
ジャン… と。

やがてあなたは僕に向き直り、またがり、そのまま怒張した僕自身の上に腰を落とした。
僕は月を抱く海で、あなたは海を抱く月だ。
テラスも、コテージも消えてしまい、不思議な浮遊感に昂揚し、
やがて体も海の色と月の光だけになってしまった。
完璧な一体感に満たされ、そしてそれが一気に飛散していく…

そのとき、あなたが鋭い叫びをあげた。
『あぁ~、ジャン… 愛してる… 愛してるわ… 私のジャン! 私のジャンルッカ…』
最後のあなたの叫びと共に、僕たちを激しいオーガズムが襲った。
熱帯のスコールのように絶え間なく打ち続ける歓喜の中に、
静かに部屋を出て行くルッカの足音を、僕は聞いた。
同時に僕は、ジャンルッカがあなたの中から僕の中に流れ込み、溶け、消えていくのを感じていた…



翌朝、朝食後、ルッカが僕を散歩に誘った。
『君に礼を言わなければ…』
『… 夕べのことですか? 』
『ああ。そうだ。 あれでルナのなかから僕の影は消えただろう?』
『ええ。そのようです』

『ルナは女神のように美しかったな。君が輝かせていた。
それから君も美しかったよ』
『ルナが僕を照らしていたから』
『君たちがうらやましくてたまらなくて… あのあと僕がどうしたと思う?』

『ルーチェを抱いた』
『その前さ』
『その前?』 僕はルッカの顔をしげしげと眺めた。
『実は街に出かけていって、ベトナム人の娼婦を抱いた』
ルッカは少し恥ずかしそうに、誇らしそうに、
初めて女を抱いたと報告する少年のような顔をして言った。
その顔の上に、愉快そうな笑いが拡がる。

『なんとか言ってくれよ。 あんなすごいのを見せつけられたんだぞ。
哀れな男に、少しぐら優しい言葉をかけてくれてもいいだろう』
『それは… おめでとうございます。 これじゃなんだか変だな…』

『いや、一番ふさわしい言葉だ。 
ようやく、僕の中からもルナの影が消えたんだ。 
僕が勝手にこねくり回して造りあげた、白い陶器の人形が粉々に砕けたよ』
『あなたの中に、もうルナはいないと?』
『残念ながら、砕けた陶器の下に、生身の彼女がいた。でもそれは君が輝かせているルナだ。
僕の中からその姿が消えることはないだろうが…』

『ルナにまだ未練や執着があると?』
『ない、と言ったら嘘になる。 でも僕ではルナを輝かすことはできない。
それに、君たちのおかげで、ルナという僕のこの国に対する幻想が砕け、
どうやら僕はベトナムと、アジアと仲直りできそうだ。
これからはルナを通してではなく、僕自身がまっすぐにこの国に向き合うことが出来るような気がする。
いたずらに美化せず、不必要に恐れずにね』
『ルーチェのように?』
『そう。ルーチェのように…』

僕たちはしばらく砂浜を歩き、蓮池まで散歩し、庭のはずれのマッサージコーナーを覗いた。
生垣とすだれで囲われたコーナーのベッドの上に、ルナとルーチェがうつぶせに寝ている。
こっそり女神の浴室を盗み見る若者のような気持ちで、僕は二人の美しい裸身を眺めた。
ルッカがごくりと喉を鳴らしたので思わず僕が笑い出し、
女神たちに気づかれてしまったのが、残念でならなかった…






FINE

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