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石の記憶 XXI  --ジェイとケイのエピローグ

 

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XXI  --ジェイとケイのエピローグ




ヴェスタの巫女の家を覗きこむ石段に、ケイは立ち尽くしていた。
敷地は柵で囲われており、中に入ることはできない。
庭にはケイディアが初めてここに足を踏み入れた時のように、
秋の名残の薔薇が数本咲いていた。
大理石の女神の像は、台座だけだったり、首から上が欠けていたり、
まともな姿をしているものはほとんど無い。

あの奥の一角がケイディアが過ごした部屋だ。
リディアの部屋は正面のすこし広々したあたり。
よく宴席が設けられたのは入り口から程近い中央の部屋。

今はがらんとした空間のあちこちに石が転がっているに過ぎないのに、
ケイには三階建ての広壮な建物の外観や部屋を仕切る壁が見えた。
美しく整えられた客間で、リディアと並んで酒を酌み交わすジェイウスの姿も見えた。
それらのいくつかを、ケイは写真に収めた。

石段を降り、円形を白い柱が取り囲む、ヴェスタの神殿を見上げた。
昔は壁が塞いでいたその柱と柱の間を、雲が渡っていく。
柱に手を触れると、冬の陽射しにあたためられた石のぬくもりが伝わってきた。
さらにケイは、それらの柱を、あたりに散らばる石を、写真に撮った。
石の底に籠められた記憶を、写し取るように。

そこからすこし東に戻り、セヴェルス帝の凱旋門を正面に見て左の道をたどれば、
ゆるやかな坂道がやがてカピトリーノの丘へとケイを導く。
ジェイがローマを立つ前の日、陽が沈むまで彼と抱き合っていた場所へと。

あのとき、二人で見た遺跡の石の間から、確かに自分たちにむかって漂ってくる魂を感じた。

そして今、甦った記憶に満たされて、
ケイはようやくあのとき密かに交わされた約束を、果した気がしていた。

ホテルに戻り、撮った写真と、甦った石の記憶の最終章をジェイに送ろう。
これでようやくローマを離れることができる…


   ***   ***   ***


空が白み始めるころ、電話が鳴った。
ケイさん? ジェイの声がケイを眠りから呼び覚ます。
ああ、ジェイ… おはよう。
おはよう、ケイさん。
ずいぶん早いのね。
今、僕たちの物語を読み終えたところです。
少しでも早くお礼を言いたくて。
僕の遠い記憶を紡いでくれたあなたに…

気に入ってくれた?
もちろんです。
何度も何度も読み返しました。

ジェイがたくさんの人を私に送り込んでくれたから、一層深いものになったわ。
本当に? そうだったら嬉しいな。
ええ、私たち、一緒にジェイウスとケイディアの物語を紡いだのよ。

すごく不思議な気分です。
あの時代を本当に生きたような気がして。 まだ今に戻って来られない。
気がつくと、ケイディア…とあなたを呼んでいる。

私もよ。あなたを思うとき、ジェイと呼びながら、同時にジェイウスも呼んでいる。
そのとき私はケイだけど、ケイディアでもあるの。

昨日カピトリーの丘にもう一度立ってみてわかったわ。
私たちがあそこで抱き合っていたとき、私、遺跡や松の木や、
ローマそのものと交わっているような気がした。
あのとき、すでに私はケイディアだったのよ。

そう言えば僕もそうでした。二千年の時が僕のなかに流れ込んできたと思った。
あのとき、僕はジェイウスだった…
だから僕たち、あの夜あんなふうになった…。

ケイディア、僕のところに戻ってくれるね。
ええ、ジェイウス…

いつですか?
いつあなたは僕のもとに戻ってきてくれるんですか?

それは…、あと少ししたら…
言いよどむケイに、たたみかけるようにジェイが言う。
何故日本に帰りたくないんですか?
別に帰りたくないわけじゃ…

ケイさん、日本には僕の記憶がないから?
ジェイウスの記憶も、僕の記憶もないからですか?

図星だった。
ローマには二人の記憶が溢れかえっていた。
そのローマから、何ひとつ彼らの記憶の無い日本に戻ることが、
ケイには少しだけ寂しかったのだ。

ジェイ… 
ジェイ、私…

帰ってきてください。日本に。僕があなたを待つ日本に。

ジェイ… あなた今…
そうです、日本にいます。
あなたが早く帰ってきてくれないと、僕も困ります。
そろそろ仕事がせまっているので。

ああ、ジェイ…
明日にでも戻ってくれますね。
ええ、わかったわ。ありがとうジェイ。 出来るだけ早く発つわ。
良かった。 迎えに行かなくちゃいけないかとも思ってました。

実は僕、もう限界なんです。
えっ?
ジェイウスもケイディアをはやくこの腕に抱きたいと…
二人で毎晩、あなたのことを考えて…

ジェイ、私もよ…
私もすごくつらかった。
わかっていますよ。

でも、離れてみてよかった。 ケイはそうも思った。
離れたからこそ、ジェイを信じる気持ちがすこしも揺れないことがわかったのだ。
何より、この出会いが旅先での刹那的なものではないということが確信できた。
私たちはここローマに呼び寄せられたのだ。遠い日の私たちによって。

ジェイウスとケイディアの魂が、うれしそうに飛び回っているのを感じる…

ジェイ、私たち、ここから、ローマから始まるのね。
そうです。ジェイウスとケイディアのローマから。
そして僕たちのローマから…

ケイさん、二人の物語が完成したお祝いに、プレゼントを受け取ってください。
僕たちがローマの最後の夜を過ごしたあの部屋を、あなたのために押さえました。
すぐにでも移れるそうです。


  ***   ***   ***


その部屋に入ると、テーブルには山のようなオレンジが盛られた籠が置かれていた。
傍らには白いミルテの花のブーケ。
そこに、一枚のカードが添えられている…

カーテンを引くと、朝焼けの光が部屋に差し込んできた。
窓を開ければ、目の前には金色に輝くオベリスクと、ベルニーニの象。

振り向くとベッドに、同じ光に包まれて裸のまま抱き合うジェイとケイがいた。
今ならわかる。
それがミルテの香りに包まれて眠る遠い日の恋人たちでもあったことが…

あの日、フォロロマーノを見おろす丘が夕闇に包まれると、ジェイはケイの腕を取り、
黙ってホテルに連れ帰った。
二人はほとんど言葉を交わすこともなく、部屋に戻った。
ドアを閉めるのももどかしく、抱き合った。

ケイさん… ずっとこうしていていい?
明日、出発の時間が来るまで、けっして離れずにずっとこうやって抱き合っていたい…

ええ、そうしましょう。
私たち、きっとくっついちゃって離れなくなるわ。

静かに唇を重ねる。
それだけで、からだが熱くなる。
次第に高まる二人の呼吸が、のどの奥からもれでる喘ぎ声が、
さらに互いの欲望をかきたてていく。

そのとき、ケイは自分の中にもう一人別の女がいるような感覚に捉われた。
自分が二重に重なっているような奇妙な感じ…

ケイ…
見つめるジェイの瞳から溢れる想いが、同時に、ケイとその女を襲う。
私を奪って… 私を粉々に砕いて、その全てを持っていって…
突然、全身に野火のように強烈な欲望が拡がって、ケイはたじろいだ。
しかし体は、勝手に動く。

唇を重ねたままジャケットを脱ぎ、靴を脱ぎ、スカートを脱ぎ去った。
ジェイもブルゾンを脱ぎ、ズボンを脱ぎ…
それらを転々と床に落としたまま、二人はベッドに近づき、
抱き合ったままベッドに倒れこんだ。

重ね合わせた唇を離すことが、できない。
ジェイの手が下着にかかり、取り去ろうとする。
膝の辺りまで下げられた下着を、ケイは自分で足を動かして脱ぎすてた。
いつのまにかジェイも下着を取り去っていた。
互いのセーターをたくし上げるようにして、肌を合わせる。
ジェイの指が背中に回され、ブラジャーのホックがはずされた。
ブラジャーが少しずりあげられ、彼の手のひらがケイの胸を大きく掴んだ。

この手、ジェイなの?
胸をまさぐり、腰を這う熱い手が別の男のもののようにも感じられる。
その手を、待っていた… ずっとずっと待ちわびていた…
女が、飢えた獣のように、その手の愛撫に応えている。

ジェイの肌の上を愛しげにさまようケイの手が、ひとつひとつを確かめていく。
肉の重さを確かめ、肌の緊張を確かめ、滲む汗のぬくもりを確かめ…

激しく舌を絡めあい、吸いあった。
いきなり男の手が、ケイの足を大きく開くと、そのままケイを貫いた。
今入ってきたのはジェイ? あなたなの?
女が喜びに震えているのがわかった。
男を締め付け、さらに奥深くに誘い込み、呑み込もうとしている…

もっと、もっと、もっとよ… そう、そうよ、止めないで…
唇を吸われながらその女が言う。
体の奥からこみ上げる言葉は、唇にたどりつた時には乱れた喘ぎ声にしかならなかったが、
確かに女はそう言い、男もそれを聞いた…

目を閉じると、すべてが増幅した。
ジェイの手のほかに、もう一人、確かに肌をまさぐる別の男の手を感じる。
私は同時に二人の男と交わっているのか…
いや、二人の男と交わる二人の私がいる…

鋭く、強いオーガズムがケイを空中に押し上げようとする。
それを男の腕がベッドに押さえつける。
その時、ジェイの唇を咬み、咬まれながら、ケイはからだの底の底から立ち上る、
歓喜の叫びを押し留めることが出来なかった。
その叫びが、合わせた唇からもれ出て行くとき、
それはケイだけのものではなく、その女のものでもあった。

叫びは、長く、泣くように尾を引いて残り、抑え切れない喘ぎ声がそれに混ざり合う…


砕け散った波が沖に引いていくのを感じながら、二人は抱き合ったままじっとしていた。
動けなかったのだ。
激しい欲望の嵐はまだ去っていったわけではない。
少しでも動けばまたその嵐が戻ってきて、二人をさらっていく、
それが二人にはわかっていた。

ケイさん… 大丈夫ですか ?
ええ、ジェイ。 でもなんだか、変だわ。
ケイさんもですか? 
なにか、と言ってケイは部屋を見回した。
いえ、誰かがいる。

半裸のまま抱き合う自分たちを見ている、誰か…
体の外からか、内からかわからない。でも確かに見ているし、感じている…

不思議なことに恐怖は微塵もなかった。
それどころか、なにか親しい、懐かしいような気持ちがする。

そっと体を離し、まだ着たままだったセーターを脱ぎ去った。ブラジャーも。何もかも。
乱れた息を吐きながら、半身を起こして見つめあった。
ジェイの眼差しの中に、またしてもあの男の切なげな視線を見た。

ケイ… なんて目で僕を見るの?
ジェイもそう行ってケイに腕を伸ばす。
その腕に体を預けようと倒れ掛かっていくのは私なのか、そあれともあの女なのか…

ジェイがケイを胸に抱いた。
それだけで全身に喜びが走る。あぁ、待っていた、待ちわびていた。
触れ合う肌の細胞のひとつひとつから、焦がれていたものを得た喜びが、小さな、
たくさんの気泡のように湧き上がっていく。

ケイは気力を振り絞って、ジェイから体を離した。
すると痛みが全身に広がった。
あの女の、肉から皮膚をはがされでもしたかのような痛みを感じる。
ジェイの顔も苦痛に歪んでいる。そこにはやはり増幅された痛みがある…

ケイは少しあとずさった。
これほどに求めている…
でもこの欲望にまた身を委ねたら、今度こそ私はどうにかなってしまうに違いない…

だめ!と、体の奥で女が叫ぶ。 離れないで、逃げないで!

でも…
ケイはジェイウスの、懇願するような哀切な眼差しと戦いながら、じりじりと後ずさり、
男の視線を避けようと後ろを向き、そのままベッドから起き上がろうとした。

すばやく、ジェイの腕が伸び、ケイの足を掴んだ。
ケイはそのままベッドの上に倒れこんだ。
振りほどこうとしたが、ジェイの手はケイの細い足首を離さない。
ベッドの中央まで、ずるずると引きずられる。
四つんばいのまま、なんとか必死に逃れようとしたが、
ジェイの手は、ケイの腰に掛けられ、がっしりと組み敷かれてしまった。

離して… いえ、離さないで… 口に登る言葉を即座に否定する内なる声…
いやだ。 ジェイが言う。
離して、お願い…  いいえ、絶対に離さないで…
だめだ、離さない。もう二度と離さない。

全身から力が抜けた。ケイは目を閉じ、覚悟を決めた。

ええ、離さないで。ジェイ…
ずっと私をつかまえていて…

そのままジェイの手が後ろからケイの胸をつかんだ。
指が乳首を弄び始める。
首筋に、肩に、耳に、ジェイの?それともあの男の?唇が、舌が這う。
ケイは漏れ出る喘ぎ声を自分のものとも思わずに聞いた。

指は、さらに下腹部をまさぐり、一番感じやすいところをさぐりあてると、
情け容赦なく愛撫を与え始めた。
その刺激に、からだを支える腕からも、膝からも、力が抜けていく。
腕は崩折れてしまったが、腰は、ジェイの腕によって絶えず持ち上げられ、
やがてベッドとの間に枕が差し込まれた。
変らずに刺激を与えられ、たかく腰をもち上げられた恰好のまま、
ケイはおさえつけられていた。
もはや逃れようとはしていないのに、
ジェイは逃すまいとして、腕の力を緩めず、組み敷き、与え続け、
そして背後から、刺し貫いた。

あなただけなの?ジェイ?
またしてもケイはそう思った。
やはり同じように、私を貫くのは二人の男…

目の前にケイの手をベッドに押さえつけているジェイの左手があった。
その手を自分の唇の近くまで引き寄せ、ケイはジェイの指を口に含んだ。
背後からのジェイの動きが一段と激しくなる。
右手の刺激も止まらない。
その刺激が送り出す波にあわせて、ケイの喉からもれ出る喘ぎは、二人の女のもの…

やがて空中に放り投げられたような浮遊感が訪れたとき、
ジェイもあの男も、ケイもそしてケイの中の女も、
同じ一点を目指してかけ上り、同時にたどりついたのがわかった。
そのとき、ケイはジェイの指を強く咬んだ。
ひとつになり、やがてバラバラに拡散していく4つのかけらをそのままつなぎとめるように、
繰り返し襲う、激しい緊張と弛緩の波にあわせて同じように強く、弱く、ジェイの指を咬んだ…

それでも、まだ与え足りなかった。
絶頂の後、まだ自分の体が残っているのが、不思議だった。
さっき砕け散り、空中に飛散し、溶け去り、失われていった自分の身体が、
なぜまだここにあるのか。
なぜ、私はジェイの中に止まらず、再び私に戻ってきてしまうのか。

ジェイはまだケイのなかにいた。
優しく動きながら、ケイの中でたゆたっていた。
ジェイ、私を、私を…
ケイは自分が狂って行くのではないかと思った。
いや早く狂ってしまいたかった。
ジェイが欲しいというよりは、ジェイの中で完全に自分を消滅させたかった。
ケイの中の女はいつの間にか、見事にケイと一体化していた。

その女とケイの寄り合わされた欲望が、さらに肥大していく。
ジェイにまたがり、自分から腰を動かした。
両腕をひろげ、ジェイと一緒に宇宙に浮遊するためには、どんなこともするだろうと、
ケイは思った。
はてしなく呼び合い、はてしなくむさぼりあう。
奪い合い、与え合う…
ひとつになって…
それでも二人は、最後には二人に戻ってしまうのだった。

夜明けの黄金色の光に包まれて、かたく抱き合う二人は、しかし深く満ち足りていた。
いつまでも求め合うことが、いつでもそれに応えることが、できることを知ったから。



ベッドの脇のテーブルに置かれたミルテの花の芳香が、部屋を満たす・・・
添えられたカードに文字が浮かぶ…

   僕のケイ……
   君が送ってくれたオレンジの花は、次々に僕の中で実を結んだ。
   あまりに数が多くて食べきれないほどに。
   そのオレンジは、僕たちが始めて一緒に眺めた、
   あのジェノバの港に浮かぶおびただしい数の灯火のように、
   ずっと僕の胸を照らし続けている。
   愛しているよ。
   オスティアで一緒に育った幼い頃から、
   ずっと君を愛していた…
   そしてこれからもずっと、君を愛していくよ。
                                           君のジェイ……より






                      FINE

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